11年12月05日(月)
皆様もうご存知かとは思われますが、鉄割アルバトロスケットより中島朋人が出演しております、富田克也監督作品「サウダーヂ」。そして、もう見た方はこの気持ちおわかりかとは思いますが、なんと言えばいいのかいまだによくまとまりません。とにかく、まだ見てない方は、劇場で見て頂きたくパソコンに向かっております。私はもう1度見に行こうかと思っております。そんな深夜でございます。

ロカルノ映画祭ノミネートに引き続き、先日「ナント三大陸映画祭」のグランプリを受賞したとの朗報がありました。その評価に値する名作であります。それより何より、あのような映画を撮影し完成させ皆が喜んでみていることが何より嬉しい手応えがあったのではなかろうかと推測しております。

一応はこのような立場にありながら、私自身の興味不足と勉強不足もあり、最近の日本映画には、なるべく出来る限り近づかないように暮らしておりました最中、中島兄が出るというし、トークイベントなんかもあり、富田監督とも水戸で偶然遭遇したりと、何かと重なりまして足を運びました。実際のところ「見るのはいいがつまんなかったらどうしよう」というただその一心で見に行ったのでございますが、始まったら終わっていた。完璧に心をつかまれてしまったのでございます。終わってもその世界は体感したものとして私の中に残っているのであります。
この時代を生きている日本人映画監督がこんな風にこんな映画を撮って、なんなのこれ!もの凄いことだ!と、誇らしいような、心強いような気持ちになりました。

中島兄は、確かにしっかり出ていて、相変わらずぶっ飛んではいるのですが、全く浮いておらず、いいところにきちんと収まっており、それゆえ、それに気を取られず、映画全体としてドサーっと浴びることが出来たような具合であり、誰が出てるからとか、何がどうだからというのではない、映画としての、そのものの素晴らしさを感じられましたのです。

ネタバレとか、解説とか、ないと思います。ストーリーは一応あるけど、それ言ったところで、だから何でしょうかという映画です。これこそ映画にしか出来ないことでまさに【映画】ということです。

全てにおいて、ギリギリのいいバランスであり、下手したら、ほんっとーに気持ち悪いことになりそうなところ、見事に現実味と折り合いが付いていて、そこんところの力加減の妙にも深く感じ入っております。
見た方にはわかると思うのですが、理屈抜きです。映画に入って行くような、映画が入ってくるような、映画内と行き来できるような、そんなことがこの映画にはあるのです。

ユーロスペースでの上映は終わったようですが、まだまだ都内近郊、はたまた日本の各地で上映されております。HPにて上映の劇場をお調べの上、是非どうぞご覧下さい。鉄割アルバトロスケットをお好きな方ならば、なおさら楽しめるかと思います。

http://www.saudade-movie.com/

富田監督はじめ、関係者の皆様、受賞おめでとうございます。今後のご活躍を楽しみにしております。
11年12月29日(木)
今年もこうして歳が暮れてゆきます。外では風が吹いております。お寒うございます。松島です。食べることや食べ物に関心があります。

食べることに関心があると、まずはグルメや食通だと思われます。それから、食いしん坊だとか大食いだとか思われたりもします。更には、情報通だと思われたり、美しき心の持ち主なんかだと「食べ物に感謝している」だとか言って下さったりもします。そして、何故か料理上手だと思われたりもする。

これには色々な人間付合いの仕組みも密接に絡み付いております。

なので、どれもそう言われたら否定はしないような事柄ではありますので、そこに固執するのはやめることにしましたが、実感として「そう!!そうなのよ〜っ!!!」というのはないのです。じゃあ、ナンなんだということです。

これは、複雑怪奇なことで、説明するのは大変なことです。
なので、簡単に言いますと「よほどのことがない限り、皆様、何か食べたことがあると思うのです」ということです。更には「よほどのことがない限り、皆様、毎日何か食べていると思うのです」ということなんです!そして「よほどのことがない限り、皆様、これからも何か食べたいのだと思います」ということなんです!!

全く興味がなくっても、食べるのです。あまり意識せずに行っている人もいるかと思われるこの行為ではございますが、私はまずそこ、人々が日々何かを食べることについて関心があります。
それはただ、食べることや、食べたこと、食べ物に対して、もしかしたら人よりも多く反応してるだけのことかもしれません。そのことに、積極的に手を伸ばすというよりも、自分が置かれている状況に反応して抜き取って溜め込んでいるという感じです。

食べるということは、色々な側面があります。

食べるということを考えると、生き物が生き物を食べるということにぶち当たります。
実は大変なことなのです。
そんなことを、皆様毎日しているのです。
人間だけでなく、他の生き物もそうなのだから。
凄いねほんと。
ということなのです。

今ここはこうだけど、そうじゃない時代や場所もあるのです。皆それぞれの時代や環境や風土に晒され、食べて来たし食べてゆくのです。
なのであるからして、食べるということに、宇宙や生命の神秘と人類滅亡の危機をかいま見ているとでも申しましょうか、言い過ぎでしょうか。でも、そんなようなことです。

