03年05月18日(日)

 本番当日です。

 こちらで、もっとたくさんの写真を観ることができます。

 御来場下さった皆様、ありがとうございました。鉄割のみなさん、お疲れさまでした。今後もよろしくお願いします。

次回は八月三日宮永会館。の予定です。

03年05月17日(土)
 どうも体調が思わしくないが、二日連続で仕事を休むわけにも行かないので、おえーおえーとなりながらお仕事場へ。が、電車に乗っていたら、なぜか具合が良くなってきた。

 夜、稽古。明日の本番に向けて、本日最終稽古。稽古終了後、いつもよりも少ない人数でお酒を飲みに行く。

 友人であるWさんが、とにかく楽して生きたいなどとほざいていたので、「小説家にでもなれば楽して金儲かるんじゃないですか」と提案したところ、すっかりその気になってしまった。どんな小説を書けば売れるのかと聞かれたので、とりあえず直木賞をとれるような小説と答えたが、ちょうど良く作家の長者番付が公開されていた。

 こうしてみると、純文学系は村上春樹ひとりだけで、他はエンターテイメント系ばかり。芥川賞作家なんてひとりもいやしない。渡部さん、やはり儲けるには直木賞です。楽かどうかは知らないけど。あるいはプチ整形の技術を今から身に付けるとか。

 明日は七時半集合。早めに寝る。
03年05月16日(金)

 朝起きたら身体の節々が痛い。頭痛もする。ああ、今度こそ風邪をひいてしまったようだ。お仕事をお休みする連絡をして、リンゴを食べて、風邪薬を飲んで、午後まで眠る。

 午後三時ぐらいに目を覚ますと、とりあえず頭痛は治まっている。ほっと安堵し、横になったまま昨日寝る前に読んでいた岩波版『北村透谷選集』の続きを読む。ぼくが彼のことを知ったのは確か高校生の頃で、はじめは内田春菊の漫画でその存在を知って興味を持ち、図書館で彼の実像と作品を調べた。漠然とした尊敬と畏敬をもって彼の詩を読み、文章を読み、手紙を読んだが、その内容など理解できるはずもなく、歳を経れば少しは理解できるようになるのかとも思ったが、彼の享年を疾うに越えた今でも、やはりわからない。わからないけれど、初めて彼の詩に触れたときから今に至るまで、その文章を読むとなぜか涙が流れてくる。

 北村透谷は、明治二十七年五月十六日、つまり百九年前の今日、芝公園内の自宅の庭で縊死した。享年二十五歳。彼の自殺は、近代日本文学最初の犠牲と云われている。

嗟世に愛情ヨリ優なる者あランヤ、嗟世に愛情より美なる者あらんや、雪の如く白き者は是愛情なり、玉の如く輝く者は是愛情なり、吾纏ふ所の衣は是れ親の愛なり、以て寒を凌ぐ可く、以て社界に歩む可し、吾れ倦む時は友来つて慰諭し、吾れ怒る時は友来つて緩誡す、病あれば訪ひ苦あれば救ふ、此は是れ真の愛情なり、親の愛や、友の愛や、未だ以て真の愛情と認むるに足らず、
(石坂ミナ宛書簡より)

 Loveを初めて愛と訳し、恋愛を日本に輸入したといわれる北村さん。ロマンティシズムは素敵だけど、こんな甘っちょろいことばかり言っているから、これからという時に自殺しちゃうんだよ。なんだか、とても悲しい。

 夜、稽古。鉄割たちも、風邪引きが多い。未だ全員そろって稽古をしたことがないのだけれど、明日は通してできるのだろうか。っていうか、僕がまだセリフを覚えていない。やっべー

 帰宅後、不思議な気持ちになる。なぜか島崎藤村君の言葉、「ラブということはもう私たちはおしまいですね。春も過ぎましたね」を思い出す。部屋が汚すぎて、憂鬱になる。少し走ってこようかな。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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