03年02月01日(土)

 なんだか最近、Alex Greyがやたらとお気に入りなのです。ぼくのパソコンの壁紙には、彼の作品を使用しているのですが、初めて見た人は大抵ひきます。でも、かっこよくないですか?

すけすけ

 この人、作品を見てもらえばわかると思いますが、ばりばりの神秘主義者でして、チベット密教、超心理学(!)などの精神世界、解剖学(ハーバード大学医学部の解剖学博物館に勤めた経験もある)、さらに自らの神秘体験をもとに作品を制作しています。

わおー

 以前に雑記で書いたかもしれませんけど、「ZIG ZAG ZEN」という本のアート監修なんかもやっておりまして、その本の中でも文章を書いているのですが、自著のなかでもばりばりにその神秘主義っぷりを書き記しております。こんな感じ。

 それはまるで、「真の」物質界は錯覚のベールに包まれ、いまそのベールがはがされると、因果関係と創造のエネルギッシュな足場、究極のリアリティーである永遠と無限がわたしたちの前に、わたしたちを通して、あからさまにあばきだされているように思えた。過去と未来、小宇宙と大宇宙、雄と雌、自と他といった両極性がすべて衝突もなく合体し、超越している。といって、意識が消滅することもない。もちろん、わたしたちはそれぞれ、この状態が自分の純化した自己そのものであると感じた。「わたし」とは、その広大なネットワークのある一点で、その領域全ての点と「わたしの」ユニークな関係をつくっている。その格子状の光が発する地面となっているのは、無限の空(くう)らしい。わたしたちふたりは、宇宙のすべての生物や無生物、つまり「神」と自分たちが、決定的につながっていることを理解した。「光」がわたしたちのスピリチュアルな核であり、この格子の領域にある深遠に超越した至福へと最終的に帰っていくのだから、死を恐れるには及ばないのだと感じた。

わおー

 典型的な神秘主義者の弁ですね。作品は面白いのに、書いていることはじぇんじぇん面白くなーい。

 一度で良いから、このような神秘主義の方とお話をしてみたいものです。どぜう鍋でもつつきながら、熱燗をキュッとやって。

03年02月02日(日)

 ふう。買っちゃった。『真・三國無双2』。一緒に『三國史戦記』も買っちゃった。攻略本も買っちゃった。わき目も振らずに家に帰って部屋着にすら着替えないでそっこーでプレイしたのですが、もうやばいぐらい面白くて、ぼく、生まれて初めてです、ゲームで親指の感覚なくなったの。すげー連打するから。二月の下旬には3も出るから、それまでに攻略しなくてはいけないので、毎日がとても忙しいのです。

 ゲームをやっていたら無性に『三国史』が読みたくなったので、押し入れの奥から横山光輝版『三国史』をひっぱり出して読み始めたのですが、これが死ぬほど面白くて六十巻一気読みしてしまいました。それで漫画喫茶に行って、『蒼天航路』を読んでさらに三国志気分を満喫して気分はもう国取り合戦って感じでどんどん盛り上がってしまい、今では自分と関羽の区別がつかなくなってしまいました。今町に出たら危険です。やくざとかと喧嘩しそう。名乗りとか上げて。やあやあ我こそは劉玄徳が義弟関羽雲長なり我と思わん者は出て来るが良い青龍偃月刀の錆にしてくれようぞ

 それで、今月号の『ダ・ヴィンチ』の特集が「三国志」だったので、先月に引き続き買っちゃいました。横山光輝の『三国志』の総売り上げ、6500万部ですって。6500万ですよ、65000000。うへー。やっぱ歴史物強いなー。

 「三国志占い」で占ったところ、ぼくは「麋竺子仲」だそうです。玄徳に仕えた文官。つまらない。

03年02月03日(月)

 最近ちまたで何かと話題のレッシグさんでありますが、去年の末に翻訳された『コモンズ』に関する記事がHotWiredにアップされています。

■レッシング教授の『コモンズ』を読む ー日本社会に投げかける問題

 レッシグさんの主張を簡単に要約すると、「著作権至上主義は文化の衰退をもたらす(Hotwired)」ということで、インターネットの世界的な普及に伴い、より拡大していく著作権産業と著作権法に対して、「アイデアは人類の共有財産」という立場から警鐘を鳴らし続けています。

