05年03月01日(火)

 三月です。先週、春一番が吹いたので安心していたら、あいもかわらず北風がぴゅうぴゅうと吹きまくり。



 冬の日の入りが早い頃は、帰りに自転車で走りながら、幸魂大橋から荒川の北に拡がる夜景(場所によってはAKIRAの世界みたいになってる!)を見るのがとても楽しみでした。最近は日が沈む時間が遅くなってきたので、まだ明るいうちに大橋を越えてしまうのが少し残念です。でも、朝方のきらきらと光る川と湖の姿は健在ですからね。もう少し季節が進むと、夕焼けが一番きれいな時間に橋を越えることになるし。風景は、季節とともに変わるのが楽しい。



 夜、鉄割の稽古へ顔を出しました。今週末のなってるハウスのイベントには、ぼくも少しだけ参加します。好き勝手に、誰の制約も受けずに自由気ままに楽器を演奏します。うふふ。お時間のある方はぜひともお待ちしております。



 稽古終了後、安い居酒屋でお酒を飲んで、その後、戌井さんの部屋でコーヒーにラム酒を入れていただきました。ジャームッシュの新作『コーヒー&シガレッツ』の話から、たばこの話になりました。たばこを吸わない身でこういうことをいうのはなんですが、ぼくはたばこを吸う姿が様になる人が大好きです。ぼくの父は、たばこを売ってぼくを育ててくれたのですが、さすがにたばこを吸う姿(だけ)はかっこよかった。



 そして、ぼくの理想のたばこを吸う姿、まさしくコーヒー&シガレット。






 この方に関する詳しくは、勉蔵くんのレビューをごらんくださいな。



 家に帰ったら、値下げしていたので注文した『SMOKE』のDVDが届いていました。


05年03月02日(水)

 天気がよかったので、久しぶりに石神井公園を散歩しました。

 平日の昼間の公園散歩は、本当に気持ちがいいです。人も、空気も、時間も、とてもゆるやか。都心でもなく、かといって郊外でもない中途半端な場所にあるこの公園の雰囲気が、とても心地よい。

 休日は家族づれや恋人たちであふれているこの公園も、平日はほとんどおじいちゃんたちしかいません。将棋をしているおじいちゃんや、釣をしているおじいちゃん、ベンチに座ってひなたぼっこをしているおじいちゃんなどなどなど。ひとりのおじいちゃんが、ぼくに向かって池を指さして「みてみな。鯉が一ヶ所に集まってるだろう。あれは寒いからなんだよ。おれたちと一緒だよ」と言ってきました。「いやあ、そんなことないですよ、まだまだお若くて」と、わけのわからない返事をしてしまいました。

 今日の散歩の目的のひとつは、猫に会うことです。いますいます、みんなひなたぼっこをしています。町ののら猫と違って、公園ののらはエサをもらうことに慣れているので、人が近づいても全然逃げようとしません。かわいいったらありゃしません。一番右端のねこは、鳴声を発することができないらしく、撫でると「こほっ、こほっ」と咳のような声で返事をしました。かわいいったらありゃしません。

 家から歩いてすぐのところに、こんな良い場所があるのですから、引っ越しもなかなかできないわけです。

05年03月03日(木)

 夕方から雪が降るかもしれないような気がしないでもないように思われるといっても過言ではないという中途半端な天気予報をきいて、電車で仕事に行きました。自転車に乗っていて困ることのひとつに、一日の読書の時間が減ってしまうということがあります。通勤のときの読書は、一日の読書時間のうちの結構な割合を占めるものですが、自転車で通勤をするとそれがまるまるなくなるわけで、夜に読書をしようと思っても、体が疲れているのですぐに眠ってしまいます。今週はずっと天気が悪いみたいなので、たまの通勤の読書を楽しみましょう。そういうわけで、今日は古本屋さんで購入したばかりの大佛次郎さんの『猫のいる日々』を持って家をでました。

