
■英作家ウィル・セルフ、執筆風景を一般公開へ
■Reality art: Novelist on display
日本では、誰でも覗くことの出来る部屋で生活をするのは横尾忠則かコメディアンかといったところですが、さすがはウィル・セルフ様です。
ああ、だれか、ウィル・セルフをどんどん訳してくれないかしら。そこそこ売れると思うのだけど。
アメリカ文学の翻訳者というと、最近では柴田元幸さんが最初に思い浮かぶかもしれませんが、エッセイのおもしろさでは、青山南さんも相当面白いものを書いています。
ぼくは多分、青山南さんのエッセイは全部読んでいると思うのですが、その中でも特に好きなのは、アメリカの南部に関するエッセイを集めた『南の話』や、過去十年間に書いたエッセイを右ページに載せ、インターネットを情報源として調べた後日談を左ページに載せた『この話、したっけ?—インターネットでこんなに読めるアメリカ文学』、アメリカの短編小説の世界に焦点をあてた『アメリカ短編小説興亡史』などで、アメリカ文学の作品に関する話題だけでなく、作家たちのゴシップ的な話題もたくさん載っています。
特に『アメリカ短編小説興亡史』なんかは、雑誌『ニューヨーカー』の裏話からEジンに関する話題まで、アメリカの短編小説の歴史や流れがとても興味深く書かれていて、何度読んでも飽きません。歴史や流れ、と言っても一本の線を辿るように順を追って書かれているわけではなく、あるひとつの話題から、次の話題へと、ちょっとしたきっかけでどんどんと話が移り変わっていきます。
たとえば、フラナリー・オコナーがヘミングウェイに対して「意味深い瞬間というものに絵のようにアプローチする方法を勉強しすぎた結果、いかにも意味ありげではあるけれど情報が少なすぎるという印象を、ときどきわれわれにあたえてしまうのである」と、軽い批判を投げかけたということが書かれたあとに、絵に関するヘミングウェイの発言へと話題が移り、またあるいは、「短編小説は必要か」というシンポジウムにスランプのジョン・チーバーが出席して終始不機嫌だったという話題から、ニューヨーカーに多くの短編を発表していた三人のジョン、ジョン・オハラ、ジョン・チーバー、ジョン・アップダイクへと話題が移ります。ひとつひとつのエピソードはどれも興味深いし、それらの中で扱われている作品は、どれも読みたくなっちゃいます。
そんな青山さんが監修をしているリンク集が『海外文学の扉』です。
このリンク集は相当役に立ちます。面白いです。興味深いサイトばかりを紹介しています。こういうサイトがただ見られるのですから、本当に良い時代です。
また、同じすばるのサイト内でエッセイを連載されています。
アメリカ文学に関する面白いエッセイを書く人は、越川芳明さんとか、若島正さんとか、他にもたくさんいるのですが、そこらへんはまた後ほど。
『インソムニア』を観てきました。
我が家の直ぐ近くにある映画館はいつもがらがらでして、『インソムニア』も公開初日であるにもかかわらず、客席は三分の一も埋まっていませんでした。
映画は、ある事件の調査で白夜の地に赴いたアル・パチーノ演じる刑事が、秘密を胸に六日間眠れなくなってしまうというお話で、そういえば鉄割の勉蔵君も「六日ぐらいは眠らないです」などと良く言っているなあと思い出し、それ以後アル・パチーノが勉蔵君にしか見えなくなってしまい、せっかくの映画が台なしでした。あとで勉蔵君に映画代を返してもらおうと思っています。
クリストファー・ノーランの作品を観るのは初めてだったのですが、話題になった『メメント』よりも、デビュー作の『フォロウィング』の方がとても観たい。
作家志望のビルは、創作のヒントを得るため、通りすがりの人々の跡をつける行為を繰り返していた。
ほら、ストーリーの最初の一行だけですごく面白そうでしょう。
夜、あまりにも暇だったので御友達を吉祥寺に呼びだして、そろそろ人生切羽詰まってきたね、とかいろいろなことを話ながら、朝方まで飲み明かしました。最近ちょっと御酒の飲み過ぎです。