03年09月06日(土)

 昼過ぎに起床。ここのところ、休日の朝は怠惰な目覚めとなっております。夕方まで自宅で読書。夜、鉄割の方々が非難罵倒すること間違いない映画、北野武の新作『座頭市』を観に行きました。

 ぼくには何人かの無条件の監督というものがいて、その人が撮った作品であれば、どのようなものであっても確実に感動してしまうのですが、北野武もそのような監督のひとりでして、今までの彼の作品で、感動しなかったものは一作もありません。前作『Dolls』のギャグと紙一重の過剰な演出と脚本ですら、無条件に感動してしまったほどですから。そういうわけで、『座頭市』に関しても観る前から感動することは分かっていたのですが、予想以上に面白かったです。エンターテイメント性が強いとは聞いておりましたが、まさかあそこまで徹底するとは思いませんでした。鉄割の方々がこの映画を非難罵倒することは想像に難くありませんが、というか確実なので出来れば誰にも観て欲しくないのですが誰が何といおうと絶対にもう一度観に行こう。

 それにしても、惜しむらくは北野映画が年を追うごとに技術的に上手になっていることで、『ソナチネ』以前の作品に特徴的だった、ひとつひとつのシーンにおける空間の扱い方が、『Hanabi』以降急激に変化しているのがとても残念です。そのような意味で、ぼくにとっても北野作品のピークは『ソナチネ』であり、あの映画があるが故に北野武の作品が無条件になっているわけですが、それ以降の作品が『ソナチネ』よりもつまらないのかと言えばそんなことはなくて、また異なる意味で素晴らしい作品だと思っています。

 この『座頭市』を観たからというわけではありませんが、最近「武士道」というものに興味があって、ぼくたちが「武士道」という道徳感を考えるとき、そこにどのような印象が発生するか、ぼくたちが「武士道」として認識している考え方は、果たして正しいものなのか、海外における「武士道」の捉えられ方(とくに映画や小説などにおける「武士道」の扱われ方)や、日本史上における「武士道」という概念の変遷過程、あるいは日本史上において、武士道という価値観・道徳観は、武士ではない民衆の間ではどのように考えられていたのか、そして一番知りたいのは、「武士道」という道徳観が、武士の間でどのように広まり、どのように実践されていたか、あるいはされていなかったのか、などなど。ぼくは武士道に関して蒙昧な知識しか持っておらず、現在の「武士道」の考え方が『葉隠』を基にしていること、海外での「武士道」は、新渡戸稲造の『武士道』を基にして広まったために、日本国内の武士道と若干の相違というか齟齬がある、ということを何かで読んだ程度です。『葉隠』と『武士道』に何が書かれているのかも知らないし、その他にどのような書物があるのかも知りません。なので、一から調べて勉強をしなくてはならないのですが。とにかく、『武士道』がどのように人々の精神に影響を与え、人々の状態を変化させたか。それを考えたい。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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