 アメリカの著作権法は、「ミッキーマウス保護法」と呼ばれています。アメリカが建国した当時、著作権法は14年(17年?)年でした。この法律の当初の目的は、著作権を所有者に保護するというよりはむしろ、著作権を個人あるいは企業に独占させないことで、そこにあったのはギブアンドテイクの精神でした。その後、著作権産業の運動により保護期間の延長が何度か行われ、ミッキーマウスが誕生した1928年、著作権の保護期間は56年間になっていました。ですから本来であれば、1984年にはミッキー・マウスの著作権は切れるはずだったのですが、1976年に再び期間が75年間に延長され、しかもその時点で保護下にあった著作権にもその変更が適応されたために、ミッキーマウスの著作権が切れるのは、2003年に延長になりました。さらに1998年、再び著作権の保護期間は延長され、今度は95年間にまで期間が延びました。つまりミッキーマウスの著作権が切れるのは、2023年ということになります。そのような経緯から、ミッキーマウスの著作権が切れそうになる度に延長されるこの著作権保護法は、一般に「ミッキーマウス保護法」と呼ばれています。

 ここでレッシグさんが問題としているのは、このように保護期間の延長を繰り返していては、著作権は永遠に法律の保護下にあり、そのように保護されたモノは、人類の共有財産に成り得ないということで、この問題に関して、NHKで去年放送した『変革の時代』の第三回「”知”は誰のものかーインタネット時代の大論争」という番組の中で、レッシグさんは全米映画協会の会長であるジャック・バレンティさんと討論をしています。「人類の共有財産」という立場から話をするレッシグさんに対して、バレンティさんは次のように答えます。

ミッキーマウスの著作権を千年間に延長したとして、それがなぜ、文化の進歩を抑制することになるんですか。逆にハリーポッターの著作権をなくして、世界中の人に無料で提供すれば、民主主義が広まるとでもいうのですか。

 1928年に誕生して散々稼ぎまくったミッキーマウスと、ここ数年に誕生したハリーポッターを同じレベルで語るのは論点がずれているような気もしますが、バレンティの主張にみられるように、著作権主義者の主張は一貫しています。著作権は、芸術家や創作家が安定して作品を作り続けるために必要な法律であり、著作権なくして作品の創造は有り得ない。著作権に守られて初めて作家は作品を生み出せるのであり、もしもそのような法律的保護なくなれば、世界中に海賊版が横行し、クリエーターの将来は危ういものとなり、誰も作品を生み出そうとは思わなくなるだろう。

 この種に議論は難しいもので、自分の利益のことしか考えない消費者と、自分の利益のことしか考えない生産者の詭弁合戦になりがちです。個人的な意見を言わせてもらえれば、現状の著作権法が定める期間は長すぎると思うし、ディズニーの厳しすぎる版権管理にはうんざりさせられますけれど、だからと言って何も知らずにへえこらとレッシグ万歳とも言い兼ねます。ひとつだけはっきりしているのは、鉄割のちらしやサイトでは人の著作物を勝手に使用したりしているので、いつか訴えられるのではないかとびくびくとしているということで、そのときは土下座をして謝る所存でございます。リスペクトということで。サンプリングということで。

 『コモンズ』という書籍に関して興味はあるのですが、読んでもおそらくほとんど理解できそうにないので立ち読みすらしていません。あちらこちらで掲載されているレッシグさんの記事なんかを読んで、ほえーとかふえーとかため息をもらして鵜呑みにしているだけです。とても重要な提言をしているのだろうということは理解できるのですけどねえ。もし『コモンズ』を読もうと思われる方がいらっしゃいましたら、上の記事を書いた方のこちらの解説がとても有用だと思います。

03年02月04日(火)

 舞城王太郎氏の期待の新作『阿修羅ガール』を読みました。

 はー、なんでしょう、もう死ぬほど面白かった。やばいくらい。今までの舞城氏の作品のなかで、一番おもしろかったですよ。まじで。それにしても、いくらここで舞城王太郎はおもしろいと書いても、まったく誰からも反応がないのですが、みなさん一度読んでみてくださいよ。はまるひとは本当にはまりますから。

