
去年の六月ぐらいの少し古い話なのですが、スターバックスの広告が9.11を彷彿とさせるという理由で回収になったそうです。(fromインサイター)
■Collapse into Cool(Rumors of War)
同じサイトには、こんな記事も出ております。これも去年ちょぴっと話題になりましたね。
上のふたつの記事を紹介しているUrban Legends Reference Pagesというサイトは、いわゆる都市伝説(Urban Legends)を紹介しているサイトで、巷間に伝わる都市伝説をカテゴライズして、さらにそれぞれの伝説をClaim、Status、Example、Variations、Origins、と詳細に説明してくれています。一度読み始めるととまりませんよ、これ。カテゴリだけで42もあるし。
ちなみに「Japan」で検索をしてみたところ、三十数件ほど引っ掛かかりました。日本のデパートで、クリスマスのデコレーションに、笑顔のサンタクロースが十字架にかけられている絵が飾られていた、とか、自動販売機で女子高生の使用済みパンティが売っていたとか(これは本当の話なんだって)、最近の日本の流行はシースルーのすけすけスカートだとか、Sonyは「Standard Oil of New York」の略だとか、日本で新しく発売された水素ビールを飲んでカラオケをすると、声が高くなって青い炎を吐きながら歌うことができるなどは、都市伝説として取り上げることが理解できるのですが、「スシは全部生魚(刺身)である」って都市伝説として語るにはいかがなものでしょう。
都市伝説というよりも、事件として興味深いものもあって、たとえば以下の記事。
■Japanese woman dies in Minnesota while engaged in a search for money buried by a fictional character from the film Fargo.
(日本人女性、映画「ファーゴ」の登場人物が埋めた身代金を探索中にミネソタで死亡)
これ、事実なんですって。映画「ファーゴ」でスティーブ・ブシェミ演じる誘拐犯が雪の中に埋めた大金を探しに来た日本人女性のお話。興味深い話(不謹慎?)だったので、拙訳してみました。
2001年11月、ノース・ダコタ州ビスマルクで、コニシタカコ(Konishi Takako)という28才の日本人女性が、埋立て地にあるトラック・ストップでさまよっているところを発見された。コニシさんは、11月9日にミネソタ州ミネアポリスに到着し、バスでビズマークまでやってきて、翌日、彼女が道に迷って困っているのだろうと思って声をかけてきた男性に助けられた。男性は(彼女の英語力の問題で)コニシさんとうまく会話ができなかったため、彼女をビズマークの警察署へ連れていった。彼女はそこで、警察官に高速道路の横に木がある手書きの大ざっぱな地図を見せた。それは白のタイプ用紙に書かれており、どうやら彼女は映画『ファーゴ』の登場人物が埋めた大金を探索しているらしかった。
(中略)
ビズマーク警察は、映画『ファーゴ』がフィクションであり、ノースダコタ州のどこを探しても、雪の中に埋められた埋蔵金を発見することはできない、ということを説明したが、無駄だった。彼女はなんらの法も侵しておらず、正規のビザを持ち、十分な資金を所有したので、引き止めることも、報告書を書く理由も見つからなかった。コニシさんが身振りでファーゴへ行きたいことを示したので(おそらくは、映画の登場人物によって埋められたあるはずのない大金の探索を続けるために)、警察はバスの停車場まで彼女を送った。彼女はバスに乗ってファーゴへ向かい、そこでタクシーをひろって、星を見るためにミネソタ州デトロイトレークスに行った(獅子座流星群が見たかったのかもしれない)。
数日後、あるハンターがデトロイトレークの松の木立で、偶然コニシさんの死体を発見した。検屍官は死の直接的な原因を特定することはできなかったが、彼女が鎮静剤を服用していたことと、野ざらしの状態であったことが死因ではないかと思われた。後に、彼女がビズマークから家族に送った手紙に自殺をほのめかす記述が発見されると(彼女はビズマークを去る前に、所有物のほとんどを処分していた)、彼女の死は自殺であると断定された。
コニシさんはなぜ、存在しない財宝を求めてビズマークに来たのか。そして自殺したのか。謎だけが残る。
これって日本でも記事になったのかしら。初めて聞いたよ。なんだか、切ない事件であります。彼女がファーゴに行った本当の目的は、なんだったのだろう。
日本で定番の都市伝説で、旅行先で行方不明になった娘(恋人、妻)が、数年後に見せ物小屋で発見されたというのがあるのですが、このサイトにもやっぱりありました。下の記事では、進行旅行で行った先のパリで、あるブティックの試着室に入ったまま行方不明。数年後に発見されるのですが・・・・。もちろん、これは完全な都市伝説ですよ。
誘拐された女性は、やっぱり日本人なんですね。海外で広まったのであれば、広まって行く過程でその国の女性に変わってしまってもおかしくないように思うのですが。
で、ぼくが個人的に一番面白かったのはこれなんですけど
ジョン・スタインベックの『The Grapes of Wrath』のタイトルが、日本では『The Angry Raisins』になっている、というもので、日本語の『怒れる葡萄』という邦訳はなかなか正しいと思うのですが、それを逆翻訳すると『The Angry Raisins』として伝わって、これはアメリカ人にしてみれば『おこったほしぶどうくん』みたいなニュアンスになってしまうといういわゆる「語翻訳」話で、明治の初めに日本に来たワーグマンが「to be or not to be that is the question」を「あります、ありません、あれはなんですか」と訳したという話と同じようなものです。
けれどもこの記事が面白いのは、そのような「誤翻訳」のおもしろさに焦点を当てているわけではなくて、このような話がどのような過程を経て少しずつ変化して行くのかを解説しているところにあります。興味のある方はぜひ読んでみてください。

