
02年07月24日(水)
あるお友達から、暇だから遊びましょうと電話が来たので、『ルーブルの怪人』を観に行ってきました。
久しぶりに映画館で気持ち良く眠りました。
何となく消化不良で、同じソフィー・マルソーが出演しているミケランジェロ・アントニオーニ監督の『愛のめぐりあい』をビデオレンタルで借りて観ました。
この映画は、映画監督である主人公(ジョン・マルコビッチ)を軸として、複数の愛の不毛をオムニバス風に描いている作品なのですが、いやあ、何度観ても素晴らしい。
男性が女性の肌に触れないようにして、体の線を撫でるようにぎりぎりのところをたどっていくシーンがあるのですが、そのシーンがとても良かったので、一度個人的なセックスでまねをしてみたことがあるのですが、僕がやるとただのこっけいな変態になってしまいました。映画ではとても美しいのに。
僕の一番好きなエピソードは、映画の中で一番最後に登場する、以下のようなお話です。
ある若者(ヴァンサン・ペレーズ)が、たまたま見かけた一人の女性(イレーヌ・ジャコブ)に一目ぼれをする。さりげなく話しかけると、女性はこれからミサへ行くという。男性は、なんとか女性と懇意になりたくて、歩きながらいろいろな話をするが、二人の会話はいまいちかみ合わない。二人はそのまま教会にはいる。若者は、女性から少し離れた席に座る。
教会を出て後、見失った女性を再び発見した若者は、噴水のところで話をする。「”生”が怖い」という女性に対し、「僕らにあるのは人生だけ。生しか確かなものはない。この世で生きて、あの世では死人。この世では笑えても、死人の笑いは無視される。」と若者は語る。女性は男性を見つめて一言、「その考えは意味がないわ。」と言って歩き出す。
徐々に心を開いていく彼女に、若者はどんどん惹かれていく。雨の中を二人で歩き、彼女のマンションに到着し、部屋の前まで行く。彼女が部屋に入ろうとする直前に、若者は「あしたもあえるかな」と聞く。彼女は暫し沈黙し、「あした、修道院に入るの」と言い、ドアを閉める。
この最後の部屋の前のシーンの感動とかは、それまでの二人の会話を聞いていないといまいち伝わりにくいと思いますが、僕は初めてこの映画を観たとき、この彼女の最後の一言に完全にやられてしまって、映画が終了したあとも、しばらく席から立ち上がることができませんでした。今回もやられてしまったので、多分十年後に観てもやられてしまうと思います。
このエピソードの中に、教会で祈りを捧げている女性を見て、若者が感動をしているシーンがあります。祈りを捧げるイレーヌ・ジャコブの美しさは、映画を観てもらうしかないのですが、この時の若者の心情を、原作では以下のように表現しています。
この小説を購入したのは、映画が公開した当時なので、もう七年ぐらい前になります。当時、映画に感動して小説を購入したのですが、小説の方はさっぱりわけがわかりませんでした。今回、何年かぶりに小説を開いてみたのですが、以前よりは面白かったけれど、それでもまだこの小説の「良さ」がわかっていません。
僕はまだまだ若造です。あと何年したらわかるようになるのかな。

「偉大な芸術家の作品をコピーすることは、芸術家の動きをなぞることだ。彼とまったく同じ動作をするチャンスがある。それが悪いか?天才の動作を再現するんだぞ。自分の絵なんか描くより、僕はずっと満足できる。」(通りすがりの夫人に、描いている絵を「セザンヌのコピー」と揶揄されたアマチュア画家が)
久しぶりに映画館で気持ち良く眠りました。
何となく消化不良で、同じソフィー・マルソーが出演しているミケランジェロ・アントニオーニ監督の『愛のめぐりあい』をビデオレンタルで借りて観ました。
この映画は、映画監督である主人公(ジョン・マルコビッチ)を軸として、複数の愛の不毛をオムニバス風に描いている作品なのですが、いやあ、何度観ても素晴らしい。
男性が女性の肌に触れないようにして、体の線を撫でるようにぎりぎりのところをたどっていくシーンがあるのですが、そのシーンがとても良かったので、一度個人的なセックスでまねをしてみたことがあるのですが、僕がやるとただのこっけいな変態になってしまいました。映画ではとても美しいのに。