 ジャン・リシュバンだったろうか、自分の恋した数々の女の名前だけ並べて洒落た詩を書いた詩人がフランスにある。

 たま、ふう、小とん、頓兵衛、アバレ、黒と並べたのでは詩にもなるまいが、僕は避け難い自分の臨終の数時間の静かな時を、自分の一生に飼った猫のことを順に思い出して明るいものにしたいと企てている。

 自分の描いた駄作の数々を思って苦しむよりも、この方がどれだけ幸福だろう。

 寝坊をしてお釈迦様の臨終にも間に会わなかったくらい冷たいエゴイスムに美しくこもっている猫どものことだから、無論、僕が来世へ向かっても出迎えに来るなんてこともあるまいが、集まったらこれは壮観なものだ。

 考えて見たまえ、彼らの整列している間を僕はヒットラーのように勇ましく閲兵して歩く。

 シャム猫、ペルシャ猫、とら猫、野良猫、いや、考えるだけでもちょっと楽しい。

 猫が寝坊をしてお釈迦様の臨終に間に合わなかったという話は、いかにも猫然としていて大佛さんのお気に入りだったらしく、この随筆の中でも何度か出てきます。

 ほかの動物の全部がお釈迦様の臨終を囲んで泣いたと云うのに猫だけはどこかで日向ぼっこをしていたのか虫を追って遊んでいて考えなかったのか出て来なかったと云って避難されている。

 お釈迦様の臨終と云うような重大な瞬間に居合わせなかったことを勝手に人間が猫の落度としたのである。

 としてもこの怠けっぷりは可憐で美しい。

 またエゴイスティックな小動物が決して偽善家ではないと云う証拠にもなるように思われる。

 知っていても猫はアンリ・ルッソウが好んで描いたような青い熱帯の森の涼しい草の中に柔らかく前肢をまるめて折って座り、ひとりで静かに大きな蝶の夢でも見ていた方が仏の御心にかなっていると信じていたのではないか?

 一字一句まで同感です。臨終の際にそばでわんわん泣かれるよりも、ゆるやかに大きな蝶の夢を見ていてもらったほうが、お釈迦様としてはうれしかったはずだ!っていうか、蝶の夢を見ている猫がかわいくて仕方がありません。

 まだ半分ぐらいしか読み終わっていませんが、この猫随筆の傑作には、紹介したいエピソードが満載です。

05年03月04日(金)

 今日はお酒を飲んで良い気分で帰宅して、今はリッキー・リー・ジョーンズを聴きながらゆったりとした気持ちでこの文を書いています。今日のお酒飲みはいつもよりも人数が少なかったので、殊更に楽しかったなあ。お酒を飲むときは、三人か四人、多くても五人ぐらいがちょうどいいですね。

 今朝、起床して外が明るかったので窓を開けたら雪が降っていました。家を出て、少し歩くと、まだ誰も人は歩いていないと思われる積雪の上に、一筋の足跡をみつけました。足跡の大きさと歩幅、力の入れ具合、間違いなく猫の足跡です。これが犬であれば、足跡はもっと乱れてるだろうし、この都会では、それ以外の動物であることは考えにくい。猫を飼ったことのある人であれば一目でわかる足跡です。早朝の、まだ雪も降り止まないこの時間に、この寒がりの足跡の主はいったいどこへいったのだろう。この辺り一帯ののら猫たちは、いったいどうやって寒さをしのいでいるのでしょう。考えると、切なくなります。

 ぼくの大好きな短篇小説に、堀辰雄の『雪の上の足跡』があります。冬の信濃での、学生とその主の会話形式の短篇です。雪の中を帰ってきた学生が、一筋の動物の足跡を見つけたことを主に報告し、そこから会話はその土地の昔話、チェーホフ、聖書、釈迢空、フランシス・トムソンの話、凡兆の句、そして立原道造の想い出へと次々と展開していきます。大好きなこの短篇小説のことを考えながら、春の雪の中を歩きました。どうか、寒がっている猫がぼくのまえに現れませんようにと、祈りつつ。

