02年08月12日(月)

 午前七時、がたがたという音と車掌の声で起床。寝台のカーテンを開けると、ベットの片づけが始まっている。下に降りて窓から外を眺めると、一面に田んぼが広がり、その中に南国系(?)の樹木が生えているのが見える。早朝だというのに、農業に勤しむ人々がすでに作業している。ああ、これがタイの東北部なのね!と感激し、しばし眺めを楽しむ。

 九時過ぎにノーンカイ到着。ぼくの他にも、観光客と思しき外国人が何人かいるが、会話から察するに、みんなフランス人のようだ。リュックを背負い、電車を降りる。
 駅を出ると、たくさんのトゥクトゥクが待っている。ここからタイのイミグレーションまではトゥクトゥクで行くらしい。イミグレーションへ向かう。

 タイの出国管理事務所で出国手続きをして、シャトルバスで友好橋を渡り、メコン川を越える。ああ、メコン川だ!思った以上に巨大な川だ。これから数日間、あなたの傍を離れずに、あなたと共に旅行をするのですよ、と心の中で川に話しかける。
 橋を越え、ラオス側のイミグレーションへ向かう。ぼくはラオスのビザを持っていないので、入国手続きをする前に、ビザの申請をしなくてはならない。写真と申請書と金を渡して申請をすると、パスポートを受け取ったまま返してくれない。あれ?これ返してくれないのかしら。でも、他の外国人もパスポートを預けて待っているし、まあいいやと思って待つこと三十分、突然「オネダ!オネダ!」と呼ばれる。パスポートを受け取ると、しっかりとビザのスタンプが押してある。すぐ先にある入国審査の窓口に並び、入国カードを提出。なにやらコンピュータで照合をしている様子。無事に通過し、とうとうラオス入国。外に出ると、またもやトゥクトゥクやタクシーがたくさん待っている。近くにいた日本人の女性に声をかけて、市内までトゥクトゥクをシェアすることにする。

みち とうとうラオスにやってきた。ビエンチャンの市内に向かうトゥクトゥクの中で、風に吹かれて髪の毛が七三になる。通りゆく道々の風景を眺めていたら、インドの田舎を思いだした。道路はほとんど舗装されていない。間隔を挟んで、木造の家々が並んでいる。牛が平気で道路で寝そべっている。けれども、時々通り過ぎるラオスの人は、こちらを気にする様子は全くない。そこがインドとの大きな違いだ。

 ビエンチャンのメイン市場、タラート・サオに到着。女性に丁寧にお礼をして別れる。ビエンチャン!とうとうやって来ました!もちろん、この町に来ることが旅行の第一の目的だから、ここは単なる出発地点に過ぎないのだが、それでもやはり感動してしまう。さて、とりあえず宿を探さなくては。それから、南ラオスの町、パクセーへ行く飛行機のチケットを予約しなくては。

 ガイドブックよると、メコン川沿いにゲストハウスが幾つかあるらしい。とりあえず、メコン川に向かって歩くことにしよう。雨期のせいか、道路がぬかるんでいるので、水たまりを避けながら歩く。歩きながら、町を観察する。仮にも首都だというのに、喧騒というものを全く感じない。車も走っているし、人々も歩いているけれど、タイの北部の田舎よりも静かな感じがする。ぼくは、もしかしたらとても素晴らしい国に来てしまったのかもしれない。

う゛ぃえんちゃん 地図を見ながら進んでいたら、大きな広場に出た。歩いてきた距離と、周りの風景から察するに、ここはおそらくタートダムなのだろうと思って、近くにいる人に聞くと、ここはナンプ広場だという。地図で見ると、タラート・サオから相当離れているように見えるけれど、もうこんな距離を歩いたのだろうか?というか、町自体がこんなに狭いのか!嬉しくなる。

 途中、ラオス航空のオフィスを発見。外国人用のカウンターでパクセー行きのチケットを予約する。飛行機の席数自体が少ないので、チケットを取れるかどうか不安だったが、あっさり予約できた。これで安心してヴィエンチャンを歩くことが出来る。メコン川沿いの道路に出て、川に沿って歩く。川の向こうには、タイが見える。何度ラオスを実感しても、し足りない。ぼくは今、ラオスにいるのか。道路沿いには、レストランやマッサージ屋さんが軒を連ねている。エクスチェンジでバーツをラオスの通貨キープに変える。ラオスでどれぐらい使うか検討がつかないので、とりあえず2000バーツを両替する。日本円にして7000円足らず。ラオス通貨で491500キープ。びっくりするぐらい分厚い札束を受け取る。ラオスでは、自国の通貨に対する信用が低いので、みんなキープよりもバーツやドルを欲しがるらしい。使い切れるだろうか?

