10年02月03日(水)
戌井さんの野菜に関する短文と多田玲子たんのイラストからなる小さい本です。出ましたね~昨年末に出ましたね~小さい本大好きだ。
この本だとか、「ただいまおかえりなさい」ヴィレッジブックス版については山のように色々思うところがあるのですけれどもそれはまたいつの日か書くことにしまして、とりあえずとりいそぎまして鳥鳥の鳥で八百八百日記の原画展が開催されていますのでお知らせいたします。インターネット日記やらブログによくある(皆様実によく陥っている!)告知地獄に陥らないようにとは思えど時は巡ってゆくものであります。よって鳥鳥の鳥でとりあえず取り急ぎましてお知らせ致します。是非足をお運び下さい。原画ってよいものです。ユトレヒトは良い本屋さんです。私も行きます。東京都。
「ちいさい八百八百展 -多田玲子「八百八百日記」原画展-」
2010年2月2日(火曜)~2月7日(日曜)
場所:表参道UTRECHT店内スペース
107- 0062 東京都港区南青山5-3-8 パレスミユキ2F
TEL 03-6427-4041
http://www.nowidea.info/
10年02月07日(日)
私は舞浜にある東京ディズニーランドの中にあるプーさんのハニーハントという乗り物が大好きです。初めて乗った時、雅楽子さんと雅楽子さんの妹君と乗りました。そしてそれはもう物凄く面白い乗り物で、皆でとても喜び、出口からウキャーとそのまま入り口へ向かって2回乗ったくらい面白かったのです。なんならもう一回乗っても良かったのですが、多分2回でおしまいにしたのではないかと記憶しています。3回乗ったような気もするのですが記憶は定かではありません。
私は本屋さんで立ち読みするという行為がなかなか上手く出来ません。漫画喫茶ですら漫画を読むという行為にたどり着くまでに大変な時間を要します。どちらに行ってもレンタルビデオ店に行った時のように、まずは店内の棚の前をなめるようにしてうろつき、背表紙を眺めるのです。そして気になるものは手にとって表紙と裏表紙をよく見ます。そして更にそれが本であれば見返しのところまでは見ることもありますが、本文にまではなかなか辿り着きません。そのようにふむふむとやっていると本屋や漫画喫茶やレンタルビデオ屋さんで何時間も時間が経ってしまうので、そこそこで切り上げることになります。すると立ち読みとか座り読みに至ることはほぼないということになります。漫画喫茶の場合は、その結果どうなるかというと、色々手にとって座る頃にはもう帰ったほうが良いような気がしてきて座って読み始めてみたところで読みきる気力はもうなくなってお腹も減ってくるので、ああやっぱりもう帰ろうと思って実際帰るので、漫画喫茶にはあまり行く気がしなくなりました。その点でいうとレンタルビデオ店についてはおあつらえ向きでありまして、店頭ではビデオを見ることがないので、そのまま借りて帰ってくるので上手く行きます。本屋さんでもよほど何かが心にぶっささった場合はそれを買ってきますので特に問題はありません。問題は漫画喫茶です。
それはさておきまして、随分以前にそのように本屋さんを徘徊していましたら、その当時の流行だったのか、くまプーについての関連本が沢山並んでいました。ハニーハントの一件があったので、プーについて興味を持っていたのですが、それらの関連本はなんだかあまり面白くなさそうでした。登場動物を精神分析してみたり、難しい哲学のようなことに結びつけたりするものをいくつか目にしたのです。それらを手にとってみて「そうか」と思って帰ってきました。そこで気付いたのですが、人生の読書量が極めて少ない私はくまプーの原作本を読んだことがありませんでした。そこで、あのような分析本があるほどに人々を魅了しているくまプーなのであるからどのような本があろうと仕方ないことだけれども、私はまずこれは原作本を読まねばお話にならないということに直面しました。
そうなってみたところで、そう簡単にくまプーの本を買って読もうとか思う訳でもなく日々暮らしていましたところ、ある日遊びに行った友人宅にあるではないですかくまプー原作が。しかもちゃんと2冊ある。そこで「私はこれを読みたい」といって借りてきまして数年が経ちました。その間、何度か「キミにくまプーを貸しているよね」と確認をされたりもしましたが「ああうん」なんて言いながらも振り返る事もなく今日に至ったのであります。今思うと反省しておりますけれども色々追い立てられて仕方なかったのです。
更に時間があっても本は読めない時も沢山あり、そして人から借りている本も沢山あり自分の本も沢山あり読むべき本だらけで全く悩ましく思っていたのですが、昨年末くらいからは本が読める時になってきまして色々ぼちぼちと読んでいますのですが、その中、ようやっとくまプーに辿り着きましたのです。ああ良かった!ちゃんと今読んで本当に良かった!
