
先日、長島さんとお話をしたときに、バーゲンのはなしになって、そういえばもう長いことバーゲンに行っていないなあと思っていたらパルコが昨日からグランバザーだというではありませんか。お給料をもらったばかりのことですし、ちょっくら行ってきました。西田尚美さんという方のこの写真がとても好きなので、同じようなシャツと帽子を買ってしまいました。今年はおしゃれた一年になりそうです。
夜、塚本晋也監督『六月の蛇』を観ました。えろいっ!神足裕司氏を映画でみるのは、『行楽猿』以来です。
「要は、だ」とエディ。「要は人様の好みや生き方を見て、変だの異常だのとは片づけられないってことさ。そいつらはそういうふうにしか生きられないんだから。で、愛か?愛ってのは—」
エディに代わり、俺が最後まで言った。「おかしな形で現れる」

デカルト著、落合太郎訳『方法序説』より
第一は、明証的に真であると認めることなしには、いかなる事をも真であるとして受けとらぬこと、すなわち、よく注意して速断と偏見を避けること、そうして、それを疑ういかなる隙もないほど、それほどまで明晰に、それほどまで判明に、私の心に現れるもののほかは、何ものをも私の判断に取りいれぬということ。
第二は、私の研究しようとする問題のおのおのを、できうるかぎり多くの、そうして、それらのものをよりよく解決するために求められるかぎり細かな、小部分に分割すること。
第三は、私の思索を順序に従ってみちびくこと、知るに最も単純で、最も容易であるものからはじめて、最も複雑なものの認識へまで少しずつ、だんだんと登りゆき、なお、それ自体としては互になんの順序も無い対象のあいだに順序を仮定しながら。
最後のものは、何一つ私はとり落とさなかったと保証されるほど、どの部分についても完全な枚挙を、全般にわたって余すところなき再検査を、あらゆる場合に行うこと。

去年の末に読んだジョン・リドリーの『地獄じゃどいつもタバコを喫う』に続けて、もう一冊LAが舞台の小説を読んでみました。ジェイムズ・エルロイの『LAコンフィデンシャル
』。『地獄じゃ〜』に書かれているのは現代のLAですが、『LAコンフィデンシャル』は五十年代のLAの警察が舞台になっています。
この作品は、エルロイの「暗黒のLA四部作」の三作目にあたる作品で、映画化もされているのでご存知の方も多いと思いますが、まさしく暗黒と呼ぶにふさわしい五十年代のLA、暴力と金と麻薬にまみれた警察とマフィアと犯罪者しか登場しないばりばりの犯罪小説です。作者のジェイムズ・エルロイ自身も筋金入りの前科者で、ニック・ケイブ曰く「アメリカ犯罪文学界一のタフ・ガイで極右翼ホモ大嫌いロックンロール大嫌いのデカダン作家」で、略歴は以下の通り。
ジェイムズ・エルロイは1948年ロサンゼルスに生まれた。六歳で両親が離婚。母親が何人もの男たちとセックスするのを見ながら育った。十歳の時、母親が茂みの中で片足にストッキングをはいただけの締殺他殺死体で発見される。父親の元に引き取られてからは万引きした三文犯罪小説を読み耽る日々を過ごす。高校を中退して陸軍に入隊。精神異常を装ってすぐに除隊。十七歳で父親が心臓発作で死亡。重度のアルコールとベンゼドリン中毒。強盗を繰り返して三十回もの逮捕歴。ホームレス生活。精神錯乱で死にかけて入院。アルコール中毒者自主治療協会に入る。(スタジオ・ボイスVol246特集「Cool Fiction」より)
上記のとおり、彼の母親はやりまんで、最後には惨殺死体で発見されています。ぼくはいま、「暗黒のLA四部作」の第一作目、『ブラック・ダリア』を読み始めているのですが、その冒頭には次のように書かれています。
母ジニーヴァ・ヒリカー・エルロイ(一九一五—一九五八)に。
二十九年後のいま
この血塗られた書を告別の辞として捧げる
『ブラック・ダリア』は、一九四七年にロスで実際に起こった女性の惨殺事件をもとに書かれています。死体は空地に全裸で放置されており、「腰のところで真っ二つに切断され、顔は痣だらけで口が両端から耳まで切り裂かれ、身体中に残酷な仕打ちが加えられていた。また死体はすっかり血抜き、洗浄もされていた。被害者は、スターに憧れてハリウッドへやって来た二十二才のエリザベス・ショートで、ブラック・ダリアという愛称で知られていた。警察は大々的な捜査を繰り広げたが、事件は未解決のまま現在に至っている」そうです。
ジェイムズ・エルロイの作品は、そのほとんどが翻訳されているので、気合いをいれて処女作から全部読んでみようと思います。でも全部読んでタフ・ガイになってしまったらどうしましょ。
ちなみに、『ブラック・ダリア』も映画化が決定したそうです。とても楽しみ。