02年06月01日(土)
サッカーチームを結成しました。
チーム名は、「烏山クラック」
メンバーは、監督が桜庭君、フォワードがぼく、キーパーが戌井君です。
他のポジションも募集していますので、よろしくお願いします。
初戦の相手は「昭島ユーサク」です。負けられぬ。
02年06月02日(日)
天気が良かったので、買ったばかりの洋服で身を固めて、善福寺公園まで散歩に行く。
たまには音楽を聞きながら散歩をしようと思い、懐かしのオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークや、シリコン・ティーンズ他CD数枚とCDウォークマンを持っていく。
音楽と決別してはや六年、そろそろ仲直りをしたいものですが、お互いなかなか強情なのです。

買ったばかりの靴のおかげで、靴擦れまくり。
帰り道はゆっくりゆっくり。
02年06月03日(月)
タトゥーを入れた。

本生
02年06月04日(火)
今日で約二週間Palmを開いていないことに気付く。
02年06月05日(水)
トゥーム・レイダー」と「ロード・トゥ・ヘブン」という、二本のおっぱい映画を観る。

ロード・トゥ・ヘブンは、ジャニス・ウッズ・ウィンドルの「True Women」が原作の、アラモの戦い以降の約50年のアメリカ南部を描いた歴史映画(正確に言えば、連続テレビドラマ)です。
この映画が、あまたある他のアメリカンヒストリカルムービーと異なるのは、主人公が全員女性という点で、物語の中でユフェミアが「ヒューストン将軍のことは誰もが知っているのに、2000人の女性を救ったサラ叔母さんのことは誰も知らない。私たちの知っている歴史は男が書いたものよ。私はいつか、サラ叔母さんのことを歴史に書くわ」と言っていた台詞そのままに、すべてが女性を中心に描かれています。
作品自体は、日本で言えば大河ドラマか連続テレビ小説のようなものなので、その時代が好きな人や、少し強引にジェンダー的な見方をする人や、出演している俳優のファンでなければ全然面白くないと思います。

この原作の「True Women」を書いたジャニス・ウッド・ウィンドルについて、ぼくは名前すらも知らなかったのでWebで調べてみたところ、下のサイトを見つけました。

About Janice Woods Windle

ジャニス・ウッド・ウィンドルは、テキサスに生まれ、サン・アントニオとゴンザレスのちょうど中間にある、セギーンという歴史的に由緒のある町で育ちました。
オースティンにあるテキサス大学に入学し、そこで現在の夫ウエィン・ウィンドルと出会い結婚、テキサス州の西境、エルパスに移り住みます。
そこで三人の子供を育てる傍ら、リンドン・ベインズ・ジョンソンの再選キャンペーンに協力したり、地域の二百年祭を取り仕切ったり、はたまたエルパソ・コミュニティー財団創立以来の会長を努め、財団の成長に大きく貢献したりと、大活躍をします。
1985年に彼女の長男が婚約すると、ジャニスは彼女の家系に伝わるレシピを長男夫妻にプレゼントするために、セギーンに住む母親のもとに通いつめて、彼女の親類や友達にインタビューを開始します。
レシピには、そのレシピに関係する女性の人生を、数行付け加える予定でした。

家系に関するリサーチは、当初の思惑を超えて10年に渡り、そのリサーチをもとに小説化したものがこの「True Women」です。

原作は、アラモの戦い以降、第二次世界大戦前までを描いていますが、映画ではそこまでは描かれていません。
19世紀後半、ユフェミアとジョージアが女性の参政権を求めて議会で演説をし、その後ジョージアが亡くなるまでが舞台となっています。
(実際にアメリカで女性が参政権を得るのは1920年代ですから、ジャニスの先祖はその礎を気付いたことになります。)

「True Women」を書き終えたジャニスは、以下のようの言っています。
(参考)
(家系の女性の歴史を)リサーチし、True Womenを書くのに何年も費やした後に、私はテキサスを築き上げるのに貢献した女性達を讚えるための記念碑がまったく存在しないことを知り、がっかりした。
アラモは、戦い、そして死んでいった男達の勇気を讚えるために、テキサス共和国の娘達によって復旧され、保護されている。
サンジャシント記念碑は、私たちが自由を勝ち取った場所に誇らしげに建っている。
けれども、逃亡中の苦境の中でで自分たちの家族を守った女性達の強さと勇気を称賛するものは、聖堂も、銅像も、神聖な場所も、まったく何もない。
テキサス共和国にいた英雄的女性達を褒め称える遺跡も、痕跡も、まったく存在しない。
そう、もちろん何年も残存してきた彼女達の家を除いては。
映画にしても小説にしても、物語にとってのジェンダー的視点やポストコロニアル的視点というものは、ある立場からすれば今でも必要な視点だと思うし、それを否定をするつもりは全然ないのですが、ここに来て今まで通りの画一的な語り口を用いてそれを語っても白けるだけだと思うのです。
伝えるべき問題も伝わらないし、語るべき物語も語り尽くせなくなってしまいます。
語りの手法、視点をもっと新しいものに変えたら、全然おもしろくなるとは思うのですけどね。
おちんちんの長い奥村君が、朝起きたら黒人になっていて、しかも巨乳になっていて満足した、とか。
そこら辺はスティーブ・エリクソンとかの出番なのかな。よく分からないけど。

