6時起床。あれ?ここはもうUTA時刻で考えた方がよいのかな。だとすると、7時起床。
本日は、モニュメントバレーのちょい手前、Kayaentaまで行く予定です。
またまた始まりました、まっすぐな道地獄。間違えました、地獄じゃない。ぼくはこれを楽しみにアメリカに来たのですから。まっすぐな道天国。
走れども走れどもまっすぐな道天国。いいかげん、うざい。いやいや、うそうそ、楽しいです。えへへ。
今日も雲一つない晴天です。すばらしい。つくづくぼくって晴れ男。
なーんにもない風景に、ところどころ自然のモニュメントが現れます。
一休みして、モニュメントを眺めながら、パンをぱくり。
Cow Springに到着。この町、ぼくの使っている地図に乗っていません。そして、奥に見えるのは
廃墟ですね。名前を残して、町自体はなくなってしまったのかしら。
道の端で、放牧されている馬たちが草を食べています。なんだかどんどんほのぼのーんっとしてきましたよ。
今日も、なーんにもない道をただただ楽しく走っていますよ。
『禅とオートバイ修理技術』という本のなかで、パーシグさんは次のように書いています。
オートバイに乗って休暇を過ごすのは、ほかにはない一種独特の趣がある。車は、いわば小さな密室であり、いったん慣れ親しんでしまえば、自然の何たるかを知りえない。(中略)だがオートバイにはその枠がない。私たちは完全に自然と一体になる。もはや単なる傍観者ではなく、私たちは自然という大きな舞台のまんなかにいて、溢れんばかりの臨場感に包まれる。足下を唸るように流れてゆくコンクリートは、現実のものであり、足を踏みしめて歩く道路そのものである。ぼんやりとして焦点を定めることはできないが、それは確かにそこにあり、その気になればいつでもこの足を降ろして触れることができる。すべてのもの、すべての経験、これらは決してじかの意識から逸脱することはない。ロバート M.パーシグ「禅とオートバイ修理技術」
パーシグさん、もしぼくがあなたの友だちだったら、教えてあげます。バイクもいいけど、自転車だったらさらに自然と一体になれますよ。だって、自分が足を動かすのを止めたら、前に進まないのですから。風の音も土の匂いも空の色も動物の声も、素通りすることなくすべてを感じることができますから。自分の運んでいる荷物の重さを感じながら、自分がこれから行く場所までの距離を感じながら、自分が登っている傾斜の角度を感じながら、ペダルを踏むことができるのですから。バイクでは見逃してしまう自然の隅々を、自分自身の隅々を、自転車だったら見逃すことはないのですよ。
14時過ぎに、Tsegiという町にモーテルがあるのを発見。Kayaentaは、ここからさらに16kmほど先になります。がんばれば行けないことはないけれど、この先まだまだ旅は続きます、無理をせずに今日はここで休みましょう。
昨日と同様、本日も受付のネイティブアメリカンのおばさんが、とーっても無愛想に対応してくれました。ネイティブな方々はみなさんこんな感じに無愛想なのかしら、とちょっと不安に。
チェックインをすませて、シャワーを浴びて、一休みしたあとに、モーテルに隣接するカフェで、食事をしました。おすすめは?と無愛想なネイティブアメリカンのおばさんに聞くと、ナバホの揚げパンがうまいんじゃねえのと無愛想に教えてくれたので、それを注文しました。
うん、確かにこりゃうまい。
カフェには、他にも何人かお客さんがいますが、ぼくの他は全員ネイティブアメリカンのようです。時刻は夕方前。みなさん、ビールを飲んだり、たばこを吸ったり、肉を食べたり。女性はみな、戌井さんのお父さんみたいな感じ。男性もみな、戌井さんのお父さんみたいな感じ。スピリチュアル的なことはなーんにもありませんけれど、神秘的なこともなーんにもありませんけれど、ぼくは神聖なネイティブアメリカンの聖地なんかよりも、こういう場所の方がずっと好きです。
モーテルの後ろの風景が、なんだか素敵だったので写真を撮ってみました。
それにしても、走れば走るほど、アメリカという土地と人が文化にどんどん惹かれていきます。まだまだこれからだけど、これから先が本当に楽しみ。本当に素敵な場所だな、いろんな意味で。