僕の一番好きなエピソードは、映画の中で一番最後に登場する、以下のようなお話です。
ある若者(ヴァンサン・ペレーズ)が、たまたま見かけた一人の女性(イレーヌ・ジャコブ)に一目ぼれをする。さりげなく話しかけると、女性はこれからミサへ行くという。男性は、なんとか女性と懇意になりたくて、歩きながらいろいろな話をするが、二人の会話はいまいちかみ合わない。二人はそのまま教会にはいる。若者は、女性から少し離れた席に座る。
教会を出て後、見失った女性を再び発見した若者は、噴水のところで話をする。「”生”が怖い」という女性に対し、「僕らにあるのは人生だけ。生しか確かなものはない。この世で生きて、あの世では死人。この世では笑えても、死人の笑いは無視される。」と若者は語る。女性は男性を見つめて一言、「その考えは意味がないわ。」と言って歩き出す。
徐々に心を開いていく彼女に、若者はどんどん惹かれていく。雨の中を二人で歩き、彼女のマンションに到着し、部屋の前まで行く。彼女が部屋に入ろうとする直前に、若者は「あしたもあえるかな」と聞く。彼女は暫し沈黙し、「あした、修道院に入るの」と言い、ドアを閉める。
この最後の部屋の前のシーンの感動とかは、それまでの二人の会話を聞いていないといまいち伝わりにくいと思いますが、僕は初めてこの映画を観たとき、この彼女の最後の一言に完全にやられてしまって、映画が終了したあとも、しばらく席から立ち上がることができませんでした。今回もやられてしまったので、多分十年後に観てもやられてしまうと思います。
このエピソードの中に、教会で祈りを捧げている女性を見て、若者が感動をしているシーンがあります。祈りを捧げるイレーヌ・ジャコブの美しさは、映画を観てもらうしかないのですが、この時の若者の心情を、原作では以下のように表現しています。
それでもその長いうつむきに沈んだ彼女の姿は、彼の心をつかんだ。血が血管を押し上げ始めているのを感じる。以前にも、いくらか麻薬をやった身体で女の子たちを前にした時に、これと同じ、彼女たちと結ばれ、彼女たちと一つになりたいという衝動と、それとともに性交を通じて自己の存在の不思議で充実した意識を抱いたことがあった。情欲のない、しかしきわめて強烈な至福感である。上記で引用したのは、アントニオーニが書いた『愛のめぐりあい』という小説の中の章のひとつで、こちらも映画と同様に、短い断片を集めたオムニバスの形式で構成されています。映画『愛のめぐりあい』は、この小説の中から抜き出したいくつかの短編を映像にしたものです。
この小説を購入したのは、映画が公開した当時なので、もう七年ぐらい前になります。当時、映画に感動して小説を購入したのですが、小説の方はさっぱりわけがわかりませんでした。今回、何年かぶりに小説を開いてみたのですが、以前よりは面白かったけれど、それでもまだこの小説の「良さ」がわかっていません。
僕はまだまだ若造です。あと何年したらわかるようになるのかな。

「偉大な芸術家の作品をコピーすることは、芸術家の動きをなぞることだ。彼とまったく同じ動作をするチャンスがある。それが悪いか?天才の動作を再現するんだぞ。自分の絵なんか描くより、僕はずっと満足できる。」(通りすがりの夫人に、描いている絵を「セザンヌのコピー」と揶揄されたアマチュア画家が)
02年07月23日(火)
オリバー・ストーン監督の『U・ターン』を観ました。
リブ・タイラーが目当てで観たのですが、観終えたときにはそんなことはすっかり忘れていました。友達が「結構面白いよ」と言っていたのですが、結構どころか最高に面白かったです。始まりから終わりまで、全部面白かった。オリーバー・ストーン監督の作品って、正直あまり好きではないのですが、この映画は別です。とても満足してしまいました。けど、ビデオレンタルでこのビデオをリブ・タイラーの棚に置くのはやめて欲しい。五秒ぐらいしか出てないじゃん。