それから、著者自身による家系の物語という形式も、一歩間違えれば単なる自慢に過ぎない退屈な物語に、っていうか寒くなってしまうと思うのですが、この「True Woman」は映画で観る限りそこら辺が微妙でした。
その点、同じ「Family Story」である、チンコ・マンコではなくてクンタ・キンテでおなじみ、アレックス・ヘイリーの「ルーツ」は、小説も映像もどちらもおもしろかったなあ。
この種の形式での著者自身の家系物語は、「ルーツ」で終わるべきだったのではないのかなとか、思ってしまいます。

それにしてもアンジェリーナ・ジョリー
ぼくはこの人がとても好きなのですが、どうしてもマカロニほうれん草のきんどーさんに見えて仕方がありません。
どれだけ一生懸命にシリアスな演技をしていても、おかしさが漂っていて、ついつい微笑んでしまいます。

コメディをやればいいのに。
02年06月06日(木)
おそるべき君等の乳房夏来る
      西東三鬼(1900—62)

おそるべき奥村ちんちんとぐろ巻く
      赤坂烏城(1902—98)
02年06月07日(金)
今年の初めに、藤本和子さんの書いた「リチャード・ブローティガン」が出版されたせいか、最近巷ではブローティガンブームが微妙に再燃しているようです。

というわけで、今さらながらブローティガンの短編をいくつか読んでみたのですが、なんだこれ。すげーおもしれーじゃん。
ずいぶん昔に、鉄割の誰かに一度お勧めをされた記憶があるのですが、ぼくはブローティガンに対して、どこか汗臭いイメージを持っていて、それで敬遠していたのですが、全然汗臭くないし、今読んでも全然古くさく感じない。

「1/3,1/3,1/3」という短編は、タイプライターを打てる小説家希望の少年が、小説を書けるがタイプライターが打てず、文法もめちゃくちゃの四十代の男と、文章のチェックや編集は出来るけど小説が書けず、タイプライターも打てない三十代の女と三人で共同で小説を完成させるお話。
これ、状況設定だけでも最高におもしろい。
今度の週末にでもまとめて読んでみよう、と思います。

上記の「リチャード・ブローティガン」に関しては、柴田元幸さんという方が、とても素敵な書評を書いていらっしゃいます。
あらゆる人間の仕事と生涯はこのように語られるべきではないか
02年06月08日(土)
勉蔵君から電話が来て、「みみずにおしっこをかけたところ、おちんちんが腫れてしまったのですが、どうしたらよいでしょうか」と聞かれる。
キンカンでも塗っておけば、と答えたところ、五分後に再び泣きながら電話が来て、「キンカンを塗ったらおちんちんが熱くてたまらない」とのこと。
団扇で扇ぎなさい、と助言をすると、「うん」と言って電話を切った。
02年06月09日(日)
人の行動や言動に対して、あーだのこーだの文句を言っている暇があったら、自分の品性を磨くことにその時間を費やしなさいと、常日頃から自らに言い聞かせてはいるのですが、そこがやはりぼくの未熟なところでして、なかなか思惑通りにはいかないものです。
我を忘れて個を有する
ということがぼくにとっては理想の在り方なのですが、言葉にすれば簡単なことでも、実行するには困難を伴います。
夏目漱石は晩年に則天去私の境地に達したと言います。
しかし、天に則して私を去るというのは、ぼくの望むところではなく、むしろ言うなれば非則天去私、天に則さず私を去る、個を有しつつ我を去る、というのがぼくの達すべき、臨むべき境地なのです。
02年06月10日(月)
幼なじみと一緒にワールドカップの観戦をする。


ところで、サッカー好きの方々には何を今更という感じでしょうが

ワールドカップ・アンビリ−バブル事件

決勝戦で逆転負けしたブラジルのサポーターが50人以上自殺したとか、ひいきのチームを勝たせるために、審判が五分以上早くホイッスルを吹いたとか、自国のベスト8進出に喜んだ刑務所長が囚人を勝手に解放したとか、ぼくの知らない世界では皆さんサッカーに熱狂をしていたようです。
02年06月11日(火)
ぼくの家に遊びに来たすべての人が必ず口にする我が家に対する悪口や罵詈雑言に堪え兼ねて、引っ越しをしたいとここ数年思い続けているのですが、引っ越しをするとなると数十万円のお金がかかってしまい、そんなお金は借金でもしないと用意できませんし、どうせ借金をするのであれば旅行なんかにいきたいなとも思ったり、どうにも煩悶している次第でございます。

今年のぼくの周りでは海外旅行がブームのようで、月にひとりは長期の海外旅行に旅立っております。
ある方は塩を売りにニューヨークに旅立つと言います。
売るものは本当に塩なのか、甚だ怪しくはありますが、とても羨ましく思います。
またある方はバカボンのキグルミを身に纏い、北欧を巡るそうです。
さらにある方は、CMのギャラで儲けた泡銭で、恋人と共にスペインに八ヶ月ほど滞在するそうです。
眼鏡をかけた御仁は、ワールドカップの終了と共にジャマイカに飛び立ち、ビザが切れるまで心ゆくまで中米の空気を満喫してくるそうです。
ぼくも小説一冊ととりあえずの着替えだけを持って、今とてもホットなインドなんかを周回したいものですが、引っ越しと旅行と、どちらに重きを置くべきか、深く思い倦ねております。

