
好きな方にメールを送って返事が来ないというのは辛いものです。ぼくにもそのような経験はありますから、気持ちは分かるのですが、先日ある友人が恋い焦がれている女性にメールを送ったところ、一向に返事が返って来ず、明日まで待てと言うぼくたちの意見を全く聞かずに、携帯電話を片手に道路で転がり回って煩悶しておりました。
メールを送って一時間やそこらで返事が来ないからといって、そこまで苦しまなくても良いのではないかなどと慰めはしたものの、「ぼくはもう鉄割をやめます」などと軽々しく口にするメガネを見ていると、不甲斐のない自分を見ているようで心苦しくも憤慨してしまい、脳天踵落としなどを食らわせて地面に口づけをさせてみましたが、それでもなお「ぼくちんはあの女性(ひと)じゃないと結婚しないもん!」などとメガネをずらして涙声の友人を見ていると、ついつい情け心が湧いてしまい、「ならば行け。道は己の前にある」と励ましてはみたものの、片や令嬢、片やメガネ、この世界に愛の形は多々あれど、かなわぬ恋も数知れず、せめて愛の詩を口にするだけの勇気があれば事が進むこともありましょうが、ただ遠くで見つめていたい、サインが欲しい、ファンクラブを作りたいなどとほざいているメガネに希望はないのではないか、などと危惧している次第であります。
そんな高村君にオスマントルコの思想家ターピュンコ・ラムウコの言葉を捧げます。
愛は確かに眼鏡を曇らせる。しかし、その曇った眼鏡を外してみなさい。あなたの両目は、眼鏡を必要としないほどに視力が回復しているから。
四の五の言わず、頑張って欲しいものです。
知人に『阿弥陀堂だより』のチケットを頂いたので、素敵なお友達を誘ってまた観に行っちゃいました。
ところで、先日ぼくのある友人がこの『阿弥陀堂だより』を観に行って爆睡したという話を聞き、とても羨ましく思いました。映画を観ながら眠るのは、まさしく至福です。不思議なものでして、良い映画を観ながら眠ると、耳に入ってくる音やセリフや音楽が不思議に作用して、とても心地の良い夢を見ることでできます。貧乏性のぼくは、映画館に行くとついつい眠らないように頑張ってしまいますが、睡魔を堪えて映画を観るよりも、眠いときには眠ってしまったほうが、映画で味わうよりももっと素敵な夢を見ることができるものです。『阿弥陀堂だより』は、そういう意味でとても眠りに向いている映画だと思います。
ある友人のご両親は、大好きなオペラの舞台の一番良い席をリザーブして、オペラに耳を傾けながらぐっすりと眠ることを年に数回の贅沢としているそうです。物知り顔でワインを飲みながらオペラを聞いているおばさんなんかより、よほど素敵な贅沢でしょ。
今度は眠るためだけに『阿弥陀堂だより』を観に行こうかしら。
今更ですが、『坊ちゃんの時代』を読みました。
『坊ちゃんの時代』は、夏目漱石がロンドン留学から帰国して小説を書き始めた明治37年6月から始まり、修禅寺の大患から一時的に回復し、桜吹雪の神田川沿いを歩く明治44年4月までの7年間を、漱石のほか森鴎外、石川啄木、幸徳秋水などの視点から明治という時代を描いた作品です。日本史の中でもとりわけ特異な時代である明治を、関川夏生さんと谷川ジローさんがとてもいい感じに描き上げています。以前の雑記でもとりあげた高橋源一郎さんの『日本文学盛衰史』は、この漫画に着想を得て書かれたそうです。
今年の始めから中頃にかけて読んだ明治に関する書籍の中で、印象に残る作品が3冊あります。田山花袋の『東京の三十年』、松山巌の『世紀末の一年』、そして上で挙げた『坊ちゃんの時代』です。偶然ですが、『東京の三十年』は明治の始めから明治40年ぐらいまでを、『世紀末の日本』は1900年、つまり明治33年の一年間を(ただし、その前後の年代も参照として多く取り上げています)、『坊ちゃんの時代』は明治37から明治天皇崩御直前の明治44年までを描いています。要するにこの三冊で、明治という時代を一応は通読できるわけです。もちろん、三冊とも描く対象と視点が異なりますから、この三冊を読んで明治という時代が完全に理解できるというわけではありませんが、視点が異なるからこそ見えてくるものもございます。
どうしてこんなにも明治という時代に魅かれるのか、自分でもいまいちよく分からないのですが、明治という時代が、世界でも類を見ない「文化の転換」を行った時代であり、そのような動乱の時代に生きた人々の思考や行動に興味があるのかもしれません。文明開化という西欧化の波に呑まれそうになりながらも、その波を日本文化へと融合しようとした彼の人たちの生き方は、ぼくにとってまさしく理想ですもの。
漱石は西欧を嫌いながらも英語教師に従事し、啄木は女遊びに精を出しつつ借金を重ね、鴎外は愛するドイツ女性との決別の苦しみを生涯胸に秘め、幸徳秋水は抗することのできない己の運命を潔く受け入れ、凛冽たり近代なお生彩あり明治人は、己の苦悩に煩悶しながらも懸命に生きております。
ところで、『世紀末の一年』を書いた松山巌という方は、実はぼくの人生の中でもっとも好きな作家(あるいは評論家)と言っても良いぐらいの御仁でして、彼の書く小説(二作しかありませんが)、評論、エッセイ、すべてが素晴らしくて、読むたびに感じるところがあります。
小説『日光』などは、初めて読んだときの衝撃と興奮をいまだに明確に覚えております。読みながら手に汗を書いたのは、あの小説ぐらいじゃないのかな。あまりにも好きすぎて、誰にも教えたくないのです。あまりにも好きすぎて、誰にも読んで欲しくないのです。
ああ、好きなことだけして、小さくなって、懐手をして暮らせんものか。