09年12月06日(日)
金曜日は朝から所用に出掛け、帰ってからぬかりのないように準備をして土曜日は山梨県へ出掛けました。
スズナリ公演に来た方はもしかしたら物販のところにあったフライヤーを見てご存知かもしれませんが、山梨県で画家の下平晃道氏の個展があるということで、スズナリの時に「行きたいね」という話をしていた皆様と出掛けました。私は日頃近所くらいしか運転しないので、人生で一番のロングドライブになるので前日は22時には眠りに取り掛かり、翌朝も5時半に起きるという堅実な態度で運転に挑みました。
諸事情で集合場所がこれまた都合良く下平氏の家の近所で、ガソリンスタンド風に手厚くお見送りして頂きまして出発しました。
前日「明日山梨に行くのだよ~」と言う方が居ましたので「では会えたらよいね~」くらいの話をしていたのですが全く示し合わせなどしませんでした。なのですがどういう訳か会ってしまうもので第一の休憩場所の談合坂で早速遭遇しました。そしてそこでも適当にお別れしまして私たちは山にある仙人小屋という素晴らしき山の御馳走料理のお店へ行きました。するとそこにも先ほどの一行が。あちらは一足先に出掛けて行き、こちらも美味しい山料理の数々に興奮して鹿の刺身等、猪のまたぎ鍋だの山菜の天ぷらだのを平らげました。この分だと間違いなく個展の会場であるトラックスでも会うのだろうと思っていましたが、そこでは遭遇しませんでした。下平氏の不思議な絵を鑑賞していると、外に何故か中島弟君の姿が。そして早朝群馬県に向かったという方の姿も現れる。なんだろうかこれは。
そこからはこのお2人と合流しまして文字通り右往左往しながら温泉に立ち寄り帰路に着きました。帰りまた談合坂で合流し、車の乗組員を交換して家に向かいました。なんだかよくわかりませんね。謎の道中巡り合わせはよいとして、下平氏の絵は本当に不思議なので機会があれば見るとよいと思います。イラストレーターとしてのマーグラフ名義の絵も素敵なのですが、やっぱり名義を分けるだけのことはあり、下平名義の絵はなんともどうにも不思議なものでして一度経験してみて欲しい絵です。なんというか、1枚の絵は1つの時空のほころびのようなもので、非常に此処っぽい心の彼方の何処かへの入り口のような感じなので、今回は沢山の絵があり、入り口が沢山ありましたので、見る側としてはその世界にかなり入りやすく、また、トラックスというギャラリーとの相性も素晴らしく、今回の展示を見れた方は次がまた楽しみになったことと思われます。そんなこんなが土曜日でした。
そしてやはり発端はスズナリの時で、その時に「12月6日に鎌倉に行きましょう」という人が居ましたので私も方々誘い合わせて楽しみにして出掛けて行きました。色々お祝いやライブがあってお祭りでトン汁を食べるとのことでした。そして現地に到着してみましたら、紅白幕の前に大きな寸胴鍋はあれどトン汁の気配(匂い)は無し。しかしライブなどあり美味しいパンを食べたりしていると、道で知らないおじさんが「フリーマーケットに行ってください」というので行くことにする。フリーマーケットでカントリー調のワンピースを購入し、クッキーを焼くことを決意し、ビールを買い飲み歩き、元いた場所に戻り、演奏の聞こえる橋の上に行き心地よい音楽を聴いた。ヒートッテックが仇になる良い天気だった。そういえば誘い主が現れず電話するもつながらない。するとお祝いの源となる方が現れ「パーティーの準備を手伝って貰えますか」と言いましたのでパーティーがあることがわかりました。それならばと手伝うことに。それにしても誘い主が現れないのでもう一度電話してみたら「これない」と。これないのか。そうなのか。色々と気の毒ですがわかりました。そんじゃいきましょうとパーティーが開かれるおうちの場所を聞き、各々欲しかった野菜や秋刀魚の糠漬けやパンを購入し、準備へ向かいました。