
勝部真長著『青春の和辻哲郎』を読みました。この伝記のテーマは、「人はその在るところのものにいかにして成るか(ニーチェ)」。和辻氏の死により未完に終わった自伝『自叙伝の試み
』で書かれた和辻の幼年期から一高時代以降の伝記になります。
「どうだね、面白かったかね」と和辻が聞いた。「うん、大変面白く読んだ。しかし僕は君がアンダーラインをしていないところの方を一層面白く読んだ」と、私は答えた。(中略)和辻はそのことを忘れずにいて、後年、たまたま和辻と私とがこう沼に住んでいた時分、或る日和辻が私の家へ遊びに来て、そのことを云い出したことがあった。「今だから白状するが、僕が創作家になるのを止めて方向を変える気になったのは、あの時の君のあの言葉が大いに影響しているのだ。あの時君は、ぼくがアンダーラインをしていない部分の方を面白く読んだと言ったね。僕はつまりあの文章の中のアイロニカルな警句ばかり興味を感じたのだが、君は小説としての面白味に興味を惹かれたんだ。ぼくはそのことを感じたので自分の天分は小説家には向かないことを悟った。君のあの時の一言は、僕の将来を決定する上に非常に大きな力があった」と、和辻は言った。谷崎潤一郎『若き日の和辻哲郎』より
読んでいると、どきどきするぞ。人はその在るところのものにいかにして成るか。
昼、仕事。夜は読書。今日の読書は、角田光代・岡崎武志『古本道場』。古本初心者(とは思えないけど)の角田光代さんが、岡崎武志氏の指導の元、古本屋さんを究めるというエッセイです。めちゃくちゃ面白い。
ぼくは本を読む女性が本当に好きです。村松梢風なんかを古本屋さんで見かけて買ってきるような女性がいたら、たぶんすぐに好きになってしまうと思う。この角田光代という作家さんが、ぼくの身近にいないことは幸いです。近くにいたら、絶対に惚れているから。絶対に求婚しているから。
ぼくは猫が好きな以上に、猫を好きな人が好きだし、本が好きな以上に、本が好きな人が好きです。ようするに、人が好きです。けれども、嫌いな人は大嫌いです。
長島さんのパソコンの作業を手伝いに行きました。昨日のお酒が残っているせいか、あたまがぽわわんとしています。ぽわわんとした頭で、人生と恋愛について、延々と十時間ほど相談にのってもらいました。なにをしにいったのだ、ぼくは。
長島さんとか、戌井さんとか、向井さんとか、みんな本当にすごいなあと思います。彼らの作業の現場に接すると、芯の強さと言うか、集中力のすごさなんかをとても強く感じます。こんなふうに尊敬できる友だちがまわりにたくさんいることには、神さまに感謝です。しかし、良く考えたら先に挙げた三人の中から戌井さんは除外しても良いような気がし ます。尊敬するには、彼のことを知り過ぎました。