
舞城王太郎氏の期待の新作『阿修羅ガール』を読みました。
はー、なんでしょう、もう死ぬほど面白かった。やばいくらい。今までの舞城氏の作品のなかで、一番おもしろかったですよ。まじで。それにしても、いくらここで舞城王太郎はおもしろいと書いても、まったく誰からも反応がないのですが、みなさん一度読んでみてくださいよ。はまるひとは本当にはまりますから。
舞城さんのの小説は、あちらこちらで相当にめちゃくちゃな小説のように書かれておりますが、お話の構造はとてもオーソドックスで、起承転結の形式で書かれています。舞城氏のすごいところは、これは特に『阿修羅ガール』に顕著な特徴なのですが、起はめちゃくちゃ起で、承はびっくりするぐらい承で、転はすがすがしいくらい転で、結は感動的に結なのです。今時いませんよ、あそこまで起承転結をきちんと書く人。
お話の内容は、80年代ポストモダンじゃないんだからと突っ込みたくなるような内容で、これまた今の時代を考えれば、逆にとても礼儀正しいのではないでしょうか?もし今の時代に太宰並の私小説とか書く作家がいたら、それこそアバンギャルドでしょう。そういえば太宰で思いだしたけど、『阿修羅ガール』のカバーは佐内正史さんの『女生徒』の中の写真を使用しています。それはまあいいとして、『阿修羅ガール』は女子高生の一人称でしかもめちゃくちゃ口語文で書かれているので、読んでいて気持ちいいのです。これ、ぼくだけかもしれないけど、リズムっていうか、語りの口調のリズムがとても良くわかるし、そのリズムにのってすいすい読むことができるのです。むしろ、今どきの女子高生でこんなふうにリズムに乗った口調で話す女の子っているのかしら、と思うくらい。前にも雑記で書きましたが、この人、本当に小説を書くのが上手だなあと、つくづく感心してしまいました。
以下、軽くネタバレがありますが、ネタがばれたからってこの小説の面白さはたいして変わりません。
物語は、主人公のアイコが、本当は陽治のことが好きなのに、好きでもないクラスメートの佐野とセックスして自己嫌悪になるところから始まります。次の日学校に行くと、昨日セックスした佐野が誘拐されていて、その嫌疑をかけられたアイコが同級生のマキたちに呼びだしくらい、なんとなく焦ったアイコは、やられる前にマキをボコっちまいます。ところでそんなアイコの住む町は、幼い三つ子をバラバラにして多摩川の河川敷に放置したグルグル魔神を捕まえようと、ネットの匿名掲示板に煽られた中高生が暴動(ハルマゲドン)を起こして大騒動になっていて、アイコはそれを口実に陽治を自宅に呼びだします。玄関のチャイムがなって玄関を開けると、そこにはマキが立っていて、金槌で殴られたアイコはあの世へ行ってしまいます。
そんでそこからがとてもとてもとてもおもしろくなります。本当に、感動的に面白くなります。好みがあるので誰でも必ず楽しめると断言をすることはできませんが、世の中に生きる人々の四分の一ぐらいには面白いと思います。だから、騙されたと思って読んで。で、つまらなかったら教えて下さい。あやまります。