どうでも良いのですが、一番最初のスターバックスのタゾ・シトラスティがとてもおいしそう。これって日本のスターバックスにありませんよね?
■裏マニュアルでGO!
ーそば屋の流儀の通信簿 変な「こだわり」要注意
とてもお利口さんで模範的なそばへのこだわりを語ってくれております。全然裏マニュアルじゃないのですけど。
妙に敷居が高く、こだわりすぎの店主には、意味不明の小道具を使ってひるませる。文具好きな山陽さんはたまたま持っていた分度器を卓上でもてあそんで「この客は何者?」という顔をさせた。以来、分度器は秘密兵器。さりげなく取り出すのがこつだ。
意味がわからないし。
ところで、そばの食い方に関しては、やはり池波正太郎さんのそれは相当おつなものでして、例えばちょいとした感じでこんなことをおっしゃります。
そばを食べるときに、食べにくかったら、まず真ん中から取っていけばいい。そうすればうまくどんどん取れるんだよ。端のほうから取ろうとするからグジャグジャになってなかなか取れない。そばというのは本当は、そういうふうに盛ってあるものなんだよ。そういうふうになっていないそば屋は駄目なんだよ。
素敵でしょ。
作法などというものは、結局は趣味によるところの数多に存在するものでありまして、畢竟正解などというものはなく、選んだ作法によって人それぞれの品というものが定まります。ですからそれは、人から押し付けられるものでも、人に押しつけるものでもなく、あくまでも個人が各々の趣味によって選択しなくてはいけないものなのであります。

そのようなことを考えながら、身についていない作法を気取り、ひとり黙々とそばをいただきました。ごっそさん。
『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』を観ました。
いやー、すごかった。とても面白かった。面白かったけど、それ以上にCGがすごかった。あんなすごい戦闘シーン、今まで観たことありません。お話も面白かったのですが、とにかく戦闘シーンがすごすぎて、見終えた直後はそのことばかり頭に残りました。
『二つの塔』の一番のクライマックスは、一万を越えるウルク・ハイと、300人足らずの人間の、ヘルム渓谷での戦闘シーンになると思うのですが、言うまでもありませんが実際に一万人以上のエキストラを使用しているわけではなく、特にウルク・ハイのほとんどはCGで処理されているそうです。
■映画『ロード・オブ・ザ・リング』を埋め尽くすデジタル俳優たち
なんだかすごいことになってますね。CGで作られたキャラクターが決められた動きをしているわけではなく、それぞれがきちんと自分の頭で考えて行動しているんですって。
「戦闘の行方を操作するのは可能だが、そのようなことは今までしていない」とリージェラス氏は言う。「最初に戦闘シーンのテストを実施したとき、(コンピュータで作られた)銀色の戦士を1000人、金色の戦士を1000人用意した。シミュレーションを開始したら、画面奥の方で数人の戦士が丘に向かって逃げていく姿が見えた」
それにしても、今のぼくには何をみても三国志にしか思えないようで、全編を通してぼくの目に映っていたのは、ホビットでもエルフでもウルク・ハイでもゴラムでもなく、劉備と関羽と張飛でありまして、セオデン王がサルマンの軍団から逃れるために、民を連れてヘルム渓谷に向かうシーンなんて、長坂波の戦いにしか見えませんでした。アルゴルンとギムリが城の入り口で敵をばったばったと倒しているシーンでは、「名乗れ!名乗り上げろ!燕人張飛ここにありって言え!」と心のなかで叫んでおりました。ぼく、三国志の中で、長坂波の戦いが一番好きなのです。
それで思ったのですが、ここはひとつ三国志を三部作ぐらいで映画化してみてはいかがでしょうか。さすがに人間をCGで動かすのは難しいかもしれませんが、あと三年もすればできそうです。うわーすげーみてー。三部作じゃ無理か。五部作ぐらい?

『ロード・オブ・ザ・リング』に始まったことでありませんが、この手のお話の大体は、味方はこれでもかというぐらい美男美女、あるいは愛嬌のあるキャラクターばかりで、敵となるともう笑ってしまうぐらいグロテスクで卑怯で陰鬱なやつらばかりなのが愉快です。『ロード・オブ・ザ・リング』は特に、ギャグとしか思えないぐらいの悪役づらがたくさん出てきますし。正義か悪か、黒か白か、陰か陽か、有罪か無罪か、すべてを二元的に考えないと気が済まないのですね、あの方々は。でも面白いからいいの。