聞いた話を辿りつつ歩き、隅々まで素敵なおうちを発見し素敵なドアを開け「手伝いに来ました」と言い、荷物を置き手を洗いそれから数時間は夢のように素晴らしいキッチンで料理に勤しむ(大袈裟でもなんでもなく本当に夢のようなキッチンで、後に聞いた話によると料理教室を営んでいるそうなのでこの「夢のようなキッチン」をどうか納得して下さい)。手伝う方も手伝われる方もいまいちその相手が誰だかおぼろげにしかわからないままに既に始まった的確な指示の下の料理大会。鳥の丸焼き2つの準備の横で大きなお釜にご飯を炊く準備から始まり、サルサソース用のトマトを刻みネギを刻み芋をむき白玉を捏ねる等等。白玉を大量に丸め続けた手の平には、砂丘のような風紋ならぬ白玉紋が形成されてゆく。なんと面白い日なのかと黙々と白玉を丸める(この白玉には紫芋の粉が入り、実は正確にはきっと紫玉なのです)。あっという間に日は暮れてすこぶる美味しいご馳走が所狭しと並びました。あーあ。来れなかった人は本当にお気の毒だし、来そうなあの人も来るのかわからないけれども来ればよいのにと心底思っていたらひょっこり現れバーテンさんになっているとのことで、お酒コーナーにお酒を貰いに行きましたら「バーテンじゃない」とのことでした。が、1杯作って下さりましてそれとても美味しかったです。
ぞくぞくと沢山の人が集まり楽しく飲んで食べて素晴らしいお祝いの会に参加できました。本当におめでとう!そして手伝いに誘ってもらって心からありがとう!ものすごく美味しく楽しかったです。
この土日は食べたことないような御馳走ばかり食べました。
奇妙で良い2日間でした。満腹。
スズナリ公演に来た方はもしかしたら物販のところにあったフライヤーを見てご存知かもしれませんが、山梨県で画家の下平晃道氏の個展があるということで、スズナリの時に「行きたいね」という話をしていた皆様と出掛けました。私は日頃近所くらいしか運転しないので、人生で一番のロングドライブになるので前日は22時には眠りに取り掛かり、翌朝も5時半に起きるという堅実な態度で運転に挑みました。
諸事情で集合場所がこれまた都合良く下平氏の家の近所で、ガソリンスタンド風に手厚くお見送りして頂きまして出発しました。
前日「明日山梨に行くのだよ~」と言う方が居ましたので「では会えたらよいね~」くらいの話をしていたのですが全く示し合わせなどしませんでした。なのですがどういう訳か会ってしまうもので第一の休憩場所の談合坂で早速遭遇しました。そしてそこでも適当にお別れしまして私たちは山にある仙人小屋という素晴らしき山の御馳走料理のお店へ行きました。するとそこにも先ほどの一行が。あちらは一足先に出掛けて行き、こちらも美味しい山料理の数々に興奮して鹿の刺身等、猪のまたぎ鍋だの山菜の天ぷらだのを平らげました。この分だと間違いなく個展の会場であるトラックスでも会うのだろうと思っていましたが、そこでは遭遇しませんでした。下平氏の不思議な絵を鑑賞していると、外に何故か中島弟君の姿が。そして早朝群馬県に向かったという方の姿も現れる。なんだろうかこれは。
そこからはこのお2人と合流しまして文字通り右往左往しながら温泉に立ち寄り帰路に着きました。帰りまた談合坂で合流し、車の乗組員を交換して家に向かいました。なんだかよくわかりませんね。謎の道中巡り合わせはよいとして、下平氏の絵は本当に不思議なので機会があれば見るとよいと思います。イラストレーターとしてのマーグラフ名義の絵も素敵なのですが、やっぱり名義を分けるだけのことはあり、下平名義の絵はなんともどうにも不思議なものでして一度経験してみて欲しい絵です。なんというか、1枚の絵は1つの時空のほころびのようなもので、非常に此処っぽい心の彼方の何処かへの入り口のような感じなので、今回は沢山の絵があり、入り口が沢山ありましたので、見る側としてはその世界にかなり入りやすく、また、トラックスというギャラリーとの相性も素晴らしく、今回の展示を見れた方は次がまた楽しみになったことと思われます。そんなこんなが土曜日でした。
