
根津は宮永会館で鉄割どもの公演が行われたようで、まあ少なからぬ義理もございますので、公演の終了した後にちょいと顔を出しに行ったのですが、バラシだかなんだかしらないけど皆様たいそう忙しい様子。この孤独感、これが嫌なのです。みんなが阿呆みたいに一生懸命にやっているのを部外者として眺めなくてはいけないこの感覚、これだから本番の日にこいつらのところに来るのは嫌なのよ。揚げ句、お前が出ないから俺達が恥をかいたなどと罵倒される始末、そうは言われましても毎回もれなく恥をかかされる身にもなればかなどと思いつつも、なにせ部外者の身、言いたいことも言えずに宮永会館の隅で小さくなっておりました。
それにしてもこの鉄割という輩ども、歳を重ねるごとに余裕がなくなってきている様がとてもいじましく、少しは中島君を見習って欲しいものです。彼は人生で三日以上先のことを考えたことはないのですから。
まあ、とにかく新潟もがんばってね。
昼過ぎ起床。うう、休日に昼過ぎまで寝てしまうと、とても強い罪悪感を感じる。両頬をぶったたいて気合いを入れて、お散歩へ。
本屋さんを徘徊。スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』を探すが、売っていない。911以後、もっとも多く発言している文学者のひとり、スーザン・ソンタグの新作。みすず書房ののレビューによると「本書は、戦争の現実を歪曲するメディアや紛争を表面的にしか判断しない専門家への鋭い批判であると同時に、現代における写真=映像の有効性を真摯に追究した最新の〈写真論〉でもある」。読んでもさっぱり意味わかんねーの可能性が大ではあるが、とりあえず一読しておきたい。他の書店を回ってみよう。ねこぢるy『インドぢる
』を立ち読み。五年前に他界したねこぢる、その元夫である山野一氏と元弟のインド旅行エッセイ。生前のねこぢるとの旅の記憶を交差させながら、山野氏独特の文章でインドの情景が綴られている。元祖ねこぢるよりも、ねこぢるyの方が好きなぼくとしては、即購入。保坂和志の新作『カンバセイション・ピース
』を発見。そういえばこれ、新潮の連載で途中まで読んでいたなあ。あちらこちらで傑作との噂を聞くし、改めて通して読もう。購入。
夕方、カフェで心を浄化する。読書をするも気が入らず、うつらうつらとうたた寝する。夢で白狐に襲われる。気付いたらもう夜よ。
なんだかメールサーバの不調とか、メールクライアントのフィルタがおかしなことになっているとか、いろいろな原因が重なって、いくつかのメールが来ていることに気付きませんでした。すんません、重要なのは順にお返事を致しますので、もうしばらくお待ちを。
夕方、気分を落ち着けるために公園をお散歩。梅雨もようやく終わり、これからは夕方に散歩を楽しむことが出来そう。ぼくの前を女性が歩いていて、とてもよいおしりをしている。歩くたびにぷりんぷりんと左右に揺れて、その揺れ方がとんでもなく素敵で、色気とかそんなのではなくて、ほとんど妖怪みたいでかわいらしい。ぼくもぷりけつには自信があるけれど、このおしりのぷりぷり感にはとてもじゃないけれどかなわない。是非とも写真に撮ってこのぷりぷりを他の人にも伝えたいと思ったけれど、ここで写真を撮ったらこれは盗撮になるのかしら、逮捕されたら恥ずかしいな、ぷりぷりとか言っても警察の人は分かってくれないだろうな、などと思い躊躇。素敵なものを友人につたえることさえできないなんて、なんと世知辛い世の中だろう。
途中、古本屋さんで雑誌太陽を三冊購入。一冊100円。特集はそれぞれ『石仏の里』『円空ー放浪の仏師』『西行ー漂泊の生涯』。すべて70年代に出たものなので、広告なんかもいい感じ。三冊の中では『石仏の里』が特におもしろい。「人が老いてゆくように、歳月は神々の顔も消していく」。言葉も通じないような田舎の町を歩きながら、道の端々に道祖神を見つけて嬉しいような、そんな気持ちを最近はすっかり忘れております。やっぱりiPod買うのやめて旅行に行こうかしら。