くまプーの本はとても面白くて大好きでありました。クリストファーロビンは本当の子供だったからあの森から居なくなってしまったようですが、大人になってもいくらだって行けるし居られるので大丈夫だと思います。ただし、もしかしたら、本当にちゃんとしている大人というものはあんな森には行かないのかもしれないとも思い不安になりました。私や私の周りに居る年齢的には大人の人々は大抵はあの森に片足は突っ込んでいるような人ばかりで、あそこから出てこないような人も居るくらいなのですけれども、社会的にちゃんとしている大人というのはそれでは勤まらないのかもしれません。これは恐ろしい発見です。つまりどういうことかというと、あの森のことを思い出しもしないくらいにならないと立派な社会人にはなれないのではないのかということです。恐ろしいことです。私はクリストファーロビンが森から去った時は絶望的な気分になりました。何故ならば、人間たちの暮らしというものだって、実際問題はあの森の中のようなことなのですから。私が目指す暮らしはあのようなことなのですから。やあこれは大変な問題を発見してしまったのではないのかと混乱しております。クリストファーロビンは行ってしまった!でもこのお話の人気の秘密もそこかもしれません。立派な大人で森のことを忘れていた人たちはそれを思い出してよい気分になるからあのお話が好きなのではないかと。
ときに、その、東京ディズニーランドで一緒にハニーハントに乗った雅楽子さんも今やお子さんも生まれまして、私はその子と遊びます時に、自分のことを「プーさんだよ」と言ってその子にたびたび迫るという行動をとっています。その子がプーさんを知っているのか知らないのかはわからないけれどその子は大変に賢い子なのでそのたびに「?」という顔をするのです。そしてあるときに、私と、中島弟君が隣同士に居たときに、同じように私は「プーさんだよ」と言ってみたのですが、その時になんとその賢い子は中島弟を指差して「プー!」と言ったのです。弟はその時はプーのように黙っていて後に「赤ちゃんから指を指されてプーといわれたらどう反応すればいいのですかね」と、誰かに質問していました。
しかし、今本を読み終えてから思うにですね、確かに私よりも弟のほうが数段上にプーなのでありましたのです。子供にはそれくらいのことは当たり前のことなのかもしれません。
そして、読み終わりましてからちょっとして気付いたのですが、例のハニーハントの中のお話は原作には出てこなかったような気がしまして、ていうか、これ、いつからディズニーキャラクターなの?原作の風合いとディズニーの風合いはだいぶ違うんじゃないかこれはと、不思議に思いまして検索してみました。プーさん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93
なるほど、森の外での出来事も色々書いてあり勉強になりましたがあんまそこんところは興味はなく、しかしあのハニーハントは強烈な乗り物であり、そこは悪くないと思い、また乗りに行きたいと思いました。
ウィキペディアでの収穫
又、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)の愛読書でもあった。ブライアンは晩年、A・A・ミルンの元邸宅に住み、1969年庭のプールで死去している。