 舞城さんのの小説は、あちらこちらで相当にめちゃくちゃな小説のように書かれておりますが、お話の構造はとてもオーソドックスで、起承転結の形式で書かれています。舞城氏のすごいところは、これは特に『阿修羅ガール』に顕著な特徴なのですが、起はめちゃくちゃ起で、承はびっくりするぐらい承で、転はすがすがしいくらい転で、結は感動的に結なのです。今時いませんよ、あそこまで起承転結をきちんと書く人。

 お話の内容は、80年代ポストモダンじゃないんだからと突っ込みたくなるような内容で、これまた今の時代を考えれば、逆にとても礼儀正しいのではないでしょうか?もし今の時代に太宰並の私小説とか書く作家がいたら、それこそアバンギャルドでしょう。そういえば太宰で思いだしたけど、『阿修羅ガール』のカバーは佐内正史さんの『女生徒』の中の写真を使用しています。それはまあいいとして、『阿修羅ガール』は女子高生の一人称でしかもめちゃくちゃ口語文で書かれているので、読んでいて気持ちいいのです。これ、ぼくだけかもしれないけど、リズムっていうか、語りの口調のリズムがとても良くわかるし、そのリズムにのってすいすい読むことができるのです。むしろ、今どきの女子高生でこんなふうにリズムに乗った口調で話す女の子っているのかしら、と思うくらい。前にも雑記で書きましたが、この人、本当に小説を書くのが上手だなあと、つくづく感心してしまいました。

 以下、軽くネタバレがありますが、ネタがばれたからってこの小説の面白さはたいして変わりません。

 物語は、主人公のアイコが、本当は陽治のことが好きなのに、好きでもないクラスメートの佐野とセックスして自己嫌悪になるところから始まります。次の日学校に行くと、昨日セックスした佐野が誘拐されていて、その嫌疑をかけられたアイコが同級生のマキたちに呼びだしくらい、なんとなく焦ったアイコは、やられる前にマキをボコっちまいます。ところでそんなアイコの住む町は、幼い三つ子をバラバラにして多摩川の河川敷に放置したグルグル魔神を捕まえようと、ネットの匿名掲示板に煽られた中高生が暴動(ハルマゲドン)を起こして大騒動になっていて、アイコはそれを口実に陽治を自宅に呼びだします。玄関のチャイムがなって玄関を開けると、そこにはマキが立っていて、金槌で殴られたアイコはあの世へ行ってしまいます。

 そんでそこからがとてもとてもとてもおもしろくなります。本当に、感動的に面白くなります。好みがあるので誰でも必ず楽しめると断言をすることはできませんが、世の中に生きる人々の四分の一ぐらいには面白いと思います。だから、騙されたと思って読んで。で、つまらなかったら教えて下さい。あやまります。

 次の新作は三月下旬とか。うー、たーのーしーみー。

03年02月05日(水)

 すっかりはまってしまった『真・三國無双』シリーズですが、このゲームがどうしてこれほどまでに面白いのかといえば、尊敬する歴史上の人物になりきって名高い戦場で戦うことができるというなりきり自己満足の他に、敵兵をぐっちょんぐっちょんに滅多切りに出来るというストレス解消(むしろこちらの割合の方が大きい)という点があります。数十人に囲まれた時に、一気にぶち殺す快感はやってみたものにしかわからないと思います。

 『真・三國無双』にはチャレンジモードというものがありまして、これは100人を斬り殺すのに何分かかるかとか、こちらが死ぬまでに何人殺せるかとかを競うもので、とにかく敵陣に突っ込んで滅多切り切り、やってることはほとんど津山三十人殺しの都井睦雄みたいなもので、ぶっ殺しては次の陣へ、ぶっ殺しては次の陣へと、殺人を繰り返していきます。これがまた気持ち良いのね。

 それでふと思ったのですが、ゲームの中で人を殺すようになったのって、いつからなんでしょうね。ちなみに世界で最初に誕生したコンピュータゲームは、1952年にウィリアム・ヒギンボーサムが開発したテニスゲームで、世界で最初のアーケードゲームは ノーラン・ブッシュネルが1971年に開発した「スペースウォー」だそうです。この数年後には世界初のロールプレイングゲーム「ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ」が誕生し、その後コンピュータゲームの数は一気に増加します。

