
05年08月28日(日)
百年位前にマーラーとシベリウスが対談したことがあった。その時マーラーは音楽は世の中のすべての事を表現しなくてはならないという立場に立ち、シベリウスはごく一部の、例えば、自然だけなどを表現すればよいと言い論争になった事があった。
僕の意見ではどっちでもいいと思う。生み出された芸術はどちらも素晴らしいので、僕はマーラーの意見の方が好きです。
絶対音楽という言葉もありますし哲学の用語だと「絶対」とは相対的(比較しなくてはわからない)なものではなく、真実や唯一絶対のものを指すのでマーラーが言いたかったのは、そういう事だと思います。
でも、絶対音楽という割にクラシックの作曲家はドイツ、オーストリア圏の人が多いので(特に交響曲は)ドイツの民族音楽と呼ばれることがあります。
哲学的には分かりませんが(人類は永遠ということに対して答をだしていない ブルーノ・ワルター )音楽に限れば、それぞれの民族の芸術がそれぞれ神々しさや寂寥感に達していれば、芸術的だと思います。
僕の意見ではどっちでもいいと思う。生み出された芸術はどちらも素晴らしいので、僕はマーラーの意見の方が好きです。
絶対音楽という言葉もありますし哲学の用語だと「絶対」とは相対的(比較しなくてはわからない)なものではなく、真実や唯一絶対のものを指すのでマーラーが言いたかったのは、そういう事だと思います。
でも、絶対音楽という割にクラシックの作曲家はドイツ、オーストリア圏の人が多いので(特に交響曲は)ドイツの民族音楽と呼ばれることがあります。
哲学的には分かりませんが(人類は永遠ということに対して答をだしていない ブルーノ・ワルター )音楽に限れば、それぞれの民族の芸術がそれぞれ神々しさや寂寥感に達していれば、芸術的だと思います。