それで仕方がなしに毎日散歩ばかりしております。
われ、木々にむかいて、目を挙ぐ。
02年06月12日(水)
中学生の時に友人と一緒に撮った映画のビデオテープを発見。
ぼくは悪魔の役で、マイケル・ジャクソンのスリラーに合わせて躍っていた。
最期はニンニクを投げられて、死にました。
02年06月13日(木)
勉蔵君から電話が来て、「ペットボトルの口におちんちんを入れたら抜けなくなったのですが、どうしたらよいでしょうか」と聞かれる。
石鹸水でもつけて、滑りを良くして抜いたら、と答えたところ、五分後に再び泣きながら電話が来て「石鹸水を塗ったらおちんちんが大きくなってしまい余計に痛い」とのこと。
難しいことを考えておちんちんを小さくしなさい、と助言をすると、「うん」と言って電話を切った。
02年06月14日(金)
杉並の妙正寺まで散歩をする。
雨上がりのせいか、空気が澄んでいて、風のかおりがとても気持ち良い。
途中、散歩中の犬にすれ違いざま手の甲をぺろりとなめられる。
妙正寺公園で、「寺田寅彦随筆集」を読む。寅ちゃん、とても面白い。
あまりの空気の気持ちの良さに、しばしうたたね。
泉大道曰く、風に向て座し、日に向て眠る。時の人の錦を着たるに勝りたりと云々。
至福という言葉は、まさにこのような時を形容すべき言葉なのではないでしょうか。
02年06月15日(土)
ラジオを聞いていたら秋元康が出演していて、お取り寄せ料理についてあーだのこーだの言っている。
このでぶ、糖尿病でさっさと死ねと思う。
いけない、いけない、そんなことを考えてはいけません。
02年06月16日(日)
明治三十六年五月二十二日の寺田寅彦の日記には、日光の華厳の滝で自殺した藤村操の事が書かれています。

藤村操は、当時十九歳の第一高等学校の学生で、自殺の直前まで夏目漱石に師事されていましたが、ひとり日光に赴き、「巌頭之感」という遺文を木に彫り残し、華厳の滝から身を投じました。
世を儚んだためとも、失恋が原因だとも言われています。
巌頭之感
悠々たる哉天壌、遼遼たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす、ホレーシヨの哲学竟に何等のオーソリチイーに値するものぞ、万有の真実は唯た一言に悉す、曰く「不可解」、我この恨みを抱いて煩悶終に死を決するに至る。既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし、始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを
藤村が「ホレーシヨの哲学」と読んだのは、シェイクスピアのハムレットのセリフ「ホレイショー、この天地の間にはな、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ。」の「人智」を差していると言われています。(坪内逍遙訳の「ハムレット」では「哲学」と訳されています。)

藤村の自殺のその哲学的(っていうか自己陶酔的)な遺言が話題になったこともあり、「人生は不可解」という言葉が流行語になり、その後四年間で二百名近くが華厳の滝から身を投げました。
華厳の滝から身を投げて人生に終止符を打つことが、一種のブームになったのです。

以前日記で書いた「奇ッ怪建築見聞」には、「高層建築に纏わる自殺と怪談を追う」という章があります。
明治以降の投身自殺を追ったこの章によると、日本で初めての高層ビルからの飛び降り自殺は、正十五年五月九日び銀座百貨店「松屋」八階から飛び降りた池野富蔵によるものであるとされています。
遺書には以下のようにかかれていました。
僕の身は死しても心霊は藤江の身を離れない、そして藤江の兄を恨む、母も恨む、終りに藤江も裏みたい気もする、しかし愛が勝っているようだ、お願いだから一緒の所に葬ってくれ、藤江もそう思ってくれ、僕は今酒を飲む
ようするに、藤江という女性に捨てられた果ての投身自殺であり、高層ビルを選んだのも、彼女と彼女の家族に対する当てつけだったようです。

池野の自殺をきっかけに、その後高層ビルからの飛び降り自殺が頻発し、手を焼いた警察は死体を一時放置するなどの見せしめ的行動を起こしたようです。

昭和七年、慶応大学生調所五郎と湯山八重子は坂田山で心中をします。
この二人の悲哀は、後に映画化され、坂田山での心中事件はその年だけで二十件を越えたと言います。
また、その映画を見ながら服毒自殺をするカップルまで現れました。

その翌年の昭和八年一月九日、自らの死体が人目にさらされることを拒んだ当時二十一歳の実践女子専門学校の学生、松本貴代子は、富田昌子と共に三原山に赴き、富田昌子に見守られながら火口に投身自殺をします。
遺書には一言「左様なら」と書かれていました。
それ以前にも三原山から身を投じる自殺者はいましたが、彼女の自殺をきっかけに、その後三ヶ月で八十人、その年だけで九百四十四人が三原山で投身自殺をしています。
富田昌子はひとり下山、後に新聞や世論に責められ、ノイローゼで病死しています。

