11年12月30日(金)
先日、某デパートに行きました。お買い物ではなくアルバイトに行きました。お友達から電話がかかってきて、私にも出来るというので、銭っこ欲しさに、のこのこと出かけて行きました。

私は催事場を少し片付けた後、お正月の飾りを付けるかかりになり、閉店したデパート各階の天井にお正月の飾りを付けたのでありました。どっちにしろ、鉄割の仕込が思わぬところで役に立ったように感じました。
飾りに仕込をし、脚立にのぼり、飾りを天井からぶら下げて、なんとなく奇麗にするのです。まずは、ただぶら下げて、全体を見ます。曲がってないか直したり、飾りのバランスを整えたりします。そのバランスを取ることについて、どんなことが働いているのかは定かではないのですが、バランスを整えると、ただぶら下げた時よりも、よくなるのであります。ふむ。同行のお友達も同じようにしています。ふむ。

自分でやる時には「ここはもう少し、こうしたらいいな、あれ、こうだから、こっちはこうだな」とか色々思ってやっているのですが、人がそれをやっているのをただ見ていても「そんなたいして変わらぬではないか」とか思うのです。それから、自分がやっていることも、夢中になってやってはいるが、そんなに変わるモノだろうかと思ったりもするのです。飾りがほんの数センチ横に動いて何が変わるのだろうかと。
しかし、やっていると、そこには、確実に、何かがあり、その1つを終わる時には、何か納得しているのです。なので、自分がやったのも、人がやったのも、出来上がったのを見るとよく出来ているのであり、やっぱりそれで、よいのです。

ちょっとしたことなのですが、それで、よくなるのです。

これは大変不思議ですが、もしかしたら何事もそうであるのかもしれない。誰かがちゃんと気にかけているモノというのは、きっとよくなるのです。気にかけるということは、その時その瞬間をそのことに集中して対応するということではないかと思います。すると、その対象はよくなるのだと思います。

なんででしょうか。

気にかけて、最終的に、気に入るのです。その気の範囲の中に、入っているのです。
なのであるからして、よくしたい事柄に対して、気にかけると、いいんではないかと思いました。その気を更に細かく突っ込んで行くこと。するとそこには道具や技術が必要になってきたりするのであり、そしたらそれを手に入れればよい。どうしたって、それは、欲しくなるものであるので、頑張れると思われる。先に道具や技術だけあっても、この、気にかけることが抜けてしまっていると、もったいないことになるのかもしれない。

こんなことを思うことすら、きっと気のせいであるのだけれども。

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雑記書手紹介

松島
横浜生まれ横浜育ち
鉄割の制作担当。食べたり飲んだり旅行したりしている。
ふと目を離すと何か食べている。

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