
夜、鉄割の会合へ。まあ、いつもの感じでお酒を飲んで、奥村君は一日平均二回オナニーをするという話を聞いたり、月末に嬉しいイベントがあることを聞いたり、十月の登山のことを話したり。
その時に「恐怖やストレスで、一晩で白髪になることは現実にあり得るのか?」ということが話題になりました。ぼくと奥村君は「ありえないらしい」、その他の何人かは「あり得るらしい」と主張し、その場は「らしい」の連発で具体的な真相を知る人はひとりもいませんでした。その話はそのままうやむやになったのですが、なんだか腑に落ちないので帰宅してからちょいと調べてみたところ、いくつかのサイトでこんな情報を発見しました。
■白髪にまつわる俗説/ウソ・ホント?
■髪の常識、うそ?ほんと?
■苦労すると増える?一晩で真っ白?
■教えて!ドクター常識・非常識 Q&A
■過度の恐怖や心労は「一夜にして白髪をつくる」というのは本当?
■大きいショックを受けると一夜にして白髪になる(下の方に書いてあります)
探せばもっとたくさんあると思いますが、取りあえず「一晩で白髪になることはありえない」というのが一般的な意見のようです。中には「一晩で白髪になることもあるらしい」と書かれているサイトもいくつかありましたが、そのいずれもが伝聞形式(〜らしい、〜だそうだ)で書かれており(中にはマリー・アントワネットの話を事実として書いているサイトまでありました)、医学的・科学的に実例を挙げているサイトはひとつもありませんでした。(これらはあくまでもぼくがネットで調べた結果に過ぎませんので、もっと詳しく真実を知りたい人や納得がいかない人は、個人で調べてみてください)
ただし、渡部さんも言っていたとおり、科学の常識というものは主張したもの勝ちのようなところがあります。客観的と思われている科学にも、様々な異なる「説」が存在するのがその証拠ですが、例えば携帯電話の電磁波の問題などは、あるグループが「携帯電話の電磁波は人体に悪影響がある」と発表すれば、別のグループが「携帯電話の電磁波は人体に悪影響はない」と反論し、しかもそのいずれもが具体的な実験結果やサンプルを提示したりして、決定的な結論は出ていない状態です。
「ある」ということを証明するのは簡単です。「ある」という研究結果を提示すればよいだけです。ただし「ない」ということを証明するのは非常に困難です。「ない」という結論を導き出した研究が、「ある」という結果を見逃しているだけの可能性は、決してゼロにはなりません。いくら実験結果から「携帯電話の電磁波は人体に悪影響を及ぼさない」と主張しても、それを完全に証明することはできません。例えば、電磁波問題市民研究会というサイトでは、以下のように書かれています。
(問)電磁波の健康被害は無いという報告も沢山あるのですが、どうしたわけでしょうか?
(答)ご質問のように、ハツカネズミを数世代にわたって電磁波を被ばくさせた環境で飼育し、被ばくさせなかったグループと比較して、その違いは無かったとの報告もあります。しかし、この結果から、電磁波被害は無いものと結論づけるのは誤りです。この実験モデルが実際の状況を模擬できているかどうかをさらに検討しなければなりません。言い変えれば、モデル実験によって最初の目的と違った結論が出たならば、モデルの設定が間違っているのでは無いかと、まず疑うのが正しいあり方と思います。
極端に言えば、科学的な実験がある一部のサンプルを用いて行う以上、すべてのサンプル、つまりすべての対象に対して同じ結果が出なければ、完全に「ない」ということを証明することはできないということになります。
ですから、科学的な論拠を提示して「一晩で白髪になることはない」ことを説明しても、「それは実例を見逃しているだけかもしれない。やはり一晩で白髪になることはあると思う」と主張されてしまえば、そこで話は終わってしまいます。科学は常に変革し、一時代前の常識は次世代の非常識であることは事実ですから、可能性で物事を語られては反論のしようがありませんし、そのことに関してはぼくも同意見ですから。あくまでも「現在の科学ではこういうことになっている」という形でしか、結論を出すことはできません。