そしてやはり発端はスズナリの時で、その時に「12月6日に鎌倉に行きましょう」という人が居ましたので私も方々誘い合わせて楽しみにして出掛けて行きました。色々お祝いやライブがあってお祭りでトン汁を食べるとのことでした。そして現地に到着してみましたら、紅白幕の前に大きな寸胴鍋はあれどトン汁の気配(匂い)は無し。しかしライブなどあり美味しいパンを食べたりしていると、道で知らないおじさんが「フリーマーケットに行ってください」というので行くことにする。フリーマーケットでカントリー調のワンピースを購入し、クッキーを焼くことを決意し、ビールを買い飲み歩き、元いた場所に戻り、演奏の聞こえる橋の上に行き心地よい音楽を聴いた。ヒートッテックが仇になる良い天気だった。そういえば誘い主が現れず電話するもつながらない。するとお祝いの源となる方が現れ「パーティーの準備を手伝って貰えますか」と言いましたのでパーティーがあることがわかりました。それならばと手伝うことに。それにしても誘い主が現れないのでもう一度電話してみたら「これない」と。これないのか。そうなのか。色々と気の毒ですがわかりました。そんじゃいきましょうとパーティーが開かれるおうちの場所を聞き、各々欲しかった野菜や秋刀魚の糠漬けやパンを購入し、準備へ向かいました。聞いた話を辿りつつ歩き、隅々まで素敵なおうちを発見し素敵なドアを開け「手伝いに来ました」と言い、荷物を置き手を洗いそれから数時間は夢のように素晴らしいキッチンで料理に勤しむ(大袈裟でもなんでもなく本当に夢のようなキッチンで、後に聞いた話によると料理教室を営んでいるそうなのでこの「夢のようなキッチン」をどうか納得して下さい)。手伝う方も手伝われる方もいまいちその相手が誰だかおぼろげにしかわからないままに既に始まった的確な指示の下の料理大会。鳥の丸焼き2つの準備の横で大きなお釜にご飯を炊く準備から始まり、サルサソース用のトマトを刻みネギを刻み芋をむき白玉を捏ねる等等。白玉を大量に丸め続けた手の平には、砂丘のような風紋ならぬ白玉紋が形成されてゆく。なんと面白い日なのかと黙々と白玉を丸める(この白玉には紫芋の粉が入り、実は正確にはきっと紫玉なのです)。あっという間に日は暮れてすこぶる美味しいご馳走が所狭しと並びました。あーあ。来れなかった人は本当にお気の毒だし、来そうなあの人も来るのかわからないけれども来ればよいのにと心底思っていたらひょっこり現れバーテンさんになっているとのことで、お酒コーナーにお酒を貰いに行きましたら「バーテンじゃない」とのことでした。が、1杯作って下さりましてそれとても美味しかったです。
ぞくぞくと沢山の人が集まり楽しく飲んで食べて素晴らしいお祝いの会に参加できました。本当におめでとう!そして手伝いに誘ってもらって心からありがとう!ものすごく美味しく楽しかったです。
この土日は食べたことないような御馳走ばかり食べました。
奇妙で良い2日間でした。満腹。
09年12月04日(金)
今日は計画通り餃子を作りました。一大事業でした。
都合によりウー・ウェンさんの言いつけを完全には守りませんでした。
その都合について色々と考えてウー・ウェンさんの本をよく読み、なんとかしました。都合とは家にある粉の問題です。どっか道の駅で買ってきた地粉(中力粉)と、余っていたはるゆたか(強力粉)が少しと普通の小麦粉(薄力粉)がありました。
それと、ウー・ウェンさんのレシピによると、焼餃子と水餃子と蒸餃子で微妙にその使う粉と水の割合が違うのでした。一発で焼餃子と水餃子を作りたかったので迷いましたが、家にある粉の都合もありますので、今日のところは地粉とはるゆたかを混ぜて作りました。
結果今日の皮の成分は地粉160gはるゆたか40g水100ccです。無事出来上がり味もよろしかったので、まあまあいい線行ってるんじゃないかと思います。
