02年08月12日(月)

 午前七時、がたがたという音と車掌の声で起床。寝台のカーテンを開けると、ベットの片づけが始まっている。下に降りて窓から外を眺めると、一面に田んぼが広がり、その中に南国系(?)の樹木が生えているのが見える。早朝だというのに、農業に勤しむ人々がすでに作業している。ああ、これがタイの東北部なのね!と感激し、しばし眺めを楽しむ。

 九時過ぎにノーンカイ到着。ぼくの他にも、観光客と思しき外国人が何人かいるが、会話から察するに、みんなフランス人のようだ。リュックを背負い、電車を降りる。
 駅を出ると、たくさんのトゥクトゥクが待っている。ここからタイのイミグレーションまではトゥクトゥクで行くらしい。イミグレーションへ向かう。

 タイの出国管理事務所で出国手続きをして、シャトルバスで友好橋を渡り、メコン川を越える。ああ、メコン川だ!思った以上に巨大な川だ。これから数日間、あなたの傍を離れずに、あなたと共に旅行をするのですよ、と心の中で川に話しかける。
 橋を越え、ラオス側のイミグレーションへ向かう。ぼくはラオスのビザを持っていないので、入国手続きをする前に、ビザの申請をしなくてはならない。写真と申請書と金を渡して申請をすると、パスポートを受け取ったまま返してくれない。あれ?これ返してくれないのかしら。でも、他の外国人もパスポートを預けて待っているし、まあいいやと思って待つこと三十分、突然「オネダ!オネダ!」と呼ばれる。パスポートを受け取ると、しっかりとビザのスタンプが押してある。すぐ先にある入国審査の窓口に並び、入国カードを提出。なにやらコンピュータで照合をしている様子。無事に通過し、とうとうラオス入国。外に出ると、またもやトゥクトゥクやタクシーがたくさん待っている。近くにいた日本人の女性に声をかけて、市内までトゥクトゥクをシェアすることにする。

みち とうとうラオスにやってきた。ビエンチャンの市内に向かうトゥクトゥクの中で、風に吹かれて髪の毛が七三になる。通りゆく道々の風景を眺めていたら、インドの田舎を思いだした。道路はほとんど舗装されていない。間隔を挟んで、木造の家々が並んでいる。牛が平気で道路で寝そべっている。けれども、時々通り過ぎるラオスの人は、こちらを気にする様子は全くない。そこがインドとの大きな違いだ。

 ビエンチャンのメイン市場、タラート・サオに到着。女性に丁寧にお礼をして別れる。ビエンチャン!とうとうやって来ました!もちろん、この町に来ることが旅行の第一の目的だから、ここは単なる出発地点に過ぎないのだが、それでもやはり感動してしまう。さて、とりあえず宿を探さなくては。それから、南ラオスの町、パクセーへ行く飛行機のチケットを予約しなくては。

 ガイドブックよると、メコン川沿いにゲストハウスが幾つかあるらしい。とりあえず、メコン川に向かって歩くことにしよう。雨期のせいか、道路がぬかるんでいるので、水たまりを避けながら歩く。歩きながら、町を観察する。仮にも首都だというのに、喧騒というものを全く感じない。車も走っているし、人々も歩いているけれど、タイの北部の田舎よりも静かな感じがする。ぼくは、もしかしたらとても素晴らしい国に来てしまったのかもしれない。

う゛ぃえんちゃん 地図を見ながら進んでいたら、大きな広場に出た。歩いてきた距離と、周りの風景から察するに、ここはおそらくタートダムなのだろうと思って、近くにいる人に聞くと、ここはナンプ広場だという。地図で見ると、タラート・サオから相当離れているように見えるけれど、もうこんな距離を歩いたのだろうか?というか、町自体がこんなに狭いのか!嬉しくなる。

 途中、ラオス航空のオフィスを発見。外国人用のカウンターでパクセー行きのチケットを予約する。飛行機の席数自体が少ないので、チケットを取れるかどうか不安だったが、あっさり予約できた。これで安心してヴィエンチャンを歩くことが出来る。メコン川沿いの道路に出て、川に沿って歩く。川の向こうには、タイが見える。何度ラオスを実感しても、し足りない。ぼくは今、ラオスにいるのか。道路沿いには、レストランやマッサージ屋さんが軒を連ねている。エクスチェンジでバーツをラオスの通貨キープに変える。ラオスでどれぐらい使うか検討がつかないので、とりあえず2000バーツを両替する。日本円にして7000円足らず。ラオス通貨で491500キープ。びっくりするぐらい分厚い札束を受け取る。ラオスでは、自国の通貨に対する信用が低いので、みんなキープよりもバーツやドルを欲しがるらしい。使い切れるだろうか?

