

起床。パンにバターをたっぷりぬってトースターで気合入れて焼いたら、裏面がまっくろこげこげ。グレープフルーツとカフェオレとこげこげトーストで、いつもの朝食。
昼過ぎにカフェへ。山東京伝という黄表紙本の戯作者についての評伝『山東京伝』を読む。先日、『江戸の恋−「粋」と「艶気」に生きる
』という新書に京伝が出ていて、興味を持った。とにかくもう、粋のかたまりのような素敵な男。古本屋で購入した『日本古典文学全集 黄表紙 川柳 狂歌
』に収録されている京伝の『江戸生艶樺焼』と『時代世話挺皷』という作品は、今年一番の衝撃なほどに最高に面白かった。『江戸生艶樺焼』は、主人公である不細工おとこ艶二郎が、物語にでてくる主人公のような色男の人生を歩もうとする、つまりは粋な男になろうとするお話。艶二郎は、当時の粋とされているものに次々と手を出していくわけですが、そこにでてくる言葉や感じがたまらなく良い。たとえば、艶二郎はまず最初に「めりやす」をマスターしようとする。次に手紙を書けるようになろうとする(ちなみに、当時の花魁は手紙を書くことが最低の作法とされていた)。さらに彫り物を入れる。彫り物は、少し消えているのがあると良いと言うので、その上からお灸をすえる。芸者をやとって自宅に怒鳴り込ませる。その様子を自分で瓦版に書いて近所に配る。通人として遊廓にいりびたる。などなど。艶二郎くん、まじ最高です。しかしこれ、言葉の面白さというものがとても大きいので、現代語訳にしたら面白さが半分ぐらいになってしまうのだろうな。
夕方、ちゃりで光が丘公園へ。まるで犬の天国。たくさんの犬が、尻尾をぶるんぶるんぶるるるんと振って走りまわっている。いつか結婚して、子どもができて、小さな犬を飼ったら、毎週日曜日はここへ来て一緒にぶるんぶるんぶるるるんと走りまわろうとなどと考えていたら、ばかでかい犬が尻尾をぶるんぶるんぶるるるんと振りながらぼくの方に走って来た。頭をなでたら、また尻尾をぶるんぶるんぶるるるんと振ってどこかへ去っていった。
その後、赤塚を通って東京大仏を通って高島平へ。不気味なオーラを放つ四角のマンションが、不規則な角度であちらこちらに建っている。こわい。そういえば昔、自殺の名所として高島平団地のことを読んだことがある。しかし、こんなところで自殺をしたら、ただでさえうかばれない魂が、さらに迷ってしまうのではないだろうか。将来、もし自殺をすることになっても、ここへだけは来ないようにしよう。っていうか、毎日が楽しすぎて自殺している暇なんてないけれど。
高島平から北へ突進して荒川へ、川に沿って走る。夕方の川沿は、とても気持ちが良い。外環の橋にぶつかったら和光の方へ上がろうと思っていたのに、いつのまにか外環の橋を越えてしまい、それに気づかずに朝霧水門で夕焼けに見とれて、そうこうしているうちに志木の方まで来てしまった。お巡りさんに道を聞いて、帰路につく。あちらこちらからお祭りの音が聞こえる。

結局、飛行機のチケットのキャンセル待ちは待っても無駄っぽいので、そのお金で新しいちゃりを買っちまいました。フォルクスワーゲン社から出ているランナバウトというとてもかわいらしい自転車です。ディーラーへ直接行って、「すんませんが自転車を下さい」と言ったところ、店員さんは「は?」というリアクション、まるでコンピューターペンシルを使ったのび太くんを見るドラえもんのような目(参照)でぼくを見ました。渡された自転車も、タイヤに空気が入っていないし、防犯登録もしていないありさま。すぐ近くに自転車屋さんがあったから良かったようなものの、ちょっと適当過ぎやしませんか。
とにかくも、以前から欲しくて仕方がなかった自転車が手に入ったので、非常にご満悦です。走りまくりますよ。

黒沢明が残した二本の脚本のうちの一本を映画化した『海は見ていた』を観ました。時は江戸、場所は深川、岡場所で働く遊女たちを描いた物語、しかも黒沢さんがこの脚本に対して言ったのは、「先ず、粋に行きましょう」ってなことですから、期待するなという方が無理というものです。が、観終えてみると悲しくなるぐらい不粋な映画で、あまりのショックに発熱してしまいました。ところどころ、無理矢理に粋にしようとしている場面があって、それがまたみにくい。脚本はとても良いのに、どうしてこうまでも不粋にできるのか、不思議でしょうがありません。最期のシーンも、原作で読むととてもよい場面なのに、撮り方がひどすぎて、役者さんの懸命な演技が滑稽に見えてしまうほど。
それにしても、江戸のころには深川のあたりが沈んでしまうほどの洪水があったのですね。海が近いのだから当たり前か。