さてこれで心置きなく本を返すことが出来ます。長年に渡り貸してくれて本当にどうもありがとう。ミルンさんの森の書き方本当に素敵で楽しかったです。
私は本屋さんで立ち読みするという行為がなかなか上手く出来ません。漫画喫茶ですら漫画を読むという行為にたどり着くまでに大変な時間を要します。どちらに行ってもレンタルビデオ店に行った時のように、まずは店内の棚の前をなめるようにしてうろつき、背表紙を眺めるのです。そして気になるものは手にとって表紙と裏表紙をよく見ます。そして更にそれが本であれば見返しのところまでは見ることもありますが、本文にまではなかなか辿り着きません。そのようにふむふむとやっていると本屋や漫画喫茶やレンタルビデオ屋さんで何時間も時間が経ってしまうので、そこそこで切り上げることになります。すると立ち読みとか座り読みに至ることはほぼないということになります。漫画喫茶の場合は、その結果どうなるかというと、色々手にとって座る頃にはもう帰ったほうが良いような気がしてきて座って読み始めてみたところで読みきる気力はもうなくなってお腹も減ってくるので、ああやっぱりもう帰ろうと思って実際帰るので、漫画喫茶にはあまり行く気がしなくなりました。その点でいうとレンタルビデオ店についてはおあつらえ向きでありまして、店頭ではビデオを見ることがないので、そのまま借りて帰ってくるので上手く行きます。本屋さんでもよほど何かが心にぶっささった場合はそれを買ってきますので特に問題はありません。問題は漫画喫茶です。
それはさておきまして、随分以前にそのように本屋さんを徘徊していましたら、その当時の流行だったのか、くまプーについての関連本が沢山並んでいました。ハニーハントの一件があったので、プーについて興味を持っていたのですが、それらの関連本はなんだかあまり面白くなさそうでした。登場動物を精神分析してみたり、難しい哲学のようなことに結びつけたりするものをいくつか目にしたのです。それらを手にとってみて「そうか」と思って帰ってきました。そこで気付いたのですが、人生の読書量が極めて少ない私はくまプーの原作本を読んだことがありませんでした。そこで、あのような分析本があるほどに人々を魅了しているくまプーなのであるからどのような本があろうと仕方ないことだけれども、私はまずこれは原作本を読まねばお話にならないということに直面しました。
そうなってみたところで、そう簡単にくまプーの本を買って読もうとか思う訳でもなく日々暮らしていましたところ、ある日遊びに行った友人宅にあるではないですかくまプー原作が。しかもちゃんと2冊ある。そこで「私はこれを読みたい」といって借りてきまして数年が経ちました。その間、何度か「キミにくまプーを貸しているよね」と確認をされたりもしましたが「ああうん」なんて言いながらも振り返る事もなく今日に至ったのであります。今思うと反省しておりますけれども色々追い立てられて仕方なかったのです。
更に時間があっても本は読めない時も沢山あり、そして人から借りている本も沢山あり自分の本も沢山あり読むべき本だらけで全く悩ましく思っていたのですが、昨年末くらいからは本が読める時になってきまして色々ぼちぼちと読んでいますのですが、その中、ようやっとくまプーに辿り着きましたのです。ああ良かった!ちゃんと今読んで本当に良かった!