 川沿いのレストランに入って、昼食を取る。何を頼んだら良いか分からなかったので、適当に注文をしたら、クリスピーヌードルのあんかけに野菜がたっぷり入った、日本で言えばかた焼きそばのようなものが来た。食ってみるとなかなかうまい。

 メコン川付近のゲストハウスに部屋をとり、シャワーを浴びて一段落。明日の朝早くにヴィエンチャンを発つので、今日のうちに少しでもぶらつこうと思う。ガイドブックを見ると、市内から少し離れた所にブッダパークという、敷地内に大量の仏像が点在している公園があるらしい。とりあえずそこへ行ってみよう。

 パークまでバスで行こうと思っていたら、途中でトゥクトゥクに声をかけられ、値段を交渉してみると意外と安いので、トゥクトゥクで行くことにする。パークに向かいながら、道順を覚える。覚えると言っても、一度左折した後はひたすら一本道。絶対に迷うことはないだろう。ブッダパーク到着。

あしゅら 入園すると、ぼくはすぐに動けなくなった。目の前に阿修羅像のような、三面十二臂の像が立っている。うおー!かっこいいいーー!なんだこの像!!多分阿修羅で間違いないとおもうけど、腕が十二ついてる!日本で一番有名だと思われる、興福寺の国宝館にある阿修羅像は三面六臂で、その腕の華奢な感じがとても好きなのだが、今目の前にあるこの阿修羅は、如何にも力強い。阿修羅という意味で言ったら、こちらの方が本家に近いのかな?悲しみを全く感じさせないその表情が気に入って、しばらくその場から動けなくなる。

 その先に行くと、巨大な寝仏がある。涅槃像だ。ガネーシャ像もある。とにかく公園(実際は寺院跡なのだが)の一面に様々な仏像が立っている。いかにも南伝系の仏像らしい、日本では見慣れない少し滑稽な仏像もたくさんある。その他にもヒンドゥーの神なのだろうか、まるで魔王のような像も幾つかある。一つ一つを丹念に見る。仏像好きにはたまらないな、ここは。仏像は、やはり雨ざらしが一番美しい。

ねはん さとろう
がねー 寝る

 仏像をすっかり楽しんでしまい、写真をばしゃばしゃとアホのように撮り、満足して公園を後にする。トゥクトゥクで帰る途中、やはり歩きたくなって、途中で止めてもらって「ここからは歩くから」と説明して、往復分の金を渡してトゥクトゥクを降りる。運転手のお兄ちゃんは、「ここからなら一時間半ぐらいで市内に着くよ」と教えてくれた。

う゛ぃえんちゃん 道は一本道なので、迷うことはない。国境から市内へ来る途中で見た風景と変わらない風景が続く。トゥクトゥクに乗っていると、誰もぼくのことを気にしないけれど、歩いているとさすがにじろじろ見られる。「サヴァーイディー」と手を合わせて挨拶をすると、皆笑顔で応えてくれる。途中、コカコーラの工場や、日本車のディーラーなども見かける。その周りには飲食店が並んでいる。そのうちの一件に入ると、まだ十代と思われる女の子が店番をしていて、ぼくを見ると驚いて慌てている。が、挨拶をするとニコッと笑って応えてくれた。ペプシを買うと、指で二を表して、二千キープであることを教えてくれる。ストローとペプシを受け取ると、そこで飲んで下さい、というように外のベンチを指さす。この子、かわいすぎる。というか、ラオスの子供は皆かわいすぎる。

 タイと同様に、ラオスも雨期のせいか太陽の日ざしが少しもきつくない。湿気も思ったほど辛くない。歩いていると汗ばみはするものの、心地良い風のおかげで歩くことが少しも苦痛にならない。皮のサンダルは長距離を歩くのには適してないかとも思ったけれど、それほどでもない。歩きながら、『姑獲鳥の夏』の京極堂の台詞を頭の中で反芻する。