 おそらく、日本人であるぼくたちが覚えている一番最初のコンピュータゲームは、「ブロック崩し」か「インベーダゲーム」ではないでしょうか。その数年後には「DIG DUG」とか、「パックマン」とか、「マリオブラザーズ」とか出ましたけど、そのいずれもがやっつける対象はエイリアンとか、動物とか、とりあえず人以外のものでした。その時点で人を殺すゲームってあったのかなあ。「ポートピア連続殺人事件」のファミコン版が出たときに、殺人をテーマにしたゲームはけしからんという運動がちょぴっとあったことは覚えているのですが、あれで問題になるぐらいですから、おそらく他に殺人ゲームは存在しなかったのではないかしら。

 それから十数年経った現在では、ゲーム中の暴力的な表現に関する論争は、日常的に行われています。そしてそれらの論争の多くは、極めて短絡的に、偏見と決めつけと僻見に満ちた論者によって、「きっかけ」と「原因」を混同したまま行われているのが実情です。

■暴力的なゲーム、暴力的な子ども
■「暴力的なビデオゲーム」規制条例をめぐる争い

 最近話題になっているのは、『GTA: Vice City』というゲームで、日本では未発売になっていますが、これはそうとうどぎついらしく。「『Vice City』は、プレイヤーが強盗や殺人を企てるゲームだ。売春婦を棍棒で殴り殺したり、パトカーを爆破したり、刑務所で暴動を起こしたり、麻薬の売人にサブマシンガンをぶっぱなしたりできる。

■過激ゲーム『GTA: Vice City』、英デザイナー賞にノミネート

 なんかねえ、なんでもかんでも問題の矛先をゲームやエロ本やその他サブカルチャーに押し付けるのって、大人としての責任を放棄した、卑怯なやり方だと思うのですけどねえ。自分たちの教育やしつけには問題ありましぇん、悪いのはゲームの中の暴力表現でちゅ!って言っているわけでしょう。今大人がやらなくてはいけないことは、ゲームやエロ本の排斥運動ではなくて、顔面シャワーはAVの世界の話なのだよということを、子供にきちんと教えてあげることなのではないでしょうか。あと、三國無双のキャラクターはそーとーかっこよく描かれているので、実際の三国志の皆さんはとてもぶさいくだったのだよということも、きっちり教え込むべきです。三国志のゲームって、みんなファイナルファンタジーみたいになっているの。あれは勘弁して欲しい。横山光輝のキャラクターを、そのまま3Dポリゴンにしてくれれば良かったのに。

 ちなみに『三國無双』には「このゲームには残酷な表現が含まれています」という注意書きはありません。確かに表現は残酷ではありませんから。

03年02月06日(木)

 最近、少し不安になるくらいうんこが出るのです。快便すぎます。ぼくの大腸はどうにかなってしまったのかしら。それはまあ良いとして、本屋をぶらついていたら、つげ義春さんの久々の新刊を発見しました。

 と言っても漫画ではなく、今まで発表してきた作品の中から温泉モノだけを集めた「温泉イラスト&エッセイ集」みたいなものでして、未発表原稿はいくつか収録されているものの、新作や書き下ろしはひとつもありません。まあ、つげ義春の温泉漫画やエッセイが一冊の本にまとまっているというのは、それだけでもなかなか魅力的なことでございまして、値段はそこそこしたのですが(1800円)、つい購入してしまいました。

 嬉しいのは巻末の温泉一覧表で、つげさんが訪れて描いてきた温泉の一覧が、連絡先つきで書きだされています。収録されている写真や原稿のほとんどが二十年以上前に撮られたもの、描かれたものなので、今この本で扱われている温泉に行っても、期待しているような旅情を味わうことは出来ないかもしれませんが、つげさんのファンであれば一度はそれらの温泉に足を運びたいものでしょうし、そんな時にこのような具体的な表はとても役に立つでしょう。