05年03月05日(土)

 本日は鉄割アルバトロスケットのなってるハウス公演です。共演は、京都を中心に活動している即興音楽ユニット・すみれ患者さん。とても良い人たちでした。いつもの調子で,公演をするというよりもお酒を飲みにいくつもりで会場に行ったら、お客さんがびっくりするぐらい来ていて、久しぶりに緊張をしました。今回の鉄割は、音楽物の演目のさらに音楽だけを取り出して次々と演奏していくという形式なので、初見のお客さんはなにがなんだか分からなかったのではないかしら。という思いは胸に秘めて、土曜日の夜は少しにぎやかに過ぎて行きます。

05年03月06日(日)

 目を覚ましたら午後二時。せっかくの休日に昼まで寝るなんて、なんというテイタラク。だれかぼくを殴ってください。

 嘆いていても仕方がないので、リュックに本をつめこんで、吉祥寺のカフェへ。そのまま三時間ほど読書。本日は、亀井俊介著『アメリカン・ヒーローの系譜』を読みました。アメリカン・ヒーローといっても、コミックのスーパーマンなどのヒーローではなく、アメリカ大陸に伝わる実在・非実在のヒーローのことです。この本は、アメリカの国民の間で語り継がれているヒーローたちをとりあげて、彼らにまつわる伝説の誕生とその内容が移り変わっていく変遷を、民俗学的に検証しています。取りあげられているヒーローは、ワシントン、リンカンなどの政治家から、ダニエル・ブーン、マイク・フィンク、デイヴィ・クロケット、ジョニー・アップルシードなどの開拓史のヒーロー、ジョン・ヘンリー、ポール・バニヤンなど架空のヒーロー、ジェシー・ジェイムズやビリー・ザ・キッド、カラミティ・ジェーンやバッファロー・ビルなどのデスぺラードなどなどなど。

 日本の昔話や伝説なんかもそうだけど、人々によって口承で伝えられた物語というものは、伝承するたびにそれを伝える側の願望や嗜好が加わって変化していくので、話の内容が極端に誇張されていきます。クロケットなんて実在の人物なのに、その伝記はまるでラブレーの『ガルガンチュワ物語』のように極端な物語に変わってしまっています。それがとてもおもしろい。人と歴史にもみくちゃにされてきたこの種の物語を読むと、その力の強さに圧倒されます。

 この間、久しぶりにコーエン兄弟の『ファーゴ』を観ました。この映画では、ポール・バニヤンの像が何度も効果的に登場します。『アメリカン・ヒーローの系譜』には、バニヤンの故郷の具体的な場所は書かれていなかったけれど、映画の舞台のひとつであるプレイナードがバニヤンの故郷ということになっているそうです。

うーん、アメリカの民俗学の本を読んでみたいな。

05年03月07日(月)

 映画『ビフォア・サンセット』を観ました。前作『恋人までの距離』が大好きなのでとても期待していたのですが、予想以上にすばらしかった!上映が終了して、エンドロールが終わっても立ち上がれないぐらい感動。気持ちはすっかりジェーシ。とにかくもう、ジュリー・デルピーが素晴らしすぎます。ニーナ・シモンの曲に合わせて、真似ながら踊る彼女の姿が頭から離れません。はああ。

 噂によると、監督は今後もこの映画の続編を撮り続けるそうです。次はまた十年後ぐらいかな。とても楽しみ。

 夜、テレビでのら猫のドキュメンタリーが放送していました。ああ、のら猫って本当にいいなあ。うちにも通いの猫が現れないかな。

 猫のブログはたくさんありますが、のら猫好きのぼくとしては、このブログが一番のお気に入りです。

05年03月08日(火)

 今世紀最大の部屋の掃除をしました。部屋にあるいらないものを捨てて捨てて捨てて捨てて捨てまくりました。

 本棚を整理したら、学生の頃に購入した前衛演劇の書籍が山ほどでてきました。今となっては自分でも信じられませんが、その昔のぼくは前衛芸術というものに強く魅かれていたのです。うーん、未来派に関する本以外はぜんぶ古本屋さんに売ってしまおう。過去の自分と決別だ。

