
05年10月25日(火)
車に乗ろうと思い車庫に行くと車が無くて、爺さんに車を捨てられてしまってました。バイクに乗ろうと、バイクに乗ったらタイヤがパンクしてまして、邪魔なところに置いておいたから、千枚通しで、タイヤをパンクさせられてました、それで喧嘩になって、パンク修理代貰いました。子供の頃、まだ野球の延長中継が無かったので、テレビの中継が終わてしまうと、一緒に車に乗って、延長のラジオを聞きました。小学生の頃僕が友達から預かってたタニシの子供を、ゴミだと思って捨ててしまった爺さん、僕が泣きながら「どうすの」と言ったら、「もっと強いタニシをつかまえれば良いんだ」と一緒に、田んぼに行って、真っ黒の立派なタニシを50匹くらいつかまえました。それはものすごく大きなタニシで、預かってたタニシを友達に返すとき、「ごめんなさい、かわりにタニシとってきました」と言って、ゲンコツくらいの大きさのタニシをバケツに詰め込んで渡したら、友達は絶句して何も言いませんでした。タニシを間違えて、流して捨ててしまったというショックよりも、そのタニシのでかさに、ショックを受けてました。
05年10月24日(月)
なんだか、良くわからない気分で、新宿から神保町まで歩こうと思い一人歩いてた。一時間くらいあるいて、九段下の靖国神社前で、携帯を見ると母から電話があって、かけてみると、爺ちゃんが亡くなったということ。で、三鷹の病院に行く、死んでる爺さんを見て、「から」だと思った。亡くなる前爺さんは自宅で「四時から水戸黄門始まる」と、それ観るまで、少し眠ってたと、思ったら亡くなってた。水戸黄門観れなかったのは、心残りでしょうが、死に顔が笑ってるみたいで、なんか僕は安心したのでありました。鉄割のDVD(鉄割電子映画)を観たことある方ならご存知でしょうが、庭に変な罠を仕掛けて、鳥を捕まえようとしたり、かんだ鼻紙を植木鉢の花に干して、再利用してまた花を噛むといった爺さんです。でも戦争に行ってるから、やたらめったら根性がある人でした。
05年10月23日(日)
朝集合、江の島へ向かいます。車で、天気の良い中、江ノ島は、オッパーラーで、鎌倉のパン屋さんパラダイスアレーのジュンペイ君主宰のイベントに参加。昼くらいについて、会場セッティングして、昼飯食って、海見たり、ジュンペイ君の作ってくれてたパン食ったりしながら(美味いのなんの)、のんびりしてました。それで、最近、ドジっ子倶楽部(どじ人間の集まり)に正式加入した、会員ナンバー兎ちゃんのFuZii君が、早速、浜辺で、ハンバーガーをトンビに持っていかれたそうです。んたらかんたらで時間が経ちまして、イベント開始、しかしながら凄い楽しかった。やってるこっちも楽しいのだけど、やってないときは客として楽しめて、本当、葉山、鎌倉方面最高だわ、空屋の面々とかもいらしゃって、飲んで飲んでまた飲んで、騒いで、喋って、また飲んでのアルコール炭鉱節。それでね、僕等の公演はさておき、キセルで泣きそうになったよ、なお君の唄で鳥肌たったよ、その後パードン木村さんとかデートコースペンタゴンの方のセッション大会で、ドラムが居ないからって、田山女史がドラムで参加して、スティック無いから、僕がけんちゃん曼陀羅の埃はたきとダンボール丸めて持たせて、叩いてまして、このセッション凄い格好良かったですわ。なんか、変てこの、70年代のヤケッパチサイケデリック音楽みたいでした。で、夜中へ東京へ戻る、喋りすぎて、声がガラガラの奥村氏と自分。こりゃ楽しかったわ、楽しみ疲れでした。