以前、七歳になる甥が「先生が言っていたんだけど、地球はあと百年ぐらいで滅亡するんだって」などととんでもないことを言い出したので、詳しく聞いてみると、どうやらオゾン層の破壊によって生じる地球温暖化のことを言っているらしく、学校の先生がどのように伝えたのかはわかりませんが、甥は完全に人類は滅亡すると信じていました。確かにオゾン層の破壊は深刻な問題だし、このまま放っておけば地球滅亡の可能性もゼロではありませんが、オゾン層破壊の脅威を教えるのであれば、それに取り組む各国の姿勢も一緒に教えて欲しかったと思います。小学生というのは、どんなことでも素直に吸収し、かつそれを糧として自己のアイデンティティーを形成します。だからこそ、小学生と接する大人には気をつけて情報を扱って欲しいと思います。「一晩で白髪になる」という情報が、嘘でも本当でもぼくにとってはどちらでもよいのですが、現在の世界で「本当とされていること」を知っておくことは、甥に対するぼくの責任です。ぼくにできることは、どの科学的根拠に依存するか自分の立場を決定し、それをぼくの真実として生きていくことだけです。もちろんすべての情報の真偽を確かめることは不可能ですから、できる限りの、という条件付きですが。
ムーミン・コミックス全十四巻を購入。何年か前、トーベ・ヤンソンさんがお亡くなりになったときに、池袋リブロの特設コーナーで立ち読みをして、コミックスが小説の雰囲気と全然違うことに驚いた記憶がある。改めて読んでみると、やはり雰囲気はちょっと違うけれど、根底に流れているユーモアのセンスはやはりムーミンシリーズ独特のもので、ただ少しだけ小説より大人向けになっている感じだった。
とにかくもう、最高に面白くて、法と秩序を完全に放棄したムーミン谷の生活が描かれている。例えば、第二巻の『ムーミン谷の気楽な生活』。義務と労働に目覚めたムーミンパパが、その第一歩として早起きをしたところ、物音に驚いたムーミントロールに射殺されそうになる。ムーミンパパは家族に労働と義務の話をし、感化されたムーミントロールはとりあえず仕事を得る為に、『磁石の世にひきつける個性を得る方法』というハウツー本を読むが、うまくいかない。ムーミンパパは、どの会社にも雇ってもらえないので自分で洞窟を改造してボートレンタルの会社を作るが、昔のボヘミアン仲間と再開し、トランプに打ち込む日々を送る。ある日、船乗りは危険な仕事なので生命保険に入れないという理由で、ムーミンパパは森番に転職する。ムーミントロールは警察署長から道をかざる貝殻を拾う仕事をもらう。しかし最後には、京極堂のごとき存在であるスナフキンの言葉によって、ムーミン一家は労働と義務から解放され、「どっさりワインときままな暮らし、やっぱりむりよね正しい生活!」という結論に至る。
その他にも、黄金のしっぽが生えたムーミントロールが一躍メディアの寵児になったり、アメリカの西部開拓時代にタイムトラベルしたり、スノークのお嬢さんがやりまんみたいになっていたり、どのお話もとてもおもしろい。まだ三巻までしか読み終えていないので、あと十一巻も残っていると思うと嬉しくてわくわくする。
とうとう八月になっちまいました。今月も、気合いを入れて精進しましょう。
Amazonに注文しておいた『American Cultural Studies』が届いた。この本の翻訳『アメリカン・カルチュラル・スタディーズ
』は持っているのだけど、これは抄訳なので後半のいくつかの章が抜けている。その抜けている章も読んでみたいので、ちょっと高いけれど購入することにした。ちなみに抜けているのは以下の三章。
6. The American city: 'the old knot of contrariety'
7.Gendar and Sexuality: 'to break the old circuits'(増補版には収録)
8. Representing youth: 'outside the sunken nursery'
10. Technology and media cultures: 'the uncertain trajectory'
多分、読むのに丸二三日かかるんだろうなあ。はああ。
一緒に頼んでおいた武田百合子『日日雑記』も届いた。各雑記の始まりには、日付ではなくて「ある日」と書かれている。例えばこんな感じ。
ある日。
玉(うちの飼猫)は今朝八時までに、日光浴をし水を飲んで牛乳を飲んで「北海しぐれ(カニアシの名前)」を食べ、毛玉を吐いてゲロも吐いて、うんことおしっこをした。あっという間に、一日のうちにすることを全部してしまった。玉は十八歳、ヒトの年齢でいったら九十歳である。若い。えらい。すごいと思う。
読み始めの適当な「ある日」を選んだのだけど、もっと良い「ある日」もあるはず。ゆっくり読んで、また報告します。
夜、刺激が欲しくなり、部屋を真っ暗にして映画『呪怨』を観る。怖くはなかったけれど、とてもおもしろかった!ここ何年かで観た日本のホラー映画の中では、一番好きかも。「怖い」映像というか、人が何を怖がるかをとても良く分かっている監督だと思う。役者さんたちも良かったし、演出もとても良かった。いやはや、『呪怨2』がとても楽しみ。ちなみにこの映画の監督、1972年生まれだそうです。