 夜、部屋があまりにも片付き過ぎたせいか、珍しく眠れません。眠れない時は眠らないに限ります。電気をつけて、シス・ハストヴェットの『目かくし』を読みました。真夜中に音楽をかけずに本を読んでいると、その静けさが下手なBGMよりもずっと気持ちを高揚させます。久しぶりに明け方まで読書。ふと本棚を見たら、心なしか寂しそうに見えて、どきっとしました。

05年03月17日(木)

 何年かぶりに大風邪をひいてしまい、先週の土曜日から昨日までほとんど動くことができませんでした。日曜日に、風邪が直ったものと勘違いして自転車で20kmも離れた場所に飲みに行ってしまい、帰宅して熱を計ったら三十九度を越えていて、それ以降は昨日まで寝たきりの生活でした。食糧を調達しに外にでると、歩くだけで足の裏が痛くて、まるでゴルゴダの丘を登るキリストの気分。ひとりぐらしの辛さが身にしみます。

 熱に苦しみながら、なぜか寝込む直前に観た『サイドウェイ』の夢を何度も観ました。中年男ふたりのワインテイスティングの旅。たしかにとても面白い映画だったけれど、まさか夢にまで出てくるとは思わなかった。見終った直後の感動よりも、あとから感じる余韻の方が楽しめる映画なのかも。どうせ夢に出るなら、『ビフォア・サンセット』の方がよかったなあ。

 今週末は天気も良いらしいので、それまでには完治して遊びに出かけられるようにがんばります。しかし、風邪で喉がイガイガのときに食べたいちごのおいしさが忘れられません。

05年03月18日(金)

 最近、武田泰淳・百合子夫妻の『新・東海道五十三次』を読みはじめました。夫婦で車で走る東海道の旅。文章は泰淳さんによるものですが、登場する百合子さんが素敵すぎます。電車の中で読むとにやにやしてしまうので、注意が必要。ところでこの本、「東海道」といっても、東海道以外もかなりあちらこちらに寄り道をしているので、どちらかといえば、東海道周辺旅行、という感じですね。

 去年の秋頃に、自転車で京都から東京までの東海道を走破したのですが、その前後に『東海道中膝栗毛』を読み、さらに広重の五十三次の浮世絵を観ました。それまで、浮世絵というものをちゃんと観たことがなかったのですが、すごくかっこよいのね、浮世絵。武田さんも「とにかく、安政五年九月六日、六十二歳で病没した広重という画家は、えらい男であった」と書いているし、池波正太郎さんも「広重の木版画の色彩こそ、江戸の色彩だ」と絶賛しています。そうだ、広重の浮世絵のことを調べてみようと思っていて、すっかり忘れていた。

 夜、中屋敷で天麩羅とせいろを食べました。蕎麦つゆがしょっぱく感じたのは、まだ体調が戻っていない証拠。

05年03月19日(土)

 寒いのだか温かいのだかよくわからない中途半端な天気で、直りかけの風邪がまたぶり返しそうです。でも、こういう中途半端な天気は嫌いではありません。のら猫たちも、ひなたぼっこをするべきか、仲間とくっつくべきか迷っている様子。春はもう間近です。

 先日、古本屋さんで武田泰淳・百合子夫妻の娘さんである、武田花さんの写真集を二冊購入しました。一冊は『猫 - The Wild Cat』。もう一冊は『猫・陽のあたる場所』。二冊とも、のら猫の写真集です。どの写真もすごく良い。のら猫の目が、ちゃんとのら猫しています。掲載されているエッセイがまた素敵で、猫のことよりも出会った素敵なおじいちゃんおばあちゃんのことばかりが書かれています。写真集だけではなくて、エッセイ集も読んでみたいと思いました。ちょっと調べたら、『嬉しい街角』に収められているエッセイのタイトルは「足尾銅山とジョニー大倉」。これは読むしかありません。そういえば、『富士日記』にも、まだ小学生だった花さんの文章が載っているのですが、戌井さんはその文章が好きだって言ってたなあ。