昭和に入ると、華厳の滝での投身自殺は「華厳病患者」と呼ばれ、時代遅れのものとなりました。
しかしそれでも尚、華厳の滝に身を投じる若者はいたようで、昭和七年六月二十九日には、一日で六人が飛び降りています。

上記に挙げたすべての自殺ブームに関して、そのきっかけとなった人の自殺の動機はだいたい明確になっていますが、その後に後追い自殺をした人たち、特に三原山から火口に飛び降りた千人近い人々の自殺の動機に関しては、記録がほとんど残っていません。(もしかしたら残っているのかもしれませんが、今のところ僕は発見できていません。)
ぼくには、耽美主義者でナルシストだった松本貴代子の火口への投身自殺は理解できても、後に続く大勢の人々の自殺には釈然としないものがあります。
自殺という行為は、一部の例外を除く大抵の人々にとって究極的な行為のはずですから、三原山に身を投げた千人の人々それぞれには、その行為に及ばらるを得なかった、よんどころのない理由があったのだと思います。
ぼくは、ひとりひとりのその理由を知りたい。

と、ふと思いました。
02年06月17日(月)
フロム・ヘル」を観ました。

監督は「ポケットいっぱいの涙」のヒューズ兄弟です。1880年代の切り裂きジャックの事件を扱った、アラン・ムーアの「From Hell」というグラフィック・ノベルが原作で、この作品に触発されたヒューム兄弟が、「切り裂きジャックマニア」であるジョニー・デップに出演を依頼、ジョニー・デップは二つ返事でOKしたそうです。

この映画を観終わったときには、これはまたこんな大胆な推理をして、イギリスの王室はよくもまあ黙っていたものだ、などと思ったのですが、この映画で犯人とされている人物の犯人説というのは昔からあったらしく、推理自体はさして真新しいものではないそうです。

映画自体は、全体的に描写がおどろおどろしく、惨殺された死体や、当時の医療技術の残酷さ、王室やフリーメーソンなどがこれでもかと言わんばかりに恐ろしく描かれているのですが、最も心に深く残ったのは娼婦達のモノの食べ方、特に葡萄の食べ方やお酒の飲み方で、この映画を観終えたあとに唯一忘れられなかったのが、それらのシーンでした。
彼女達の葡萄の食べ方というのが、妙に生々しくて、悲しくて、あの時代の背景を、精密に作られた町や家並みや衣装よりもよほど正確に描写していたのではないでしょうか。

映画「フロム・ヘル」と切り裂きジャックに関しての情報は、公式のサイトよりも下のサイトの方が詳しかったです。
■『フロム・ヘル』 From Hell (2001)
■切り裂きジャック Jack The Ripper

この種の映画って、好き嫌いがあると思いますが、なかなか面白い映画でしたよ。評判は悪いけど。
上記のサイトとかで切り裂きジャックに関する知識をある程度身に付けてからこの映画を観ると、相当面白いのではないでしょうか。
02年06月18日(火)
映画「フロム・ヘル」の原作であるアラン・ムーアの「From Hell」を読んでみたいとおもってAmazonで調べたのですが、高いので、「Batman : The Killing Joke」を注文しました。
このアラン・ムーアという方は、相当に長いキャリアをお持ちの作家で、日本で言えば梶原一輝のような存在なのかしら。「Watchmen」なんかが有名で、日本語版も出ていますが、翻訳されているのはこの作品だけのようです。
■Salon.com インタビュー
■From Hellの書評(Salon.com)

実は、季刊・本とコンピュータの第二号の「アメリカン・コミック最先端」特集や、今年の初めに出たSTUDIO VOICEの「“アメリカン・オルタナティヴ=コミックス”集成」という特集を読んで以来、アメリカン・オルタナティヴ・コミックスにとても興味が沸いてしまい、書店で見かけては購入をしております。
個人的に好きなのは、クラムはまあいいとして、フィービー・グロックナーや去年「Ghost World」が公開されたダニエル・クローズエイドリアン・トミーエ、日本でもおなじみのジュリー・デュウシェーなどなどが気に入っております。
ちなみに、上記の「本とコンピュータ」では、柴田元幸氏がクリス・ウェアベン・カッチャーを翻訳しています。

多分もっともっと面白いコミックなんかもたくさんあるのでしょうが、現在のところ、手当たり次第読みあさっている段階で、作家の名前もよくわからない状態です。
と言うわけで、調べ調べつつ読んでいるのですが、自分で言うのもなんですが、ここらへんのオルタナティブ・アメリカン・コミックには相当はまると思いますよ。

これから読んでみたい作家は、Peter BaggeCharles BurnsHernandez BrothersJim WoodringDame Darcyなどなど。
この種のアメコミは、池袋のジュンク堂なんかにもある程度は置いてあるのですが、値段が高くなっている($18が3600円とか)から、Amazonとかで買わざるを得ないのが残念です。
02年06月19日(水)
映画「フロム・ヘル」の中で、ジョニー・デップが演じる主人公のフレデリック・アバライン主任警部が、阿片を飲んで眠り、予知夢を見るシーンがありますが、このシーンを観たときにぼくが連想したのは、イギリスの詩人コールリッジの「クブラ・カーン」という叙情詩です。

1798年の夏、静養中の農家で、精神の昂ぶりを感じたコールリッジは阿片を飲み、椅子に座り午睡をとっていました。
その三時間の睡眠の中で、彼は不思議な幻想に満ちた夢を見ました。
目覚めた後、先ほど見た夢の残像が頭から離れることのなかったコールリッジは、その幻想を紙に詩として書き始めました。
In Xanadu did Kubla Khan
A stately pleasure-dome decree :
Where Alph, the sacred river, ran
Through caverns measureless to man
Down to a sunless sea.


