02年08月16日(金)
ぼくは河向うのジャージー・シティ側の対岸をながめた。それは荒涼として見えた。水の干上がった河の石だらけの河床よりも荒涼としていた。まだここでは人類にとって重要なことは何ひとつ起こらなかった。おそらく何千年たっても起こらないだろう。ニュー・ジャージーの住民よりも、ピグミー族のほうが、はるかに興味深く、研究に光を投げかけてくれた。ぼくはハドソン河をながめ渡した。いつもぼくがきらっていた河だ。はじめてヘンリ・ハドソンと彼の血なまぐさい半月号のことを読んだときいらい、ぼくはこの河をきらっていたのだ。ぼくは河の両岸をひとしく嫌悪した。この河の名にまつわる伝説を嫌悪した。この河の流域全体がビールにつかって鈍重になったオランダ人の空虚な夢に似ていた。ポウハッタンであろうと、マンハッタンであろうと、そんなものは糞くらえだ。ぼくはニッカーボッカーどもを憎んだ。いっそ、この河の両岸に一万本の火薬の木が散在していて、そいつがいっせいに爆発してくれればいいと願った・・・。
ヘンリー・ミラー『セクサス』

ねこ

 朝十時起床。シャワーを浴びて、外出の準備。足が恐ろしいことになっている。絆創膏を貼りまくって、ホテルをチェックアウトする。今日一日町を逍遥するには、荷物が邪魔になるので、夕方まで預かってくれないかと聞くと、出来ないとのこと。すぐ近くにツーリストインフォメーションがあるというので、教えられた場所に行く。中に入ると、女性が三人楽しそうにおしゃべりをしている。ぼくに気づくと、三人とも笑顔で挨拶をしてきた。三人ともめちゃくちゃかわいくて、早口の英語でぺらぺらとまくし立てる。予想外の雰囲気にびっくりしながら「この近くで荷物を預かってもらえる場所ってありますか?」と聞くと、「それはないけど、もしよければここで預かりますよ」と言ってくれる。まじ?まじですか?と聞き返すと、このTATは四時半までなので、四時までには戻ってきて欲しいとのこと。丁寧にお礼を言って荷物を預ける。ウボンラチャータニーの案内マップをもらうが、全部タイ語で書かれていて何が何だかさっぱりわからない。仏像のあるお寺をまわりたいのだけど、と言うと、マップにいくつか印をつけてくれた。昨日通りかかった寺もいくつかある。一日でまわりきれるだろうか?マップに記されている一番遠い寺まで歩いて行けるかどうかを聞くと、バスが出ているのでバスで行ったほうが良いとのこと。うーん。歩いていけそうなのだけどなあ。お礼を言ってTATを出て、歩けるところまで歩くことにする。

 途中、デパートやらコンビニやらビデオレンタルやら、旅情を忘れてしまうようなものがどんどんと現れる。TUTAYAまでありやがる。一ヶ月も旅行をすれば、このような風景も懐かしく感じるのかもしれないが、たかだか一週間の旅行だと、懐かしくもなんともない。あーあ、旅情旅情、と愚痴をこぼしながら、目を塞ぐようにして歩く。目的の寺院Wat Nong Buaまで、一時間もかからなかった。

卒塔婆 寺院は、大通りから少し離れたところにあった。きれいな寺院で、敷地内に入ると目の前に巨大なストゥーパがそびえ立っている。ストゥーパの中に入ると、南伝系特有の仏像が鎮座している。隅で僧侶が机に座って何やら書き取りをしている。写経でもしているのだろうか?と思って見ていると、突然ストゥーパの中に宇宙戦艦ヤマトのテーマが鳴り響き、僧侶が懐からおもむろに携帯電話を取り出して大声で話し始めた。声が響く。濁ったような輝きを放つ仏像が座っている。ぼくもその場に座り、仏像と向き合う。南伝系は、教典を何語で読経するのだろう?電話で話す僧侶の言葉は、ある一定のリズムを持っていて、聞こうと思えば読経にも聞こえる。目を閉じる。瞼の向こうで、仏像が瞬くように輝いている。

ぶつぞー ストゥーパから出て歩くと、一人の僧侶がぼくを呼び止め、先の方向を指さす。指さす先には大きな寺院が建っている。入っていいのですか?と聞くと、笑顔で頷く。寺院に入ると、タイ人の子供たちが熱心に寺院内を写生している。学校の課題だろうか?間を通って奥へ進む。最奥には壮麗な涅槃像がある。壮麗、と書いたが、実際にはプラスチックのような印象を受けた。強引に絢爛なイメージを作りだそうとしている感じだ。らいごうず?それよりも、壁に描かれている壁画の方が気になる。阿弥陀如来の来迎図のようなものがある。バンコクの博物館に行ったときも、同じような壁画をみた。浄土信仰はインドで発生したものだから、南伝系に伝わっていてもおかしくはないが、実際のところどうなのかわからない。これは、本当に来迎図なのだろうか?京都の知恩院の阿弥陀来迎図を思い出し、目の前にある壁画に物足りなさを感じる。