「量子力学が示唆する極論はーこの世界は過去を含めて<観察者が観察した時点で遡って創られた>だ」

 この台詞を前後の文脈から判断すると、世界はぼくが観察した瞬間にその態度を決める、ということになる。ぼくという個人が観察するまで、その世界は存在しないということだ。今、ぼくがこうやって歩いているこの町は、ぼくがここに来る以前から存在していたはずだ。それは間違いない。しかし、京極堂の言葉によると、この町の存在はぼくの観察後に創られたものということになる。

 京極堂は続ける。

「僕等の科学で知り得る宇宙というのは、実に我々の生存に都合良くできているじゃないか。(中略)その理由はただひとつ、観察しているのが人間だからーさ。(中略)我々の内なる世界は言葉という呪によって覚醒したが、外なる世界もまた科学という呪によって覚醒したのさ。」

 観察者が対象に影響を与えるのは、人間が「世界を語る」ことができるからだ、と言っているようにぼくには聞こえる。もしそれが正しいとして、それでは、「語られる世界」とは、一体なんなのだろうか?世界は、人間が存在しなければ「語られる」ことはなかった。世界が語られた瞬間、そこに一体どのような影響が及ぼされるのだろうか?ぼくは尊敬する作家のひとりである保坂和志の『世界を肯定する哲学』のことを思いだす。保坂は書いている。「私が生まれる前から世界はあり、私が死んだ後も世界はありつづける。」今、このとてもシンプルな命題が「世界」を考えるときにどれだけ重要な意味を持つか、少しだけ分かったような気がした。そして「観察すること」について、もっと深く考えたいと思ったが、それ以上考えることは出来なかった。

 さらに歩く。歩くということは、足を交互に動かすという同じ動作の繰り返しで、それがぼくにはとても心地よい。ポール・オースターは「シティ・オブ・グラス」の冒頭で以下のように書いている。

散歩をするたびに、彼は自分を置き去りにしているように感じた。人の流れに身をまかせることによって、自分がひとつの目になることによって、考える義務から逃れることができた。このことは何よりも彼にある種の平安を、健康な空白をもたらした。世界は彼の外に、彼の周りに、彼の前にあった。刻々と変化するそのスピードが、彼にひとつのことを長く考える余裕を与えなかった。身体を動かすことが肝心だった。一方の足を前に踏み出し、それに合わせて体を動かすことだ。目的もなくさまよい歩いていると、どこへ行っても同じことで、自分がどこにいるかは問題でなくなる。気が乗っているときは、自分がどこにも存在しないように感じられた。そして、それこそ彼が求めてきた状態だった。

 ぼくは、歩きながら色々なことを考える。何も考えないということは絶対にない。くだらないこと、つまらないことを常に考えている。ぼくが上記の主人公に共感するには、「考える義務」から逃れて、「自分を置き去りにしているように感じ」るという点で、「考えること」と「考える義務から逃れること」は、ぼくにとって同義であり、「考える義務」から逃れることによって考えられることを考えることがとても楽しい。などと訳の分からないことを考える。そんなことを考えながら、さらに歩く。

ぶつぞー 途中、道を左に入った先に塔のようなものを発見。好奇心に駆られて、左に入り坂を上ってその方向へ行ってみると、大きめの寺院がある。中を覗いてみると、大きな仏像が見える。ワクワクしながら中に入る。昨日、バンコク国立博物館でみた釈迦如来像と同じ形をした仏像が四体、互いに背中を合わせて座っている。眺めていると、僧侶が近づいてきた。サヴァーイディー。挨拶をして、勝手に入った無礼を詫びるが、にこにことしていて全然気にしていない様子。「どうしてこの寺に来た?」と聞かれたので、「見かけたら」と応えたら、可笑しそうに笑っている。仏像が好きなので、写真を撮っても良いですか?と聞くと、快く了承してくれた。いろいろと聞きたいことがあったが、英語力の問題で断念。

 結局、ヴィエンチャンには六時半過ぎに戻った。三時間以上歩いたことになる。夕方のメコンを散歩する。川岸で、数十人のおばちゃんが全員でダンスを踊っている。屋台でラオビールを買って、メコンを眺めながら飲む。わたくしは、ラオスに来ております。楽しくて嬉しくて、にやにやしてしまう。