怱必烈汗(クブラカン)は命じた
上都(Shang-Du⇒Xanadu)に快楽宮を建立せよと。
そこに聖なる川、アルファ川が
人知に及びもしない洞窟を通り
陽光のささない海へと流れ下る。
ところが、途中に来客が訪れてしまい、詩作は中断されます。
客が帰った後に再び詩作を再会しようとしましたが、頭の中の夢の残像は、完全に消えうせてしまっていました。
そしてこの幻想的な詩は、永遠に完成することのない未完の詩となりました。

以下が全文です。
クーブラ・カーン—夢幻—断章(翻訳)
Kubla_Khan(原文)

詩も素敵だけど、エピソードも素敵ね。
コールリッジが椅子に座って昼寝をしている夏の午後を想像してしまいます。
ちなみに、コールリッジは後年アヘン中毒で相当苦しんだそうです。
02年06月20日(木)
いろいろな方の現実のデスクトップを拝見。
■Snap your desk

昔「TokyoStyle」という、東京で暮らす一人暮らしの部屋の写真集がありましたが、それと同じようなおもしろさがあります。
この種のお宅拝見的なものって、ぼく大好きなのです。
おっ、これはかっこよいから真似しよう、とか、これはださいなあ、などと独り言ちつつ。

ちなみに、ぼく個人の「この部屋に住みたいベスト1」は、映画「Smoke」でウィリアム・ハートが住んでいた部屋です。
いつかはあんな部屋に住んでみたい。
いつかは。
02年06月21日(金)
やはり引っ越しはやめて、借金をしてでも旅行に行こうかと思います。
若いときの借金は歳を取ってからでも返せますが、若いときの旅行は歳を取ってからでは無理ですから。
行き先は、ミャンマーなんかはいかが。
とりあえずバンコクまで行って、そこでヤンゴン行きのチケットを買って行ったらどうでしょうか。
■アジアの黄昏
ここら辺のサイトを参考にして。

あるいはベトナムなんかもよござんす。
数年前に、ある友人の手ひどい裏切りで行きそびれたベトナム。
今度こそ行ってみようかしら。

あるいはラオスなんかもいいね。
バンコクから電車で一晩で行けるらしいし。
ステキな仏像も多いし。

ああ、想像だけで興奮してしまいました。
02年06月22日(土)
本番終了後、中島君と内倉君と駒場東大前から渋谷にまで歩く。

神泉で内倉君と別れて、中島とさらに渋谷まで歩く。
たまにはキャバレーとかエロイお店に行ってしまおうかという話になるが、お金もないし、テンションも低かったのでやめる。
中島君がおいしいお店を知っているというので、付いていくと、お店は潰れていてラーメン屋さんになっていた。
それではクジラ肉のお鍋を食べましょう、ということになり、東急の近くのお店に行くが、閉店間際のために断念。
おいしいちゃんこ鍋を食べたいね、と言いつつ、1時間ほど渋谷の町をぶらつくが、優柔不断な二人のため、一向にお店が決まらず、数件回った後に突然ダルに取り憑かれ、やむを得ず適当な和食の工夫料理屋に入る。
食べ物を適当に注文して、お酒を飲む。お酒はおいしいけど、食べ物がうんこほどまずい。びっくり。店構えも良いし、場所的にもとても良いところにあるのに、料理がうんこなんて。まさかうんこが出てくるとはおもわなかったので、二人ともしばし絶句。うんこならうんことメニューに書いて欲しかった。うんこ1000円とか。
頼んだものが悪かったのかと思って、店員さんにお勧めのものを聞くと、店員さんも困っている。お勧めのものがないらしい。ということは全部うんこなのですか。うんこのバリエーションなのですか。と聞きかけたとき、店員さんがようやく、オムレツがおいしいですよ、と教えてくれた。ここは工夫料理屋なのではないですか。オムレツって。家でつくれるじゃん。と思いつつ、オムレツを注文する。
運ばれてきたオムレツはオムレツというよりもオマレテという感じで、中島君が一目、なにこれ、と言っていました。
とりあえず、酒を飲み、適当に食べ、ぬらりひょんって妖怪の中で一番偉いから妖怪大戦争の時は司令官なんだよ、という話をする。
店を出たあと、たまにはエロイお店なんかに行ってしまおうかという話になるが、お金もないし、テンションも低かったのでやめる。

