
01年11月05日(月)
〜哀愁〜
哀愁って何だろう? と最近思った。ビートたけしの主演してた映画で「悲しい気分でジョーク」ってのがあった、細かい内容は殆ど忘れてしまったが確か息子が白血病か何かの不治の病で父親のタケシと最後にオーストラリアに旅行に行くとかいう話だった。そしてこの題名、まさしく哀愁の格言として的を得てる、「悲しい気分でジョーク」ですよ。男はいつ何時でもジョークを飛ばすことが出来なくてはならない、鉄割のメンバーで中島君というのがいる、数年前に彼のお母さまが亡くなられた、僕らはお通やに行き葬式に行った、普段ひょうひょうとフザケ抜かした生き様の中島君もさすがにお母さまとのお別れの式だけあって、喪服を着てた、献花をしてお経をあげてる間、中島君は神妙な顔をして親族の席に座っていた、しかし式が終わって、僕らが用意された寿司やビールを遠慮なく頂いてると、中島君はにこにこしながら「ウイウイウイ〜ッス! 寿司くってっか〜あ」と馬鹿な挨拶で僕らに近づいてきた。母親が亡くなったの「ウイウイウイ〜ッッス」は無いだろうと思ったが、中島君と話てるといつの間にか、いつもの酒飲み場とかしてしまった。「悲しい気分でジョーク」、この時の中島君は悲しい気分だったに決まってる、半年前に家族で最後に行った北海道旅行の事などを思い出してたのかもしれない。でも普段の馬鹿仲間が来てたから、神妙面なんてしてられなかったのだろう。それに悲しさを吹き飛ばす手立てはジョークしか無いのかもしれない、でもそこでジョークを噴出するには大変勇気が必要だし、そのジョークを解せない野暮な奴等には対しては大変なリスクを背負うことになる、それでも冗談を出すことに意義があると感じてしまった生き様は、まさしく哀愁である。そしてまたその哀愁をどこ吹く風と吹き飛ばしてしまう、どうでも良さを備えてなくてはならない、つまり哀愁って相手に見られたらもうお終いなのである、哀愁なんて背負っちまったら死んだと同じだ。このまま行ったら鉄割アルバトロスケットも哀愁が出てきてしまう、コレは不味い、笑って過ごせれば何よりなのに、背中に何も背負わないで、ボロボロ落とし物をしながら鉄割アルバトロスケットは行きたい、寅さんの凄さは死ぬまで哀愁が無かったところ、中島の背中は細すぎて何も背負えない、だいたい人間は哀愁なんて意識したからつまらなくなってしまったんだ、人間なんて生き物に哀愁は無い、生命に哀愁は無用である、哀愁ってのは内容からではなく、単なる見た目であり、その見た目から勝手に想像するできる馬鹿らしさである、そして本当の哀愁ってのは生き物には宿らない、車に突っ込まれて何年間も曲がったままになってるガードレール、空き地に放置された草木の絡まったバス、新興住宅地を作るために伐採されて何もなくなった禿げ山、嘔吐物の真ん中にあった入れ歯。そんな間抜けな哀愁のある演目をやりたいとは思うが、実際に鉄割がそのような状態に陥ってしまうのは、笑うに笑えない、燃やしてしまいたい、私共まだ生きてる、哀愁を笑いながらボロボロ落とし物を沢山していこうと思う。俺等はダサイ、哀愁なんていらない、20億万円拾って、吹き飛ばす。
哀愁って何だろう? と最近思った。ビートたけしの主演してた映画で「悲しい気分でジョーク」ってのがあった、細かい内容は殆ど忘れてしまったが確か息子が白血病か何かの不治の病で父親のタケシと最後にオーストラリアに旅行に行くとかいう話だった。そしてこの題名、まさしく哀愁の格言として的を得てる、「悲しい気分でジョーク」ですよ。男はいつ何時でもジョークを飛ばすことが出来なくてはならない、鉄割のメンバーで中島君というのがいる、数年前に彼のお母さまが亡くなられた、僕らはお通やに行き葬式に行った、普段ひょうひょうとフザケ抜かした生き様の中島君もさすがにお母さまとのお別れの式だけあって、喪服を着てた、献花をしてお経をあげてる間、中島君は神妙な顔をして親族の席に座っていた、しかし式が終わって、僕らが用意された寿司やビールを遠慮なく頂いてると、中島君はにこにこしながら「ウイウイウイ〜ッス! 