あまりにもストーリーが良かったので、この映画の原作は一体誰なのだろうと思いクレジットを観たところ、ジョン・リドリーという人で、一応肩書きは映画監督ということらしいのですが、実際に何を監督したのかは不明です。脚本なんかは結構書いているらしく、「U・ターン」の脚本も担当しているし、『スリー・キングス』の原案なんかも彼の作品だそうです。
それで、早速『U・ターン』の原作である『Stray Dogs』の邦訳『ネヴァダの犬たち』を古本屋で探して購入、読んでみたのですが、これが死ぬほどおもしろい。最初に『U・ターン』の脚本を書いて、その後にこの小説を書いたということなので、内容は映画にかなり忠実ですが、映画を観ないでこの小説を読んだとしても、十分に面白いと思います。
で、ストーリーですが、ぼくが説明するよりも、本のディスクリプションを読んだほうが分かりやすいと思いますので、下にそのまま引用します。
「ノアール(暗黒)」という言葉に関しては、山田宏一さんが詳しく説明しているので、孫引用になってしまいますが、下に引用します。
ジョン・リドリーのその他の作品はというと、借金地獄の元脚本家志望ジェフティ・キトリッジが、どん底から這い出て真実の愛を見つけようとペテン計画を企てる『Love is Rocket(邦題:愛はいかがわしく)』、ジャッキー・マンという黒人のコメディアンが、人種差別の吹き荒れる公民権運動の揺籃期に、ハリウッドでスターダムへとのし上がる過程を描いた『A Conversation with the Mann: A Novel』、何をやっても長続きしないパリス・スコットという青年が、自殺したロックスターのテープと、盗んだドラッグから得たお金をもとに夢をかなえようとする『Everybody Smokes In Hell』などなど。さらに、来月には新作『The Drift』なんかも出るみたいです。
とりあえず、あと何冊か読んでみることにしましょう。
正直、ぼくはこの辺のジャンルにとても弱いので、もし詳しい人がいたらお勧めとかを教えて下さい。宗形君とかが詳しいのでしょうね。多分。

「計画?人間の計画はあてにならん。みんな計画外だ。俺の目も、お前がここに来たのも、こうしているのもな。」(盲目のインディアンが、ボブ・クーパに)
リブ・タイラーが目当てで観たのですが、観終えたときにはそんなことはすっかり忘れていました。友達が「結構面白いよ」と言っていたのですが、結構どころか最高に面白かったです。始まりから終わりまで、全部面白かった。オリーバー・ストーン監督の作品って、正直あまり好きではないのですが、この映画は別です。とても満足してしまいました。けど、ビデオレンタルでこのビデオをリブ・タイラーの棚に置くのはやめて欲しい。五秒ぐらいしか出てないじゃん。
あまりにもストーリーが良かったので、この映画の原作は一体誰なのだろうと思いクレジットを観たところ、ジョン・リドリーという人で、一応肩書きは映画監督ということらしいのですが、実際に何を監督したのかは不明です。脚本なんかは結構書いているらしく、「U・ターン」の脚本も担当しているし、『スリー・キングス』の原案なんかも彼の作品だそうです。
それで、早速『U・ターン』の原作である『Stray Dogs』の邦訳『ネヴァダの犬たち』を古本屋で探して購入、読んでみたのですが、これが死ぬほどおもしろい。最初に『U・ターン』の脚本を書いて、その後にこの小説を書いたということなので、内容は映画にかなり忠実ですが、映画を観ないでこの小説を読んだとしても、十分に面白いと思います。
で、ストーリーですが、ぼくが説明するよりも、本のディスクリプションを読んだほうが分かりやすいと思いますので、下にそのまま引用します。
