04年02月26日(木)

 「山中無暦日」という言葉を初めて聞いたときに、漠然と想像したのは、人間がどれだけ穢土に世界を作り上げようとも、瑣末な注意を意味あり気に述べ立てて哲学を生み出そうとも、時間を規定してありもしない記憶に意味を付与しようとも、それらを語る人間のいない山中は、そのままの状態でただあるがまま、世界も哲学も時間もそこには存在しない、つまり今こうしてぼくがパソコンの前でキーボードを叩いていても、それとは全く関係せずに「山の中」は在るわけで、そこに人はいないのに、物は動くし音も鳴っている、年月などという区切りはなくとも、山の中はただあるがままに在る、とそのようなことなのかしらと勝手に思い込んでいたのですが、いざその言葉の語源を調べてみると

偶々松樹の下に来たり
枕を高くして石頭に眠る
山中暦日無し
寒尽くるも年を知らず

 つまり、たまたま山の中を歩いていて松の木の下に来た人が、こりゃいい気持ちと石を枕にして眠り、山の中には暦もくそもありはしねえ、冬が終わって暖かくなっても、今がいつなのかなんてわかりゃしない、ということのようです。たとえ暦日が無い山中であっても、それを語る人間という存在がそこに入った時点で暦日が誕生してしまうわけで、ましてや「山の中では暦日は関係ないね」などとほざく輩がいるような山の中はそれだけで魅力半減、確かこれはこれでとても良い詩なのでしょうが、最初にこの言葉を聞いて想像した山中と、実際の詩で語られる山中のイメージがあまりにも乖離していて、がっかりしました。

 このようなことを、興醒めと言います。

04年02月25日(水)
 夜中に目が覚めて、枕元の電気をつけてトイレに行き、用を足してトイレから出た時に、完全な静寂の中、薄明かりの中にぼんやりと浮かび上がる部屋がとても寒々しく、時計をみれば寅の刻をふたつばかり過ぎたあたり、蒲団に入って横になっても眠れず、天井を眺めながら考え事をしていたら、日蓮が東の海に昇る日輪に向かってはじめて「南無妙法蓮華経」の題目を唱えた時の年齢に近づいている自分に気づいてしまい、同じ人間でありながら、経る年月に得るものの違いを強く感じ、さまざめと泣きました。
04年02月23日(月)
 家の近所のお弁当屋さんはとても頭がおかしいので、鮭弁当を買ったら鮭が入っていなかったり、カツ丼を買ったら小分けにされた醤油袋が大量に入っていたり、頼んでいないのに勝手に半ライスにされたりと、今までにいろいろと失礼なことをされてきたのですが、本日は鶏竜田揚げ弁当を注文したところ、「時間はあまりかかりませんがよろしいでしょうか」と聞かれました。いつか、そのお弁当屋さんでバイトをすることが、ぼくの夢です。

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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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