
11年12月31日(土)
12月30日は、江古田のフライングティーポットに、佐々木匡士さんのライブに行って参りました。
お店もお客さんも佐々木さんも、おだやかな雰囲気で、とても楽しゅうございました。
11月19日に、山口県の湯田温泉のオルガンズメロディという場所に、倉地久美夫さんのライブを見に行った時に、佐々木匡士さんも出場されていまして、その存在を知ったのであります。
この日のライブで、倉地さんのゲストで、落合さとこさんが歌われたのですが、後になってわかったところ、落合さんは、鉄割に出ていた大屋さんの先輩とのことで、何かとよき繋がりの1日であったようです。
ここで、倉地久美夫さんの名前を出してしまったことは、大問題でありまして、倉地さんにつきましては、大変好んでおりまして、ご迷惑かもしれぬと思いつつ、あちこち追い回しておりますのですが、何を書いてみたところで、こねくり回しては消さざるを得ないことになる。という訳で、今もさんざんこねくり回して消したところであり、とりあえず次にいきます。
音楽のことはよくわからないのですけれども、私は、頭をどっかに飛ばしたいのです。なので、そういうのが好きです。そんで、出来ることならば、それは、不思議で、よくわからないけれど、なんだか悲しいような、おかしなこの世界に、生きていることを、適当に大事な楽しいことだと思えるような、そのように、私に感じさせるものだと素晴らしいのだと思います。
それは、人々の表面に張り付いた時間を浮き上がらせるようなことです。
変わってようと、普通だろうと、新しくても、古くても、上手くても、下手でも、怖かろうが、おかしかろうが、あんま関係ないのです。それが出来るか出来ないのかが、どこにかかっているのか、全くわからないのですけれど。完全に没入出来るか出来ないかの、私個人や周りの雰囲気も含めて、そう出来る場と出来ない場があるのであり、それはもう、個人差の領域なので、やってる人云々だけの話ではないのです。相性とでも言いましょうか。
音だけでも存分に遊びに行ける場合もおおいにあるのですが、そこに、言葉が乗った時、その言葉の選択や語感の領域に感じる何かが私にどう働くかということです多分。
言葉の観点からで言ってみても、倉地さんも佐々木さんも全く違うんですが、それを言うと、鉄割アルバトロスケット主宰の戌井さんの弾き語りも、また全く違うのだが、私を別次元へ遊びに行かせてくれる点での言葉の働きは同じようなことなのです。
勿論、それだけが要因で好む訳でもないのですが、私が弾き語りで一番楽しむのはそこかもしれない。
私の場合、ライブに遊びに行くというのは、そこからまた、個人的脳内旅行に出かけるのが目的であるので、それが達成されないと、私は不満に思います。酷い場合は、脳内何処にも行けないでその場で起こっていることを見て帰ってくることになる。これには、そこから旅立てなかった自分に腹が立ちますのです。
よって、あんまりにもそれが続くと、出かけなくなりますが、今年は本当に素晴らしい脳内旅行に救われ、なんとか日々を取り戻した訳でありまして、皆々様ありがとうございました。
この脳内旅行、欲を出したり、人付き合いに翻弄されてはいけないということが鍵であり、すると、社会性が失われて行くような気もしなくもないのですが、それ以前に人間性が保てなくなる方が大問題なので、このスタンスで行かせてもらいます。すみませんが。宜しくお願いします。
昨日、佐々木さん、牛肉のマスタードソース和えの作り方を朗読されておりましたのですが、それ、とてもよかったです。「湯で茹でる」んですよ。普通なんだけど。「湯で茹でる」んです。
そいで、買って来たCDの一曲目は「囚われの身のトラは、レタスを食べない。」んです。ここいらへんのことも、やっぱ、脳味噌の問題なんじゃないかと思います。
佐々木匡士さんは、萩でオニオン座というカレー屋さんを営んでおられます。11月のライブに行った翌日、萩に足を伸ばして寄ってきました。とてもよいところで美味しいカレーが食べられます。

萩旅行の際は是非。とても奇麗な海の前にポツンとあります。
鉄割アルバトロスケットにつきましては、今年も皆々様に大変お世話になりまして、ありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