「この世には神も、仏も、ロン・ハバードもいないのか!?」とジョンは天を仰いだ。愛車’64年型マスタングがネヴァダ砂漠でオーバーヒートしてしまったのだ。明日の午前0時までに、ラスベガスのギャングのところまで借金1万3千ドルを返しに行かなければならないというのに。身から出たサビ、八百長カードゲームでこしらえた借りだが、返さないことにはこの身が危ない。マスタングをなだめすかし、ようやくちっぽけな町、シエラにたどりついたが…熱さにさらされた町の住人は、どこかが変だ。鄙には稀な美貌の人妻グレースはいきなりジョンを誘惑し、冷たい飲み物を飲みに入った店では強盗に大事な1万3千ドルを奪われ、そのためにマスタングの修理代も払えず町を出ることすらできない。ギャングとの約束の時間は刻々と近づいてくる。そして、ジョンの運命は際限なく悪い方へ転がり落ちていった。『ネヴァダの犬たち』の巻末の解説によると、この小説は「新しいパルプ・ノアール(B級暗黒もの)」と呼ばれているそうです。「パルプ・ノアール」というのは、「ザラ紙に刷られた大衆雑誌(パルプ)の持つ雰囲気を、トンプスンらクライム・ノヴェル作家によるペイパーバック作品の暗黒(ノワール)性と重ね合わせた」作風のことです。
「ノアール(暗黒)」という言葉に関しては、山田宏一さんが詳しく説明しているので、孫引用になってしまいますが、下に引用します。
山田宏一『映画的なあまりに映画的な美女と犯罪』よりクライム・フィクションというジャンルは、ジェイムズ・エルロイぐらいしかきちんと読んだことがないのですが、なんだかとてもおもしろそうです。どうしてもタランティーノを思い出してしまいますけど。
<フィルム・ノワール>とは何かー「アメリカ映画序説」の著者スティーブン・C・アーリーによれば、「戦前のギャング映画に飽き始めた大衆を惹きつけるために、ハリウッドが1940年代に、暗いペシミズムのムードで味付けして生み出した新しいタイプの犯罪スリラー」である。それを<フィルム・ノワール>と呼んだのは、(中略)<アメリカン・スタイル>に魅惑されたフランスの映画狂たちで、1945年にマルセル・デュアメル監修でパリのガリマール社から発売されるやブームを巻き起こした有名な犯罪推理小説叢書<セリ・ノワール>(暗黒叢書)もあやかって、暗黒(ノワール)の形容がアメリカの犯罪映画に対するオマージュとして付されたのであった。
(「女の犯罪、女の活劇ー<フィルム・ノワール>断章」)
ジョン・リドリーのその他の作品はというと、借金地獄の元脚本家志望ジェフティ・キトリッジが、どん底から這い出て真実の愛を見つけようとペテン計画を企てる『Love is Rocket(邦題:愛はいかがわしく)』、ジャッキー・マンという黒人のコメディアンが、人種差別の吹き荒れる公民権運動の揺籃期に、ハリウッドでスターダムへとのし上がる過程を描いた『A Conversation with the Mann: A Novel』、何をやっても長続きしないパリス・スコットという青年が、自殺したロックスターのテープと、盗んだドラッグから得たお金をもとに夢をかなえようとする『Everybody Smokes In Hell』などなど。さらに、来月には新作『The Drift』なんかも出るみたいです。
とりあえず、あと何冊か読んでみることにしましょう。
正直、ぼくはこの辺のジャンルにとても弱いので、もし詳しい人がいたらお勧めとかを教えて下さい。宗形君とかが詳しいのでしょうね。多分。

「計画?人間の計画はあてにならん。みんな計画外だ。俺の目も、お前がここに来たのも、こうしているのもな。」(盲目のインディアンが、ボブ・クーパに)
02年07月22日(月)
アメリカ文学のお話。
少し前になりますが、ドン・デリーロの「アンダーワールド」の翻訳本が出版されました。
「来たるべき作家たち」なんかでは、1998年の段階で翻訳が「来年出版予定」と書いてあったのですが、結局今年までかかってしまったみたいです。
本屋でかるく立ち読みしたのですが、とにかく分厚い。分厚いのが二冊。翻訳される前は、「読みたいよ!読みたいよ!早く翻訳してくれよ!」とずっと思っていたのですが、いざ出版されるとなかなか読む気にも、買う気にもなりません。
リチャード・パワーズの「ガラテイア2.2」なんかもずーっと翻訳されるのを待っていたのですが、いざ出版されるとどうしても読む気になれません。すげー面白そうなんですけどね。
単に人工知能がテーマの小説なのかと思っていたら、群像に載っていた横田創さんの「ガラテイア2.2」の書評なんかを読むと、そんな単純なものではなさそうですね。(当たり前?)