 寺院を出て、今来た道を戻る。地図で確認すると、昨日ぼくが眺めた川はMoonRiverという名前のようだ。MoonRiverまで戻り、昨日見かけたWat Supattanaramという寺院に入る。中に入ると、子供が山のようにいて、球技のようなものをしている。日本の幼稚園のように、寺と学校が一緒になっているのだろうか?奥の方へ進むと、本堂らしき建物があるが、鍵が閉まっていて入ることができない。うろうろしていると、でぶのおじさんに呼び止められる。おじさんはこの学校の先生だという。英語が話せるらしい。あの建物に入りたいのですが、と言うと、今は改装中のために入ることは出来ないとのこと。そのかわり、その先にある宝蔵庫でよければ、鍵を開けてくれるという。喜んで開けてもらうことにする。「この寺に来た観光客で、この宝蔵庫に入れる人はあまりいないんだよ」とおじさんが言う。「いつも鍵をかけているのですか?」と聞くと、もともと一般公開をしているものではなくて、本当の意味での収蔵庫らしい。サンキューサンキューと何度もお礼を言って、中に入る。

 中には、このお寺を建てた開祖のお坊さんが持ち込んだという仏像やらなんやらが山ほど収められている。うおー、すげーと感動し、ひとつひとつをじっくりと眺める。南伝系ではあまり見ない、大乗の仏像らしきものもたくさんある。ヒンディー系の仏像、特にガネーシャの像なんかもいくつかある。正直なところ、さっきの寺院でみた仏像よりも、ここにある仏像の方がずっと素敵だ。ケースに入っている仏頭を外に出して、じっくりと鑑賞したいと思うが、それはさすがに言いだせなかった。

おじさんとこどもたち おじさんは、昔はマレーシアでエンジニアをしていて、その時に英語を覚えたと言う。仕事は?と聞かれたので、コンピュータのプログラマーですと答えると、最近出来たパソコンの教室があるので見てみないか?と言う。とても興味があるので、喜んで申し出を受ける。このおじさん、本当にいい人だ。学校の中に入ると、子供たちがおじさんに飛びついてくる。子供たちをあやしながら二階に上がり、コンピュータ教室に入ると、黄色の僧侶服を来た子供の僧侶が、大勢でパソコンに向かっている。おじさんが皆にぼくを紹介する。挨拶をして、パソコンを見せてもらうと、思ったよりも良いスペックのパソコンを使っていて、タイ語のワードで何やら入力をしている。聞くと、作文だそうだ。子供たちは、ぼくをみてちょっと引いている。いきなりこんな汚い格好をした変なやつが現れたら、嫌がるか。しばらく教室内を見せてもらい、お礼を言って教室を出る。

 おじさんとアドレスの交換をして、学校と寺院を出る。本当に素敵なおじさんだった。時計を見ると、まだ二時を過ぎたところだ。近くの別の寺院に行くが、本堂は閉じていて入ることができない。仕方がないので昨日泊まったホテルの近くの博物館に行くが、改装中であまりおもしろくない。パンフレットを見ると、美しい黄金の仏像(というか、タイの仏像はたいてい黄金なのだが)がある寺院が載っているので、そこへ行くことにする。三十分ほど歩いて、Wat Pa Yaiに到着。白い修業服のようなものを着たおばさん達が、数人本堂で寝ていて、時々起きだしてお祈りを捧げている。ぼくもそこに座って、暫し黙想。

 そんなこんなで、四時近くになったので、TATに荷物を受け取りに行く。朝三人いた受付のお姉さんたちは、一人になっている。お礼を言って荷物を受けとると、含み笑いで「中が無事かどうか調べたほうがいいわよ」というので、かわいいなあこの人はと思いながら、「必要ないよ」とカッコつける。汚い格好だけど。何度もお礼を言って、TATを出る。

 そういえば、今日は何も食べていないことに気づき、食堂に入ってとても苦労をしてチャーハンを注文する。言葉が通じないうえに、チャーハンをジェスチャーで表すのはとても難しい。チャーハンをがつがつ食べて、水をがんがん飲む。うまい。

 足の絆創膏を貼り直して、駅まで歩くことにする。途中、MoonRiverで一休みしよう。歩き出すと、腹がぐるぐると鳴りだす。昨日から、あまり頓着せずに食べ物や飲み物をとっていたので、腹を壊したのだろうか?とりあえず、我慢できるところまで歩こう。明日で旅行も終わるというのに、最後の最後でついていない。