お店もお客さんも佐々木さんも、おだやかな雰囲気で、とても楽しゅうございました。
11月19日に、山口県の湯田温泉のオルガンズメロディという場所に、倉地久美夫さんのライブを見に行った時に、佐々木匡士さんも出場されていまして、その存在を知ったのであります。
この日のライブで、倉地さんのゲストで、落合さとこさんが歌われたのですが、後になってわかったところ、落合さんは、鉄割に出ていた大屋さんの先輩とのことで、何かとよき繋がりの1日であったようです。
ここで、倉地久美夫さんの名前を出してしまったことは、大問題でありまして、倉地さんにつきましては、大変好んでおりまして、ご迷惑かもしれぬと思いつつ、あちこち追い回しておりますのですが、何を書いてみたところで、こねくり回しては消さざるを得ないことになる。という訳で、今もさんざんこねくり回して消したところであり、とりあえず次にいきます。
音楽のことはよくわからないのですけれども、私は、頭をどっかに飛ばしたいのです。なので、そういうのが好きです。そんで、出来ることならば、それは、不思議で、よくわからないけれど、なんだか悲しいような、おかしなこの世界に、生きていることを、適当に大事な楽しいことだと思えるような、そのように、私に感じさせるものだと素晴らしいのだと思います。
それは、人々の表面に張り付いた時間を浮き上がらせるようなことです。
変わってようと、普通だろうと、新しくても、古くても、上手くても、下手でも、怖かろうが、おかしかろうが、あんま関係ないのです。それが出来るか出来ないのかが、どこにかかっているのか、全くわからないのですけれど。完全に没入出来るか出来ないかの、私個人や周りの雰囲気も含めて、そう出来る場と出来ない場があるのであり、それはもう、個人差の領域なので、やってる人云々だけの話ではないのです。相性とでも言いましょうか。
音だけでも存分に遊びに行ける場合もおおいにあるのですが、そこに、言葉が乗った時、その言葉の選択や語感の領域に感じる何かが私にどう働くかということです多分。
言葉の観点からで言ってみても、倉地さんも佐々木さんも全く違うんですが、それを言うと、鉄割アルバトロスケット主宰の戌井さんの弾き語りも、また全く違うのだが、私を別次元へ遊びに行かせてくれる点での言葉の働きは同じようなことなのです。
勿論、それだけが要因で好む訳でもないのですが、私が弾き語りで一番楽しむのはそこかもしれない。
私の場合、ライブに遊びに行くというのは、そこからまた、個人的脳内旅行に出かけるのが目的であるので、それが達成されないと、私は不満に思います。酷い場合は、脳内何処にも行けないでその場で起こっていることを見て帰ってくることになる。これには、そこから旅立てなかった自分に腹が立ちますのです。
よって、あんまりにもそれが続くと、出かけなくなりますが、今年は本当に素晴らしい脳内旅行に救われ、なんとか日々を取り戻した訳でありまして、皆々様ありがとうございました。
この脳内旅行、欲を出したり、人付き合いに翻弄されてはいけないということが鍵であり、すると、社会性が失われて行くような気もしなくもないのですが、それ以前に人間性が保てなくなる方が大問題なので、このスタンスで行かせてもらいます。すみませんが。宜しくお願いします。
昨日、佐々木さん、牛肉のマスタードソース和えの作り方を朗読されておりましたのですが、それ、とてもよかったです。「湯で茹でる」んですよ。普通なんだけど。「湯で茹でる」んです。
そいで、買って来たCDの一曲目は「囚われの身のトラは、レタスを食べない。」んです。ここいらへんのことも、やっぱ、脳味噌の問題なんじゃないかと思います。
佐々木匡士さんは、萩でオニオン座というカレー屋さんを営んでおられます。11月のライブに行った翌日、萩に足を伸ばして寄ってきました。とてもよいところで美味しいカレーが食べられます。


萩旅行の際は是非。とても奇麗な海の前にポツンとあります。
鉄割アルバトロスケットにつきましては、今年も皆々様に大変お世話になりまして、ありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。