何だか書いているうちに、『アンダーワールド』と『ガラテイア2.2』が無性に読みたくなってきました。今週末は読書三昧しようかしら。
ポール・オースターは『The Red Notebook: True Stories』が出たり。
とりあえずAmazonでペーパーバックを購入してみましたけど、内容的にはあちこちに収録されているエッセイの寄せ集めです。
でも、
「Why write?」とかも収録されていますし。これ、かなりおもしろいですよ。
さらに本屋を徘徊していると、スティーブン・ミルハウザーの『マーティン・ドレスラーの夢』が出ているのを見つけたり、マイケル・シェイボンの『悩める狼男たち』なんかも読みたいなあと思ったり、読みたい本は山ほどあれど、日常の細事に追われ、思うままには読む能わず。
ところで、デリーロとパワーズといえば、新潮の2000年12月号には、以下のような記事が載っていました。
■Beyond Words—テロ惨劇に呼び起こされた、アメリカ作家たちの“声”
去年の10月11日にニューヨークで行われた「Beyond Words(言葉では言い尽くせない)」というタイトルの朗読会から、現在のアメリカ文学界の現状までを新元良一さんがレポートしています。
言葉を表現の手段としている文学者達が、言葉を越えた(Beyond Words)世界を経験したとき、どのような物語が誕生するのか。
というレポートです。
(言葉を越えた世界というのは、言うまでもなく9.11のことです。)

少し前になりますが、ドン・デリーロの「アンダーワールド」の翻訳本が出版されました。
「来たるべき作家たち」なんかでは、1998年の段階で翻訳が「来年出版予定」と書いてあったのですが、結局今年までかかってしまったみたいです。
本屋でかるく立ち読みしたのですが、とにかく分厚い。分厚いのが二冊。翻訳される前は、「読みたいよ!読みたいよ!早く翻訳してくれよ!」とずっと思っていたのですが、いざ出版されるとなかなか読む気にも、買う気にもなりません。
リチャード・パワーズの「ガラテイア2.2」なんかもずーっと翻訳されるのを待っていたのですが、いざ出版されるとどうしても読む気になれません。すげー面白そうなんですけどね。
単に人工知能がテーマの小説なのかと思っていたら、群像に載っていた横田創さんの「ガラテイア2.2」の書評なんかを読むと、そんな単純なものではなさそうですね。(当たり前?)
『息を呑むほど壮大で華麗なインチキ』であるこの小説は、自分の『インチキ』を証明するために書かれている。そして今、賭けられているのは、この小説をトレーニングしている(読んでいる)私たちなのだ。『中心になる時制は現在だ。物語の要点は、あなたが物語をどうするかにある。』ああ、やっぱり面白そうだな。
何だか書いているうちに、『アンダーワールド』と『ガラテイア2.2』が無性に読みたくなってきました。今週末は読書三昧しようかしら。
ポール・オースターは『The Red Notebook: True Stories』が出たり。
とりあえずAmazonでペーパーバックを購入してみましたけど、内容的にはあちこちに収録されているエッセイの寄せ集めです。
でも、
Auster again explores events from the real world —large and small, tragic and comic—that reveal the unpredictable, shifting nature of human experience.なんていう説明を読むと、買わずにはいられませんよ。
「Why write?」とかも収録されていますし。これ、かなりおもしろいですよ。
さらに本屋を徘徊していると、スティーブン・ミルハウザーの『マーティン・ドレスラーの夢』が出ているのを見つけたり、マイケル・シェイボンの『悩める狼男たち』なんかも読みたいなあと思ったり、読みたい本は山ほどあれど、日常の細事に追われ、思うままには読む能わず。
ところで、デリーロとパワーズといえば、新潮の2000年12月号には、以下のような記事が載っていました。
■Beyond Words—テロ惨劇に呼び起こされた、アメリカ作家たちの“声”
去年の10月11日にニューヨークで行われた「Beyond Words(言葉では言い尽くせない)」というタイトルの朗読会から、現在のアメリカ文学界の現状までを新元良一さんがレポートしています。
言葉を表現の手段としている文学者達が、言葉を越えた(Beyond Words)世界を経験したとき、どのような物語が誕生するのか。
というレポートです。
(言葉を越えた世界というのは、言うまでもなく9.11のことです。)