誰もがやることなのに、たいして気にされてないというか、変な気にされ方をしているというか。様々なことがそこに凝縮されているのです。

人間というのは、他の生き物に食べ物を与えて、食べたら喜ぶという習性があります。そして、それを積み重ねて交流したりします。人間同士でもそのようなことをしています。また、皆々様、食べることについて何かしら特徴があったりもします。そしてその特徴に関して様々な態度に出ています。そんなことも面白いと思っています。

食べることへの関心、食べ物への関心、どちらもありますが、どっちにしろそのようなことへと辿り着きます。

生牡蠣において、種による味の差や、同じ種であっても個体差があったりすることに喜んだりします。
パンだって米だって作り手によって味が変わります。
なんなんでしょうね世界。というのを食い物で見ているということでしょうか。

食べるってのは、出会って一緒になるのです。
そんなことが日々あちこちで行われている。
凄いなぁと思います。途方に暮れちゃうよ。

クッキーが3枚あるとする。3人で1枚ずつ食べるとする、すると、それらのクッキーはそれまでひとつの箱に入っていたとしても、それから全く別の道を辿ることになる。
クッキーの材料の小麦にしても、同じ穂に実ったとしても、うどんになるモノもあるだろうし、クッキーになるモノもあるのであります。はたまたそのまま鳥に食べられてゆくモノもあるのでしょうし、何処かでこぼれ落ちて運良く発芽して繁栄するモノもあるかもしれない。
こないだ食べたクッキーの材料の小麦は何処で誰がどんな風に育てたモノなのだろうか。その人達もまた何かを食べているのですから。
膨大なことなんですよ。

地震の後、コンビニから食べ物が一瞬にして消えた時、本当におそろしいと思いました。都心には、どっかから運んでこないと食えるものがないではないか!!人があんなに沢山いるというのに!!なんとおそろしい!!人が沢山いるということは、沢山食べるモノが要るということじゃないか!なんて、慌てて都心にある食べられそうなモノを考えてみたりするのです。

人が沢山いると、おにぎり換算したりします。200人も人が集っている!一食おにぎり1つだとしても、朝昼晩で1人3つとして、最低でも1日600個のおにぎりになる!!それはどんだけだ!!して、都心だと、その中に米を作っている人が居るのか?ということです。ほんと心細いです。でも、皆、飢えずに生きているということは、日々何か食べているのです。何処から来た何を食べているのでしょうか。ねぇ。凄いねぇ。こわくて楽しいねぇ。

食べ物を栽培したり、育てたり、見つけてとってきたり、食べれるように加工したり、保管したり、運んだり、選んだり、売ったり買ったり、料理したり、そこここに人間が関わっていて、そこここに意思があったりなかったりするのです。この状態、こわくて楽しいのです。

誰が書いたのかわかりませぬが、雑記書手紹介は、いい線いっているなぁと本日気付きました。

というわけで、なんとなく頭の片隅に「いのちの食べかた」という映画が浮かんでおります。邦題はこうですが、原題はOUR DAILY BREADといいまして、途方もない映画です。台詞はないです。この映画の中のいくつかの食事シーン、相当好きです。
YOUTUBEで原題の方で検索すると、映像出てきますので、お時間ございましたらご覧下さい。怖くて面白いです。
11年12月30日(金)
先日、某デパートに行きました。お買い物ではなくアルバイトに行きました。お友達から電話がかかってきて、私にも出来るというので、銭っこ欲しさに、のこのこと出かけて行きました。

私は催事場を少し片付けた後、お正月の飾りを付けるかかりになり、閉店したデパート各階の天井にお正月の飾りを付けたのでありました。どっちにしろ、鉄割の仕込が思わぬところで役に立ったように感じました。
飾りに仕込をし、脚立にのぼり、飾りを天井からぶら下げて、なんとなく奇麗にするのです。まずは、ただぶら下げて、全体を見ます。曲がってないか直したり、飾りのバランスを整えたりします。そのバランスを取ることについて、どんなことが働いているのかは定かではないのですが、バランスを整えると、ただぶら下げた時よりも、よくなるのであります。ふむ。同行のお友達も同じようにしています。ふむ。

自分でやる時には「ここはもう少し、こうしたらいいな、あれ、こうだから、こっちはこうだな」とか色々思ってやっているのですが、人がそれをやっているのをただ見ていても「そんなたいして変わらぬではないか」とか思うのです。それから、自分がやっていることも、夢中になってやってはいるが、そんなに変わるモノだろうかと思ったりもするのです。飾りがほんの数センチ横に動いて何が変わるのだろうかと。
しかし、やっていると、そこには、確実に、何かがあり、その1つを終わる時には、何か納得しているのです。なので、自分がやったのも、人がやったのも、出来上がったのを見るとよく出来ているのであり、やっぱりそれで、よいのです。

ちょっとしたことなのですが、それで、よくなるのです。

これは大変不思議ですが、もしかしたら何事もそうであるのかもしれない。誰かがちゃんと気にかけているモノというのは、きっとよくなるのです。気にかけるということは、その時その瞬間をそのことに集中して対応するということではないかと思います。すると、その対象はよくなるのだと思います。