くまプーの本はとても面白くて大好きでありました。クリストファーロビンは本当の子供だったからあの森から居なくなってしまったようですが、大人になってもいくらだって行けるし居られるので大丈夫だと思います。ただし、もしかしたら、本当にちゃんとしている大人というものはあんな森には行かないのかもしれないとも思い不安になりました。私や私の周りに居る年齢的には大人の人々は大抵はあの森に片足は突っ込んでいるような人ばかりで、あそこから出てこないような人も居るくらいなのですけれども、社会的にちゃんとしている大人というのはそれでは勤まらないのかもしれません。これは恐ろしい発見です。つまりどういうことかというと、あの森のことを思い出しもしないくらいにならないと立派な社会人にはなれないのではないのかということです。恐ろしいことです。私はクリストファーロビンが森から去った時は絶望的な気分になりました。何故ならば、人間たちの暮らしというものだって、実際問題はあの森の中のようなことなのですから。私が目指す暮らしはあのようなことなのですから。やあこれは大変な問題を発見してしまったのではないのかと混乱しております。クリストファーロビンは行ってしまった!でもこのお話の人気の秘密もそこかもしれません。立派な大人で森のことを忘れていた人たちはそれを思い出してよい気分になるからあのお話が好きなのではないかと。
ときに、その、東京ディズニーランドで一緒にハニーハントに乗った雅楽子さんも今やお子さんも生まれまして、私はその子と遊びます時に、自分のことを「プーさんだよ」と言ってその子にたびたび迫るという行動をとっています。その子がプーさんを知っているのか知らないのかはわからないけれどその子は大変に賢い子なのでそのたびに「?」という顔をするのです。そしてあるときに、私と、中島弟君が隣同士に居たときに、同じように私は「プーさんだよ」と言ってみたのですが、その時になんとその賢い子は中島弟を指差して「プー!」と言ったのです。弟はその時はプーのように黙っていて後に「赤ちゃんから指を指されてプーといわれたらどう反応すればいいのですかね」と、誰かに質問していました。
しかし、今本を読み終えてから思うにですね、確かに私よりも弟のほうが数段上にプーなのでありましたのです。子供にはそれくらいのことは当たり前のことなのかもしれません。
そして、読み終わりましてからちょっとして気付いたのですが、例のハニーハントの中のお話は原作には出てこなかったような気がしまして、ていうか、これ、いつからディズニーキャラクターなの?原作の風合いとディズニーの風合いはだいぶ違うんじゃないかこれはと、不思議に思いまして検索してみました。プーさん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93
なるほど、森の外での出来事も色々書いてあり勉強になりましたがあんまそこんところは興味はなく、しかしあのハニーハントは強烈な乗り物であり、そこは悪くないと思い、また乗りに行きたいと思いました。
ウィキペディアでの収穫
又、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)の愛読書でもあった。ブライアンは晩年、A・A・ミルンの元邸宅に住み、1969年庭のプールで死去している。
さてこれで心置きなく本を返すことが出来ます。長年に渡り貸してくれて本当にどうもありがとう。ミルンさんの森の書き方本当に素敵で楽しかったです。
10年02月24日(水)
武田百合子さんの富士日記(上)を読み終わりました。読み終わったのです!もう今は「うに」が食べたくて仕方がないです。それは、グルメな気配の漂う「うに」ではなく、もっと日常的な「うに」です。本当はこの「」とかも付けたくないです。ただ
うに
なのです。しかし私のだらだらした文章の中では読みにくくなるので「」を付けます。そしてその「うに」はどのようなものかというと、私の調査と想像によると、きっと瓶に入った赤いやつなのです。
