

今頃、鉄割の野郎共は関西で暴れているのだろうなーなどと考えると寂しく虚しく悲しくなるので考えないようにして、本日はカフェでゆっくりと読書の日。
まず一冊目は、白洲正子著『かくれ里』。今から五・六年前、彼女の著作『十一面観音巡礼』におさめられている「湖北の旅」を読んで感動し、そのまま湖北へ十一面観音巡礼の旅行に行きました。そして旅先で恋に落ち、心に傷を負って帰って来たのです。というのは嘘ですが、今回はこの『かくれ里』を読んで、奈良の葛城あたりへ行こうかと思っております。京都はどこへ行っても人がごみごみとしているのでいけません。奈良の、観光地から離れたあたりの小さな村を、ゆっくりと散索したいと思っています。雨だけど。
二冊目は久住昌之作・谷口ジロー画『孤独のグルメ』。本屋さんのお薦めコーナーに平ずみになっていたので買ってみたのですが、やられました。素晴しい作品です。物語は、主人公である井之頭五郎が、仕事で訪れた先の町々の飲食店で食事をするというだけのものなのですが、これが最高におもしろくて、最高にうまそうなのです。登場するお店は大仰な店ではなく、ほとんどがグルメ雑誌などには載らないような飲食店ばかり。井之頭五郎は常にひとりで、何を食べようか考えながら町をぶらつき、その時に思い付いた一番食べたいものを食べます。ぶた肉いためライス、廻転寿司、豆かん、焼きまんじゅう、シュウマイの駅弁、たこ焼き、焼き肉、江ノ島丼、ウィンナー・カレー、コンビニ・フーズ、デパート屋上のさぬきうどん、などなど。そして心の中でこっそりと(うまい)と思うのです。声には出さずに、余計な修飾語を付けずに。読んでいて面白いのが、この、食堂にたどり着くまでの、そしてたどり着いてからの井之頭五郎の心の中で、あれにしようかこれにしようかと考える心の独白を読んでいると、それだけでお腹が空いてきます。はらへった。
うれしかったのが、井之頭五郎が石神井公園にも来ていることで、彼は公園を歩きながら「こりゃあ井之頭公園や代々木公園とはまるで違う雰囲気だ。やぱりどこの駅からも遠いし、近くに大きな繁華街がないせいかな。来ている客層が違うよ。年齢層もファッションも」などと思い、公園の休憩所「豊島屋(作品中では豊玉屋になっていましたけど)」でカレー丼とおでんを食べます。そして食後に一服、眠くなるのをこらえながら公園を後にし、帰りのバスのなかでうたた寝する。これです。石神井公園の正しい楽しみ方。なんだかうれしくなっちゃう。
さらに巻末に掲載されている、「入ったことのない飲食店に入る時、ある種の『勇気』がいるのはなぜだろう」という書き出しで始まる久住昌之氏の『釜石の石割り桜』というエッセイがまためちゃくちゃ素敵です。この本、十冊ぐらい買って友だちに配ろうかしら。と思うぐらい、面白い本でした。全一巻じゃ物足りないよ。
さて、ちょっと一休み。今号の『ku:nel』を読みます。宮脇彩という主婦の方の「ただいま食事中。」というフォト日記がとても面白い。というよりも、美味しそう。ああ、料理ができたら、ぼくの人生はもっともっと充実していたのだろうに。無器用で味覚音痴のこの身がうらめしい。
その後はいろいろと調べ物や勉強の時間です。まったり、まったりと。一週間のうちで、一番に脳を酷使するとても楽しい時間。
夜、今年初めての桃をいただきました。うまい。鉄割のやつらは今頃、まさにこの時、関西で暴れていることでしょう。悲しい。でも、桃がおいしいので幸せ。

以前から読みたいと思いつつ、その存在すらすっかりと忘れていたジュノ・ディノズの『ハイウェイとゴミ溜め』を古本屋さんで発見、即購入、帰りの電車の中で読んでみたらとても面白かったので、そのままお茶が飲める場所に立ち寄り、一気読みしました。ドミニカ共和国のスラム出身の彼による、十篇の短篇集。ぼくはジャパンの田舎出身ですが、ノイズな感じに通じるものを感じてしまいましたよ。それにしても、一時期はアメリカのみならず日本でもかなり話題になった彼ではありますが、最近はすっかり名前を聞かなくなりました。著作も今だこの一冊だけのようですし。以前に読んだ新元良一氏によるインタビューでは、次回作は『AKIRA』の黒人版を書きたいなどと言っていましたが、どうなったんでしょうね。是非とも読みたいのですが。
たまには自炊でもしましょうと、夕食にパスタ・ジェノベーゼを作ることになりました。まず始めはスーパーでお買い物。買い物かごを片手に、必要な食材をみつくろいます。久しぶりの楽しいお買い物です。ところが、前方からタンクトップのマッチョマンが歩いてきたので吐き気をもよおしてしまい、買い物は中止、カフェへ駆け込んでエスプレッソのダブルショットを五杯注文して一列に並べ、右から順に一気飲み、どうにか心を落ち着けることができましたよ。そうか、もうタンクトップマッチョの季節なのですね。おちおち買い物もできやしません。西東三鬼さんは「おそるべき君等の乳房夏来る」などという句を詠んでおりますが、ぼくにしてみれば「おそるべきマッチョの乳首夏来る」です。しばらく読書をして、書に引用されていたゲーテの『五感は誤らない。誤るのは判断である』という言葉にいろいろなことを思い、すこし切ない気持ちで帰宅しました。
今日も満月です。