05年05月23日(月)

 こんなニュースを発見しました。

■2050年、人間は「不死身」に=脳の中身をPC保存

 うーん、いまいち釈然としません。もう少し具体的な説明が書いている記事がないかと思って調べてみたところ、下の記事を見付けました。多少は詳しく書いてありますが、やっぱり釈然としません。

http://observer.guardian.co.uk/uk_news/story/0,6903,1489635,00.html

We're already looking at how you might structure a computer that could possibly become conscious.

 とか言っちゃってますけど。人間の意識をシュミレーションすることと、そこから現実的に意識を生み出すことの間には、大きな隔りがあるように思うのですが。

 たしかに、脳を完全に物質的・機能的なものとして、意識は脳の機能の一部であると考えると、ニューロンとシナプスのシステムさえ忠実に再現できさえすれば、人の意識もコンピュータ上で再現できるということになるのかもしれませんが、はたして本当にそうなのでしょうか。養老さんは『唯脳論』でこう書いています。

脳は、構造上も機能的にも、それだけで存在する器管ではない。そのために、「神経系」という立派な述語がある。脳は、神経系の一部をなす中枢神経系の、そのまた一部にすぎないのである。

 コンピュータ上に脳の中身をダウンロードしたとして、それだけでこの身体に宿る人間の「意識」が再現できるとは、素人のぼくからするとどうしても考えることができないのです。ピアソンさんはこんなふうに言っていますけど。

'We don't know how to do it yet but we've begun looking in the same directions, for example at the techniques we think that consciousness is based on: information comes in from the outside world but also from other parts of your brain and each part processes it on an internal sensing basis. Consciousness is just another sense, effectively, and that's what we're trying to design in a computer. Not everyone agrees, but it's my conclusion that it is possible to make a conscious computer with superhuman levels of intelligence before 2020.'

 説得力も根拠も何もありゃしません。

 ぼくは、この種の「人間の意識は、最終的にはコンピュータ上でアルゴリズムとして実現できる」という機能主義的な考え方にどうしても抵抗を感じてしまうので、最初から否定的にしかこの記事を読んでいませんが、それをふまえた上であえて断言します。このおっさん、すっげーうさんくさい。

 数年前にテレビで、哲学者の中村雄二郎氏がホストとして、現代の生命哲学に関する番組が放送していました。その中で、人工知能科学の大家、マーヴィン・ミンスキー氏へのインタビューがとても興味深かったので、ふたりのやりとりをテキストにおこしました。もろ話題がかぶっていて、ちょうど良い機会なので、日記にのせておきます。ミンスキーさん、はげのくせに言うことはなかなか強烈ですよ。

(もともと、一般に公開するつもりで書きおこしたわけではないので、実際のインタビューとは語尾や口調が違っていると思いますが、話の内容や双方の主張は変わっていないと思います)

以下、Nは中村雄二郎、Mはマーヴィン・ミンスキー

N 新しい科学技術で、人間が二百、三百歳まで生きられるというふうにあなたは考えていますが、その時に人間の自己同一性、アイデンティティはどこまで保てるのでしょうか?

M アイデンティティと言う概念はとても幼稚だと思います。人間は何百もの部品でできており、脳を除いたほぼそのすべての部品が流動的に変化しています。細胞は常に死に、生まれ変わっています。赤ん坊の頃と成人となった後では、細胞も考え方もすべて変化しています。つまり、我々の「自己」とは単一のものではなく、むしろひとつの「プロセス」に過ぎないのではないかと思うのです。

N わたしが言ったのも、いまおっしゃった事と同じで、人間の状態が同一のものであるという意味で「同一」と言ったのではなく、その人がその人であるということが持続していなければ責任がもてなくなるというか、つまり、状態の持続ではなく、あるところまで行ったら同じ人間であるという持続性を持てなくなるのではないか、ということを聞きたかったわけです。

M 責任と言うコンセプトは、安定した社会を作るために人間が作り出したものであり、すべてが変化していくのであれば、その変化の速度にかかわらず、長期的にみれば、意味がなくなります。ある人の心が常に成長していくのであれば、同じ人の赤ちゃんの時期と大人の時期を比べると、長期的にみた場合、ほとんど共通する点がありません。しかし、短期的にみた場合、すべてが大体同じです。持続性やアイデンティティは、短期的な場合にのみ有効な概念であり、そのような時間によって制限される概念は他にもたくさんあります。例えば都市は、名前は同じでも、百年も経てばまったく別のものになってしまいます。

(明日へ続く)


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雑記書手紹介

大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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