富士日記は武田さんの富士の家での日々の記録が書いてありとても面白いです。その暮らしは「くまプー」に通じるものがあります。場所のことなどもよく書いてあるので、地図を見てだいたいのめぼしを付けたりしまして楽しいです。中でも毎日の食事内容が書いてあるのが凄くよいです。家族の皆が必ずや同じモノを食べる訳でもないし、朝昼晩必ずやきちんと食べない日もあります。それが本当なので当然です。たまに御馳走を食べましてとても良いです。色々思っていたことが落ち着く場所も見つけました。よかったです。そしてこの富士日記の(上)の、特に中盤、気付けば武田さんたちは毎日「うに」を食べているのです。山の暮らしの中での毎日の「うに」です。これは間違いなく生うにではないのです。私の偏見から「うに」の高級さを奪い、その日々の記録の中にしょっちゅう出てくる「うに」という文字は大変に安らぐものに感じました。実際食べたってそんなにとても美味しいかどうかは定かではないのですが、近々どうにかその身近な日々の「うに」を食べようと考えています。同じく「大根おろし」にも惹かれ(元々大根おろしは大好きなのだけど、家でやると憎たらしいくらいに辛くて悲しい気持ちになることが多い⇒インターネットであまり辛くない大根おろしの作り方を調査した結果:皮を厚くむいて上のほうをすればよいとわかった)「海苔」も素晴らしいです。そして武田さんは漬けた肉や魚を食べたりバター炒めもします。それと途中一回餃子を作って、それからはしばらく餃子が出てきます。その餃子を25個も食べた人がいました。バターとグリンピースの炊き込みご飯は何回か出てきてからはあまり食べていませんでしたが美味しそうなのでやってみたいです。もうすぐ春なのでちょうどいいです(グリンピースは鹿児島産が多い気がしてます)。その日の買い物の中身を見ると「あ、また餃子やるな」とか「最近やたら手羽食ってるな」とか思います。余計なお世話ですけど、毎日ご飯を作る人間にはそのようなことが起こるものなのです。一時お好み焼きや焼きそばをよく食べる時期があったのですが、それらに武田さんは桜海老を入れています。私も最近はお好み焼きには桜海老を入れるようにしていて、それは旨いと思います。それはさておき、ある日武田さんちの桜海老がカビていたそうで、武田さんはそれに熱湯をかけてまた干しました。そしてそれを食べました。私はカビが生えた桜海老をそのように復活させることが出来るとは知りませんでしたのでとても勉強になりました。また、武田さんの山の暮らしに関わる人々の話も大変面白く、モグラのたたき方とか実益はなさそうだけど勉強になりました。昔うちの庭にモグラがいまして、猫が捕まえたことがあるのですが、庭に変な動物の遺体が横たわっていて妙な気分にさせられあまり猫をほめませんでした。しかしその時の猫は凄かったのだなと今になって感心しています。なぜなら話によるとモグラは凄い速さで地中を進んでいるとのことだったからです。面白いねモグラ。
気に入っている「うに」の出てくるメニューを1つ抜粋
昭和41年5月4日(水)晴
朝 ごはん、牛肉大和煮、のり、卵、うに。湯豆腐の残りにケチャップを入れる(泰淳発案百合子反対、私は食べない)。
食べ物のこと以外も素敵満載な本なのですが、なんだか収集が付いてないことに気付いたので今日はこれでおしまいにします。
追記
この下 ↓ にアマゾンのリンクで冷凍生うにとか出るみたいだけどこういうのじゃないよ!!このリンクはコントロール不能なのかな。
追々記
書くか書かないか迷ったのですが、自慢なので書かせてもらいますと、今までの人生で1度だけ「武田百合子みたいだね」といわれたことがあり、武田百合子ファンの皆様には申し訳ないですが、そういわれたということは事実でして、自分としては当時は心当る節はない上に、武田さんはとても素敵な方なので、まあお世辞だろうと思ったり、もし本気だったらと考えて恐縮したりしていたのですが、この本の最後の方で武田さんが釜あげうどんを熱心に食べた際に旦那様が「バケネコのように食べていた」と形容されるのですが、それで納得しました。この点大変心当たりがあります。そのことを指摘したのではないとしても、お互いその感じが何かしらかに滲み出ているのかもしれません。バケネコにより大変に親近感を持ちました。
うに
なのです。しかし私のだらだらした文章の中では読みにくくなるので「」を付けます。そしてその「うに」はどのようなものかというと、私の調査と想像によると、きっと瓶に入った赤いやつなのです。
