

千歳烏山から歩いて周辺を散策しました。この周辺はほとんど歩き尽くしていると思っていたのですが、思いがけずに近場に寺町通りがあったり、おもちゃの墓場のような素敵な公園があったり、まだまだ知らないところはたくさんあるのだなあと実感、とても楽しい時間を過ごしました。残念なのは諸事情によってぼくと連れの格好がとても珍妙であったことで、それさえなければとても静かなお寺巡りができたのですけれど、珍妙であるからこそ見えるお寺もあるわけです。
自信やネタなんてものは 詰まったウンコがどばっと出てくるような状態でなくてはならないのに、うんこすらカラッカラになってしまい、糞畑にからっ風、といった状態の彼を見るのは非常に忍びないので、寺にでも泊まって背骨を粉々に砕いてもらうか、いっそのこと全てを捨てて(PS2を後輩に譲って)乞食にでもなってみたらいかがなどと心の中に思いつつ、そのような思いが自分に向いていることは明白、精進のことを思うと暗澹、以前の彼の言葉ではありますが、頭ではなく心で考えろと。
こんどは普通の格好で寺町通りへ行ってみよう。ひとりで、静かに。風に吹かれたりして。

天気がとても良いので公園に散歩に行こうと思って家を出たのですが、途中で寄った古本屋さんでビアスの短編集を買ってぱらぱらとめくったら面白そうなので、そのままお茶場で読書。「ぼくはボファー・ビングスという男だが、少々卑しい稼業をしていた正直な両親の下に生まれた」。陽は読書で沈み。
夜、クリント・イーストウッド監督主演『ブラッド・ワーク』をだらだらだべだべとしながら観ました。派手でなくてとても好きな感じの作品。なんだかアドベンチャーゲームをやりたくなった。アドベンチャーゲームって今でもあるのかしら。
それにしても疲れた一週間でした。疲れ過ぎて足がしびれています。今日は早くに眠りましょう。明日、ちゃんと起きられますよう。

つっこみ出したらきりがありませんが、真実がどうであれ、このようなニュースがあるから毎日を生きていけるわけです。
このニュースを聞いてリック・バスの『見張り』という短編小説を思い出しました。ここ数年の間に読んだ短編小説の中でも、衝撃的なぐらいに面白かったこの作品は、家出をして森で大勢の女性と共に野生の生活をする父親と、その父親を捕まえようとする息子(話し好き、ただし話はつまらない)と自転車乗り(でぶ)のお話で、本屋を徘徊しているときにぼくが探しているのは、いつでもこの『見張り』にような小説なのです。
夜、鉄割のところへお酒を飲みに。この方々は、時間に並行してきちんと歳をとっているのかしら。