 MoonRiverに到着。釣りをしている人が何人かいる。腹が限界に達する。川岸に降りると、なかなか良い案配に草むらがある。おなかがきゅーきゅー鳴いている。耐えきれず、荷物を放り出してティッシュだけを持ち草むらに走る。そのまま座ると、草がお尻に当たって痛いので、足で草を踏みつけて馴らし、ズボンを脱いで生まれて初めての野うんこをする。おなかが。おなかが痛いのです。

むーんがわ うんこをしながら、目の前にMoonRiverを臨む。生まれて初めての野うんこは、出来れば日本でしたかったと思う。うんこをしながら、考える。これが野うんこだったからよかったが、もしこれが「死」だとしたらどうだろう。二葉亭四迷は、ロシアから日本への帰国の途中、インド洋の海上でその生涯を閉じた。二葉亭の性格を考慮すれば、彼の死に場所が日本から遠く離れた船上であったことが、彼に悔恨の念を抱かせたということは考えにくいが、ぼく個人の感情としては異国の地で死ぬのはいやだと思う。ぼくは相当いい加減な性格なので、多少のことは気にしないけれど、死に場所だけは常に気にしている。西行法師は「願わくば 花の下にて 春死なむ」と詠った。死んだ後のことはどうでも良いけれど、死に場所は住み慣れた場所で、死ぬ瞬間は愛するものの傍で逝きたいと思う。誰だかが「畳の上では死なねえぜ!」なんて歌っていたが、ぼくは畳の上でなくても良いが、心を緩やかにして安心して死にたい。それがぼくにとっての唯一の夢だ。そのような意味での理想の死に方は、和辻哲郎さんのそれで、彼の最後の作品(未完)となった『自叙伝の試み』では、和辻君の奥さんが後書きにかえて彼の最後の様子を記している。

 何分間位だったろう。この時ほど何も思わずにぼんやりしていたことはない。ふっと何かに引かれた心持で主人の顔を見た。すると主人は大きな眼をあいてじっと天井を見つめていた。ずんずん顔色が青くなって行く。私は息がとまりそうになった。
「どうなすったの?どこかお苦しいの?」
 覗き込んで思わず大声を出した。が目はぼんやり開いたままで返事はなかった。
「ね、どこかお苦しいの?」
「どこかお苦しいの?」
 続けて二度夢中で言うと、目が生きて静かに私を見て、
「どこも苦しくない」と返事をした。
「どこかお痛いの?」
 手を握ってもう一度聞くと、
「どこも痛くない」
とはっきり言った。それなり目をつぶり意識がなくなって行くようなので、私はあわてて廊下から孫共を呼び立てた。孫共はとんで来た。その隙に医者に電話をかけた。
「おじいちゃま」
「おじいちゃま」
 孫達は両方からすがり付くようにして叫びながら大声で泣き出した。それが聞えたのか主人は眼をあいて孫共に
「何か言った?大丈夫 大丈夫」
と、頭でも撫でてやっているような調子で言った。そして静かに眼をつぶった。そこへ医者が駆けつけて呉れて注射を打ったがもう反応はなかった。二つくしゃみをし、大きく二度息をはいた。十二時四十分。あんなにも好きだった太陽が明るく障子にあたっていた。
和辻哲郎『自叙伝の試み』より

 鬼平犯科帳なんかを読んでいると、「殺生をしなかったから畳の上で死ぬことができた」なんていう因果的な表現がよく出てくるが、日ごろの行いで死に方や死に様が決まってしまうのであれば、こんなに簡単なことはない。そうじゃないから困ってしまう。結果が必ずしも原因を伴うとは限らないから、生きるということは難しいのだ。とにかく、野うんこは図らずも異国の地で初体験を迎えてしまったが、この経験を無駄にせず、死ぬときは必ず日本で死のう。まだ数十年は先の話ではあるけれど。

 とはいうものの、川を眺めながらするうんこもそれほど悪くない。ラオスで見た、メコン川に臨むようにして座っていた仏像を思い出す。彼ももしかしたら野うんこをしていたのかもしれない。うんこ仲間だ。

 午後六時、ウボンラチャータニー駅に到着。駅に隣接する売店でコーラを買って時間をつぶし、午後七時十五分、ほぼ定刻通りバンコク行き寝台特急が出発。腹痛は、今は治まっているが、なんとなく調子が悪い。

卒塔婆

 夜中、腹痛で目が覚める。今回の旅行で初めて夜中に目を覚ました。ちょっと調子に乗りすぎたかも知れない。クーラーが効きすぎて、体がだるい。吐き気もする。なんとなく、インド洋を渡る二葉亭四迷の気分。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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