 高野慎三さんの『つげ義春を旅する』によれば、『二岐渓谷』に登場する温泉のモデルとなった湯小屋旅館(この宿は『枯野の宿』のモデルにもなっています)には、今でも年に十人ほどはつげファンが訪れるそうです。ぼくはもう何年も温泉に行っていないので、そろそろ温泉が恋しくて仕方がありません。あの、鉄割のお前ら、どうせ暇ぶっこいてんだろ。行きましょうよ温泉。年末の旅行も駄目になってしまったことですし。ぼく、全部計画するから。温泉にでも浸かって、平和ボケでふ抜けたその腐れ頭と体をシャキッとさせないと、いい演技できないぞ。

 ところで、『貧困旅行記』の一番最初に収められている『蒸発旅日記』が映画化されるそうです。さらに『リアリズムの宿』も現在撮影中?らしく。『蒸発旅日記』は、以下のサイトで全文を読むことができます。

■つげ義春『蒸発旅日記』

 映画化でつげさんにお金が入ると、ますます作品を描かなくなってしまいそうです。『別離』の続編をはやく読みたいのだけど。

03年02月07日(金)

 三月の公演のちらしが、ほぼ完成しました。

ちらし

今回の鉄割前口上は以下ノ通り。

さすらってさすらって、我々何処まで行こうとしてるのでしょうか? 出口が無くて無意味でなんにも無いみじめな姿。俺は荒野か?馬もねえは牛もねえ、水はねえし、犬もいない。そんな荒野、拾った小さなネジを頭にグイグイねじ込んで、生きる気力が沸いてきました、死ぬもの怖くなくなっちゃって、宇宙を見上げて大笑い。そんな荒野の小さなネジを頭に埋め込まれた人々よ是非とも「鉄割アルバトロスケット」を覧アレ。貴方の頭に得体の知れぬネジを埋め込んであげます。さすらいの永き人生、そのネジを弛めたり締めたりして、宇宙を見上げてご覧、今迄よりも素敵な星が見えるようになりますよ。生き方ラリブチ、無駄な人生ズッパッパ。宇宙から食べれる星を降らせてあげる。鉄割のアルバババとロッスオッス。

 いつものとおり演出の操さんが絵を描きました。とても良くないですか。空間が空きすぎのような気がしないでもないですが。さらに今回は、ネイティブ・アメリカンの詩人である勉蔵君の誌を引用させていただいております。

The SKELTON, whose IRONNNN has burnt out, shoots an ALBATOROSS, feeding on it as the CRACK, repeat, The SKELTON, whose IRONNNN has burnt out, shoots an ALBATOROSS, feeding on it as the CRACK, repeat, The SKELTON, whose IRONNNN has burnt out, shoots an ALBATOROSS, feeding on it as the CRACK........

 修正等があるので、印刷して実際に配るまでにはまだ一週間以上かかると思います。もうちっと待ってね。

03年02月09日(日)

 朝八時起床。顔を洗って、少し濃いめのコーヒーとトーストで朝食。STELEO LABをBGMに部屋の掃除をする。布団を干して、キッチンを片づけながら、キッチン用品で無くなりそうなものをリストアップ。本棚を整理すると、読もうと思いながら読んでいない本がたくさん出てきた。嬉しい。

 今日は天気が良くて気持ちがいい。九時半、マラソンをするために、スポーツウェアに着替えて家を出る。近所のおばあちゃんが庭の掃除をしている。おはようございます。そのまま石神井公園へ。

 日曜日の石神井公園は、カップルや親子連れで溢れている。平日の仕事でくたくたであろうお父さんが、子供と遊んでいる姿を見るのはとても気持ちがいい。手をつないで散歩している恋人同士を見るのはもっと気持ちがいい。走っていると、次々に公園の常連さんに出会う。ポメラニアン犬のクッキーを連れたおじさん。おはようございます、天気が良くて気持ち良いですね。クッキーにもご挨拶。ぼくと反対方向からジョギングしているぼくと同じ世代の青年。おはようございます。調子はいかがですか。石神井池をまわって、三宝寺池の方へ行く。公園の主である猫たちが、あちらこちらを闊歩している。会釈して、機嫌をとる。

 大泉学園の方へ迂回して、一時間ほど走ってから帰宅。さらに腕立て伏せを五十回した後に、シャワーを浴びて汗を流し、オレンジジュースを飲んで一休み。ふうう。Betty WrightのCDをかけ、窓を全開にして床に直接横になる。しばしうたた寝。元帝国の皇帝フビライ汗の都の夢を見る。怱必烈汗は命じた 上都に快楽宮を建立せよと.....

