10年12月05日(日)
前回日記を書きました後、京都に行き京都国際舞台芸術祭にて鉄割本公演では照明をし、山梨県のTRAXに三沢敦彦さんの展示を見に行き、那須ではスペクタクルインザファーム鉄割バスツアー&グランドホテル愛寿にて鉄割公演では音響をし、武蔵野美術大学1号館にてムサ鉄アルバトロス大学でも音響をし、ようやっと一段落な気配でございます。今年の鉄割は残すところ12/15の『新宿らくごギグ@紀伊国屋ホール』でお終いの予定。ついでに言いますと12/29甲府桜座にて『第七回深沢七郎を偲ぶ宴』(←三上寛さんと戌井昭人さん出演)というのもあります。多分今年はもうこれくらいなんじゃないかと思いますが、これからまた何か決まるのならばやるのでありましょう。
色々なところに行って色々なことをした1ヶ月でございまして、追々そんなことも書きたいなと思っておりますけれどどうだろう。
あと、本も沢山読んだり、お誕生日会に出席したりして、今日はなんと映画館に映画を見に行ったのです。本当にお腹一杯のここ一ヶ月なのです。このままだと破裂するので今週は動物園に行きたいと思います。
なんか遊んでばっかりみたいですけど、日々地味に地道に働いていますので、たまにはこんな日々もいいんじゃないかと。なんとか猛烈なる反省をせずにいけるよう頑張ります。なぜなら猛烈なる反省というのは立ち直りが遅すぎて時の流れから置き去りにされるからです。これしょっちゅうやる割には改善されないのでなんとかそんなことはしないようにしたいのです。
あ、や、しかしながら、振り返ると本当に反省だらけでして、なんとかしてなんとかならないものかと己の愚かさに脅かされているのも事実でありまして、わたしにとって鉄割の公演って「始まって終わる」のの最中と前後に物凄い精神的起伏が発生してしまうもので、ご迷惑をかけた皆様、毎度ながら本当にすみません。
という訳で、公演後は毎回ずどーんと地底の深くにもぐりこんでしばらく出てこられませんのですが時は流れるので多分大丈夫です。
ときのあなぐまなのです。
10年12月12日(日)
筑摩書房から「深沢七郎コレクション」というのが2冊出ていますのです。1つ目は先月に出た「流」というので、2つ目は先日発売になりました「転」というのです。
鉄割の作家の戌井昭人さんが、深沢七郎さんの全作品の中から、そのコレクションを選び、解説などしているのです。こちらのページの三上寛さんの推薦の文も大変よかったです。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480427731/
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480427854/
この本の表紙は横尾忠則さんの作であり、それはそもそも深沢さんが今川焼き屋さんであった時の包装紙だそうです。で、その包装紙についてのことが↓に書いてあり、また皆様の文が大変よいのです。
http://uraaozora.jpn.org/fukasawa.html
(↑このようなリンクをする時に承諾を得るべきかどうかわからず、ページ見てみましたがどうすべきか発見できず無断でリンクしていてすいません、こことてもよいページですご覧下さい)

深沢七郎という人については、話にはよく聞いていましたし、武田百合子さんの富士日記にも登場していたのですが、そのご本人の記述を読んだことがないままにいましたので、先月「深沢七郎コレクション 流」を買い求め、読み終わり、どの話も猛烈なものであり、私は深沢七郎さんのことをぐんと好きになったのです。
そもそも、何度も話題にはなっていたような気がしています。鉄割においての話題というのはだいたいそうなるのですが、作家でも音楽家でも映画監督でも、なんだか話を聞いていると「誰かの知り合いの変なおっさん」みたいな気になって興味が出てくるのです。なので、深沢さんの本を読んでいてもなんだか他人だったり故人だったりという感覚がないまま、へーこんな人がいてこんなこと書いているのか!という感触なのです。新しく人と知り合うような具合です。本来、作ったものに触れるっていうのはそういうことだと思いますので、そのような流れになるのは鉄割の人々の良いところだなと思うところであります。

先月、鉄割の京都公演の最中に「深沢七郎コレクション 流」は発売になり、私はそれを新京極の本屋さんで購入したのでありました。その赤い帯には「楢山節考で知られる独特作家のコレクション」というようなことが書いてありましたのです。今になって思えば、それは深沢さんを指しての言葉だったのですが、コレクションされているのが深沢さんなのであり、私はその帯を見た時に、コレクションした方の戌井さんを指している言葉と勘違いしてしまい、一体いつどうやって、戌井さんは楢山節考で知られる独特作家などと言われるようになったのだろうかと謎に思っていたのでした。確かに楢山節考の話もよくしていたし、独特の作家ではあるが、大々的にそのように言われるとはこれどういうことかと。その時は本気で謎に思ったのです。完全な勘違いです。