カプセルホテルに泊まって就寝。熱いし、うるさいしであまり眠れなかった。

朝、起床後、大浴場に入ろうかと思ったら、既にお湯が抜かれていた。
仕方がないので、顔を洗って歯を磨いてカプセルホテルを出る。
たまにはエロイお店なんかに行ってしまおうかという話になるが、お金もないし、テンションも低かったのでやめる。

中島君が、フレッシュネスバーガーが近くにあるから、そこで朝食をとろうというので後についていくと、改装中だった。
仕方がないので、近くのパン屋さん兼カフェで朝食を取る。
とてもさわやかなカップルがいて羨ましく思う。
ヨーロッパの中世って悪魔っぽくて怖いね、という話をする。

朝食をとって店を出て、渋谷からアゴラまで歩く。
ジョギング中にクーガー食べられてしまったカルフォルニア州のおばさんの話をする。
02年06月23日(日)
Palmにも飽きてきたので、CLIEに買い替えようかと思いながら、そのPalmで幸田露伴の「些細なやうで重大な事」を読んでいたところ、いたく感動しそうろう。

露伴さんは、人間には「事に処する」「物に接する」の二つの仕草があって、「物に接する」ということがきちんとできないことには、巧く「事に処する」ことなど出来ないとおっしゃります。

物をその有りように従って扱うことは当然のこととして、その心がけは「何処までもその物を愛し、重んじ、その物だけの理や、強さや、必要さを尽くさせるのが正当である。
すなわちその心は孔子が言うところの「仁」である、と申しております。

「仁」とは一体どういうことなのか、それを説明できるほどぼくは徳を積んではいませんが、保坂和志は「愛」というエッセイで以下のように書いています。

「愛」
 友人Kは言った。あなたはいま、さしあたり形になる目的を持ってしまったために、あなた自身がよく口にしていた「愛」を忘れてしまったんじゃないのか?
ゴッホが弟テオへあてた手紙に「君は何がこの牢獄を消滅させるか知っているか。それはすべての、深い、真面目な愛情なのだ。友人があること、兄弟があること、愛していること、これらのものこそその至上の力と、非常に強力な魔力で牢獄を開くのだ。だが、それらがない者は死の中に取り残されるのだ。しかし、共感が再生するところ、必ず生命もよみがえる」と書いてあったじゃないか。
 カール・ベームが「いままで大勢の観客や演奏家が私のモーツァルトを支持してくれました。それは私の演奏がモーツァルトへの愛に満ちているからだと思います。モーツァルトはロマンチックでも感傷的でもありません。彼の音楽は人間の情熱のすべてですが、決して感傷的ではない」と言ったときの「愛」や「情熱」のことだし、メルロ=ポンティが「音楽的ないし感覚的な緒理念は、まさにそれらが否定性ないし限定された不在であるが故に、われわれがそれを所有するのではなく、その緒理念がわれわれを所有するのである。ソナタを作ったり再生したりするのは、もはや演奏者ではない。彼は、自分がソナタに奉仕しているのを感じ、他の人たちは彼がソナタに奉仕しているのを感じるのであり、まさにソナタが彼を通して歌うのだ」と言ったときの「奉仕」のことで、ゴダールが「ヌーヴェル・バーグの力というものが生まれたのは、あるいはまた、ヌーヴェル・バーグがある時期のフランス映画を突き破ることができたのは、ただ単に、われわれ三、四人の者がお互いに映画について語り合っていたからです」と言ったときの「語り合い」を支えていたもののことだよ。
 心がそういう状態にあるときに感受する情報の量はたいしたものだ。美術館でクレーの絵の実物を見たときに、あなたが「動く!」と感じたものがカタログでは決してそうならないのも、実物と印刷物とで得られる情報の量に膨大な違いがあって、クレーがキャンバスに敷いた綿密な下地や筆のタッチによる凹凸まで印刷では再現できていないからだけれど、あなたがよく口にしていた「愛」があるかないかは、世界から感受しうる情報の量や密度や強度において、クレーの実物の絵と印刷物ほどの違いが生まれるものなんだよ。
 それからやっぱり、大変でもラカンを読むことを忘れないように。苦労して読むということは、読みながら自分の知識や経験を総動員することだから、ラカンの理論が理解できないにしても、きっと「愛」の状態と同じだけの情報の量を生み出すことにはなると思うよ。
(保坂和志「アウトブリード」『愛』より。)

ここでいう「愛」とは、まさしく露伴さんがいうところの「仁」なのではないでしょうか。
(これ、完全に無断引用でして、著作権的に相当やばいと思うのですけど、僕はこの文章が本当に好きで、出来るだけ多くの人に読んで欲しいので引用しちゃいました。愛ゆえの行為ということで。)

露伴さんは言います。
さういふ事は何でもない、些細の事であると思ふけれども大変な大切な事で、その当を得ると得ぬとは、その人の心の有様を語つてゐるものである、その人の事業の順当に行くか行かぬかを語つてゐるものである。
露伴さん、素敵です。
こんなおじいちゃんになりたい。
02年06月24日(月)
毎年恒例の、男三人登山旅行の季節になって参りました。
去年は北アルプスの燕岳を制覇しましたが、今年はどこに行きましょう。