しかし40個作るつもりが、何故か42個分出来上がりました。なので1つが少しばかり小さくなったということですがそれについて何か問題が起きるわけではないのでどうでもいいことです。
餡はウー・ウェンさんの書いてある通りに作りました。あっさりしていて美味しかったです。豚ばら肉250gを細かく切ったものと、白菜500gとニラ50gと調味料を混ぜました。そして何故か結構余りました。はてさてこれは餡が余るのと足りなくなるのどちらが良いのだろうかとしばし考えましたがどうでもいいやと思いました。次にやるときには何か別の具や調味料を入れてみようと思います。しかしこれ一人で成し遂げるには本当に一大事業で大変に時間がかかりました。何人かで分担すれば半分以下の労力と時間で出来るのだと思います。
そしてやはり私は餡よりも皮の製作に興味がある。皮をいかにしてこねるか。いかにして切り分けるか。いかにして伸ばすか。そこに燃えました。特に後半もうやけくそになってきた頃が面白いのであり、こういうものは毎度コツがわかってきた頃に終わるものです。そもそも10センチにも満たない餃子の皮を伸ばすのに30センチ以上はある棒を使っていましてこれがずいぶん不便でした。短い棒が欲しくなりました。
中国毒餃子事件で騒がしい頃に「冷凍餃子なんぞ食わずに作ったほうが旨いのに」とか思っていました。なぜならば私は昔、台湾人と日本人のハーフの女の子の指導の下美味しい餃子を作ったことがあったからです。10人くらいで。肉屋さんの厨房で。なので簡単だと思っていたのですけれども、狭い家の台所で一人でやるならば冷凍餃子の方がよいかもしれないと今日思いました。
ときに、その餃子指導をしてくれた方なのですが、その指導方法が適当で大変面白かったです。「いいのいいの適当で」と言いながら、大きな調理道具があったせいか、巨大なボールに小麦粉(そういえば小麦粉だった気がするあのときは)を1袋まるまるざばーっと入れたのでした。結局何個出来たのか数えていませんが10名くらいがかなり本気で「もう食えん」と言う程にたらふく食べて、更に各々が2~3パックお土産で持ち帰ったのでかなりのもんだと思います。本当に適当だったけどとても美味しかったです。あの時の皆様お元気でしょうか。せっかく指導してもらったのにその時のことは「凄い旨かった」ということと「やたら量が多かった」ということしか覚えてなくて経験生かされず無念ではありますが私は今日1人で餃子を42個作りました。
都合によりウー・ウェンさんの言いつけを完全には守りませんでした。
その都合について色々と考えてウー・ウェンさんの本をよく読み、なんとかしました。都合とは家にある粉の問題です。どっか道の駅で買ってきた地粉(中力粉)と、余っていたはるゆたか(強力粉)が少しと普通の小麦粉(薄力粉)がありました。
それと、ウー・ウェンさんのレシピによると、焼餃子と水餃子と蒸餃子で微妙にその使う粉と水の割合が違うのでした。一発で焼餃子と水餃子を作りたかったので迷いましたが、家にある粉の都合もありますので、今日のところは地粉とはるゆたかを混ぜて作りました。
結果今日の皮の成分は地粉160gはるゆたか40g水100ccです。無事出来上がり味もよろしかったので、まあまあいい線行ってるんじゃないかと思います。
しかし40個作るつもりが、何故か42個分出来上がりました。なので1つが少しばかり小さくなったということですがそれについて何か問題が起きるわけではないのでどうでもいいことです。
餡はウー・ウェンさんの書いてある通りに作りました。あっさりしていて美味しかったです。豚ばら肉250gを細かく切ったものと、白菜500gとニラ50gと調味料を混ぜました。そして何故か結構余りました。はてさてこれは餡が余るのと足りなくなるのどちらが良いのだろうかとしばし考えましたがどうでもいいやと思いました。次にやるときには何か別の具や調味料を入れてみようと思います。しかしこれ一人で成し遂げるには本当に一大事業で大変に時間がかかりました。何人かで分担すれば半分以下の労力と時間で出来るのだと思います。
