
■龍安寺の石庭 見ていると自ずと人は快く- 京大研究員ら 認知科学で仕掛け解明
なんなんでしょうね、こういう研究結果を最近よく目にしますけれど、人がなにかを見て心地よさを感じたり、感動したりする原因を認知科学で説明するというのは、どうも抵抗がありまして。
誰かが、映画を観たり絵画を観たりして感動したことを、「理由」を中心に説明しているのを聞くときに感じる違和感に似た感覚というか、恋愛なんかでもそうですけど、その人を愛している「理由」を説明できるうちはまだまだ本当の恋愛ではないのではないか、などと勝手に思っていまして、「〜だから面白い」とか、「〜だから好き」とか、それは好きであったり感動したりした要素のひとつではあっても絶対ではなくて、何かに感動したり愛したりするのは、ちょっと気取らせていただきますと、「魂が魅かれる」ような感覚で、「理由」なんて言葉では表現できるものではないのではないか、と。
ですから、認知科学の重要性は認識しつつも、現代では脳のどの部分をいじれば悲しくなるかとか、怒りだすとか、そんなことまで解明されているということを考えると、逆にそれを越えた感覚の世界の存在を強く夢想してしまいます。脳という檻の中で生きている僕たちは、結局は生物的な物理的法則に則って世界を生きているのかとか悲しくなったりもしますけど、そんな当たり前のことはどうでもよくて、問題なのは認知科学のような「心の原因」の科学の精神が間違って巷間に流布したときのことで、ぼくが何かに感動したり、誰かを愛したりしたときに、その「理由」を得意げに説明するような輩がいたら、指浣腸をしてやります。
けど、このような話は結構好きです。
京極夏彦『狂骨の夢』読了。
もー最高です!京極最高!最初は今までの中で一番つまらないかしらと不安になるようなちょっと退屈な始まりでしたが、読むにつれ止まらない止まらない。今まで読んだ作品の中で一番面白かった。
前二作と異なり、物語全体の語り口が三人称で書かれているのですが、それがまたとても良くて、各段落ごとに中心となる登場人物が交互に入れ替わりし、その登場人物のセリフによって見えないところで起こった事件の発端や顛末が別の登場人物、延いては読者に知らされるのです。その語り口がとても巧妙で、なんかね、登場人物の一人になったような臨場感がありましたよ。
いやー、この手の小説を多く読んでいる人からすれば、文句のひとつも言いたくなるような内容なのかもしれませんが、免疫のないぼくは興奮しまくりでした。
内容について書きたくて書きたくて仕方がないのですが、なにを書いてもネタバレになってしまいます。
ラストがね、すごい良いのです。今まで読んだなかで一番読後感が良い作品でした。
あまり深くは書きませんが、『狂骨の夢』では事件の発端に複数の信仰が絡みあいます。その中で重要な役割を果たすのが真言立川流です。淫祠邪教などと呼ばれ、その教義の性の部分ばかりがクローズアップして取り上げられ、邪教と考えられがちな宗教ですが、物語の中で京極堂が言う通り、「平安時代末期崇徳院の護持僧を務めた醍醐三宝院の仁寛を流祖とする」立派な宗派です。だと思います。ぼくも良く知らないので。
それで思い出したのが、以前に別の本で読んだインドのタントラという修業方法です。立川流も、江戸時代にはタントラの流れを汲む左道密教の密議などと習合して幕府に弾圧をされたそうですから、まったく無関係というわけではありません。
タントラはヨーガと同様にインドで発展した修行法のひとつなのですが、一口にタントラと言っても左派、右派とありまして、違いは簡単に言うと性的な結合を肉体的と見るか精神的と見るかということですが、その両派ともにシヴァ神のシャクティ(性力)を崇拝しているため、その修業法も性的なものが多く含まれます。
そんでタントラの修行法を描いたこんな絵を見ると
ひとりフェラチオです。この絵を見ると、ちんちんの長さとかが不自然な感じがするかもしれませんが、鉄割の勉蔵君なんかはオナニーをするときはひとりフェラチオをよくしているそうだし、奥村君なんかも、外出するときには大抵の場合ちんちんを肩にかけているので、この絵もあながち大げさと言うわけではないと思います。
などとアホなことを書いていると怒られてしまいそうなぐらい、『狂骨の夢』の中での立川流の役割はすごいですよ。毎日セックスできていいじゃない!なんて言ってられません。是非ご一読を。
それにしても、『狂骨の夢』を読んで事件の謎を推理できた人っているのでしょうか。
プチネタ系です。
■Automatic flatterer(via Koi)
もっと褒めて!
■Wait all day(via 気になるWeb)
ずっと待たせて!
こういうかわいいの大好きです。でも、だれがなんのために作ったのでしょう。