
祖母の三十五日忌で納骨のため、実家に帰省しました。
祖母が亡くなったのは先月の終わりで、その時にも本家のまわりをぶらぶらと散歩したのですが、思えばこの辺りを散歩するのは十年以上振りで、幼い頃には嫌で嫌でたまらなかった田舎の風景が、今ではとても心の落ちつくものになってしまっている自分が嬉しくもあり悲しくもあり、複雑な気持ちを胸に、今回もしばし逍遥しました。
山に囲まれた祖父母の家のまわりには、子供の頃には気付かなかった石仏などが多々点在していて、「穴不動」なるいやらしい名前の安産の守り神の不動明王蔵も発見しました。お産の時にはここに来て不動明王の剣を借りて行くと御利益があると書いてあり、おばあちゃんもここに剣を借りに来たのかしら、などと思ったのですが、よく考えてみれば祖父母には実子というものがおらず、ぼくの母もその兄弟姉妹もすべて養子ですから、祖母が剣を借りに来る必要はなかったのかも。しれないです。
人の死の悲しみは、如何なる手段をもってしても癒すことはできません。その人がいた世界が確かにあったのに、今ではもう、その人に会うことができないと思うとき、自分の中に悲しみ以外の感情が存在しないように感じます。癒すことの出来ない悲しみは、とことんまで悲しむしかなく、悲しみの後にぼくにできることといったら、祖母の記憶を永遠に忘れないでいることしかありません。
死後の世界を信じないぼくは、祖母は往生することによって、生まれる以前の無に帰したと思っています。けれども、その「無」は唯物論的な「無」ではなく、無に帰することによって僕たちの中で仏となったわけで、仏教で言うところの輪廻を断って成仏するということと全く同じだと思います。祖母は、百年前の世界がそうであったように、世界の無となってしまいました。しかし百年前と違うのは、祖母の記憶を持つぼくたちがここに存在するということで、少なくとも祖母の記憶を持つぼくたち全員が無と帰するまでは、祖母は記憶として生きている、この世界に存在している、と思っています。祖母の記憶を持ち、それを保つということが、DNAによる肉体的連鎖以上の何かを、ぼくたちと祖母の間に与えてくれます。
記憶。
祖母を覚えているという、ただそれだけのことで、ぼくは祖母を弔おうと思います。
兼好法師は『徒然草』の第三十段で、以下のような書いています。
年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。骸は気うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく、卒都婆も苔むし、木の葉降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。
思ひ出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。
『徒然草』の中でも特に心に残っている段です。以下に稚訳ではありますが、現代語訳を載せておきます。訳に間違いがあっても御勘弁。
年月が経ったからといって、その人のことを完全に忘れてしまうということはないが、去る者は日々に疎しなどという諺にもあるように、亡くなった時の悲しみは徐々に薄れていくもので、そのうちに適当なことを言いながら笑い話をしたりできるようになる。亡骸は人気のない山中に埋められ、法事法要のときにしか御参りされなくなり、しばらくすると卒塔婆は苔むし、木の葉に埋もれ、夕の嵐や夜の月だけがそこを訪れることになる。
その人を思い出して懐かしんでくれる人がいるうちはまだ良いが、そのような人もいつかは亡くなる。聞き伝えでしか知らない子孫達は、その人のことを思って偲んでくれるのだろうか。供養するための法事さえ行われなくなり、墓に眠る人の名前さえ知らずに、それでも年ごとの春の草をみれば、情趣がわかる人は想ってくれるかもしれないが、最後には嵐にむせぶ松も千年を待たずに薪にされ、古き墓も耕されて田となってしまうように、その跡さえ世界から消えてなくなる。悲しくとも。
