02年11月30日(土)

 祖母の三十五日忌で納骨のため、実家に帰省しました。

 祖母が亡くなったのは先月の終わりで、その時にも本家のまわりをぶらぶらと散歩したのですが、思えばこの辺りを散歩するのは十年以上振りで、幼い頃には嫌で嫌でたまらなかった田舎の風景が、今ではとても心の落ちつくものになってしまっている自分が嬉しくもあり悲しくもあり、複雑な気持ちを胸に、今回もしばし逍遥しました。

 山に囲まれた祖父母の家のまわりには、子供の頃には気付かなかった石仏などが多々点在していて、「穴不動」なるいやらしい名前の安産の守り神の不動明王蔵も発見しました。お産の時にはここに来て不動明王の剣を借りて行くと御利益があると書いてあり、おばあちゃんもここに剣を借りに来たのかしら、などと思ったのですが、よく考えてみれば祖父母には実子というものがおらず、ぼくの母もその兄弟姉妹もすべて養子ですから、祖母が剣を借りに来る必要はなかったのかも。しれないです。

じぞー

 人の死の悲しみは、如何なる手段をもってしても癒すことはできません。その人がいた世界が確かにあったのに、今ではもう、その人に会うことができないと思うとき、自分の中に悲しみ以外の感情が存在しないように感じます。癒すことの出来ない悲しみは、とことんまで悲しむしかなく、悲しみの後にぼくにできることといったら、祖母の記憶を永遠に忘れないでいることしかありません。

 死後の世界を信じないぼくは、祖母は往生することによって、生まれる以前の無に帰したと思っています。けれども、その「無」は唯物論的な「無」ではなく、無に帰することによって僕たちの中で仏となったわけで、仏教で言うところの輪廻を断って成仏するということと全く同じだと思います。祖母は、百年前の世界がそうであったように、世界の無となってしまいました。しかし百年前と違うのは、祖母の記憶を持つぼくたちがここに存在するということで、少なくとも祖母の記憶を持つぼくたち全員が無と帰するまでは、祖母は記憶として生きている、この世界に存在している、と思っています。祖母の記憶を持ち、それを保つということが、DNAによる肉体的連鎖以上の何かを、ぼくたちと祖母の間に与えてくれます。
 記憶。
 祖母を覚えているという、ただそれだけのことで、ぼくは祖母を弔おうと思います。

 兼好法師は『徒然草』の第三十段で、以下のような書いています。

年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。骸は気うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく、卒都婆も苔むし、木の葉降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。
思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。

 『徒然草』の中でも特に心に残っている段です。以下に稚訳ではありますが、現代語訳を載せておきます。訳に間違いがあっても御勘弁。

 年月が経ったからといって、その人のことを完全に忘れてしまうということはないが、去る者は日々に疎しなどという諺にもあるように、亡くなった時の悲しみは徐々に薄れていくもので、そのうちに適当なことを言いながら笑い話をしたりできるようになる。亡骸は人気のない山中に埋められ、法事法要のときにしか御参りされなくなり、しばらくすると卒塔婆は苔むし、木の葉に埋もれ、夕の嵐や夜の月だけがそこを訪れることになる。
 その人を思い出して懐かしんでくれる人がいるうちはまだ良いが、そのような人もいつかは亡くなる。聞き伝えでしか知らない子孫達は、その人のことを思って偲んでくれるのだろうか。供養するための法事さえ行われなくなり、墓に眠る人の名前さえ知らずに、それでも年ごとの春の草をみれば、情趣がわかる人は想ってくれるかもしれないが、最後には嵐にむせぶ松も千年を待たずに薪にされ、古き墓も耕されて田となってしまうように、その跡さえ世界から消えてなくなる。悲しくとも。

 ぼくは、亡き人の跡(お墓)がいつかは形骸的な存在になることや、その人の死そのものが忘れ去られることに対して、兼好法師ほどには悲しみを感じません。そりゃまーしゃーないっしょ。さまざまな個性の記憶が生成消滅して世界は動いているのですから。けれども、少なくともぼくたちが生きている間、ぼくという記憶が存在している限りは、決して忘れませんから、ゆっくりと、お休みください、おばあちゃん。

どうそしん

 帰り際、祖父母と一緒に暮らしていた叔母に「出産の時に、穴不動にお参りしたの?」と聞いたところ、「なにそれ」と逆に聞き返されました。

 そしてそのまま津軽へ。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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