 午後、トートバックに本を五冊入れて家を出る。駅前でバスに乗り吉祥寺へ。バスはあまり混んでいない。窓から差し込む太陽の光が気持ちいい。斜め前の席に座っている小さな女の子が、窓の外を指さして、隣に座っているおじいちゃんになにか説明している。おじいちゃんは、嬉しそうにうんうんと話を聞いて頷いている。いいなあ。楽しそう。

 終点の少し手前で降りて、ぶらぶらと歩く。途中、パン屋さんでシナモンディッシュを買う。今日の昼食代わり。さらに本屋に寄って新刊をチェック。雑誌を二冊購入する。そのままお気に入りのカフェに行く。加賀棒茶を頼み、ほっと一息。さっき買ったばかりの雑誌を袋から出して読む。観たい映画をチェックし、行きたい美術館をチェックし、読みたい新刊をチェックする。その後、バックから持ってきた本を出して読む。今日選んだ本は少し難しいので、精神を集中して脳味噌をフル活動しないと内容が理解できない。それでも、やっぱりわからない。わからないものをわからないままに読む。それがとても楽しい。

 三時間ほど読書をしてカフェを出る。友人に会うために電車に乗って渋谷へ。二年ぶりに会う友人は、新しい仕事を始めたばかりで、とても生き生きとしている。友人の知り合いが経営している店に飲みに行く。ぼくは日本酒を頼み、友人はワインを頼む。友人の近況を聞いたり、仕事の話を聞いたり、最近の趣味のことを聞いたり、話題は尽きない。ぼくは聞く一方で、友人は話す一方。友人は話すのが好きだし、ぼくは聞くのが好きだから、丁度いい。十年後も、こうやって時々会って、一緒にお酒を飲むことができるのかな、と思う。

 別れ際に、友人が「トオマス・マン短編集」をくれた。また近いうちに、と言ってわかれたけど、次に会うのはまた数年後であることを、ぼくたちは知っている。帰りの電車でもらったばかりの「トオマス・マン短編集」を読む。読み進めていくと、『幸福への意志』という短編の一節に、鉛筆で線が引いてあるのを見つける。「彼がこんなに長い間、死を征服してきたのは、ただひとえに意志のー幸福への意志のおかげではなかったのか。その幸福への意志が充足させられたとき、彼は死ぬよりほかはなかった。争闘も抵抗もなく、死ぬよりほかなかった。彼はもはや生きるための口実を失ってしまったのである

 二十三時過ぎに帰宅。部屋の電気をつけ、布団をしまうのを忘れていたことを思いだし、急いで部屋に入れる。冷たい布団に触ったら、なんとなく走りたくなって、今日二度目のマラソンに行く。ぼくは、昼間の石神井公園よりも夜の石神井公園の方が好きだ。夜の石神井公園の、音が好きだ。風の音と、土の音と、光の音と、水の音と、動物の音しか聞えない、夜の公園が好きだ。走りながら考える。帰ったら、「トオマス・マン短編集」の続きを読もう。そして読み終えたら、今日会ったばかりの友人に手紙を書こう。彼の話を聞いて思ったことを、彼にもらった本を読んで思ったことを、手紙に書いて送ろう。そんなことを思っていたら、石につまずいて転んだ。土の感触が、とても気持ちいい。ああ、生まれて良かった。

 と、このような休日を送りたいと毎週末ごとに思っているのですが、今週の休日といえば、前日に明け方六時までゲームをしていたため、目を覚ましたら午後四時になっておりまして、そのままコンビニに行って弁当買って食ってまたゲームをしていたら夜中になってしまい、またコンビニ行って弁当買って食ってまたゲームをしたら明け方六時になっていました。急いで寝て、目を覚ましたら今度は首と手が全く動かないのはゲームのし過ぎが原因だと思うのですが、そのまま一時間ほど天井を見つめていたらようやく体が動くようになったので、コンビニに行って弁当買って食ってまたゲームをしたら、休日が終わってしまいました。