富士日記は武田さんの富士の家での日々の記録が書いてありとても面白いです。その暮らしは「くまプー」に通じるものがあります。場所のことなどもよく書いてあるので、地図を見てだいたいのめぼしを付けたりしまして楽しいです。中でも毎日の食事内容が書いてあるのが凄くよいです。家族の皆が必ずや同じモノを食べる訳でもないし、朝昼晩必ずやきちんと食べない日もあります。それが本当なので当然です。たまに御馳走を食べましてとても良いです。色々思っていたことが落ち着く場所も見つけました。よかったです。そしてこの富士日記の(上)の、特に中盤、気付けば武田さんたちは毎日「うに」を食べているのです。山の暮らしの中での毎日の「うに」です。これは間違いなく生うにではないのです。私の偏見から「うに」の高級さを奪い、その日々の記録の中にしょっちゅう出てくる「うに」という文字は大変に安らぐものに感じました。実際食べたってそんなにとても美味しいかどうかは定かではないのですが、近々どうにかその身近な日々の「うに」を食べようと考えています。同じく「大根おろし」にも惹かれ(元々大根おろしは大好きなのだけど、家でやると憎たらしいくらいに辛くて悲しい気持ちになることが多い⇒インターネットであまり辛くない大根おろしの作り方を調査した結果:皮を厚くむいて上のほうをすればよいとわかった)「海苔」も素晴らしいです。そして武田さんは漬けた肉や魚を食べたりバター炒めもします。それと途中一回餃子を作って、それからはしばらく餃子が出てきます。その餃子を25個も食べた人がいました。バターとグリンピースの炊き込みご飯は何回か出てきてからはあまり食べていませんでしたが美味しそうなのでやってみたいです。もうすぐ春なのでちょうどいいです(グリンピースは鹿児島産が多い気がしてます)。その日の買い物の中身を見ると「あ、また餃子やるな」とか「最近やたら手羽食ってるな」とか思います。余計なお世話ですけど、毎日ご飯を作る人間にはそのようなことが起こるものなのです。一時お好み焼きや焼きそばをよく食べる時期があったのですが、それらに武田さんは桜海老を入れています。私も最近はお好み焼きには桜海老を入れるようにしていて、それは旨いと思います。それはさておき、ある日武田さんちの桜海老がカビていたそうで、武田さんはそれに熱湯をかけてまた干しました。そしてそれを食べました。私はカビが生えた桜海老をそのように復活させることが出来るとは知りませんでしたのでとても勉強になりました。また、武田さんの山の暮らしに関わる人々の話も大変面白く、モグラのたたき方とか実益はなさそうだけど勉強になりました。昔うちの庭にモグラがいまして、猫が捕まえたことがあるのですが、庭に変な動物の遺体が横たわっていて妙な気分にさせられあまり猫をほめませんでした。しかしその時の猫は凄かったのだなと今になって感心しています。なぜなら話によるとモグラは凄い速さで地中を進んでいるとのことだったからです。面白いねモグラ。
気に入っている「うに」の出てくるメニューを1つ抜粋
昭和41年5月4日(水)晴
朝 ごはん、牛肉大和煮、のり、卵、うに。湯豆腐の残りにケチャップを入れる(泰淳発案百合子反対、私は食べない)。
食べ物のこと以外も素敵満載な本なのですが、なんだか収集が付いてないことに気付いたので今日はこれでおしまいにします。
追記
この下 ↓ にアマゾンのリンクで冷凍生うにとか出るみたいだけどこういうのじゃないよ!!このリンクはコントロール不能なのかな。
追々記
書くか書かないか迷ったのですが、自慢なので書かせてもらいますと、今までの人生で1度だけ「武田百合子みたいだね」といわれたことがあり、武田百合子ファンの皆様には申し訳ないですが、そういわれたということは事実でして、自分としては当時は心当る節はない上に、武田さんはとても素敵な方なので、まあお世辞だろうと思ったり、もし本気だったらと考えて恐縮したりしていたのですが、この本の最後の方で武田さんが釜あげうどんを熱心に食べた際に旦那様が「バケネコのように食べていた」と形容されるのですが、それで納得しました。この点大変心当たりがあります。そのことを指摘したのではないとしても、お互いその感じが何かしらかに滲み出ているのかもしれません。バケネコにより大変に親近感を持ちました。