
■「J2EEアプリの開発をもっと簡単にしたい」---Strutsの開発者McClanahan氏に聞く
このページの一番下にも書いてありますが、鉄割のサイトにはJakartaプロジェクトのStrutsというJ2EEフレームワークを使用させていただいております。そんで上の記事はそのフレームワークの大元を設計した方のインタビューなのですが、マクラナンさん、頭が光すぎではありますが、この方のおかげで受けた恩恵を考えると、頭の光の反射も後光に見えて思わず拝んでしまいます。なむー。
この方、休暇で行った先のビーチにまでノートパソコンを持ち込んで、三日(一説には一週間)でStrutsを開発してしまったそうです。もちろん奥さんはオカンムリ。休暇先にまでノートパソコンを持ち込むような人生は送りたくないなと思いつつも、それが勝ち組の生き方なのでございまして、そんな方々のおかげでぼくなんかはとても楽をさせていただいておりますれば、心より敬意を払わなくてはいけません。
ちょいちょいパソコンのことなんかも少しは書きたいと思いながらも、書こうとするとどうにも手が震えてしまいます。どうしてでしょ。
今年に入ってから読んだ本の割合を考えてみたら、日本人の作家の作品が大半を占めていることに気付き、なんとなくアメリカ文学が恋しくなってリチャード・ブローティガン の『愛のゆくえ』を読みました。
誰でも自分で書いたものを納めることができる図書館に住込みで勤務する主人公が、とてつもなく美しい女性ヴァイダと恋に落ち、図書館で同棲したを始めた結果、しばらくするとヴァイダが妊娠してしまい、その堕胎手術のためにメキシコに旅をするというお話なのですが、ストーリーも文章も、そして翻訳もとても素晴らしい作品でした。本当に最高でした。これが書かれたのは1971年なので、とっくに存在していたこの本を、ぼくは今日まで見逃していたわけで、それがとても悔やまれると同時に、まだまだ(当たり前だけど)面白い本はいくらでも転がっているという幸せに感謝。
サンフランシスコ、サクラメント通り 3150 番地にある誰でも本を収めることが出来る図書館に勤務し、何年間もそこから一歩も出ずに、自作の本を持ってくる人だけを相手に仕事をする主人公。自分の美しすぎる容貌と完璧すぎる肉体に困惑を感じてノイローゼ気味になっているヴァイダ。収蔵された本で図書館が溢れないように、数ヶ月おきに図書館に来て本を運び出し、洞窟にしまいこむことを仕事としている酔っ払いのフォスター。このフォスターに図書館の番を任せて、主人公とはヴァイダはメキシコへ堕胎の旅へと出発します。堕胎の旅!小説の邦題は『愛のゆくえ』なんてものになっていますが、現代は『The Abortion: An Historical Romance 1966』直訳すると『堕胎、 歴史的ロマンス1966 』ですから。
とにかくこの主人公の勤務する図書館と、そこに持ち込まれる書籍の魅力的なことは筆舌に尽くしがたく、旅に出てからの話もとても面白いのですが、前半部の図書館と書籍に関するくだりは、何度読んでもたまりません。うう。
誰でも本を収蔵できる図書館というのは、もちろんブローティガンの想像上の産物ですが、このサイトによると、90年代の始めにブローティガン・ライブラリという同様の図書館が、バーリントン州で設立されたそうです。残念ながら、現在は閉鎖しているようですが、さらに調べてみたらこんなサイトが・・
書籍という物理的な制約を受ける図書館を、ブローティガンの想定した形で維持することは難しいと思いますが、ヴァーチャルな空間であれば可能なようです。しかしちょっと覗いた限りでは、サイトの活動はあまり活発的ではないようです。残念。
「どういう内容の本なの?その主題は?」
「マスターベーションです」
(『愛のゆくえ』より)
なんだかここんとこ風邪を引きやすいし、虫歯も痛いし、おちんちんの皮は日ごと伸びて被ってきているしで、体調ガタガタで精神イライライライラしておりまして、朝の混雑した駅のプラットフォームに並んでいるおやじとかを見ると、ひとりずつ順番に後ろから傘でぶっ叩いてやろうかと思うのですが、気の弱い僕にはそれもママならず、イライラしながら満員電車の中で汗をかいているでぶの肉を掴んでひねり上げていたら余計にストレスがたまり、仕方がないのでジョギングなどをして思いっきりゲロを吐いたり、勉蔵のメガネを二つ折りにしたり、中島の車のアンテナを折ったり、スターバックスのトイレでうんこをして流さなかったり、幸せそうなカップルの隣で般若心経を唱えたり、股間にタオルをつめてもっこりさせて町を歩いたり、フランス人を侮辱したり、そんなことをしてもストレスが解消されるはずもなく、泣きながら歩いていても誰も声をかけてくれないので、またマラソンをしてゲロを吐いて、家に帰ったら電気が消えていてとても寂しい我が家が不憫でなりません。
私生活上の理由で、次回の鉄割の公演は参加を断念したのですが、出なきゃ出ないで毎日が暇過ぎまして、家に帰って来ても、あれまどうしましょ時間が経つのがとても遅いわなどと困惑してしまい、同棲している友人の家に押しかけて酒を飲んだりしていると、奥村君からメールがきて「ごらん、世界は美しい。生命は蜜のように甘美だ」などと書かれており、あらら奥村君とうとう仏陀晩年の境地に達したのねなんて思いながら分厚いハムを頬張り熱燗を一口、心地よくなって友人にいろいろとお話をしたいこともあったのですが、あとでひとりになったときに悲しくなるのでやめたらもう夜中の二時をすぎていて、お二人は明日デズニーシーでランデブーなので家に帰るのが億劫でも帰らなくてはいけません。こういう時、馬鹿うんこの友人達と共同生活をしたいなあ、いっそのことキブツにでも行って集団生活をしようかしらんなんて考えが頭をよぎるのですが、そんな行動力があればとっくに総理大臣にでもなっているはずで、部屋に干してあったブラジャーをこっそり失敬して雨の中バイクを走らせて帰りました。限界までスピードを出して、遅い車にはパッシング、煽ってくる車には中指を立てて、ルイ・アームストロングの『What a Wonderful World』を大声で歌いながら信号無視をするとなんだかとても楽しくて、道路を横切る小猫ちゃんに「I think to myself, what a wonderful world」と叫んで大空を見上げたら雨が降っているのに夜空には星が瞬いていて、あれは多分何千年も前に死滅した勉像のメガネが、光の速度の関係で今頃になってようやく地球で見えているのだなと思い、しばらく道路の真ん中で横になって車のクラクションをビージーエムに瞑想し、明日の朝食はトーストにシナモンのパウダーをかけて食べようと思いました。
暇なのはとても嫌いなので、さっさと鉄割の公演が終わってくれないかなと思っています。そしたらみんなで鍋をやったり温泉に行ったり野球をしたり映画を観に行ったりしましょう。