03年05月12日(月)
昼過ぎ起床。休日に遅く起きると、一日が台なしになったような、悲しい気持ちになる。気分を変えるために腕立て伏せを五十回して、外出。
雑誌『Invitation』購入。特集は「戦時下のニューヨーカーたち」。ニューヨークで活躍するアーティストの9.11以後を追う。作家は、ポール・オースターやバリー・ユアグローなどが登場。Salon.comのローラ・ミラーもインタビューを受けている。ローラ・ミラー曰く「作家たちの事件直後の発言には、興味深いものはほとんどなかった。若手作家たちが神と仰いでいるドン・デリーロの発言でさえ、いざ出てきてみたら、どうということはなかった」。これから9.11以後のアメリカの作家たちを追いかけようと思っているぼくには、少し肩透かしのコメント。
心の底から楽しみにしている数少ない雑誌、「recoreco」のVol.6を購入。「島田雅彦の過剰対談」で、関野吉晴氏と対談する島田雅彦氏は、アメリカについて次のように語っている。「たとえばブッシュ。文明の頽廃を最も体現している人間ではないかと思うんですね。ブッシュだけでじゃなくて、ブッシュのようなアメリカ人は、よその土地に行って、その土地の食習慣や宗教、言語に理解を示し、適応する度合いがかなり低い。アメリカ人は英語しか話さない率が高いし、外国のことはいっさい興味を示さない。ともあれアメリカがナンバーワンでいられることがあればあるほど満足するし、「アメリカが全世界である」と思い込んでいる」。島田雅彦氏は、世界中のアンチアメリカに共通するような、典型的なアメリカ像を蕩々と語る。少なくともこの態度は、文学者のとるものではないと思う。ぼくが文学者に求めているのは、紋切り型のアメリカ批判をぶち壊してくれるようなアメリカ論であり、町のおやじたちが飲み屋で語るようなアメリカ論ではない。それを島田氏に求める気はないが、だからこそ、アメリカという国で創作を続ける作家たちの態度と言動が気になるのだ。
夜、稽古。今回のぼくは、座頭市のような役。以前、内倉君が座頭市をやっていたときは、すかした感じの座頭市だったのに、今回のぼくは遊星からの物体Xみたいになっている。どうしてだろう。
帰宅すると、友人である先輩から上戸彩の画像などが大量に届いている。どうやらぼくを危ない世界へ引き込もうとしているらしい。負けないぞ。負けそうだ。
雑誌『Invitation』購入。特集は「戦時下のニューヨーカーたち」。ニューヨークで活躍するアーティストの9.11以後を追う。作家は、ポール・オースターやバリー・ユアグローなどが登場。Salon.comのローラ・ミラーもインタビューを受けている。ローラ・ミラー曰く「作家たちの事件直後の発言には、興味深いものはほとんどなかった。若手作家たちが神と仰いでいるドン・デリーロの発言でさえ、いざ出てきてみたら、どうということはなかった」。これから9.11以後のアメリカの作家たちを追いかけようと思っているぼくには、少し肩透かしのコメント。
心の底から楽しみにしている数少ない雑誌、「recoreco」のVol.6を購入。「島田雅彦の過剰対談」で、関野吉晴氏と対談する島田雅彦氏は、アメリカについて次のように語っている。「たとえばブッシュ。文明の頽廃を最も体現している人間ではないかと思うんですね。ブッシュだけでじゃなくて、ブッシュのようなアメリカ人は、よその土地に行って、その土地の食習慣や宗教、言語に理解を示し、適応する度合いがかなり低い。アメリカ人は英語しか話さない率が高いし、外国のことはいっさい興味を示さない。ともあれアメリカがナンバーワンでいられることがあればあるほど満足するし、「アメリカが全世界である」と思い込んでいる」。島田雅彦氏は、世界中のアンチアメリカに共通するような、典型的なアメリカ像を蕩々と語る。少なくともこの態度は、文学者のとるものではないと思う。ぼくが文学者に求めているのは、紋切り型のアメリカ批判をぶち壊してくれるようなアメリカ論であり、町のおやじたちが飲み屋で語るようなアメリカ論ではない。それを島田氏に求める気はないが、だからこそ、アメリカという国で創作を続ける作家たちの態度と言動が気になるのだ。
夜、稽古。今回のぼくは、座頭市のような役。以前、内倉君が座頭市をやっていたときは、すかした感じの座頭市だったのに、今回のぼくは遊星からの物体Xみたいになっている。どうしてだろう。
帰宅すると、友人である先輩から上戸彩の画像などが大量に届いている。どうやらぼくを危ない世界へ引き込もうとしているらしい。負けないぞ。負けそうだ。