そしてやはり私は餡よりも皮の製作に興味がある。皮をいかにしてこねるか。いかにして切り分けるか。いかにして伸ばすか。そこに燃えました。特に後半もうやけくそになってきた頃が面白いのであり、こういうものは毎度コツがわかってきた頃に終わるものです。そもそも10センチにも満たない餃子の皮を伸ばすのに30センチ以上はある棒を使っていましてこれがずいぶん不便でした。短い棒が欲しくなりました。
中国毒餃子事件で騒がしい頃に「冷凍餃子なんぞ食わずに作ったほうが旨いのに」とか思っていました。なぜならば私は昔、台湾人と日本人のハーフの女の子の指導の下美味しい餃子を作ったことがあったからです。10人くらいで。肉屋さんの厨房で。なので簡単だと思っていたのですけれども、狭い家の台所で一人でやるならば冷凍餃子の方がよいかもしれないと今日思いました。
ときに、その餃子指導をしてくれた方なのですが、その指導方法が適当で大変面白かったです。「いいのいいの適当で」と言いながら、大きな調理道具があったせいか、巨大なボールに小麦粉(そういえば小麦粉だった気がするあのときは)を1袋まるまるざばーっと入れたのでした。結局何個出来たのか数えていませんが10名くらいがかなり本気で「もう食えん」と言う程にたらふく食べて、更に各々が2~3パックお土産で持ち帰ったのでかなりのもんだと思います。本当に適当だったけどとても美味しかったです。あの時の皆様お元気でしょうか。せっかく指導してもらったのにその時のことは「凄い旨かった」ということと「やたら量が多かった」ということしか覚えてなくて経験生かされず無念ではありますが私は今日1人で餃子を42個作りました。
09年12月03日(木)
ウー・ウェンさんという方の「北京小麦粉料理」という本が大好きで、それを見て色々と作ります。数年前は突如として肉まんばかり作っていましたがそういえば最近は肉まんは作っていません。そろそろ石油ストーブを焚くので、蒸し器をあの上に乗っけたりしてまた肉まん等色々と楽しめそうです。
蒸し器でなくとも、あれ、カレーに入れる例の「飴色のたまねぎ」という奴も、石油ストーブに乗っけておいて大量に作ってラップに分けて冷凍しておいたらいいです。あれはいちいち作るの面倒ですが、カレーにもよいですし、あれさえあればオニオングラタンスープなんてのも簡単に出来ますのでこの冬はストーブ解禁と共に「飴色のたまねぎ」生産に勤しみたいと思っております。
で、「北京小麦粉料理」を見てまあ色々と作るのですが、なぜかまだ餃子は作っていませんでしたので明日辺り作ろうかと思っています。最初だから普通ので充分なのですけれども、なんか別の中身も良いのが本に出ていて頭を悩ませております。
今日は、最近話題になることの多いたこ焼きを作りました。たまに作るのですがあまり情熱的ではなかったのですが、皆様何かずいぶんと旨くなるよう工夫をしておられるようで、自分は丸く作る技法に夢中でそんなこと考えたこともなかったので少し反省して、今日は海老の酒蒸しを入れたりしてみました。
粉を出汁で溶きますが、最近は鰹節の塊を入手しましたのでそれで出汁を取ってみたり。なんだりかんだり。手間と暇しか取り得がないような具合で、まだなんか人に話すほどの情熱はないです。いつか火が付くのでしょうか。
鰹節の塊は猛烈に硬くて素敵です。うちの鰹節を削る道具のカンナみたいな部分の調子があまりよろしくないようで、場所によっては削れなかったりします。乗ってくると大変素晴らしく削れるのですが、なんか毎回粉みたいなのも出してしまいます。粉みたいなのが出てくるのは何かが間違っているのだと思いまして、塊の方もなんかぼそぼそしてきて不快なのです。上手く削れるともう止めたくない程に快適でありまして、塊の方もつやつやとしてなんともいえない美しい光を放つのであります。