今年は、僕たちの下山を、下で温泉に浸かって待っている人たちがいるようなので、山岳温泉が近くにある山がよろしかろうと思います。

■日本百名山と山岳温泉
■Mountain Web

前回は酒ばかり持っていって、肝心のものを全部忘れていってしまったので、今度こそは携帯用のストーブを持っていって、山の頂上でコーヒーを飲みたい。

去年、僕たちがはあはあ言いながらどうにか登りきった燕岳ですが、頂上付近で知りあったおばさんは、あちらこちらの山をひとりで登っているということで、じつに手慣れた感じですいすいと山を登り、落ちたら死にますよあなた、というような場所で余裕でピースをして記念撮影をしていました。
見た感じ小さくてかわいらしいただのおばさんなのに、歩き出すとどんどんと距離を離され、気付けば影も形も見えなくなっていました。
あれは多分山の神様で、僕たちにもっと山を登りなさい、山を楽しみなさい、山は素晴らしいものですよと教えてくれたのだと思います。

去年登った山。
山
矢印の先には内倉君。
02年06月25日(火)
■怪異・妖怪伝承データベース

 国際日本文化研究センターが、妖怪や物怪に関する民族学情報データベースを公開しました。
 あくまで民族学情報のデータベースなので、ぬらりひょんとか検索しても出てきません。
 けど、検索をかけてもcgiが反応しないのはどうして?

 妖怪と言えば、先日柳田国男の「妖怪談義」を読みました。

 「妖怪談義」と言っても、妖怪は存在するか存在しないかとかそういう陳腐なことを談義しているわけではなくて、あるいは水木しげる的な妖怪談義でもなくて、あくまでも民俗学的に妖怪という現象を捉えていて、まず妖怪と化け物の違い、伝説と昔話の違いから始まり、妖怪話が日本全土でどのように分布し、派生、変化していったのかを名前の変化や話の変化の実例を挙げて、細かく分析していきます。

 柳田は、夕刻を表す「黄昏」という言葉の発生の理由に関して、「化け物に対する警戒の意」を含んでいたといいます。
 その昔、隣人同士がすべて見知り合っていた農村などでは、他所者がその土地を通過するとそれだけで大騒ぎでした。ましてや、まだ街灯などというものがない時代、人の顔がよく見えない夕刻などに人とすれ違う場合などは、挨拶をしたり、声をかけたりして相手が誰なのかを確認したそうです。
 そのような事から、相手の顔の見えない夕刻のことを、「誰ぞ彼の時」から「タレソカレトキ」「タソカレトキ」「たそがれどき」と言うようになったそうです。
 これは、地方によってはこの夕刻のことを「彼は誰」から変化して「カハタレ」時と呼ぶ地域があることからもわかります。
 そして、このような他所者に対する畏怖の念、「他所者」という普段の生活の中に突如現れた非日常的なものは、妖怪と形を変えて人々に語り継がれます。
(もちろん、それだけが妖怪の誕生の原因であると言っているわけではありません。)

 人間は、どのような現象、物ごとに関しても原因や理由を求めます。現在では、科学という自然現象に関する原因追及の学問として存在しますが、科学がまだ未発達の時代、人々は「結果」に対してなにかしらの「理由」を、(誤解を恐れずに言えば)こじつけてきました。
 板倉聖宣は、あらゆる「迷信」は、いっけん非合理主義に見えるが、実は「あらゆることには根拠がある」という考えのもとに生まれた合理主義の結果だと言います。
 人類は二十世紀に至るまで、様々な想像力を駆使してあらゆる現象を合理的に説明するための物語を創りだし、神話を始めとして昔話や童話、伝説を語ってきました。
 そして、柳田はそのようにして生まれてきた妖怪話について、以下のように言っています。
化け物の話を一つ、出来るだけきまじめに又存分にしてみたい。(中略)私の目的はこれによって、通常人の人生観、わけても信仰の推移を窺い知るにあった。(中略)ないにもあるにもそんな事は実は問題でない。われわれはオバケはどうでもいるものと思った人が、昔は大いにあり、今でも少しはある理由が、判らないので困っているだけである。
  柳田国男が民俗学の見地から妖怪話に取り組んだとしたら、物理学の見地から怪異現象に取り組んだのは寺田寅彦です。
 寺田寅彦の「怪異考」というエッセイに以下の一文があります。
物理学の学徒としての自分は、日常普通に身辺に起こる自然現象に不思議を感ずる事は多いが、古来のいわゆる「怪異」なるものの存在を信ずることはできない。しかし昔からわれわれの祖先が多くの「怪異」に遭遇しそれを「目撃」して来たという人事的現象としての「事実」を否定するものではない。われわれの役目はただそれらの怪異現象の記録を現代科学上の語彙を借りて翻訳するだけの事でなければならない。この仕事はしかしはなはだ困難なものである。錯覚や誇張さらに転訛のレンズによってはなはだしくゆがめられた影像からその本体を言い当てなければならない。それを的確に成効しうるためにはそのレンズに関する方則を正確に知らなければならない、のみならず、またその個々の場合における決定条件として多様の因子を逐一に明らかにしなければならない。
 物理学者としての役目は、妖怪などの怪異現象を否定することなく、錯覚や誇張さらに転訛のレンズでゆがめられた鏡像の中にある本体を、現代科学上の語彙を借りて翻訳するだけの事である、と寺田は言います。
 民族学者としての柳田国男が対応するのが、「錯覚や誇張さらに転訛のレンズでゆがめられた鏡像」であるとすれば、物理学者である寺田寅彦が対応するのはその中にある「その本体」であるという相違に関しては言うまでもありませんが、その事を考慮しても、この二人の怪異に対する態度には共通するところがあり、とても強く共感してしまいます。