03年02月10日(月)

 映画『マンハッタン』に、主人公を演じるウッディ・アレンが、ソファに寝ころんで短編小説の構想を考えるシーンがあります。その途中、彼は「なぜ人生には生きる価値があるのか?」という問いにぶつかります。

 彼は、自分の人生に価値をもたらしているもの、生きることに意味を与えているものは何なのか、考えをめぐらせます。それは、グルーチョ・マルクス、ウィリー・メイズ、モーツァルトのジュピター交響曲第二章、ルイ・アームストロングの「ポテト・ヘッド・メイズ」、スウェーデンの映画、フローベールの小説「感情教育」、マーロン・ブランド、フランク・シナトラ、セザンヌ描くりんごやなし、サム・ウォーのレストランのカニ料理、そして彼の恋人トレーシー。

 最近、私生活でいろいろとごたごたがありまして、あやうく自分を見失いそうになり、そんなときにこの映画のシーンを思いだしました。そしてぼくも考えました。ぼくの人生に価値をもたらしているものはなんなのだろうか、と。頭の中にいろいろなものがよぎりました。それは、プレステ2,真・三國無双1,真・三國無双2,真・三國無双3,三國史戦記、シュミレーションゲーム三国志、吉川英治版三国志、霜天航路、そして横山光輝版三国志。そして確信しました。今のぼくには、それ以外のものはなにもいらない。

 ぼくの三国志ブームはもうしばらく続きそうです。

03年02月11日(火)

Dying
Is an art, like everything else.
I do it exceptionally well.
I do it so it feels like hell.
(from "Lady Lazarus")

死ぬこと
はひとつの芸術、他のあらゆることと同様に。
わたしはとても上手にやる。
死に物狂いでやる。

シルヴィア・プラス
 - Sylvia Plath
アメリカの女流詩人。
1963年の2月11日、ガス自殺。

from Today in Literature

03年02月12日(水)

The universe is made of stories, not of atoms.

森羅万象を構成しているのは、原子ではない。物語だ。

ミュリエル・ルーカイサー
 - Muriel Rukeyser
「Collected Poems(1979)」より。
米国のユダヤ系女流詩人。社会正義の追求を通して個人の問題の解決を求めた内容を特徴とする詩を書いた。
1980年2月12日没。

from Today in Literature

03年02月14日(金)

I know I was writing stories when I was five. I don't know what I did before that. Just loafed I suppose.

5才の頃に物語を書いていたのは覚えている。それ以前に何をしていたのかは覚えていない。多分、ぶらぶらしていたんだろう。

P.G. ウッドハウス
 - P.G. Wodehouse
イギリスの小説家。
1975年2月14日没。

from Today in Literature

03年02月15日(土)

As to the evil which results from censorship, it is impossible
to measure it, because it is impossible to tell where it ends.

検閲(censorship)から生じる悪意について、それを推し量るのは不可能だ。どこまで広がるのか、わからないのだから。

ジェレミ・ベンサム
 -  Jeremy Bentham
イギリスの哲学者。功利主義の創始者。
1748年2月15日生まれ。

from Today in Literature

03年02月16日(日)

Education has produced a vast population able to read but unable to distinguish what is worth reading.

教育は、読むことができるが、読むべきものを見分けることができない膨大な数の大衆を生み出した。

G.M. トレベリアン
 -  G.M. Trevelyan
イギリスの歴史家。
1876年2月16日生まれ。

from Today in Literature

03年02月17日(月)

I think that all women, unless they are absolutely asleep, must be feminists up to a point.

あらゆる女性は、完全に無関心でない限り、ある程度はフェミニストであることは間違いないと思います。

ルース・レンデル
 -  Dame Ruth Rendell
2002年のインタービューより。
英国のミステリー作家。
1930年2月17日生まれ。

from Today in Literature

03年02月19日(水)

Art is a collaboration between God and the artist, and the less the artist does the better.