で、思い出したのですが、鰹節の塊を買う時に、おじさんが「削る道具を長いこと使っていないのであれば、刃を調節してあげるので、刃だけもってきなさいな、12月は忙しくて出来ないけどそれ以外ならやってあげるから」と言いました。気づけば12月になっておりまして今年はあのままやり過ごすことになりました。1月になったら忘れずに持っていこうと思います。あのアメ横の鰹節屋さんです。
スズナリ公演のことを書こう書こうと思えどなんかあんまり思い出せません。そうだ毎回皆様から素晴らしい差し入れを頂きましてありがとうございます。ちょっと、普通じゃないのではないだろうかと思うくらいに沢山頂いている気がします。差し入れのその内容もいつも素晴らしいものがかりでとても嬉しいのですが、中身に伴いまして外装も素敵だったりします。私は箱とか缶とかが大好きでして、今回は中身も缶も箱も包み紙も紙袋も大好きなたちばなのかりんとうがやってきまして、私他のものはそんなに所有権を主張することはあんまりないのですが、あの缶と箱と紙袋は「これは私のものだ」と申請して持ち帰りました。包み紙は慌しい中見失ってしまって大変悲しいです。紙袋はあやうく横流れしそうになりヒヤヒヤしましたが私の元に戻ってきました。それと、洋菓子の箱で素敵なのを見つけまして、それも持ち帰って文房具入れに落ち着きました。その中に、津和野のお土産で頂いたお菓子の箱がちょうど蓋と本体並べて収まりよい仕切りになっています。今まで文房具を入れていた和紙の張ってあるお菓子が入っていた箱は便箋入れになりました。便箋が今まで入っていた箱は、包み紙と共存だったのでこのたび独立しました。そこに今回新たに京都から来た包み紙が加わりました。
今回受付で、便利に使った箱はバームクーヘンが入っていた箱です。
とにかく箱がすきで、何でも箱に入れたい。
ところが袋も好きです。靴下も袋みたいで好きです。
なぜか長年所有していたコーヒーギフトの箱は今回の公演で便利に使って捨てられました。あと、花模様のお菓子が入っていた箱もアンケート入れたりして使っていたのですが、そろそろ寿命の予感でよぼよぼしていまして、気に入っているので持ち帰ってきて今輪ゴムで補強しています。
この下の写真はロサンゼルスのダウンダウンの古本屋さんの素晴らしい包装です。おじいさんが丹念に包んでくれました。泣ける程好きなんですけど伝わりますでしょうか。この写真でガムテープで止めてあるように見えるのですが、それは、何というか紙の裏に糊みたいのが付いている(切手みたいな仕組みの)見たことのないもので、それを繰り出す道具も素敵でした。英語が堪能であればあれについて是非聞きたかったのですが、私には無理でした。何だかご存知の方、心当たりのある方がもしいましたら教えて下さい。
よくくっついていたのですが、はがすときにはぜんぜんねばねばしませんでした。貼った直後もあまりぬれているという感じはありませんでした。

蒸し器でなくとも、あれ、カレーに入れる例の「飴色のたまねぎ」という奴も、石油ストーブに乗っけておいて大量に作ってラップに分けて冷凍しておいたらいいです。あれはいちいち作るの面倒ですが、カレーにもよいですし、あれさえあればオニオングラタンスープなんてのも簡単に出来ますのでこの冬はストーブ解禁と共に「飴色のたまねぎ」生産に勤しみたいと思っております。
で、「北京小麦粉料理」を見てまあ色々と作るのですが、なぜかまだ餃子は作っていませんでしたので明日辺り作ろうかと思っています。最初だから普通ので充分なのですけれども、なんか別の中身も良いのが本に出ていて頭を悩ませております。