めこん

 明日はとうとう南ラオス。うまくいけば、明日中にはワット・プーに辿り着けるかも知れない。今回の旅行は、予想以上にうまく進んでいる。この調子で最終日までいってほしいものです。

こども
02年08月11日(日)

 午前十時起床。シャワーを浴び、ホテルをチェックアウトする。今日の夜にバンコクを出るので、それまでの間荷物を預かってくれませんか?と尋ねたところ、それは出来ないとのこと。では、荷物を預かってくれる場所を知りませんか、と聞くと、知らない、 とそっけない答え。

かおさん

 昼間のカオサン通りは、欧米人で溢れてはいるものの、夜のような騒々しさはなく、必要以上の寂しさを感じることもない。雨期だというのに、湿気を全く感じない。気温も丁度よく、風が心地よい。しばらくぶらぶらと歩く。ノーンカイ行きの寝台特急に乗るのは今夜八時四十五分なので、それまでの時間をどうやって過ごすか考える。何度来てもバンコクはやることがない。それはバンコクのせいではなくて、都市に興味を覚えないぼくの性格のせいなのかもしれない。途中、荷物を預かってくれるゲストハウスを発見、荷物を預ける。その後、とりあえず食事をするために、適当なレストランに入る。

 一時間ほどレストランで読書をするが、なにをするべきか一向に思いつかない。このままだと一日ここで読書をしてしまいそうなので、とりあえずレストランを出て、適当に歩くことにする。昨日はチャイナタウンに向かったので、今度は逆方向に行ってみることにした。

 少し歩くと、サナーム・ルアンにでた。たくさんの屋台が並んでいる。中央には、イベント用の土台らしきものが組み立てられている。近いうちにお祭りでもあるのだろうか?道路の脇で、おっさんたちが輪になってボールを蹴りあっている。ボールを落とさないように、足でキャッチボールをしているらしいが、めちゃくちゃ上手い。落とすのは大抵若いやつで、年をとっているおっさんほど落とさない。

おやこ 途中、右手に入る道があったので、入ってみる。道の左手には仏教関係の店が、歩道には仏像やレリーフを売っている人たちが並んでいて、一般の人たちや僧侶達が群がっている。どうやらこの通りは、仏教系の方々の通りらしい。店を覗いてみると、仏教だけでなく、ヒンディー関係の書物なんかも置いてある。とても良い仏像も置いてある。CDやテープなんかも置いてある。明らかにトリップ系のCDなんかも置いてある。店を巡回しているだけも面白い。もともとが観光客を相手にしている店ではないためか、あまり英語は通じない。タイは仏像の国外持ち出しが禁止なので、良い仏像があったけど買うのはやめた。

 道を進むと、船乗り場に突き当たった。仕方がないので戻ると、途中「National Museum Bangkok」を発見。そういえば、バンコクで美術館や博物館に入ったことがないなと思い、入館してみると、思った以上に広い。敷地内に建物がいくつも建っていて、テーマごとに分類されている。パンフレットを見て、仏像関係のフロアーを探すと、「ASIAN ART」というコーナーがあるので、そこに行ってみる。

 ぼくは日本の仏像に関しては興味も手伝って多少の知識は持っているつもりだけど、東南アジア系の仏像に関してはほとんど無知に等しい。前回の北部旅行でも多少は観てまわったが、それ以降で観るのはこれが初めてかもしれない。わくわくしながら展示室に入ると、そこにはたくさんの仏像が並んでいた。

 こうして仏像を観ると、どうしても日本の仏像と比べてしまう。この博物館に展示されているだけの仏像で南伝系のすべてを総括するつもりはないけれど、たとえば顔に関して言えば、日本の仏像の顔はやはり美しいと思う。南伝系の仏像には、感情の繊細さを感じることができない。日本の仏像は、たとえば聖徳太子の時代、つまり日本に仏教が伝来してすぐの仏像に関して言っても、表情の微妙な美しさ、繊細さがある。もっとも、あの時代の仏像は、大陸の影響を思いっきり受けているし、あるいは大陸から渡ってきた仏像そのものなので、日本というよりは、大陸の仏像、大乗の仏像と言った方が良いかも知れないけど。