 川沿いのレストランに入って、昼食を取る。何を頼んだら良いか分からなかったので、適当に注文をしたら、クリスピーヌードルのあんかけに野菜がたっぷり入った、日本で言えばかた焼きそばのようなものが来た。食ってみるとなかなかうまい。

 メコン川付近のゲストハウスに部屋をとり、シャワーを浴びて一段落。明日の朝早くにヴィエンチャンを発つので、今日のうちに少しでもぶらつこうと思う。ガイドブックを見ると、市内から少し離れた所にブッダパークという、敷地内に大量の仏像が点在している公園があるらしい。とりあえずそこへ行ってみよう。

 パークまでバスで行こうと思っていたら、途中でトゥクトゥクに声をかけられ、値段を交渉してみると意外と安いので、トゥクトゥクで行くことにする。パークに向かいながら、道順を覚える。覚えると言っても、一度左折した後はひたすら一本道。絶対に迷うことはないだろう。ブッダパーク到着。

あしゅら 入園すると、ぼくはすぐに動けなくなった。目の前に阿修羅像のような、三面十二臂の像が立っている。うおー!かっこいいいーー!なんだこの像!!多分阿修羅で間違いないとおもうけど、腕が十二ついてる!日本で一番有名だと思われる、興福寺の国宝館にある阿修羅像は三面六臂で、その腕の華奢な感じがとても好きなのだが、今目の前にあるこの阿修羅は、如何にも力強い。阿修羅という意味で言ったら、こちらの方が本家に近いのかな?悲しみを全く感じさせないその表情が気に入って、しばらくその場から動けなくなる。

 その先に行くと、巨大な寝仏がある。涅槃像だ。ガネーシャ像もある。とにかく公園(実際は寺院跡なのだが)の一面に様々な仏像が立っている。いかにも南伝系の仏像らしい、日本では見慣れない少し滑稽な仏像もたくさんある。その他にもヒンドゥーの神なのだろうか、まるで魔王のような像も幾つかある。一つ一つを丹念に見る。仏像好きにはたまらないな、ここは。仏像は、やはり雨ざらしが一番美しい。

ねはん さとろう
がねー 寝る

 仏像をすっかり楽しんでしまい、写真をばしゃばしゃとアホのように撮り、満足して公園を後にする。トゥクトゥクで帰る途中、やはり歩きたくなって、途中で止めてもらって「ここからは歩くから」と説明して、往復分の金を渡してトゥクトゥクを降りる。運転手のお兄ちゃんは、「ここからなら一時間半ぐらいで市内に着くよ」と教えてくれた。

う゛ぃえんちゃん 道は一本道なので、迷うことはない。国境から市内へ来る途中で見た風景と変わらない風景が続く。トゥクトゥクに乗っていると、誰もぼくのことを気にしないけれど、歩いているとさすがにじろじろ見られる。「サヴァーイディー」と手を合わせて挨拶をすると、皆笑顔で応えてくれる。途中、コカコーラの工場や、日本車のディーラーなども見かける。その周りには飲食店が並んでいる。そのうちの一件に入ると、まだ十代と思われる女の子が店番をしていて、ぼくを見ると驚いて慌てている。が、挨拶をするとニコッと笑って応えてくれた。ペプシを買うと、指で二を表して、二千キープであることを教えてくれる。ストローとペプシを受け取ると、そこで飲んで下さい、というように外のベンチを指さす。この子、かわいすぎる。というか、ラオスの子供は皆かわいすぎる。

 タイと同様に、ラオスも雨期のせいか太陽の日ざしが少しもきつくない。湿気も思ったほど辛くない。歩いていると汗ばみはするものの、心地良い風のおかげで歩くことが少しも苦痛にならない。皮のサンダルは長距離を歩くのには適してないかとも思ったけれど、それほどでもない。歩きながら、『姑獲鳥の夏』の京極堂の台詞を頭の中で反芻する。