 ぼくが年寄りになるころには、町でのら猫を見かけることはなくなるのかしら、とふと思いました。それはちょっと寂しいぞ。

05年03月20日(日)

 それにしても『ビフォア・サンセット』は本当に良い映画でした。一日三回は思い出します。そういうわけで、サントラを購入しました。これで一日に五回は思い出します。ニーナ・シモンの『Just in time』が収録されていないのにはがっくりきましたが、ジュリー・デルピーの歌声が心に響きます。毎朝、うんこしながら聴いています。

 先日読んだ『アメリカン・ヒーローの系譜』があまりにも面白かったので、同じ人が1976年に書いた『サーカスが来た!アメリカ大衆文化覚書』を購入しました。いやー、これも面白い。本当に面白い。

 特に興味を魅かれたのが、19世紀に登場したダイムノベルという10セントで売られていた大衆小説のこと。当時の有名人や伝説の人物について、あるいは西部の現状などを面白おかしく、さらにかっこよく書いた小説で、クロケットやバッファロー・ビル、カラミティ・ジェーンなどが、実際の人物像を越えてほとんど伝説化した有名人になったのは、これらの作品が普及したことによるものだそうです。20世紀のパルプフィクションやハードボイルドノベルの先駆けみたいなものだと思うのですが、紹介されているダイムノベルが全部面白そうで、ぜひとも読んでみたい。

 ダイムノベルの作者たちは個性の強い人が多いですが、中でも気になったのがネッド・バントラインという人。一ダース以上のペンネームで400編以上のダイム・ノベルを書いたこの人、トム・ソーヤの物語にも、トムの愛読書の作者として登場しています。なにかネタはないかなーと西部を徘徊し、そこで活躍していたウィリアム・コーディー(通称バッファロー・ビル)に目をつけて、彼をモデルにしたダイムノベルを書いて彼を人気者にし、その後は彼を主人公にしてお芝居(サーカス)まで作ってしまい、しまいには自分も出演しています。魅力的。酒を飲みながら禁酒運動の講演を行ったりするかなりふざけた人物であったそうですが、コルト・バントラインスペシャルという拳銃は、この人がワイアット・アープにプレゼントした拳銃なんですって。

 ロバート・アルトマンの『ビッグ・アメリカン』という映画は、ネッド・バントラインとバッファロー・ビル、そしてシッティング・ブルの関係を描いた作品だそうです。観てみたいのですが、どのビデオレンタル屋さんに行っても置いていません。

05年03月21日(月)

 以前、ビートルズの『アビイ・ロード』のジャケット写真からポールの手にしているタバコが修正して消されているという事件(?)がありましたが、またもやこんなことが。

サルトル先生、「他者は地獄」ってこのことっすかね?

 サルトル先生の手からも、タバコが消されようとしています。

 まあ、喫煙者のマナーが悪いから、反タバコ運動がどんどん過激になっていくのかもしれないけど、写真からタバコを消したって、なんの問題の解決にもならないのにね。前にも書きましたが、エロビデオにモザイクを入れるのと同じくらい無意味な行為だと思います。とりあえず、モザイク消してください。

 BLUTUSの特集「COFFEE AND CIGARETTES」で、養老孟司さんが良いことを言っています。

あまり知られていないことですが、歴史上、禁煙運動はナチス・ドイツでヒトラーが始めたものが最初です。

 とか

当り前のことですが、適当で、アバウトなものを含んだ世界こそが豊かな世界なんです。

 とか

ぼくはタバコの将来をまったく悲観していません。文化っていうのはなかなかしぶといもので、消えやしませんよ。もし禁煙運動の人たちが言うように、まったく不要なものなら消えます、それだけのことですよ。