ぼくは、亡き人の跡(お墓)がいつかは形骸的な存在になることや、その人の死そのものが忘れ去られることに対して、兼好法師ほどには悲しみを感じません。そりゃまーしゃーないっしょ。さまざまな個性の記憶が生成消滅して世界は動いているのですから。けれども、少なくともぼくたちが生きている間、ぼくという記憶が存在している限りは、決して忘れませんから、ゆっくりと、お休みください、おばあちゃん。
帰り際、祖父母と一緒に暮らしていた叔母に「出産の時に、穴不動にお参りしたの?」と聞いたところ、「なにそれ」と逆に聞き返されました。
そしてそのまま津軽へ。
■「J2EEアプリの開発をもっと簡単にしたい」---Strutsの開発者McClanahan氏に聞く
このページの一番下にも書いてありますが、鉄割のサイトにはJakartaプロジェクトのStrutsというJ2EEフレームワークを使用させていただいております。そんで上の記事はそのフレームワークの大元を設計した方のインタビューなのですが、マクラナンさん、頭が光すぎではありますが、この方のおかげで受けた恩恵を考えると、頭の光の反射も後光に見えて思わず拝んでしまいます。なむー。
この方、休暇で行った先のビーチにまでノートパソコンを持ち込んで、三日(一説には一週間)でStrutsを開発してしまったそうです。もちろん奥さんはオカンムリ。休暇先にまでノートパソコンを持ち込むような人生は送りたくないなと思いつつも、それが勝ち組の生き方なのでございまして、そんな方々のおかげでぼくなんかはとても楽をさせていただいておりますれば、心より敬意を払わなくてはいけません。
ちょいちょいパソコンのことなんかも少しは書きたいと思いながらも、書こうとするとどうにも手が震えてしまいます。どうしてでしょ。
今年に入ってから読んだ本の割合を考えてみたら、日本人の作家の作品が大半を占めていることに気付き、なんとなくアメリカ文学が恋しくなってリチャード・ブローティガン の『愛のゆくえ』を読みました。
誰でも自分で書いたものを納めることができる図書館に住込みで勤務する主人公が、とてつもなく美しい女性ヴァイダと恋に落ち、図書館で同棲したを始めた結果、しばらくするとヴァイダが妊娠してしまい、その堕胎手術のためにメキシコに旅をするというお話なのですが、ストーリーも文章も、そして翻訳もとても素晴らしい作品でした。本当に最高でした。これが書かれたのは1971年なので、とっくに存在していたこの本を、ぼくは今日まで見逃していたわけで、それがとても悔やまれると同時に、まだまだ(当たり前だけど)面白い本はいくらでも転がっているという幸せに感謝。
サンフランシスコ、サクラメント通り 3150 番地にある誰でも本を収めることが出来る図書館に勤務し、何年間もそこから一歩も出ずに、自作の本を持ってくる人だけを相手に仕事をする主人公。自分の美しすぎる容貌と完璧すぎる肉体に困惑を感じてノイローゼ気味になっているヴァイダ。収蔵された本で図書館が溢れないように、数ヶ月おきに図書館に来て本を運び出し、洞窟にしまいこむことを仕事としている酔っ払いのフォスター。このフォスターに図書館の番を任せて、主人公とはヴァイダはメキシコへ堕胎の旅へと出発します。堕胎の旅!小説の邦題は『愛のゆくえ』なんてものになっていますが、現代は『The Abortion: An Historical Romance 1966』直訳すると『堕胎、 歴史的ロマンス1966 』ですから。
とにかくこの主人公の勤務する図書館と、そこに持ち込まれる書籍の魅力的なことは筆舌に尽くしがたく、旅に出てからの話もとても面白いのですが、前半部の図書館と書籍に関するくだりは、何度読んでもたまりません。うう。
誰でも本を収蔵できる図書館というのは、もちろんブローティガンの想像上の産物ですが、このサイトによると、90年代の始めにブローティガン・ライブラリという同様の図書館が、バーリントン州で設立されたそうです。残念ながら、現在は閉鎖しているようですが、さらに調べてみたらこんなサイトが・・
書籍という物理的な制約を受ける図書館を、ブローティガンの想定した形で維持することは難しいと思いますが、ヴァーチャルな空間であれば可能なようです。しかしちょっと覗いた限りでは、サイトの活動はあまり活発的ではないようです。残念。
「どういう内容の本なの?その主題は?」
「マスターベーションです」
(『愛のゆくえ』より)