寿司くってっか〜あ」と馬鹿な挨拶で僕らに近づいてきた。母親が亡くなったの「ウイウイウイ〜ッッス」は無いだろうと思ったが、中島君と話てるといつの間にか、いつもの酒飲み場とかしてしまった。「悲しい気分でジョーク」、この時の中島君は悲しい気分だったに決まってる、半年前に家族で最後に行った北海道旅行の事などを思い出してたのかもしれない。でも普段の馬鹿仲間が来てたから、神妙面なんてしてられなかったのだろう。それに悲しさを吹き飛ばす手立てはジョークしか無いのかもしれない、でもそこでジョークを噴出するには大変勇気が必要だし、そのジョークを解せない野暮な奴等には対しては大変なリスクを背負うことになる、それでも冗談を出すことに意義があると感じてしまった生き様は、まさしく哀愁である。そしてまたその哀愁をどこ吹く風と吹き飛ばしてしまう、どうでも良さを備えてなくてはならない、つまり哀愁って相手に見られたらもうお終いなのである、哀愁なんて背負っちまったら死んだと同じだ。このまま行ったら鉄割アルバトロスケットも哀愁が出てきてしまう、コレは不味い、笑って過ごせれば何よりなのに、背中に何も背負わないで、ボロボロ落とし物をしながら鉄割アルバトロスケットは行きたい、寅さんの凄さは死ぬまで哀愁が無かったところ、中島の背中は細すぎて何も背負えない、だいたい人間は哀愁なんて意識したからつまらなくなってしまったんだ、人間なんて生き物に哀愁は無い、生命に哀愁は無用である、哀愁ってのは内容からではなく、単なる見た目であり、その見た目から勝手に想像するできる馬鹿らしさである、そして本当の哀愁ってのは生き物には宿らない、車に突っ込まれて何年間も曲がったままになってるガードレール、空き地に放置された草木の絡まったバス、新興住宅地を作るために伐採されて何もなくなった禿げ山、嘔吐物の真ん中にあった入れ歯。そんな間抜けな哀愁のある演目をやりたいとは思うが、実際に鉄割がそのような状態に陥ってしまうのは、笑うに笑えない、燃やしてしまいたい、私共まだ生きてる、哀愁を笑いながらボロボロ落とし物を沢山していこうと思う。俺等はダサイ、哀愁なんていらない、20億万円拾って、吹き飛ばす。
01年11月06日(火)
〜軽やかポールニューマン〜
「ゲットアチャンス!」っつう映画を見た、監督リドリースコット、出演ポールニューマン(缶詰の顔)、スゲエ面白かった! というのではなかったが、大変ドキドキした、内容はポールニューマンが惚け老人で、刑務所から病院にやってきた元銀行強盗なのだが、惚けてるのは嘘で、看護婦はそれを見破り、一緒に抜け出し現金輸送車を襲うのです。スゲエ!ではないけれど、面白かった。正統的ドキドキ感のある映画でした。ドキドキと言えば「ハンニバル」って映画あったけれど、あれ大嫌いです、なんでこんなの観ちゃったんだ、と怒りすら感じました、映画を通り越して、観てしまった自分にむかついた、気味の悪さ満載にしようとして、ビックリ知的ぶった馬鹿の映画だと思った、だいたいアノ博士は頭がいい設定だけど、あいつはタダの馬鹿だし、FBIの女も馬鹿でしかない、あんな映画観るんだったら、変な形のウンチを一時間眺めてるほうがいい。でもあの監督もリドリースコットだったんだよね。で、ポールニューマンってのはアメリカではどのような位置の俳優なんだろうか? 缶詰にもなってるけれども、日本で言えば梅宮達夫なんだろうか? 