 とか

僕は正義を主張する人を信用しない。正義というのは秩序ですからね。秩序は必ず無秩序を排出している、部屋をきれいにした時には、ゴミが必ず出ているんです。
そのことが分かっていれば、徹底的に秩序を立ようなんて思うはずはないんですよ。徹底的にタバコを禁止しようなんて、バカなことを考えるはずはないんですよ。

 などなど。まったく同感。

 とはいえ、タバコのポイ捨てだけは止めていただきたい。大人なんですから。

05年03月23日(水)

 今日ののら猫日記。

 ぼくの大好きな保坂和志さんの『猫に時間の流れる』という小説に、クロシロというのら猫が登場します。

とにかくわかっていることは、あの野良猫がいきなりパキに襲いかかったことと、顔の上半分が黒で下が白、胴のほとんど全部と脚の上の部分と短めの尻尾が黒で残りの下の部分が白だという外見だけで、ぼくたちはとりあえず「クロ」と呼んだり「クロシロ」と呼んだりすることになった。

 写真のこの猫さんは、ここで描写されているクロシロそのものです。まるでこの猫さんを見ながら書かれた文章のようです。とはいえ、『猫に〜』のクロシロは町のボスですけど、この猫はとてもおとなしいのら猫です。子猫です。将来が期待される凛凛しいひげの持ち主です。

05年03月24日(木)

 のら猫日記

 全身で警戒をしながらも、もしかしたらエサをくれるかもしれないという期待から逃げ出さないでじっとしているのら猫の顔は、本当に良いものです。

 最近のぼくの猫ブームは、大佛さんの『猫のいる日々』を読んだことから火がついてしまったことは間違いないのですが、火の付き方が尋常でありません。ワンルームだというのに、一人暮しだというのに、留守がちだというのに、猫と一緒に住みたくて仕方がありません。生き物を世話するということは、そんなに甘いものではないのだよと自分に言い聞かせて、ぐっと堪えています。

 もしぼくが本当に猫と一緒に暮らすとしたら、とりあえず引っ越して、生活が落ちついてからと考えています。ということは、早くても半年後か、一年後か。そうなると、ぼくが将来、一緒に暮らす猫は、まだこの世には生まれていない可能性が高いです。その子の親だって、生まれているかどうか怪しいものです。つまり、どんなに猫と暮らしたくても、それは不可能だということです。だって、まだ生まれていないのですから。この世に存在しない猫をいくら追い求めても、白馬の王子様を待っているブスと一緒で、無駄なことでしょう。その猫が生まれてくるその日まで、じっと我慢して耐えましょう。そしてその日まで、引っ越しができるようにお金を貯めましょう。

 子猫で鈴をつけて、よく庭に遊びに来るのがあった。時間が来ると、いつの間にか帰ったと見えて姿を隠し、また明日、やって来る。かわいらしい。どこから遊びに来るのかと思って、ある日、

「君ハドコノネコデスカ」

と、荷札に書いて付けてやった。三日ほどたって、遊びに来ているのを見ると、まだ札をさげているから、かわいそうにと思って、取ってやると、思いきや、ちゃんと返事が書いてあった。

「カドノ湯屋ノタマデス、ドウゾ、ヨロシク」

 君子の交わり、いや、この世に生きる人間の作法、かくありたい。私はインテリ家庭の人道主義を信用しない。猫を捨てるなら、こそこそしないで名前を名乗る勇気をお持ちなさい。
大佛次郎「ここに人あり」より
05年03月26日(土)

 エサが欲しいときはかわいいものです。にゃーとかみゃーとかいいながら近づいて来ます。最近は、体をすりよせてきたり。
 けれども、エサやミルクをあげた途端、

「撮ってんじゃねえよ・・・殺すぞ・・・」

 目つきがかわりまくり。

 生きるって大変なことなのです。

05年03月27日(日)

