
最近、わたくしどうも恋に恋い焦がれているらしく、気がついたら大学生の頃によく聞いていた小沢健二の『ラブリー』なんかを口ずさんでいて、奥村君にぶっとばされたりしております。それでも懲りずに、レンタルCD屋さんに行って、小沢健二、略してオザケンのジャケットの色あせた『LIFE』なんかを借りて、バイクに乗るときは常に聞きながら大声で歌っていたりして、信号待ちなどでは注目の的でございます。
やはり冬はオザケンに限りますね!と書こうと思ったのですが、奥村君にさらにぶっとばされて顔がボコンボコンになるのは嫌だし、勉蔵君に唾を吐きかけられるのもいやなので、多くは書きません。でも、音楽を聞くこwu[xANBACオp
ここ数年、音楽から遠ざかった生活をしているために、音楽が恋しくなっても数年前の音楽しか聞くことができません。あー、音楽に満ちた生活を送りたい。
「やめようと百万回努力したが、そのたびに失敗した」
過去六十年間に百万回ということは、一日約四十五回努力したことになります。 と、つまらない計算をしてみたり。秋の夜って気怠いから。
ちなみに『江戸の性愛学』によると、日本では桓武天皇が四十人の側室に五十人の子供、嵯峨天皇は二十九人の側室に八十人以上の子供、醍醐天皇は十四人の側室に三十六人を生ませたということであります。天皇家、なかなかやるじゃん。
『阿弥陀堂だより』にこんなシーンがありました。
入院している小百合の元に孝夫がお見舞いに訪れます。孝夫は、病室に置いてある本を手に取り、開きます。本は、プーシキンの詩集で、孝夫は「プーシキンいいよねえ」と言いながら、その一節を朗読します。
悲しい日にはこころをおだやかにたもちなさい。
きっとふたたびよろこびの日がおとずれるから。
このシーンを観たときにぼくが驚いたのは、ちょうど前日の夜中に、突然思い立ってプーシキンの『オネーギン』を本棚の奥底から引っ張り出して読んでいたからでした。単なる偶然の一致なのでしょうが、なんとなく嬉しくなりました。ささやかだけど、このような偶然はとても幸せな気持ちになります。単純でしょ。
プーシキンの『オネーギン』は、気難し屋の詩人と村の娘の恋の物語で、大好きな小説(本来は詩なのかな?)のひとつです。レイフ・ファインズの妹であるマーサ・ファインズによって映画化されています。タチヤーナ役のリヴ・タイラーが死ぬほど良くて、映画自体もとても素敵な映画です。タチヤーナが、レイフ・ファインズ演じるオネーギンに恋文を書くシーンは、何度観ても美しいのです。本当に感動したなあ。やっぱ告白はラブレターっしょ。ああ、もう一度観たくなってきた。
映画の中で朗読されたいた詩を、全編書き上げておきます。
日々のいのちの営みがときにあなたを欺いたとて
悲しみを、またいきどおりを抱いてはいけない。
悲しい日にはこころをおだやかにたもちなさい。
きっとふたたびよろこびの日がおとずれるから。
こころはいつもゆくすえのなかに生きる。
いまあるものはすずろにさびしい思いを呼ぶ。
ひとつの世のなべてのものはつかのまに流れ去る。
流れ去るものはやがてなつかしいものとなる。
夜中に読むと、とても心が安定します。そういう詩がとても好きです。