商売上手なのだろうか、色々考えたけれど、アメリカに住んでない僕には良くわからない、しかし老人になっても格好がいいとはまさしくコレなんだと思えるほど格好よかった、昔、デニスホッパーが社会復帰して、日本でデニスホッパー映画祭とか、デニスホッパーが撮った写真展をやってまして、もう十何年も前の僕が高校の頃で、その時、写真展に行ったんです、そしたらポールニューマンの若いころの写真があってそれが何とも言えず格好良かったんです。で、ポールニューマンその時の格好良さから大して外れることなく格好良かったです。なんでだろう?と思うに、ポールニューマンって軽いんです、存在が、軟派というのではなく軽いんだなと思いました、そのまま重鎮になっていく俳優みたいに、演技に深みを持たせようとしたりせず、役を追求したりするのが嫌で、面倒くさいからそんな事やらないよ、と行った感じなんです。確か梅宮達夫も演技し対して考えるのが大変嫌いで面倒で何も考えないという話を読んだことがありましたが、日本で言ったらやっぱ梅宮達夫なのか? 缶詰に漬物だし、しかしポールニューマンは肉体も昔とあまり変化してないから、太らなかった梅宮達夫なのか、でも梅宮達夫って昔も結構肉付きよかったか。とにかくポールニューマンの存在の軽やかさは、大変耐えられるものでした。そんでもって、ハンニバルの博士の存在の重さぶりは大変耐えられません、あんな博士とっとと死んでくれ、あれをやってた俳優も演技派とか呼ばれる大物なんだろうが、駄目だあいつ、どうでもいいね、重みなんて。ポールニューマンの軽やかさは削ぎ落しとかではなく、ただのナチュラル、あとは全部缶詰に詰まってる筈、缶詰の中身はナチュラルか判らないけれど、アレは美味いんだよと食った事のある友達から聞いたことはある、そんでポールニューマンは顔にもなってるのでよく食べてるだろう、そしてあんな軽やかさを身に付けたのならば、アレを食えばいいのか、博士も脳味噌食ってないで、ポールさん印の缶詰食え!と。
「ゲットアチャンス!」っつう映画を見た、監督リドリースコット、出演ポールニューマン(缶詰の顔)、スゲエ面白かった! というのではなかったが、大変ドキドキした、内容はポールニューマンが惚け老人で、刑務所から病院にやってきた元銀行強盗なのだが、惚けてるのは嘘で、看護婦はそれを見破り、一緒に抜け出し現金輸送車を襲うのです。スゲエ!ではないけれど、面白かった。正統的ドキドキ感のある映画でした。ドキドキと言えば「ハンニバル」って映画あったけれど、あれ大嫌いです、なんでこんなの観ちゃったんだ、と怒りすら感じました、映画を通り越して、観てしまった自分にむかついた、気味の悪さ満載にしようとして、ビックリ知的ぶった馬鹿の映画だと思った、だいたいアノ博士は頭がいい設定だけど、あいつはタダの馬鹿だし、FBIの女も馬鹿でしかない、あんな映画観るんだったら、変な形のウンチを一時間眺めてるほうがいい。でもあの監督もリドリースコットだったんだよね。で、ポールニューマンってのはアメリカではどのような位置の俳優なんだろうか? 缶詰にもなってるけれども、日本で言えば梅宮達夫なんだろうか? 商売上手なのだろうか、色々考えたけれど、アメリカに住んでない僕には良くわからない、しかし老人になっても格好がいいとはまさしくコレなんだと思えるほど格好よかった、昔、デニスホッパーが社会復帰して、日本でデニスホッパー映画祭とか、デニスホッパーが撮った写真展をやってまして、もう十何年も前の僕が高校の頃で、その時、写真展に行ったんです、そしたらポールニューマンの若いころの写真があってそれが何とも言えず格好良かったんです。で、ポールニューマンその時の格好良さから大して外れることなく格好良かったです。なんでだろう?と思うに、ポールニューマンって軽いんです、存在が、軟派というのではなく軽いんだなと思いました、そのまま重鎮になっていく俳優みたいに、演技に深みを持たせようとしたりせず、役を追求したりするのが嫌で、面倒くさいからそんな事やらないよ、と行った感じなんです。