結構分厚い本なのですが、どれも大変面白く興味深く読み、特に、京都での公演を終えた後に読んだのですから「千秋楽」という話がとてもよく染み渡ったのであります。
その昔、私は鉄割の舞台に出されたことがありまして、それはもう本当に嫌だったのだけど、本当にどうにも仕方ないというので出たのだから、やっぱり出されたとは思っているのですけど、出した方も出してみてやっぱり向いてないともわかっただろうし、なるべくそのことを記憶から抹殺していましたのです。しかし、この「千秋楽」を読んだ時からはとても大事なことに変わったのであります。なんでとか、わからないのですが、そう思ったので、有難いことだと今は思っています。言い方も「舞台に出して貰った」と変えてもいいくらいですが、そんなことを言って、また出なくてはならなくなるのは恐ろしいので、やっぱり「出された」のままにしておくのです。

深沢さんの書くものがとても好きになったので、次に出るという「深沢七郎コレクション 転」も大変楽しみにしていましたのです。しかし、東京の本屋さんに行きましたが売っていませんでした。そこで思い出したるはお誕生日プレゼントに麻実子さんから貰った「人間滅亡の唄」という深沢さんの本です。誕生日だというのに随分不吉な題名の本をくれたものだと思い、本棚に置いていましたがその時が来た。此処へ来て大活躍。私の深沢さんへの欲求をこれでしばししのぐことが出来るというものです。
「人間滅亡の唄」を読みつつ、今日は「そうだあの本屋さんへ行けば、いいカバーをかけてもらえるぞ」と思って出掛けた本屋さんはジャージ屋さんになっており、またも買えなかったのであります。その手前の古本屋さんで「楢山節考」を見つけたので買っておいてよかったということになりました。「人間滅亡の唄」と「楢山節考」を読み終わる前になんとか「深沢七郎コレクション 転」を手に入れなくてはならないです。そして、それら全てを読んでから、私は甲府の桜座に行きたいと思っています。

「深沢七郎を偲ぶ宴」
三上寛×戌井昭人
12月29日(水)
@桜座カフェ
開場 18:30
開演 19:00
前売3,000円
当日3,500円
http://www.sakuraza.jp/

私、深沢七郎なんだかわからない。そのわからないところをとても普通だと思って安心する。なんだかわかるようなことは言えないし、わからないのだから、わかるような気にならないで、そのまますっと入ってくるのだ。それがとてもいい。そもそも自分というものだってそのようにわからないのだから安心するのです。なので、わからないことがわかるのだと思うのです。ん。とかなんとか言うのは、わかったようなことなのかもしれないけれど、実際そんなことはどっちだっていいのだから私は気にしないでただ深沢七郎を好いていればよいのだと思う。

今日、知らないおいちゃんと話したのだけど、そのおいちゃんはなんだか可愛く、とても小さな声で一生懸命に同じことを何回も言い、全て聞き取れなかったけれど、聞き取れたにせよそれは、なんだかよくわからなかったのです。なんだかよくわからなかったけれど、そのおいちゃんは、来週の大事な予定についてと、兄貴の嫁が怖いということと、自分とこの母ちゃんはよい母ちゃんだということを繰り返し言っていたのであり、それはわかったのであります。なんと言うか。そういうことなんです。あれ、違う気もしてきたけれども。ね。なんだろね全く。

この2冊のコレクション「流」の方は小説、「転」の方はエッセイとなっているようです。二冊で「流転」という訳だ。
で、私は「流」と「人間滅亡の唄」しかまだ読んでないのですが、この「人間滅亡の唄」はエッセイ集だったのです。これがまた不思議なエッセイで、その流れと転じ方の不自然な自然さというか、まあやっぱりわからないのですけども。よくまあ流転と付けたものだと感心したのであります。何故そうなったのか何か理由があるにせよないにせよ。流転とはよく言ったものだ。なのです。

深沢七郎初心者の記
10年12月18日(土)
皆様日々活発に新陳代謝されていることかと思われます。
嘘みたいな話なんですが、私今鉄工所でバイトをしております。
日々の活動は鉄工所と鉄割アルバトロスケットなのです。
鉄工所で鉄を削っています。鉄って硬いけど削れるのです。
鉄を削ると削られた側の鉄が螺旋を描いてにょろにょろと出てきたり、小さな鉄の粉になり塊から分離される訳です。それらはとても綺麗ですが、とても鋭利なもので、触るとスパッと切れて流血します。手にはいつだってバンドエイドが貼られております。また、それは熱いものなので、触れば熱いし、飛んできて頭に乗ると髪の毛が焦げるのです。
粉の方もとても小さいけれど鉄は鉄であり、うっかりすると手に刺さり、小さいけれどとても痛いのです。刺さってしまったら、その痛む部分を虫眼鏡でよく見て狙いを定めてをれを抜き取るのですが、もっと小さくなるとわかりません。たまたま痛くないところに小さいのが刺さってしまうとわからず数日が過ぎるのです。
最近、しみじみと手のひらを見ると黒い小さな点が発見されます。
それは、手のひらに刺さり、埋まったままになっていた小さな鉄の粉なのです。最初は銀色なのですが、手に入ってしばらくすると黒くなってくるそうです。手の中で鉄がさびているのか、どういうことなのか黒くなるのです。それが新陳代謝の活動により、皮膚の表面に出てくるのでしょうか。
そしてそれも暫くすると消え去るものなのです。
ぐさっと刺されば痛い思いはすれどすぐに気付いて取り去れるのです。
気付かないものについては、新陳代謝が日々ゆっくり時間をかけておしやってくれるのです。
新陳代謝は活動であるので、その活動を支えるエネルギーが必要なのです。
エネルギーが少ないと活動が鈍り新陳代謝が遅くなるのでしょう。
もしエネルギーがなかったら活動できず、故に新陳代謝できないのです。
その境目は曖昧なものなんじゃないのかとも思うのです。
手のひらの表面の皮膚は何処に行くのだろう。
手の皮はどこまでが生きていていつから死ぬのだろう。
自分と自分じゃない部分の境目は何処だろう。
温度というのは自分なのだろうか。
自然とは、高いところから低いところへ流れることなのか。
それを超えるならエネルギーが必要なのか。
エネルギーって一体何なのだろうか。
こういうことが理科の領域という不思議。