 簡単に言えば、柳田国男の着眼点は、妖怪の存在の有無ではなく、どうしてそれが存在するとされるのか、どのようにしてその存在がうまれたのか、そして、その存在の可能性はどのようにして高まり、その存在はどのようにして広まっていったのか、という点にあり、寺田寅彦の着眼点は、妖怪の存在を否定することなく、その存在の根拠を、あるいは存在の正体を追及するという点にあります。

 妖怪話は、科学が発達した現在ではなくなったのかといえば、形を変えて存在しています。
 現代の「都市伝説」の類を民族学的に研究していたのは宮田登ですが、もし柳田国男が現代に生きて、「都市伝説」に取り組むとしたら、どのようなアプローチを取ったのでしょうか。
■真・都市伝説101夜

 ところで、「妖怪談義」の中には、僕の実家のある地域の名前が何度か出てきます。その地域に語り継がれているという妖怪談を紹介しているのですが、そこで生まれ育ったぼくはほとんど聞いたことがありませんでした。
 「妖怪談義」が発刊されたのが昭和三十一年頃ですから、僕の両親であれば知っているかと思って聞いてみても、やはり知りませんでした。
 もしかしたら、僕の祖父母の時代で、妖怪は消えてしまったのかもしれません。
今度実家に帰ったら、おばあちゃんに聞いてみようっと。
02年06月26日(水)
■オークションでの日本の現代美術の評価

村上隆のフィギュアが6000万円????
まじっすか。
02年06月27日(木)
 久しぶりの海外旅行ではありますが、とにかく低予算で行きたいので、バンコクまではビーマンバングラデッシュ航空なんかが良いかな、と思っています。
 それでビーマンに乗ったことのある友人なんかにいろいろと聞いたところ、ビーマンバングラデッシュ航空の飛行機は、機体がボロくて、スチュワーデスがすっげーたくさん搭乗していて、しかも全員民族衣装を着たデブで愛想が悪くて、ご飯はなにを頼んでもカレーしか出てこなくて、客は全員わきがで、機内テレビではフリークスショーがやっていて、寝ようと思うと毛布が臭くて、キャッチコピーが「噂ほど悪くはありません」で、大抵フライト時間が遅れるらしい。
 安けりゃ全然OKです。
02年06月28日(金)
ぼくのまわりではとても評判の良い映画なので、告白するのに勇気がいるのですが、思い切って言ってしまいます。
キューブリックの「2001年宇宙の旅」は、正直良く分かりません。
決してつまらないと言うわけではないのですが、なにが面白いのかさっぱり分からないのです。
もう少し大人になれば面白くなるのかしら。
キューブリックの他の作品はおもしろいのですけどね。

しかし
■キューブリック監督の未完成映画が書物に ナポレオン物
キューブリック監督は映画化に約30年を費やし、皇帝に関する約1万8000冊の本を収集、構想を温めていた。ナポレオンの誕生から死までを描く歴史映画として製作しようとしており、脚本や撮影場所の写真なども準備されていたという。
この映画はちょっと観たかったな。
本を読むことで我慢をしましょう。
一万八千冊って。三十年って。
02年06月29日(土)
こんな記事を読んでしまい、居ても立っても居られず、早速「セッション9」を観に行ってきました。

前半から中盤にかけてはとても面白かったのですが、後半ちょっとだけ飽きちゃった。
けどなかなか面白かったです。

廃虚というものは、いわゆる心霊スポットとして考えられがちですが、廃虚そのものの面白さというものを追及している方々もいらっしゃいます。
こんなWebRingなんかもあったりして。

そのWebRingに登録されている廃墟Explorerというサイトなんかはとてもおもしろくて、日本全国の廃虚や廃屋を紹介しているのですが、見始めると止まらなくなってしまいます。
そして、その廃虚に行きたくなる。
ああ、海外旅行をやめて、日本廃虚探訪に予定を変更しようかしら。
などと一瞬本気で考えてしまいます。

それで、上記のサイトを管理している方が監修している廃虚写真集「廃虚の歩き方」を買ってしまいました。
ぼくは廃虚好きと自認できるほどに廃虚を知っているわけでも、行っているわけでもないのですが、この写真集に掲載されている廃虚には、行ったことのある場所が何箇所か出ていました。

皆さま、子供のころに近所の廃虚や廃屋で遊んだ記憶がありませんか?
冒険心と同時に、かつては人が住み、あるいは人があふれていた廃虚に、寂寞とした想いを感じたのではないでしょうか。
02年06月30日(日)
漫画でも小説でも、なにかをサボった時にする読書が一番楽しい。
面白くない作品でも面白く感じてしまうのが、困った点ではありますが。

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雑記書手紹介

大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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