
08年03月04日(火)
マーラーで好きな交響曲を好きな順番に並べると
1、交響曲第9番
1,5番
3,6番「悲劇的」
4,2番「復活」
4,7番「夜の歌」
6,1番「巨人」
7,3番
8,4番
9、交響曲「大地の歌」
10,8番「千人の交響曲」
「大地の歌」のよさが分からないところに僕の限界があるような気がします。
なぜこんな順位を発表しているのかというと「涼宮ハルヒの憂鬱」という2006年最大のヒット作といわれるアニメを見ていたらマーラーで一番嫌いな交響曲8番を使っていたからである。ショスタコーヴィチの7番「レニングラード」も使われていた。
まだクラシックを使用しているかもしれないけれど、4話分で見るのをやめたので。
1、交響曲第9番
1,5番
3,6番「悲劇的」
4,2番「復活」
4,7番「夜の歌」
6,1番「巨人」
7,3番
8,4番
9、交響曲「大地の歌」
10,8番「千人の交響曲」
「大地の歌」のよさが分からないところに僕の限界があるような気がします。
なぜこんな順位を発表しているのかというと「涼宮ハルヒの憂鬱」という2006年最大のヒット作といわれるアニメを見ていたらマーラーで一番嫌いな交響曲8番を使っていたからである。ショスタコーヴィチの7番「レニングラード」も使われていた。
まだクラシックを使用しているかもしれないけれど、4話分で見るのをやめたので。
08年02月04日(月)
07年12月31日(月)
昨日、桑田佳祐のライブに行った。兄が結局愛がすべてなんだなーと言っていた。
B,ZのSUPER LOVE SONGでも「状況変化に戸惑わん、ぶっとい根っこでギュッとつながってる」という歌詞があるが、それはつまり相対的に状況が変化しても、愛は変わらないと絶対的な境地を表現していることと同じだと思います。相対的とは、たとえばある物体が長いと言う時、頭の中に物さしのようなものがあって、それと比べて長いとか短いとかを決めてるということです。絶対的とは時間や空間が変わっても変わらないということです。愛は増えも減りもしないという歌詞もそうだし、ギリギリChopで「ぎりぎりじゃないと僕だめなんだよ」と歌詞にあるのも絶対的な境地を求める過程を表現しているんだと思います。
絶対を表現しようとすると人間の頭は相対的にしかできていないので哲学や宗教の範疇に入ってしまいます。
ベートーベンの交響曲第5番「運命」のフィナーレは絶対を求めて何度も駆け上ろうとしている姿を現し、ブルックナーの交響曲の第4楽章フィナーレのコーダの部分は浄福の境地を表現していると思います
音楽(少なくてもクラシックは)は絶対の境地を表現しています。しかし、相対的にしか絶対を表現できないので、音楽は何万曲もあるし尽きないのだと思います。
B,ZのSUPER LOVE SONGでも「状況変化に戸惑わん、ぶっとい根っこでギュッとつながってる」という歌詞があるが、それはつまり相対的に状況が変化しても、愛は変わらないと絶対的な境地を表現していることと同じだと思います。相対的とは、たとえばある物体が長いと言う時、頭の中に物さしのようなものがあって、それと比べて長いとか短いとかを決めてるということです。絶対的とは時間や空間が変わっても変わらないということです。愛は増えも減りもしないという歌詞もそうだし、ギリギリChopで「ぎりぎりじゃないと僕だめなんだよ」と歌詞にあるのも絶対的な境地を求める過程を表現しているんだと思います。
絶対を表現しようとすると人間の頭は相対的にしかできていないので哲学や宗教の範疇に入ってしまいます。
ベートーベンの交響曲第5番「運命」のフィナーレは絶対を求めて何度も駆け上ろうとしている姿を現し、ブルックナーの交響曲の第4楽章フィナーレのコーダの部分は浄福の境地を表現していると思います
音楽(少なくてもクラシックは)は絶対の境地を表現しています。しかし、相対的にしか絶対を表現できないので、音楽は何万曲もあるし尽きないのだと思います。