なんかわからなくなっちゃったのでやめます。
10年12月21日(火)
中華料理屋というものはやけに沢山あるもので、横浜の中華街なんか行ったら、当たり前だけども全部中華料理屋なんじゃないですかあそこは。台湾料理屋もありますけど。
台湾と中華のことについては、中国人に会ったときに聞いてみたら「ややこしいこと聞かないで」といわれたので、中国の方にとってもややこしいのだそうです。
中華料理屋というものはやけに沢山あるもので、ちょっと思いつくだけだって、流行の中華料理屋とか、四川やら西安やら地方の中華料理屋とか、まずい中華料理屋とか、美味しい中華料理屋とか、綺麗な中華料理屋とか、高級な中華料理屋とか、チェーンの中華料理屋とか、汚い中華料理屋とか、別になんともない中華料理屋とか、本格的な中華料理屋とか、安い中華料理屋とか、早い中華料理屋とか、こだわりの中華料理屋とか、洒落た中華料理屋とか、飲茶の中華料理屋とか、組み合わせ自在な中華料理屋とか、カウンターだけの中華料理屋とか、回る円卓がある中華料理屋とか、テーブルがベタベタしてる中華料理屋とか、妙に明るい中華料理屋とか、中途半端な中華料理屋とか、洋食も出す中華料理屋とか、ほんと途方もないですね。
で、私が好きな中華料理屋は、たいしてそれほど美味しくも不味くもなくて、割と安く、それほど汚くなくて、音楽もかかってない、何のとりえもない、いつ行っても人がいなくて静かで、密やかに洋食も出していて、おっさんがしょぼくれているような中華料理屋さんです。そんなお店でカレーを食べたり、オムライスを食べたり、五目焼きそばを食べたり、中華丼を食べたりするのが好きです。何を頼んだってたいして美味しくないかもしれないけれど、すぐに作ってくれて温かくてたいして不味くもなくてよい気分になります。
でですね、そんなお店の洋食というのは、実は今、絶滅危惧種に私が認定している「テキトーな洋食屋」の中華寄り版というような味を出しちゃったりすることがあるのです。なので調査が必要だと思うんです。テキトーな洋食屋さんは、テキトーな洋食だけでは成り立たないのか何なのか、どんどん減ってきていると思われるのです。洒落た洋食屋やこだわりの洋食屋やチェーンの洋食屋なんてのが人気なのか、テキトーな洋食屋さんはすっかり数が足りなくなってきているのです。そもそも、洋食屋さんというのは、なんだかハイカラな感じを持たなくてはならない宿命を負っているのか、はなっからあまり地味なお店が多くない気がします。更に、ここへ来てぐんぐんと減っている。これ困ります。あの、テキトーな洋食というのは、日本からなくしてはならないと思うのです。
なのであるから、私は、テキトーな洋食がありそうな中華料理屋さんを開拓していかなければならないと思っております。なのですが、行動範囲が狭く、広く行動したところでご飯は一日に何度も食べれないものなのでなかなか開拓されないことを悩んでいます。
それと、もう一つ大きな悩みは、中華料理屋さんのスープは、中華風しかないという点であります。テキトーな洋食屋さんのちっとも洒落てないような謎のスープは本当に絶滅してしまうかもしれません。

その昔、何年前か、鉄割が京都に行った時に、公演終わって皆々様どやどやと大きな通りに面した中華料理屋さんへ行きました。その店はやたら早い店でした。10人以上は居たと思うのですが、皆で沢山注文したのです。なのですが、あっという間にテーブルが一杯になるくらいすぐに料理が運ばれてきたのであります。あそこ一体厨房に人が何人いたのだろうかと不思議な気持ちになったことを覚えています。

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雑記書手紹介

松島
横浜生まれ横浜育ち
鉄割の制作担当。食べたり飲んだり旅行したりしている。
ふと目を離すと何か食べている。

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