
朝八時起床。顔を洗って、少し濃いめのコーヒーとトーストで朝食。STELEO LABをBGMに部屋の掃除をする。布団を干して、キッチンを片づけながら、キッチン用品で無くなりそうなものをリストアップ。本棚を整理すると、読もうと思いながら読んでいない本がたくさん出てきた。嬉しい。
今日は天気が良くて気持ちがいい。九時半、マラソンをするために、スポーツウェアに着替えて家を出る。近所のおばあちゃんが庭の掃除をしている。おはようございます。そのまま石神井公園へ。
日曜日の石神井公園は、カップルや親子連れで溢れている。平日の仕事でくたくたであろうお父さんが、子供と遊んでいる姿を見るのはとても気持ちがいい。手をつないで散歩している恋人同士を見るのはもっと気持ちがいい。走っていると、次々に公園の常連さんに出会う。ポメラニアン犬のクッキーを連れたおじさん。おはようございます、天気が良くて気持ち良いですね。クッキーにもご挨拶。ぼくと反対方向からジョギングしているぼくと同じ世代の青年。おはようございます。調子はいかがですか。石神井池をまわって、三宝寺池の方へ行く。公園の主である猫たちが、あちらこちらを闊歩している。会釈して、機嫌をとる。
大泉学園の方へ迂回して、一時間ほど走ってから帰宅。さらに腕立て伏せを五十回した後に、シャワーを浴びて汗を流し、オレンジジュースを飲んで一休み。ふうう。Betty WrightのCDをかけ、窓を全開にして床に直接横になる。しばしうたた寝。元帝国の皇帝フビライ汗の都の夢を見る。怱必烈汗は命じた 上都に快楽宮を建立せよと.....
午後、トートバックに本を五冊入れて家を出る。駅前でバスに乗り吉祥寺へ。バスはあまり混んでいない。窓から差し込む太陽の光が気持ちいい。斜め前の席に座っている小さな女の子が、窓の外を指さして、隣に座っているおじいちゃんになにか説明している。おじいちゃんは、嬉しそうにうんうんと話を聞いて頷いている。いいなあ。楽しそう。
終点の少し手前で降りて、ぶらぶらと歩く。途中、パン屋さんでシナモンディッシュを買う。今日の昼食代わり。さらに本屋に寄って新刊をチェック。雑誌を二冊購入する。そのままお気に入りのカフェに行く。加賀棒茶を頼み、ほっと一息。さっき買ったばかりの雑誌を袋から出して読む。観たい映画をチェックし、行きたい美術館をチェックし、読みたい新刊をチェックする。その後、バックから持ってきた本を出して読む。今日選んだ本は少し難しいので、精神を集中して脳味噌をフル活動しないと内容が理解できない。それでも、やっぱりわからない。わからないものをわからないままに読む。それがとても楽しい。
三時間ほど読書をしてカフェを出る。友人に会うために電車に乗って渋谷へ。二年ぶりに会う友人は、新しい仕事を始めたばかりで、とても生き生きとしている。友人の知り合いが経営している店に飲みに行く。ぼくは日本酒を頼み、友人はワインを頼む。友人の近況を聞いたり、仕事の話を聞いたり、最近の趣味のことを聞いたり、話題は尽きない。ぼくは聞く一方で、友人は話す一方。友人は話すのが好きだし、ぼくは聞くのが好きだから、丁度いい。十年後も、こうやって時々会って、一緒にお酒を飲むことができるのかな、と思う。
別れ際に、友人が「トオマス・マン短編集」をくれた。また近いうちに、と言ってわかれたけど、次に会うのはまた数年後であることを、ぼくたちは知っている。帰りの電車でもらったばかりの「トオマス・マン短編集」を読む。読み進めていくと、『幸福への意志』という短編の一節に、鉛筆で線が引いてあるのを見つける。「彼がこんなに長い間、死を征服してきたのは、ただひとえに意志のー幸福への意志のおかげではなかったのか。その幸福への意志が充足させられたとき、彼は死ぬよりほかはなかった。争闘も抵抗もなく、死ぬよりほかなかった。彼はもはや生きるための口実を失ってしまったのである」
二十三時過ぎに帰宅。部屋の電気をつけ、布団をしまうのを忘れていたことを思いだし、急いで部屋に入れる。冷たい布団に触ったら、なんとなく走りたくなって、今日二度目のマラソンに行く。ぼくは、昼間の石神井公園よりも夜の石神井公園の方が好きだ。夜の石神井公園の、音が好きだ。風の音と、土の音と、光の音と、水の音と、動物の音しか聞えない、夜の公園が好きだ。走りながら考える。帰ったら、「トオマス・マン短編集」の続きを読もう。そして読み終えたら、今日会ったばかりの友人に手紙を書こう。彼の話を聞いて思ったことを、彼にもらった本を読んで思ったことを、手紙に書いて送ろう。そんなことを思っていたら、石につまずいて転んだ。土の感触が、とても気持ちいい。ああ、生まれて良かった。