 とはいえ、これだけの数の南伝系の仏像を一度に観るのは初めてだし、博物館に納められているだけあって、なかなか良い仏像が揃っているので、さすがに興奮する。ロンパリの仏像がある。体型的にガネーシャっぽいその仏像は、大きなものと、小さなものとふたつあるが、その両方とも素晴らしい。ガネーシャを想像してもらうと分かりやすいが、頭がでかく、目がロンパリなので、多少コミカルな印象を受けるが、じっと目を凝らして観ていると、何とも言えない神々しさがある。これはなんという名前の仏像なのだろう。
 進むと、釈迦如来蔵と思われる仏像が続く。それらの両手の形が気になる。日本の仏像は、釈迦如来像に関して言えば、たいていの場合右手はこちらに手のひらを向け(施無畏印)、左手はひざの上において何らかの印を結んでいる。少なくとも、僕が観てきた釈迦如来像に関しては、ほとんどがそのような形をしていた。けれども、ここに並んでいる南伝系の釈迦如来像と思われる仏像は、右手を右膝の上に手のひらを下にして乗せ、左手は腹の下辺りに手のひらを上にしている。すべてがそうだというわけではないけれど、そのような形の仏像が非常に多い。これらの仏像は、釈迦如来像ではないのだろうか?そもそもこの印は、なんという名前の印なのだろうか?そういえば僕は、仏像のリリーフの指輪をひとつ持っているのだが、そこに描かれている仏像も同じような形をしている。特に冠を有するわけでもなく、光背を持つわけでもなく、特徴のある法衣を着ているわけでもない。やはり釈迦如来だとしか思えないのだが、もしかしたら、南伝系特有の如来像、あるいは観音像なのかも知れない。日本に帰ったら、調べてみよう。

 別のフロアーでは、手のひらをこちらに向けて、足を一歩後ろに引いている仏像を見つけた。これは一体どのような仏像なのだろうか。日本では、たとえば湖北の十一面観音などは、衆生を救おうと今一歩歩みでんとする姿が描かれている。それと比べると、この仏像は「ちょっと待った!」とまるで一歩引いているように見える。説明がほとんど書かれていないので、いったい何を描いているのか、検討がつかない。さらに、乳首が異様に立っている仏像もあった。奈良の興福寺の金剛力士像などは、乳輪が異様にでかくて 、セックスの時萎えるなこれ、などと思ったものだけど、それでもさすがに乳首は立っていなかった。どうして仏像の乳首を立たせる必要があったのだろう。知りたい。そして、この仏像は美しい。

*日本に帰国後、インターネットで調べてみたところ、以下のようなサイトがありました。
■タイの仏像(タイ語で書かれているので、読めません)
■東南アジアの仏像(日本語)

たとえば、ぼくが釈迦如来かどうかわからなかった仏像は、このページの上段に掲載されている形の仏像で、一歩引いている形の仏像は、同じページの真ん中より下ぐらいにあります。それらの仏像が一体どのような系統に属するのかは、まだ調べていないので分かりません。

 帰り際に、中央の建物に入ると、ガネーシャ特集をやっていた。フロアー全体がガネーシャで埋め尽くされている。そう言えば、さっき通った仏教通りには、仏教だけでなくてシヴァやガネーシャ、ヴィシュヌ神に関する書物やポスターもたくさん売っていた。一時間近くうろうろする。

おっさん 閉館ぎりぎりまで博物館を逍遥し、その後カオサンに戻る。マッサージを一時間程してもらい、荷物を受け取り、ファランポーン駅まで歩く。昨日歩いた道なので、道順は覚えている。今日は、結局一度もトゥクトゥクに乗らなかった。歩くと、いろいろなことを考えることができる。明日からも、出来るだけ歩くことにしよう。

 チャイナタウンで夕食をとり、八時にファランポーン駅に到着。駅の掲示を見ると、電車の遅れはないようだ。売店で水とお菓子を買い、電車を待つ。八時半に構内に入り、電車を見つけて乗り込む。

