
何の予定もない休日。朝起きて、巨峰を食べて野菜ジュースを飲んで、ストレッチをして少しだけマラソンをして、シャワーを浴びながら歌を歌って、大量の本をバックに詰め込んで家を出て、途中に本屋さんで本を買って、カフェに行って席を占拠してこの後、閉店の時間まで読書、読書、読書、チャパタ食べて、読書、読書、読書、うんこしてまた読書、読書、読書、帰りにビデオレンタルでビデオを借りて、夕食は少し離れたレストランでパスタを食べて、帰宅して部屋の掃除をしてメールして電話して、ストレッチしてスクラッチして腹筋して腕立て伏せしてスクワットして腹筋して腕立て伏せしてスクワットして腹筋して腕立て伏せしてスクワットして、ビデオを見ながら昇降運動、一時間ばかりゲームをして、寝る前に読書、耳栓をして冷やしたアイマスクをして、おやすみなさい、本日も良い夢が見れますように。と思ったら珍しく眠れなくて仕方がないから読書して、読書して、読書して、耳栓をして冷やしたアイマスクをして、おやすみなさい、本日も良い夢が見れますように。
今月号のMacPowerに掲載されていた『ShadowBane』の記事を読んでいたら、無性にMMORPGがやりたくなり、ネットカフェに行って歴史のあるMMORPG『リネージュ』をプレイしたところ、見事にはまりました。あっというまに五時間が過ぎ、六時間が過ぎ。
幸いに『リネージュ』はMacintosh版がないため、プレイするにはネットカフェかまんが喫茶に行かねばならず、これなら年始のようにゲームにはまる心配もあるまいと安心していたのですが、自宅に帰ってネットで検索したら、Macintosh版がありやがりまして、ううむとうなりながら早速ダウンロード、日本でプレイするには若干の作業が必要ですので、それらの作業を行って起動いたしました。
幸いにぼくが使用しているのは、五年前のG3の350Mhzという遅いマシンですから、まあ動作が重たくてゲームにならないだろう、これなら年始のようにゲームにはまる心配もあるまいと安心していたのですが、起動してみたらこれがプレイになんの支障もない程にさくさくと動きやがりまして。とはいえ不具合がないわけではなく、MacOS Xのバージョン1.2でプレイをすると、他のユーザとのチャットができないのです。
まあしかし、もともと人見知りのぼくは、ネット上で他人とコミュニケーションを取るのがひどく苦手なので、この不具合はむしろ好都合、いけるところまでひとりでいってみようと思います。そんならMMORPGなんてやらないで、普通のRPGをやれと思われるかもしれませんが、興味があるのはMMORPGの世界なので、まあ、ゆっくりと慣れつつ。
なにやらスタジオで撮影を致しました。その後に、昭の字の宅で先日の新潟公演のビデオや、昔の鉄割のビデオなどを拝見。まるで遠い過去のよう。
帰宅して、夜に昇降運動をしながら『チル CHILL 』を観ました。休暇に訪れた田舎の別荘で、幸せな家族が地元の人間にひどい目に会うという『ファニーゲーム』のような映画かと思っていたら、全然違いました。カナダ原住民の間に伝わるウェンディゴの霊魂と、他人には見えないものが見えてしまう少年、そして両親とその両親に屈折した思いを抱く地元の猟師がそれぞれに絡み合って物語は進行して行くのですが、意外なラストにおったまげました。ええ、これで終わりい?みたいな。でも、このような肩透かしでカタルシス完全無視の燃焼不良映画って、ぼくは結構好きです。
この映画の原題でもある「ウェンディゴ(Wendigo)」の言い伝えというものをまったく知らなかったので、調べてみました。
■ウェンディゴ憑き(WINDIGO PSYCHOSIS)——狂気の一形態——
『チル』では、ウェンディゴはひとつの存在として語られていましたが、上のサイトによるとウェンディゴ憑きというものがあるらしく、ウェンディゴに取りつかれた者は、最終的には人としての理性を失い、人肉を欲しがるそうです。
罹った人物は当初は単に気持ちが塞いでいるだけのように見えるのだが、やがて常軌を逸し通常の食事を拒むようになる。患者は人肉(特に自分の家族の)を食べることで頭が一杯になり、自分の周りの家族たちが動物に見えるような幻覚さえ引き起こす場合もあるという。その後、言語能力も失われ、外見も気にしなくなり、自分の指や唇を噛んだりすることさえある。また、野生的な気分変動(訳注:躁鬱病などに主に見られるもの)を経験し、自分の内臓は凍り付いていると主張する者さえいる。
たんなるシャブ中のように読めなくもないですが、人肉を食べたがるという点が気になります。これらのウェンディゴ憑きに関する民俗学的な成立経緯を調べたいなあ。カナディアン・インディアンの伝統に、カニバリズム的な儀式でもあるのかしら。