なんででしょうか。

気にかけて、最終的に、気に入るのです。その気の範囲の中に、入っているのです。
なのであるからして、よくしたい事柄に対して、気にかけると、いいんではないかと思いました。その気を更に細かく突っ込んで行くこと。するとそこには道具や技術が必要になってきたりするのであり、そしたらそれを手に入れればよい。どうしたって、それは、欲しくなるものであるので、頑張れると思われる。先に道具や技術だけあっても、この、気にかけることが抜けてしまっていると、もったいないことになるのかもしれない。

こんなことを思うことすら、きっと気のせいであるのだけれども。
11年12月31日(土)
12月30日は、江古田のフライングティーポットに、佐々木匡士さんのライブに行って参りました。
お店もお客さんも佐々木さんも、おだやかな雰囲気で、とても楽しゅうございました。

11月19日に、山口県の湯田温泉のオルガンズメロディという場所に、倉地久美夫さんのライブを見に行った時に、佐々木匡士さんも出場されていまして、その存在を知ったのであります。
この日のライブで、倉地さんのゲストで、落合さとこさんが歌われたのですが、後になってわかったところ、落合さんは、鉄割に出ていた大屋さんの先輩とのことで、何かとよき繋がりの1日であったようです。

ここで、倉地久美夫さんの名前を出してしまったことは、大問題でありまして、倉地さんにつきましては、大変好んでおりまして、ご迷惑かもしれぬと思いつつ、あちこち追い回しておりますのですが、何を書いてみたところで、こねくり回しては消さざるを得ないことになる。という訳で、今もさんざんこねくり回して消したところであり、とりあえず次にいきます。

音楽のことはよくわからないのですけれども、私は、頭をどっかに飛ばしたいのです。なので、そういうのが好きです。そんで、出来ることならば、それは、不思議で、よくわからないけれど、なんだか悲しいような、おかしなこの世界に、生きていることを、適当に大事な楽しいことだと思えるような、そのように、私に感じさせるものだと素晴らしいのだと思います。

それは、人々の表面に張り付いた時間を浮き上がらせるようなことです。

変わってようと、普通だろうと、新しくても、古くても、上手くても、下手でも、怖かろうが、おかしかろうが、あんま関係ないのです。それが出来るか出来ないのかが、どこにかかっているのか、全くわからないのですけれど。完全に没入出来るか出来ないかの、私個人や周りの雰囲気も含めて、そう出来る場と出来ない場があるのであり、それはもう、個人差の領域なので、やってる人云々だけの話ではないのです。相性とでも言いましょうか。

音だけでも存分に遊びに行ける場合もおおいにあるのですが、そこに、言葉が乗った時、その言葉の選択や語感の領域に感じる何かが私にどう働くかということです多分。
言葉の観点からで言ってみても、倉地さんも佐々木さんも全く違うんですが、それを言うと、鉄割アルバトロスケット主宰の戌井さんの弾き語りも、また全く違うのだが、私を別次元へ遊びに行かせてくれる点での言葉の働きは同じようなことなのです。
勿論、それだけが要因で好む訳でもないのですが、私が弾き語りで一番楽しむのはそこかもしれない。

私の場合、ライブに遊びに行くというのは、そこからまた、個人的脳内旅行に出かけるのが目的であるので、それが達成されないと、私は不満に思います。酷い場合は、脳内何処にも行けないでその場で起こっていることを見て帰ってくることになる。これには、そこから旅立てなかった自分に腹が立ちますのです。
よって、あんまりにもそれが続くと、出かけなくなりますが、今年は本当に素晴らしい脳内旅行に救われ、なんとか日々を取り戻した訳でありまして、皆々様ありがとうございました。
この脳内旅行、欲を出したり、人付き合いに翻弄されてはいけないということが鍵であり、すると、社会性が失われて行くような気もしなくもないのですが、それ以前に人間性が保てなくなる方が大問題なので、このスタンスで行かせてもらいます。すみませんが。宜しくお願いします。

昨日、佐々木さん、牛肉のマスタードソース和えの作り方を朗読されておりましたのですが、それ、とてもよかったです。「湯で茹でる」んですよ。普通なんだけど。「湯で茹でる」んです。
そいで、買って来たCDの一曲目は「囚われの身のトラは、レタスを食べない。」んです。ここいらへんのことも、やっぱ、脳味噌の問題なんじゃないかと思います。

佐々木匡士さんは、萩でオニオン座というカレー屋さんを営んでおられます。11月のライブに行った翌日、萩に足を伸ばして寄ってきました。とてもよいところで美味しいカレーが食べられます。

萩旅行の際は是非。とても奇麗な海の前にポツンとあります。


鉄割アルバトロスケットにつきましては、今年も皆々様に大変お世話になりまして、ありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。

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雑記書手紹介

松島
横浜生まれ横浜育ち
鉄割の制作担当。食べたり飲んだり旅行したりしている。
ふと目を離すと何か食べている。

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