「量子力学が示唆する極論はーこの世界は過去を含めて<観察者が観察した時点で遡って創られた>だ」

 この台詞を前後の文脈から判断すると、世界はぼくが観察した瞬間にその態度を決める、ということになる。ぼくという個人が観察するまで、その世界は存在しないということだ。今、ぼくがこうやって歩いているこの町は、ぼくがここに来る以前から存在していたはずだ。それは間違いない。しかし、京極堂の言葉によると、この町の存在はぼくの観察後に創られたものということになる。

 京極堂は続ける。

「僕等の科学で知り得る宇宙というのは、実に我々の生存に都合良くできているじゃないか。(中略)その理由はただひとつ、観察しているのが人間だからーさ。(中略)我々の内なる世界は言葉という呪によって覚醒したが、外なる世界もまた科学という呪によって覚醒したのさ。」

 観察者が対象に影響を与えるのは、人間が「世界を語る」ことができるからだ、と言っているようにぼくには聞こえる。もしそれが正しいとして、それでは、「語られる世界」とは、一体なんなのだろうか?世界は、人間が存在しなければ「語られる」ことはなかった。世界が語られた瞬間、そこに一体どのような影響が及ぼされるのだろうか?ぼくは尊敬する作家のひとりである保坂和志の『世界を肯定する哲学』のことを思いだす。保坂は書いている。「私が生まれる前から世界はあり、私が死んだ後も世界はありつづける。」今、このとてもシンプルな命題が「世界」を考えるときにどれだけ重要な意味を持つか、少しだけ分かったような気がした。そして「観察すること」について、もっと深く考えたいと思ったが、それ以上考えることは出来なかった。

 さらに歩く。歩くということは、足を交互に動かすという同じ動作の繰り返しで、それがぼくにはとても心地よい。ポール・オースターは「シティ・オブ・グラス」の冒頭で以下のように書いている。

散歩をするたびに、彼は自分を置き去りにしているように感じた。人の流れに身をまかせることによって、自分がひとつの目になることによって、考える義務から逃れることができた。このことは何よりも彼にある種の平安を、健康な空白をもたらした。世界は彼の外に、彼の周りに、彼の前にあった。刻々と変化するそのスピードが、彼にひとつのことを長く考える余裕を与えなかった。身体を動かすことが肝心だった。一方の足を前に踏み出し、それに合わせて体を動かすことだ。目的もなくさまよい歩いていると、どこへ行っても同じことで、自分がどこにいるかは問題でなくなる。気が乗っているときは、自分がどこにも存在しないように感じられた。そして、それこそ彼が求めてきた状態だった。

 ぼくは、歩きながら色々なことを考える。何も考えないということは絶対にない。くだらないこと、つまらないことを常に考えている。ぼくが上記の主人公に共感するには、「考える義務」から逃れて、「自分を置き去りにしているように感じ」るという点で、「考えること」と「考える義務から逃れること」は、ぼくにとって同義であり、「考える義務」から逃れることによって考えられることを考えることがとても楽しい。などと訳の分からないことを考える。そんなことを考えながら、さらに歩く。

ぶつぞー 途中、道を左に入った先に塔のようなものを発見。好奇心に駆られて、左に入り坂を上ってその方向へ行ってみると、大きめの寺院がある。中を覗いてみると、大きな仏像が見える。ワクワクしながら中に入る。昨日、バンコク国立博物館でみた釈迦如来像と同じ形をした仏像が四体、互いに背中を合わせて座っている。眺めていると、僧侶が近づいてきた。サヴァーイディー。挨拶をして、勝手に入った無礼を詫びるが、にこにことしていて全然気にしていない様子。「どうしてこの寺に来た?」と聞かれたので、「見かけたら」と応えたら、可笑しそうに笑っている。仏像が好きなので、写真を撮っても良いですか?と聞くと、快く了承してくれた。いろいろと聞きたいことがあったが、英語力の問題で断念。

 結局、ヴィエンチャンには六時半過ぎに戻った。三時間以上歩いたことになる。夕方のメコンを散歩する。川岸で、数十人のおばちゃんが全員でダンスを踊っている。屋台でラオビールを買って、メコンを眺めながら飲む。わたくしは、ラオスに来ております。楽しくて嬉しくて、にやにやしてしまう。

めこん

 明日はとうとう南ラオス。うまくいけば、明日中にはワット・プーに辿り着けるかも知れない。今回の旅行は、予想以上にうまく進んでいる。この調子で最終日までいってほしいものです。

こども

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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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