芸術とは、神と芸術家の共同作業であり、芸術家の役割が少なければ少ないほど、それは理想的である。

アンドレ・ジッド
 -  Andre Gide
フランスの作家・批評家・エッセイスト。Nobel 文学賞(1947)
1951年2月19日没。

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03年02月20日(木)

I have a simple philosophy. Fill what's empty. Empty what's full. And scratch where it itches.

私には簡単な人生哲学があります。空だったら埋めて、埋まっていたら空にする。そして、痒いところはかく。

アリス・ルーズベルト・ロングワース
 -  Alice Roosevelt Longworth
Theodore Roosevelt の長女, Nicholas Longworth の妻。
政治家に対する辛辣な発言で知られ, その激しい姿勢は, 居間のクッションに縫い付けられていた 'If you can't say anything good about someone, sit right here by me.' ということばが示す。
1980年2月20日没。

from Today in Literature

03年02月21日(金)

A poet's hope: to be,
like some valley cheese,
local, but prized elsewhere.

詩人の望みとは、
どこかの谷間で作られるチーズのように、
地方的であり、
且つよその土地でも称賛されることだ。

W. H. オーデン
 - W. H. Auden ("Shorts II"),
イギリスに生まれ、のちアメリカに帰化した詩人。
1907年2月21日生まれ。

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03年02月22日(土)

My candle burns at both ends;
It will not last the night;
But, ah, my foes, and, oh, my friends -
It gives a lovely light.

私のキャンドルが、両端から燃えている
それは、一晩と持ち堪えることなく消えてしまう
だが、吾が敵、ああ、吾が友よ。
とても素敵な光なのです。

エドナ・セント・ヴィンセント・ミレー
 - Edna St. Vincent Millay
米国の女流詩人。
1892年2月22日生まれ。

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03年02月23日(日)

Some people think they are worth a lot of money just because they have it.

大金を持っているというだけで、自分のことをそれに見合う人間だと勘違いする人もいる。

ファニー・ハースト
 - Fannie Hurst
米国の作家。職業・家庭など女性の諸問題を好んで取り上げ, 海外でも翻訳され, 映画化された作品も多い。
1968年2月23日没。

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03年02月24日(月)

I fancy that this moment Shakespeare in heaven ranks with Gabriel Raphael and Michael. And if another Messiah ever comes twill be in Shakespeare's person.

私には、今この時、天国にいるシェイクスピアが、天使ガブリエルや大天使ラファエル、天使長ミカエルと同じ場所にいるように思えるのです。そして、もし新たな救世主が現れるとしたら、それはシェイクスピア自身なのではないか、とも。

ハーマン・メルビル
 - Herman Melville
米国の小説家。
1849年2月24日に書かれた Evert Duyckinck への書簡にて。

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03年02月25日(火)

I'm a lousy writer; a helluva lot of people have got lousy taste.

私が品がなく薄汚い作家だということは、とてつもなく大勢の人々が、品がなく薄汚い嗜好を持っているということです。

グレース・ メテーリアス
 - Grace Metalious
米国の小説家。ニューイングランドの小都会での偽善的な生活を暴露する作品 Peyton Place (1956; 57 年映画化) で注目され, かつ非難をうけた。
1964年2月25日没。

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03年02月26日(水)

Here lies one whose name is writ in water.

水にその名を記されし者、ここに眠る。

ジョン・キーツ
 - John Keats
英国の詩人。
自身による墓碑銘より。
1821年2月26日、埋葬される。

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03年02月27日(木)

I love being a writer. What I can't stand is the paperwork.

作家であることは喜ばしいことだ。耐えられないのは、執筆作業だ。

ピーター・ディ・ヴリーズ
 - Peter de Vries
米国の作家。
1910年2月27日生まれ。

from Today in Literature

03年02月28日(金)

Trying to determine what is going on in the world by reading newspapers is like trying to tell the time by watching the second hand of a clock.

新聞を読んで世の中で起きていることを判断しようとするのは、時計の秒針を見て時間を教えようとするようなものだ。

ベン・ヘクト
 - Ben Hecht
米国のユダヤ系ジャーナリスト・小説家・劇作家・映画脚本家。
1894年2月28日生まれ。

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栃木生まれ。
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