 八時四十五分、定刻通り電車が出発する。出発するとすぐに車掌が寝台を組み立てに来る。ぼくは上の台なので、寝台になると外が見れなくなる。仕方がないので『日本的霊性』と『姑獲鳥の夏』の続きを読む。『日本的霊性』は、思ったよりも過激で、「万葉集」などの平安文化の日本的宗教性を完全に否定している。「万葉集」を、「ただのなげきでしかない」「淳朴」だと断言する。さらに「思想において、情熱において、意気において、宗教的あこがれ・霊性的おののきにおいて、学ぶべきものは何もない」と身も蓋もない。なんだか心臓に悪い。『姑獲鳥の夏』に切り替える。昨日、三分の一程度まで読んだ。物語の中で、京極堂の語る存在や記憶、時間、そして幽霊に関する説は、真新しさはないもののとても面白い。そんな彼が量子力学について語る場面がある。
「量子力学が示唆する極論はーこの世界は過去を含めて<観察者が観察した時点で遡って創られた>だ」
 ぼくは、このセリフが気になって仕方がない。もちろん、この一文でもって量子力学を理解したとは思っていないし、理解できるわけもない。そもそも、この一文は京極堂が物語の語り手である関口に、ある事実を示唆するために極論的に言った台詞なので、どこまで真実なのか分からない。けれども、どうも気になる。

ぶっだー

 昨日あまり眠っていないせいか、やたらと眠い。明日はいよいよラオス入国。ようやく本当の旅行が始まる。今日はもう眠ろう。

02年08月10日(土)
In the street the Thai criers wore suits and ties. They looked at me in contempt or else they said: Japanese only! or they shouted: Members only!
How can I become a memeber? I said. How can I become Japanese?
But to this they had no answer.
Willian T. Vollmann,THE ATLAS

 朝、眠い目をこすりながら六時に起床し、成田へ向かう。チェック・インして搭乗券を受け取ると、なぜか名前がインド人に、行き先はデリーになっている。インドに行けという何らかの啓示なのだろうかと思いつつ、カウンターに戻って事情を話し、正しい搭乗券を受け取る。

 ほぼ定刻通り日本を発つ。航空会社がエア・インディアのため、乗客の半分以上がインド人。うるさい。何かにつけて文句を言っている。インド人は、人の文句は聞かないくせに他人に対してはどんな些細なことでもクレームをつける。ぼくの隣には、チェック・インカウンターで、すべての荷物を機内に持ち込みたいと騒いで注目を集めていたインド人が座った。こいつ、絶対テロリストだよなー、と思いつつ、テロリストがナイフを出した瞬間にそれをたたき落として乗客を救う自分を想像する。ニッポンさようなら。

 今回の旅行の目的は、ラオスのワット・プーというクメールの遺跡を訪れるということ。しかし、目的と行っても便宜上のもので、ワット・プーは長い間放置され、遺跡としての損傷が激しく、現在日本の某大学が援助をして遺跡の復旧を行っているという話を聞き、復旧があまり進んでいない今を見ておきたいと思っただけだった。もちろん、クメールの遺跡には興味があるし、ヒンドゥーの寺院に、後から持ち込まれたという仏像にも興味がある。けれども、それは後付けの理由であって、この旅行自体の目的ではない。本当の目的は、歩くことだった。

 バンコクからラオスへ入国するには、タイの北部のノーンカイという町を中継することになる。飛行機で直接ラオスの首都ヴィエンチャンに入国することもできるけれど、予算のことを考えてノーンカイまで寝台電車で行くことにした。ドン・ムアン空港から、タクシーでファランポーン駅へ向かう。ところが、間違ってちょっぴり豪華なタクシーに乗ってしまい、ファランポーン駅まで650バーツかかった。ファランポーン駅までなら、300バーツもあればいけたよなー、としばし後悔。アホみたいに貧乏旅行をするつもりは毛頭ないけれど、使う必要の金を使うつもりもさらさらない。まあ、これから気をつけましょう。

 初めて来たファランポーン駅は、おもったよりもきれいで、整然としている。早速外国人専用カウンターに並ぶ。恰幅の良い無愛想な係員が、こちらを一瞥もせずに事務的に対応する。今晩のチケットは完売していたので、仕方なしに明日のチケットを購入する。ファーストクラスで548バーツ。ここに来るまでのタクシー代より安いというのは、いまいち釈然としない。