と、このような休日を送りたいと毎週末ごとに思っているのですが、今週の休日といえば、前日に明け方六時までゲームをしていたため、目を覚ましたら午後四時になっておりまして、そのままコンビニに行って弁当買って食ってまたゲームをしていたら夜中になってしまい、またコンビニ行って弁当買って食ってまたゲームをしたら明け方六時になっていました。急いで寝て、目を覚ましたら今度は首と手が全く動かないのはゲームのし過ぎが原因だと思うのですが、そのまま一時間ほど天井を見つめていたらようやく体が動くようになったので、コンビニに行って弁当買って食ってまたゲームをしたら、休日が終わってしまいました。
三月の公演のちらしが、ほぼ完成しました。
今回の鉄割前口上は以下ノ通り。
さすらってさすらって、我々何処まで行こうとしてるのでしょうか? 出口が無くて無意味でなんにも無いみじめな姿。俺は荒野か?馬もねえは牛もねえ、水はねえし、犬もいない。そんな荒野、拾った小さなネジを頭にグイグイねじ込んで、生きる気力が沸いてきました、死ぬもの怖くなくなっちゃって、宇宙を見上げて大笑い。そんな荒野の小さなネジを頭に埋め込まれた人々よ是非とも「鉄割アルバトロスケット」を覧アレ。貴方の頭に得体の知れぬネジを埋め込んであげます。さすらいの永き人生、そのネジを弛めたり締めたりして、宇宙を見上げてご覧、今迄よりも素敵な星が見えるようになりますよ。生き方ラリブチ、無駄な人生ズッパッパ。宇宙から食べれる星を降らせてあげる。鉄割のアルバババとロッスオッス。
いつものとおり演出の操さんが絵を描きました。とても良くないですか。空間が空きすぎのような気がしないでもないですが。さらに今回は、ネイティブ・アメリカンの詩人である勉蔵君の誌を引用させていただいております。
The SKELTON, whose IRONNNN has burnt out, shoots an ALBATOROSS, feeding on it as the CRACK, repeat, The SKELTON, whose IRONNNN has burnt out, shoots an ALBATOROSS, feeding on it as the CRACK, repeat, The SKELTON, whose IRONNNN has burnt out, shoots an ALBATOROSS, feeding on it as the CRACK........

修正等があるので、印刷して実際に配るまでにはまだ一週間以上かかると思います。もうちっと待ってね。
最近、少し不安になるくらいうんこが出るのです。快便すぎます。ぼくの大腸はどうにかなってしまったのかしら。それはまあ良いとして、本屋をぶらついていたら、つげ義春さんの久々の新刊を発見しました。
と言っても漫画ではなく、今まで発表してきた作品の中から温泉モノだけを集めた「温泉イラスト&エッセイ集」みたいなものでして、未発表原稿はいくつか収録されているものの、新作や書き下ろしはひとつもありません。まあ、つげ義春の温泉漫画やエッセイが一冊の本にまとまっているというのは、それだけでもなかなか魅力的なことでございまして、値段はそこそこしたのですが(1800円)、つい購入してしまいました。
嬉しいのは巻末の温泉一覧表で、つげさんが訪れて描いてきた温泉の一覧が、連絡先つきで書きだされています。収録されている写真や原稿のほとんどが二十年以上前に撮られたもの、描かれたものなので、今この本で扱われている温泉に行っても、期待しているような旅情を味わうことは出来ないかもしれませんが、つげさんのファンであれば一度はそれらの温泉に足を運びたいものでしょうし、そんな時にこのような具体的な表はとても役に立つでしょう。
高野慎三さんの『つげ義春を旅する』によれば、『二岐渓谷』に登場する温泉のモデルとなった湯小屋旅館(この宿は『枯野の宿』のモデルにもなっています)には、今でも年に十人ほどはつげファンが訪れるそうです。ぼくはもう何年も温泉に行っていないので、そろそろ温泉が恋しくて仕方がありません。あの、鉄割のお前ら、どうせ暇ぶっこいてんだろ。行きましょうよ温泉。年末の旅行も駄目になってしまったことですし。ぼく、全部計画するから。温泉にでも浸かって、平和ボケでふ抜けたその腐れ頭と体をシャキッとさせないと、いい演技できないぞ。
ところで、『貧困旅行記』の一番最初に収められている『蒸発旅日記』が映画化されるそうです。さらに『リアリズムの宿』も現在撮影中?らしく。『蒸発旅日記』は、以下のサイトで全文を読むことができます。

映画化でつげさんにお金が入ると、ますます作品を描かなくなってしまいそうです。『別離』の続編をはやく読みたいのだけど。