03年09月01日(月)

 九月の一日目から寝坊。今日は午後に用事があったので、お仕事を早退させていただくつもりだったのだけど、仕方がないので全休に。

 昼過ぎに、映画『呪怨2』を観に都内へ。間違えて映画の日なんかに観に行ってしまったので、会場には高校生と思しき集団が溢れてまくっていて、映画が始まっても一向におしゃべりをやめる気配がないのには辟易しましたが、映画が始まると彼女彼らのあまりの感情表現の豊かさに感動しました。どうしてあそこまで素直に怖がることができるのだろう。

 高浜寛さんの新作が掲載されていたので、オトナのためのエロティック・コミック『EROTICS』を購入。高浜作品は、やはりとても良かった。はやくこの人が歳を経たあとの作品を読んでみたい。町田ひらく氏といえば、知る人ぞ知るロリコン漫画家さんなのですが、この人の作品ってどうしてこんなに良いのだろう。ベンチに座る老人。前を歩く少女を見て、戦時中の出来事が蘇る。ベンチの後ろで横になっている少年。アイドルとしてのデビュー間近で、事務所からスキャンダルに気をつけるように念を押され、これまでの乱交を思い返している。この人の作品では、少女とのセックスも物語の要素のひとつに過ぎない。ロリコンと間違われたら嫌なのでこの人のコミックは買っていなかったけれど、今度買ってみようかしら。

 夜は久しぶりにお魚を焼きました。なんとなく、外を走ったり。

03年08月31日(日)

 昼過ぎに起床。何時間寝たのだろう。勉蔵君の家へ行ってお水を頂き、勉蔵君による今後の鉄割の在り方の講釈を三時間ほど聞いて帰宅。

 なんだか気が抜けて、いつの間にか寝てしまいました。八月も終わり、秋はもう、すぐそこまでやって来てるのですね。なんだか気が抜けて。。。

 おやすみなさい。

03年08月30日(土)

 夕方近くに起床。寝過ぎで体が疲れている。シャワーを浴びて、夕食に駅前へ。

 途中、本屋さんに立ち寄って書評雑誌『レコレコ』と登山雑誌『ヤマケイJOY』の秋号を購入。『ヤマケイJOY』は秋山特集で、八ケ岳を取り上げている。

 『レコレコ』で掲載している茂木健一郎氏の「脳から世界を考える」を読んでいたら、「ネイティブの壁」という言葉がでてきた。最近、養老猛司氏のベストセラー『バカの壁』にちなんで「〜の壁」という言葉が使われているのをよく聞くけれど、ここで茂木氏が「ネイティブの壁」と呼ぶのは、たとえば氏が英語で論文を書いたり、ネイティブの人と話したりする時に、相手から言い回しや言葉を訂正されることがあり、そのような場合、茂木氏は自分の言い回しの方が良いと思っても、相手がネイティブだとそれだけで相手に有利な状態にあり、茂木氏の意見は聞いてもらえないというもの。

 文中で茂木氏も軽く触れていますが、ぼくが人と話していて一番困ってしまうのが「経験の壁」というやつで、代表的なのが「心霊体験」(心霊現象ではありません)なのですが、基本的にぼくは「心霊体験」というものをほぼ100%信じていません。信じていないというのは、嫌いということではなくて、怖い話は大好きです。でも、人間がいかに思い込みと勘違い、誇張とサービス精神によって話を作り上げるかは身をもって知っているので、そのようなことを言うと、霊感の弱い人にはわからないだの、信じない人には言っても無駄だだの、揚げ句の果てには「自分は実際に経験しているから間違いない」などと言い出す始末。それを言われてしまってはこちらとしては言い返す術を持ちませんが、この世界でもっとも当てにならないのが「個人の経験」なわけですから、こちら側にしてみれば、そんなものは根拠になるはずもありません。

 幽霊の存在を信じていないわけではなくて、むしろどちらかといえば肯定的なのですが、「心霊体験」を語る人の話というのは、実に人を怖がらせるように(楽しませるように)うまくできていて、非常に嘘臭い。たいした検証もせずに、短絡的に錯覚を心霊現象と結びつけて、無意識に誇張し、人に聞かせる。だから信じることができない。「自分が信じられることしか信じられないなんて、なんて不幸な人!」などと言われたこともありますが、そう簡単に根拠も無く信じてしまう方がもっと問題だと思うし、少なくともぼくは他人の経験をそのまま鵜呑みにするほど素直ではありません。自慢じゃありませんが、ぼくなんか嘘つきまくりですから、人生。自分が嘘つきだと、他人も信用できなくなるものです。かわいそうな人間でしょう。

 科学は万能ではないことは今さら説明するまでもありませんが、そのことがそのまま心霊体験を肯定するということにはなりません。心霊現象を無条件で肯定する彼らが、彼らの経験を正当化するときに使う「科学は万能ではない」という言説が無力なのは、彼らにとって「科学が万能ではない」のは、科学の万能性を検証した上での結論ではなくて、単に彼らの主張と科学の主張が相容れないという理由によるものであり、逆に科学によって心霊現象が肯定されることがあれば、おそらく彼らは「心霊体験」の根拠として、科学的な論拠を提示することになることが容易に想像できるからです。自分たちに都合のよい科学は甘んじて享受し、自分たちに都合の悪い科学は非難する。そして、何らかの根拠によって心霊体験を肯定するのではなく、「経験」という根拠をでっちあげることによって心霊体験を事実として立証しようとする。彼らにとって、心霊体験は事実でなくてはいけないものですから、根拠としての「経験」は絶対的なものであり、自分たちが経験を捏造しているなどとは、露ほどにも考えない。偏見に満ち溢れたこの主張は、現在におけるぼくの意見です。

 なんだか経験や体験を全否定しているような内容になってしまったので少しだけフォローをしておくと、ぼくは人の経験や体験談を聞くのは大好きだし、人が「経験」を語る際の誇張や変更の必要性については認識しているつもりです。心霊体験にしても、それを経験として語られているのを聞くのは大好きだし、小説にしてもエッセイにしても、経験を抜きにしてはあり得ないでしょう。実際のところ、神霊体験が事実であろうとなかろうとぼくにしてみればどうでも良いことだし、それを事実として語ることによって何ら弊害がでるわけでもないのですが、「信じないのなら信じなくてもいい。けれども事実は事実だ」とかほざく彼らの傲慢な態度にいいかげん辟易します。経験を事実として主張するときに、その根拠して「経験」自体を提示するのはいかがなものか。これは「心霊体験」に限ったことではないのです。

 畢竟するに、ぼくにとって一番信用できないのは、自分の記憶であり、自分の経験であり、自分の思考なのであります。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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