 トゥクトゥクでカオサンロードに向かいながら、道々を記憶する。決して歩けない距離ではない。明日はここまで歩いてこよう、と思う。トゥクトゥクに乗っても微々たる金額ではあるけれど、とにかく歩きたい。

 カオサンロードで適当なゲストハウスにチェックインし、水のシャワーを浴びて、こちら用の服に着替える。ぼろぼろの汚い服だけど、これでやっと旅行をしているという気持ちになった。旅行者で賑やかなカオサンロードにいると寂しくなるので、少し離れたタナオロードへ行く。

 三年前にこのタナオロードを訪れたとき、欧米の観光客はほとんどおらず、タイの少し裕福な育ちの若者たちが集まって騒いでいて、夜中を過ぎるぐらいまでそうとう盛り上がっていた記憶があるのだけど、今来てみると、とても閑散としている。あれれ、道を間違えたのかな、と思って周りを見回すと、景色に見覚えがある。とりあえず先に進んでみると、やはり見覚えのある店を発見したが、名前が違っている。中をのぞくと、なにやら怖い人たちがたむろっている。ああ、怖い。旅行初日で殺されてはたまりません。そそくさと店の前を通り過ぎる。

 そのまま、カオサンロードへは戻らずに適当に歩く。チャイナタウンへでも行ってみようか。歩いていると、トゥクトゥクがぼくに向かって叫んでいる。「ヘイ!マンコ!マンコ!アタミ!マンコ!」ぼくは「マンコ、ノーサンキュー」と応えて、歩く。狭い道路を挟むようにして伸びている狭い歩道を挟むようにして乱立している商店群をながめながら、歩く。少しでもお金を稼ごうと笛を吹いたり歌を歌ったり子供を抱いたり泣きまねをしたり一点を凝視したり地面に思いっきり寝転がったりしている浮浪者たちに挨拶をしながら、歩く。日本の歌舞伎町並にあるいは日本の歌舞伎町以上に混雑して雑然とした交通渋滞の車の間をぎりぎりの間隔で猛スピードで通り抜けていくモータバイクを眺めながら、歩く。一時間も歩くと、チャイナタウンに入る。チャイナタウンは、道路にはみ出るほどに屋台で溢れている。少し奥に入ると、おばあさんが座って地面に何かを並べている。並べているのは人形やらお守りやらがらくたやらで、どうやら売り物らしい。おばあさんはぼくを一瞥もしないが、「サワッディー・クラップ」と挨拶をすると、笑顔で応えてくれた。

 一時間ほどチャイナタウンをぶらぶらしたあと、屋台で食事をとる。炒めたご飯に、鳥の唐揚げのようなものを刻んで載せたシンプルなものと、香草のスープ。うまい。けど辛い。

 深夜、ゲストハウスに戻る。一階がディスコのため、夜中二時にもかかわらず大音量でダンスミュージックが流れている。前回泊まったときには、ディスコはなかった。あまりの騒音に、眠ることが出来ず、持ってきた『日本的霊性』を読む。西田幾多郎の著作と比べて、鈴木大拙の文章はとても分かりやすく、且つ面白い。「なにか二つのものを包んで、二つのものがひっきょうずるに二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。」なんていう文章を読むと、わくわくしてしまう。大拙は書く。「霊性は民族が或る程度の文化段階に進まぬと覚醒せられぬ。」或る程度の文化段階とは、いったいどういうことなのだろう、と思って読み進める。大拙は書く。「原始民族の意識には精練せられた霊性そのものはない」「ある段階に向上した民族でも、その民族に属するすべての人間が霊性を有するものではない」この「或る程度の文化段階」という表現にいやな引っ掛かりを感じながら読み進めると、日本が「或る程度の文化段階」に達したのは、禅と浄土系思想が確立した鎌倉時代であるという。そうしてさらに、禅と浄土系思想に関する説明が続く。ちょっと疲れたので『日本的霊性』を閉じて、京極夏彦の『姑獲鳥の夏』を開く。京極夏彦の作品は、以前からぼくの尊敬する複数の友人に勧められてはいたのだけど、その分厚さに気圧されてどうしても読むことが出来なかった。ところが、読み始めたら死ぬほど面白い。びっくりするぐらい面白い。結局明け方まで読んでしまい、いつの間にかディスコの音楽も消えていた。

ながし

 明日はなにをしようかしら。考えながら眠る。


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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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