02年08月03日(土)

 ぼくの甥である宇饗君は、毎年長期の休みになると、僕の両親、つまり宇饗君の祖父母の家で過ごします。ですから、夏休みなどに実家に帰ると、ずっと甥と遊ぶことになるのですが、いかんせん頼りがいのない伯父なものですから、男の子らしい遊びなどしてあげることができません。
 今年も、キャッチボールをやりたがる甥に対して、散歩に行きましょうと無理やり散歩に連れ出し、ふたりでぼくの青春の土地を逍遥してまいりました。

いなかなの  ぼくの実家というところは、本当に田舎でありまして、ほんの数分も歩くとすぐに視界が開けてます。あたり一面田んぼだらけ!それにしても、このあたりを散歩するのは久しぶりです。ぼくのあまり好きではない映画に、「おもいでポロポロ」という作品があるのですが、その作品のなかで、田舎の風景を見て感動している主人公の女性に対して、その田舎で農業を行っている男性が、都会の人は田舎の風景を自然だ自然だというけれど、田舎の風景はすべて人間が作り出したものであり、自然からいろいろな恩恵を受けている百姓が自然に感謝したり、時には自然と戦ったりして作り上げた風景なのであり、自然ではないのだよ、などと講釈ぶるシーンがある(ちょっと記憶があいまい)のですが、そんなシーンを思い出します。

みずうみ  しばらく歩くと、大きな湖に出ます。実家にいた頃は、天気の良い日はここに来て読書をしたものです。エロ本なんかもよく拾いました。ぼくの友達がアオカンしていたのもこのあたりです。上野君に殴られたのもこのあたりだし、後輩の竹隅君が若いリビドーに苦しんで裸でうろうろしているのを発見したのもこの近くでした。なんだかんだで思い出の多い場所なのです。そういえば、酔っぱらったおやじが水死体で発見されたこともありました。夏の夜は、肝試しなんかを行なって、ヤンキーにからまれてボッコボコにされたこともありました。冬になると湖全体が凍りつくので、早朝にやってきて氷の上で遊んでいたらばりばりと氷が割れて肝を冷やしたこともありました。ああ、やはり懐かしい。

いえ  住んでいたころはなにも感じませんでしたが、今こうして歩いてみるとなかなか良い場所ですね。湖畔にたっている小さな家を見ると、H.D.ソローのことを考えます。アメリカの自然分学者であるH.D.ソローは、ウォールデン湖畔の森の中での自足の生活の様子を『森の生活』という随筆集に書いています。湖畔の森で、読書と思索の日々。

夏の朝など、いつものように水浴をすませると、よく日あたりのいい戸口に座り、マツやヒッコリーやウルシの木に囲まれて、かき乱すものとてない孤独と静寂にひたりながら、日の出から昼ごろまで、うっとり夢想にふけった。あたりでは鳥が歌い、家のなかをはばたきの音も立てずに通り抜けていった。やがて西側の窓にさしこむ日ざしや、遠くの街道をゆく旅びとの馬車のひびきでふとわれに返り、時間の経過に気づくのだった。(中略)私は東洋人の言う瞑想とか、無為という言葉の意味を悟った。(『森の生活』より)
昔は、いやでいやでたまらなかった田舎ぐらしですが、最近ではさっさと隠居したくてたまりません。

 午後は、甥が観たいというので『アイスエイジ』を観に行きました。この種の映画は、技術は進歩しても、内容は僕たちが子供のころに観た映画と全然変わらないのですね。甥がスクラッチの一挙一動に大笑いしていました。しかし、甥と一緒に観るのは楽しかったのですが、こんな映画を飛行機の中で見たくないな、と思いました。

ソロー


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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