確か梅宮達夫も演技し対して考えるのが大変嫌いで面倒で何も考えないという話を読んだことがありましたが、日本で言ったらやっぱ梅宮達夫なのか? 缶詰に漬物だし、しかしポールニューマンは肉体も昔とあまり変化してないから、太らなかった梅宮達夫なのか、でも梅宮達夫って昔も結構肉付きよかったか。とにかくポールニューマンの存在の軽やかさは、大変耐えられるものでした。そんでもって、ハンニバルの博士の存在の重さぶりは大変耐えられません、あんな博士とっとと死んでくれ、あれをやってた俳優も演技派とか呼ばれる大物なんだろうが、駄目だあいつ、どうでもいいね、重みなんて。ポールニューマンの軽やかさは削ぎ落しとかではなく、ただのナチュラル、あとは全部缶詰に詰まってる筈、缶詰の中身はナチュラルか判らないけれど、アレは美味いんだよと食った事のある友達から聞いたことはある、そんでポールニューマンは顔にもなってるのでよく食べてるだろう、そしてあんな軽やかさを身に付けたのならば、アレを食えばいいのか、博士も脳味噌食ってないで、ポールさん印の缶詰食え!と。
01年11月07日(水)
〜トンネル抜けて〜
戦後、闇米を運ぶためにあらゆる手段をつかいました。東北地方から米を隠し持って、上野まで汽車に乗ります、しかし普通に乗車したんではバレてしまう可能性が高い、隠れる場所といったらあとは便所ぐらいですが、ズーッと入ってることは中々出来ません。そんな事できるのは鉄割アルバトロスケットでは木村さんぐらいです、仙台くらいならいとも簡単に、それも新幹線に乗って無料で帰ってくることが出来ます。
そんで闇米ですが、ある者が、ココならばバレないと汽車の屋根の上に乗りました、そして上野を目指したのです。だが上野に着いた時、屋根には散らばった白い米の上にベッタリト赤い血が飛び散っていたそうです、本当の話。米と血の組み合わせとは、なんだか大変、恐ろしい。
屋根に乗ってた男は、トンネルを抜ける際に何処かへ飛び散ってしまったそうです。ダイナマイツというGSバンド(山口富士男在籍)の名曲で「トンネル抜けて」というのがあります。闇米を運ぼうとして死んだ男とは全く関係ありません。
戦後、闇米を運ぶためにあらゆる手段をつかいました。東北地方から米を隠し持って、上野まで汽車に乗ります、しかし普通に乗車したんではバレてしまう可能性が高い、隠れる場所といったらあとは便所ぐらいですが、ズーッと入ってることは中々出来ません。そんな事できるのは鉄割アルバトロスケットでは木村さんぐらいです、仙台くらいならいとも簡単に、それも新幹線に乗って無料で帰ってくることが出来ます。
そんで闇米ですが、ある者が、ココならばバレないと汽車の屋根の上に乗りました、そして上野を目指したのです。だが上野に着いた時、屋根には散らばった白い米の上にベッタリト赤い血が飛び散っていたそうです、本当の話。米と血の組み合わせとは、なんだか大変、恐ろしい。
屋根に乗ってた男は、トンネルを抜ける際に何処かへ飛び散ってしまったそうです。ダイナマイツというGSバンド(山口富士男在籍)の名曲で「トンネル抜けて」というのがあります。闇米を運ぼうとして死んだ男とは全く関係ありません。
01年11月09日(金)
01年11月10日(土)
新宿でご飯を食った、漫画喫茶の上にある、いつも物凄く並んでる自称台湾飯をくわせるところ、\1000券を道端でもらったし、時間的に並ばなくてよかったので行ってみたら、最悪だった、無理やりの相席にに詰め込まれ、伝票は間違えてて間違え伝えたらいやな顔してるし、中でも一番腹立たしかったのはピータン豆腐である、僕はピータン豆腐が好物だ、ピータン豆腐ってのは大体、豆腐一丁にネギとピータンが一つ細かく切ったのが乗ってる、それで¥600くらいの、安くておいしくて、おつまみに最適なんだけど、そこのは、一丁の豆腐が3分の1に薄くスライスされてて、ピータンなんて、鳥のうんち程度しか乗ってない、呆気にとられたそれで¥580もする、ひどい話だ、だが店にはどんどん人が入ってきてもう満席状態。いったい何を求めてこんなに人間がやってっくるのだろうか?。もう窮屈だし、うるさいし、ピータン豆腐最悪だし、早く店を出たくて、ちゃっちゃっちゃと食べて店を出た。並んでる人にここやめておいたほうがいいですよ、と言いたい気分であったが、並んでる人はうきうきしてる。台湾の屋台で汚い器に入った、飯をたらふく食いたい気分になった、食中毒になるといわれても僕はそっちのほうを選ぶ。
