10年12月12日(日)
筑摩書房から「深沢七郎コレクション」というのが2冊出ていますのです。1つ目は先月に出た「流」というので、2つ目は先日発売になりました「転」というのです。
鉄割の作家の戌井昭人さんが、深沢七郎さんの全作品の中から、そのコレクションを選び、解説などしているのです。こちらのページの三上寛さんの推薦の文も大変よかったです。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480427731/
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480427854/
この本の表紙は横尾忠則さんの作であり、それはそもそも深沢さんが今川焼き屋さんであった時の包装紙だそうです。で、その包装紙についてのことが↓に書いてあり、また皆様の文が大変よいのです。
http://uraaozora.jpn.org/fukasawa.html
(↑このようなリンクをする時に承諾を得るべきかどうかわからず、ページ見てみましたがどうすべきか発見できず無断でリンクしていてすいません、こことてもよいページですご覧下さい)

深沢七郎という人については、話にはよく聞いていましたし、武田百合子さんの富士日記にも登場していたのですが、そのご本人の記述を読んだことがないままにいましたので、先月「深沢七郎コレクション 流」を買い求め、読み終わり、どの話も猛烈なものであり、私は深沢七郎さんのことをぐんと好きになったのです。
そもそも、何度も話題にはなっていたような気がしています。鉄割においての話題というのはだいたいそうなるのですが、作家でも音楽家でも映画監督でも、なんだか話を聞いていると「誰かの知り合いの変なおっさん」みたいな気になって興味が出てくるのです。なので、深沢さんの本を読んでいてもなんだか他人だったり故人だったりという感覚がないまま、へーこんな人がいてこんなこと書いているのか!という感触なのです。新しく人と知り合うような具合です。本来、作ったものに触れるっていうのはそういうことだと思いますので、そのような流れになるのは鉄割の人々の良いところだなと思うところであります。

先月、鉄割の京都公演の最中に「深沢七郎コレクション 流」は発売になり、私はそれを新京極の本屋さんで購入したのでありました。その赤い帯には「楢山節考で知られる独特作家のコレクション」というようなことが書いてありましたのです。今になって思えば、それは深沢さんを指しての言葉だったのですが、コレクションされているのが深沢さんなのであり、私はその帯を見た時に、コレクションした方の戌井さんを指している言葉と勘違いしてしまい、一体いつどうやって、戌井さんは楢山節考で知られる独特作家などと言われるようになったのだろうかと謎に思っていたのでした。確かに楢山節考の話もよくしていたし、独特の作家ではあるが、大々的にそのように言われるとはこれどういうことかと。その時は本気で謎に思ったのです。完全な勘違いです。

結構分厚い本なのですが、どれも大変面白く興味深く読み、特に、京都での公演を終えた後に読んだのですから「千秋楽」という話がとてもよく染み渡ったのであります。
その昔、私は鉄割の舞台に出されたことがありまして、それはもう本当に嫌だったのだけど、本当にどうにも仕方ないというので出たのだから、やっぱり出されたとは思っているのですけど、出した方も出してみてやっぱり向いてないともわかっただろうし、なるべくそのことを記憶から抹殺していましたのです。しかし、この「千秋楽」を読んだ時からはとても大事なことに変わったのであります。なんでとか、わからないのですが、そう思ったので、有難いことだと今は思っています。言い方も「舞台に出して貰った」と変えてもいいくらいですが、そんなことを言って、また出なくてはならなくなるのは恐ろしいので、やっぱり「出された」のままにしておくのです。

深沢さんの書くものがとても好きになったので、次に出るという「深沢七郎コレクション 転」も大変楽しみにしていましたのです。しかし、東京の本屋さんに行きましたが売っていませんでした。そこで思い出したるはお誕生日プレゼントに麻実子さんから貰った「人間滅亡の唄」という深沢さんの本です。誕生日だというのに随分不吉な題名の本をくれたものだと思い、本棚に置いていましたがその時が来た。此処へ来て大活躍。私の深沢さんへの欲求をこれでしばししのぐことが出来るというものです。
「人間滅亡の唄」を読みつつ、今日は「そうだあの本屋さんへ行けば、いいカバーをかけてもらえるぞ」と思って出掛けた本屋さんはジャージ屋さんになっており、またも買えなかったのであります。その手前の古本屋さんで「楢山節考」を見つけたので買っておいてよかったということになりました。「人間滅亡の唄」と「楢山節考」を読み終わる前になんとか「深沢七郎コレクション 転」を手に入れなくてはならないです。そして、それら全てを読んでから、私は甲府の桜座に行きたいと思っています。

「深沢七郎を偲ぶ宴」
三上寛×戌井昭人
12月29日(水)
@桜座カフェ
開場 18:30
開演 19:00
前売3,000円
当日3,500円
http://www.sakuraza.jp/

私、深沢七郎なんだかわからない。そのわからないところをとても普通だと思って安心する。なんだかわかるようなことは言えないし、わからないのだから、わかるような気にならないで、そのまますっと入ってくるのだ。それがとてもいい。そもそも自分というものだってそのようにわからないのだから安心するのです。なので、わからないことがわかるのだと思うのです。ん。とかなんとか言うのは、わかったようなことなのかもしれないけれど、実際そんなことはどっちだっていいのだから私は気にしないでただ深沢七郎を好いていればよいのだと思う。

今日、知らないおいちゃんと話したのだけど、そのおいちゃんはなんだか可愛く、とても小さな声で一生懸命に同じことを何回も言い、全て聞き取れなかったけれど、聞き取れたにせよそれは、なんだかよくわからなかったのです。なんだかよくわからなかったけれど、そのおいちゃんは、来週の大事な予定についてと、兄貴の嫁が怖いということと、自分とこの母ちゃんはよい母ちゃんだということを繰り返し言っていたのであり、それはわかったのであります。なんと言うか。そういうことなんです。あれ、違う気もしてきたけれども。ね。なんだろね全く。

この2冊のコレクション「流」の方は小説、「転」の方はエッセイとなっているようです。二冊で「流転」という訳だ。
で、私は「流」と「人間滅亡の唄」しかまだ読んでないのですが、この「人間滅亡の唄」はエッセイ集だったのです。これがまた不思議なエッセイで、その流れと転じ方の不自然な自然さというか、まあやっぱりわからないのですけども。よくまあ流転と付けたものだと感心したのであります。何故そうなったのか何か理由があるにせよないにせよ。流転とはよく言ったものだ。なのです。

深沢七郎初心者の記

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雑記書手紹介

松島
横浜生まれ横浜育ち
鉄割の制作担当。食べたり飲んだり旅行したりしている。
ふと目を離すと何か食べている。

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