 お店の中はほとんど満席です。テーブル席で箱もり蕎麦を食していると、向かいには一組の恋人たち。焼味噌をおつまみにして、日本酒を飲んでいます。とはいっても、飲んでいるのはほとんど男性の方。話をしているのもほとんど男性の方。女性は静かな佇い。

 お酒が一本飲み終わると、男性は女性に「もう一本飲む?」と尋ねます。女性はちょっと笑って、首を少し傾げます。「もう一本だけ頼んじゃおう。俺が飲むから」と言って、男性はもう一本注文をします。店員さんが「お蕎麦はどうしますか?」と聞くと、「もう少ししてから注文します」。

 ふたりは、会話をしています。女性の口数は少ないものの、とても楽しそうに男性の話を聞いています。

 お酒がきて、男性が手酌で自分のコップにつぐと、女性はちょっと恥ずかしそうにはにかみながら、人差指と中指で自分のコップを男性の方へつつっと押しやります。男性はそれに気づくと、笑って日本酒をついであげました。

 ああ、ぼくが人生に求めているのは、こんな風なちょっとした幸せなんだよなあ、休日の昼下がりに、好きな人と日本酒を飲みながら蕎麦屋でゆっくりと過ごす、そんな幸せなんだよなあ、などと思いながら、まばたきもせずにふたりをずっと凝視していました。ほとんど、メンチ切っていたといっても過言ではありません。けれども、ふたりはぼくの視線になんかまったく気づきません。ふたりにとって、ぼくの存在は無も同然なのです。店員さんは気づいていたと思います。蕎麦を食べながら、素敵な恋人たちにガンつけているぼくに。

 蕎麦屋をでて、善福寺公園へ行きました。桜はまだ咲いていなかったけれど、かすかに新緑の香りがしてとても気持ちが良かったです。家に帰ったら、たくさん読書をしようと思いました。

05年03月28日(月)

 鉄割の稽古が始まってしまったので、みんなが遊んでくれなくなってしまいました。そういうわけで今月は、自分でも驚くほどに飲みに行っていません。夜はゆっくりと読書をしています。

 今日の読書は、『アメリカの夢、アウトローの荒野』。アメリカの人気もの悪党、ジェシー・ジェイムズについての本です。アメリカって、本当に面白い国だ。

 19世紀から20世紀前半のアメリカの歴史を読んでいたら、アメリカン・ルネサンス期のアメリカ文学に興味がわいてきました。そういえばぼくは、19世紀のアメリカの小説というもの、いわゆる「でっかい物語」をほとんど読んでいません。

 何年か前に、ぼくがとても尊敬していた人に「最近はどんな本を読んでいるのですか?」と聞いたところ、「最近はこれを読んでいます。」と言って鞄の中からメルヴィルの『白鯨』をとりだし、「メルヴィルがこれを書いたのが、ちょうど今のぼくと同じ歳なのですよ」と言っていました。この野郎は本当に素敵だなあと思ったことを、今この日記を書きながら思い出しました。あれ!いつのまにやらぼくもその歳ではないですか。

 長編小説って、どちらかといえば苦手なのですが。メルヴィルが白鯨を書いた年齢になったことだし、がんばって読んでみたいと思います。あの人が読んでいたのだから、絶対におもしろいはずだ。

05年03月29日(火)

 また猫です。

 今日は、猫の後ろすがたについて語り合いましょう。

 立派だ。

 素敵だ。

 かわいい。

前から見ると、こんな感じ。

 ぼくの祖父の家の猫。

 石神井公園の猫。祖父の家の猫とは別猫です。

 結論。猫の後ろ姿はとんでもなくかわいい。

 最後に、今日のひとこと。

神さまがお創りになったすべてのもののなかで、たった一つだけ、(人間の)鞭の奴隷にならないものがある。それは、ネコだ。もし人間をネコと交配させることができたら、人間はもっと良くなるだろう。しかし、それでは、ネコが、堕落する。
マーク・トウェイン

 最後の一文の句点の入れ方から、トウェインさんの気持ちがとても強く伝わります。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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