01年11月11日(日)
01年11月12日(月)
01年11月13日(火)
01年11月14日(水)
01年11月16日(金)
01年11月17日(土)
01年11月18日(日)
01年11月21日(水)
01年11月22日(木)
01年11月23日(金)
01年11月24日(土)
01年11月25日(日)
01年11月26日(月)
01年11月28日(水)
01年11月29日(木)
01年11月30日(金)
長そでTシャツでうろうろする父親の背中をみたら、かわいらしいイラストが書いてあった、近づいてみたら、マークゴンザレスって書いてあった、「あんたなんでそんなTシャツ持ってるの?」って聞いたら「これ、絵が可愛いからな、高かったんだけど買ったんだよ」と「それマークゴンザレスという人の絵だよ」
「ああ、そんな人の絵みたいね」と言ってた。
フニャ〜としたマークゴンザレスの絵が父親のデカイ背中で、余計延びてた。父はスケーボーには乗らないが、野菜市場での曲芸台車乗りは上手である。
しかし、実は僕の方が台車に乗るのがうまい、浅草の歩行者天国で、アルバイトで段ボールを運んで空になった台車に乗って凄い早さで走ってた、スケボーは高校生の頃、伊勢丹デパートのおもちゃ売り場で、売り物のスケボーに乗って、走ったら、大変勢いよくおもちゃに突っ込んで、身体を打ち付けて、逃げた、それで僕には向いてないと思った、演出の牛島はブレイクダンスとスケボーが上手、でも今っぽくなくて
限りなく80年代的な雰囲気が漂うのもまたイカしてる。俺は高校の頃「限りなく透明に近いブルー」を読んで、センズリこいた、その頃センズリなんてネタは何でもよかった。その後横浜の講師、詩とは関係ない話ばかりしてしまった「良い塩」の話とか、次回は12月に講師があるので、クリスマスプレゼントに塩を持ってきますよ〜まで言ってしまった、塩と詩「し」が一緒だ。今思った、並べ方を変えればしとしを一緒にしてしとしを重ねてしとしをまとめて、何もかも全部一緒だ、世の中ってそういうもんだ。
「ああ、そんな人の絵みたいね」と言ってた。
フニャ〜としたマークゴンザレスの絵が父親のデカイ背中で、余計延びてた。父はスケーボーには乗らないが、野菜市場での曲芸台車乗りは上手である。
しかし、実は僕の方が台車に乗るのがうまい、浅草の歩行者天国で、アルバイトで段ボールを運んで空になった台車に乗って凄い早さで走ってた、スケボーは高校生の頃、伊勢丹デパートのおもちゃ売り場で、売り物のスケボーに乗って、走ったら、大変勢いよくおもちゃに突っ込んで、身体を打ち付けて、逃げた、それで僕には向いてないと思った、演出の牛島はブレイクダンスとスケボーが上手、でも今っぽくなくて
限りなく80年代的な雰囲気が漂うのもまたイカしてる。俺は高校の頃「限りなく透明に近いブルー」を読んで、センズリこいた、その頃センズリなんてネタは何でもよかった。その後横浜の講師、詩とは関係ない話ばかりしてしまった「良い塩」の話とか、次回は12月に講師があるので、クリスマスプレゼントに塩を持ってきますよ〜まで言ってしまった、塩と詩「し」が一緒だ。今思った、並べ方を変えればしとしを一緒にしてしとしを重ねてしとしをまとめて、何もかも全部一緒だ、世の中ってそういうもんだ。