今日は、最近話題になることの多いたこ焼きを作りました。たまに作るのですがあまり情熱的ではなかったのですが、皆様何かずいぶんと旨くなるよう工夫をしておられるようで、自分は丸く作る技法に夢中でそんなこと考えたこともなかったので少し反省して、今日は海老の酒蒸しを入れたりしてみました。
粉を出汁で溶きますが、最近は鰹節の塊を入手しましたのでそれで出汁を取ってみたり。なんだりかんだり。手間と暇しか取り得がないような具合で、まだなんか人に話すほどの情熱はないです。いつか火が付くのでしょうか。
鰹節の塊は猛烈に硬くて素敵です。うちの鰹節を削る道具のカンナみたいな部分の調子があまりよろしくないようで、場所によっては削れなかったりします。乗ってくると大変素晴らしく削れるのですが、なんか毎回粉みたいなのも出してしまいます。粉みたいなのが出てくるのは何かが間違っているのだと思いまして、塊の方もなんかぼそぼそしてきて不快なのです。上手く削れるともう止めたくない程に快適でありまして、塊の方もつやつやとしてなんともいえない美しい光を放つのであります。
で、思い出したのですが、鰹節の塊を買う時に、おじさんが「削る道具を長いこと使っていないのであれば、刃を調節してあげるので、刃だけもってきなさいな、12月は忙しくて出来ないけどそれ以外ならやってあげるから」と言いました。気づけば12月になっておりまして今年はあのままやり過ごすことになりました。1月になったら忘れずに持っていこうと思います。あのアメ横の鰹節屋さんです。
スズナリ公演のことを書こう書こうと思えどなんかあんまり思い出せません。そうだ毎回皆様から素晴らしい差し入れを頂きましてありがとうございます。ちょっと、普通じゃないのではないだろうかと思うくらいに沢山頂いている気がします。差し入れのその内容もいつも素晴らしいものがかりでとても嬉しいのですが、中身に伴いまして外装も素敵だったりします。私は箱とか缶とかが大好きでして、今回は中身も缶も箱も包み紙も紙袋も大好きなたちばなのかりんとうがやってきまして、私他のものはそんなに所有権を主張することはあんまりないのですが、あの缶と箱と紙袋は「これは私のものだ」と申請して持ち帰りました。包み紙は慌しい中見失ってしまって大変悲しいです。紙袋はあやうく横流れしそうになりヒヤヒヤしましたが私の元に戻ってきました。それと、洋菓子の箱で素敵なのを見つけまして、それも持ち帰って文房具入れに落ち着きました。その中に、津和野のお土産で頂いたお菓子の箱がちょうど蓋と本体並べて収まりよい仕切りになっています。今まで文房具を入れていた和紙の張ってあるお菓子が入っていた箱は便箋入れになりました。便箋が今まで入っていた箱は、包み紙と共存だったのでこのたび独立しました。そこに今回新たに京都から来た包み紙が加わりました。
今回受付で、便利に使った箱はバームクーヘンが入っていた箱です。
とにかく箱がすきで、何でも箱に入れたい。
ところが袋も好きです。靴下も袋みたいで好きです。
なぜか長年所有していたコーヒーギフトの箱は今回の公演で便利に使って捨てられました。あと、花模様のお菓子が入っていた箱もアンケート入れたりして使っていたのですが、そろそろ寿命の予感でよぼよぼしていまして、気に入っているので持ち帰ってきて今輪ゴムで補強しています。
この下の写真はロサンゼルスのダウンダウンの古本屋さんの素晴らしい包装です。おじいさんが丹念に包んでくれました。泣ける程好きなんですけど伝わりますでしょうか。この写真でガムテープで止めてあるように見えるのですが、それは、何というか紙の裏に糊みたいのが付いている(切手みたいな仕組みの)見たことのないもので、それを繰り出す道具も素敵でした。英語が堪能であればあれについて是非聞きたかったのですが、私には無理でした。何だかご存知の方、心当たりのある方がもしいましたら教えて下さい。
よくくっついていたのですが、はがすときにはぜんぜんねばねばしませんでした。貼った直後もあまりぬれているという感じはありませんでした。