次の新作は三月下旬とか。うー、たーのーしーみー。
最近ちまたで何かと話題のレッシグさんでありますが、去年の末に翻訳された『コモンズ』に関する記事がHotWiredにアップされています。
■レッシング教授の『コモンズ』を読む ー日本社会に投げかける問題
レッシグさんの主張を簡単に要約すると、「著作権至上主義は文化の衰退をもたらす(Hotwired)」ということで、インターネットの世界的な普及に伴い、より拡大していく著作権産業と著作権法に対して、「アイデアは人類の共有財産」という立場から警鐘を鳴らし続けています。
アメリカの著作権法は、「ミッキーマウス保護法」と呼ばれています。アメリカが建国した当時、著作権法は14年(17年?)年でした。この法律の当初の目的は、著作権を所有者に保護するというよりはむしろ、著作権を個人あるいは企業に独占させないことで、そこにあったのはギブアンドテイクの精神でした。その後、著作権産業の運動により保護期間の延長が何度か行われ、ミッキーマウスが誕生した1928年、著作権の保護期間は56年間になっていました。ですから本来であれば、1984年にはミッキー・マウスの著作権は切れるはずだったのですが、1976年に再び期間が75年間に延長され、しかもその時点で保護下にあった著作権にもその変更が適応されたために、ミッキーマウスの著作権が切れるのは、2003年に延長になりました。さらに1998年、再び著作権の保護期間は延長され、今度は95年間にまで期間が延びました。つまりミッキーマウスの著作権が切れるのは、2023年ということになります。そのような経緯から、ミッキーマウスの著作権が切れそうになる度に延長されるこの著作権保護法は、一般に「ミッキーマウス保護法」と呼ばれています。
ここでレッシグさんが問題としているのは、このように保護期間の延長を繰り返していては、著作権は永遠に法律の保護下にあり、そのように保護されたモノは、人類の共有財産に成り得ないということで、この問題に関して、NHKで去年放送した『変革の時代』の第三回「”知”は誰のものかーインタネット時代の大論争」という番組の中で、レッシグさんは全米映画協会の会長であるジャック・バレンティさんと討論をしています。「人類の共有財産」という立場から話をするレッシグさんに対して、バレンティさんは次のように答えます。
ミッキーマウスの著作権を千年間に延長したとして、それがなぜ、文化の進歩を抑制することになるんですか。逆にハリーポッターの著作権をなくして、世界中の人に無料で提供すれば、民主主義が広まるとでもいうのですか。
1928年に誕生して散々稼ぎまくったミッキーマウスと、ここ数年に誕生したハリーポッターを同じレベルで語るのは論点がずれているような気もしますが、バレンティの主張にみられるように、著作権主義者の主張は一貫しています。著作権は、芸術家や創作家が安定して作品を作り続けるために必要な法律であり、著作権なくして作品の創造は有り得ない。著作権に守られて初めて作家は作品を生み出せるのであり、もしもそのような法律的保護なくなれば、世界中に海賊版が横行し、クリエーターの将来は危ういものとなり、誰も作品を生み出そうとは思わなくなるだろう。
この種に議論は難しいもので、自分の利益のことしか考えない消費者と、自分の利益のことしか考えない生産者の詭弁合戦になりがちです。個人的な意見を言わせてもらえれば、現状の著作権法が定める期間は長すぎると思うし、ディズニーの厳しすぎる版権管理にはうんざりさせられますけれど、だからと言って何も知らずにへえこらとレッシグ万歳とも言い兼ねます。ひとつだけはっきりしているのは、鉄割のちらしやサイトでは人の著作物を勝手に使用したりしているので、いつか訴えられるのではないかとびくびくとしているということで、そのときは土下座をして謝る所存でございます。リスペクトということで。サンプリングということで。

『コモンズ』という書籍に関して興味はあるのですが、読んでもおそらくほとんど理解できそうにないので立ち読みすらしていません。あちらこちらで掲載されているレッシグさんの記事なんかを読んで、ほえーとかふえーとかため息をもらして鵜呑みにしているだけです。とても重要な提言をしているのだろうということは理解できるのですけどねえ。もし『コモンズ』を読もうと思われる方がいらっしゃいましたら、上の記事を書いた方のこちらの解説がとても有用だと思います。
ふう。買っちゃった。『真・三國無双2』。一緒に『三國史戦記』も買っちゃった。攻略本も買っちゃった。わき目も振らずに家に帰って部屋着にすら着替えないでそっこーでプレイしたのですが、もうやばいぐらい面白くて、ぼく、生まれて初めてです、ゲームで親指の感覚なくなったの。すげー連打するから。二月の下旬には3も出るから、それまでに攻略しなくてはいけないので、毎日がとても忙しいのです。
ゲームをやっていたら無性に『三国史』が読みたくなったので、押し入れの奥から横山光輝版『三国史』をひっぱり出して読み始めたのですが、これが死ぬほど面白くて六十巻一気読みしてしまいました。それで漫画喫茶に行って、『蒼天航路』を読んでさらに三国志気分を満喫して気分はもう国取り合戦って感じでどんどん盛り上がってしまい、今では自分と関羽の区別がつかなくなってしまいました。今町に出たら危険です。やくざとかと喧嘩しそう。名乗りとか上げて。やあやあ我こそは劉玄徳が義弟関羽雲長なり我と思わん者は出て来るが良い青龍偃月刀の錆にしてくれようぞ
それで、今月号の『ダ・ヴィンチ』の特集が「三国志」だったので、先月に引き続き買っちゃいました。横山光輝の『三国志』の総売り上げ、6500万部ですって。6500万ですよ、65000000。うへー。やっぱ歴史物強いなー。

「三国志占い」で占ったところ、ぼくは「麋竺子仲」だそうです。玄徳に仕えた文官。つまらない。