02年07月15日(月)
 朝九時、あまりの暑さに起床。
 頭がぐにゅぐにゅしていたので、すっきりする映画が観たいと思い、渋谷に『ゴースト・オブ・マーズ』を観に行きました。

 予想はしていたものの、劇場に入るとそこはまるでダニエル・クロウズの「Ghost World」のようで、ぶつぶつ何かを言っているでぶとか、しきりに頭の髪の毛を気にしているハゲとか、ブラックジャック並に右半分がやたら黒いやつとか、必要以上にいちゃついている中年のカップルとか、おしっこの臭いを漂わせている浮浪者風の男とか、BMIが15を切っているのではないかというくらい痩せたガリとか、1秒間に五回ぐらい眼鏡の位置を気にしている眼鏡君とか、その中にいて全然違和感のない僕とか、月曜日の第一回目の上映を観ようなんていう人間にろくな奴はいません。
けれども、こうして見渡すと、鉄割の稽古場と何も変わらないことに気付く。

 『ゴースト・オブ・マーズ』は、阿部和重とか中原昌也とかがあちこちのメディアで大絶賛していただけあって、とても面白かったです(ぼくはこの両者共、作品を読んだことはないのだけど)。ぐじゅぐじゅしていた頭がむにゅむにゅになりました。未来の世界を描いたこの映画は、全然未来っぽくなくて、それがとても良かったです。やっぱり、スカッとするにはレーザービームではなくて、マシンガンでしょう。殺されるためだけに出てくる火星の先住民の幽霊たちには愛おしさすら感じました。
 頭がぐにゅぐにゅしているときに観る映画は、何の期待もなく観れて、観ている間は集中できて、観終えたらすっかり忘れてしまうような映画に限ります。
 まさしくジョン・カーペンター。

 ところで、『ゴースト・オブ・マーズ』のオフィシャルのサイトは、他の映画のサイトと比べると、いろいろな人のエッセイやらコメントやらが長文で読めて、訪れてとても楽しいサイトだと思うのですけど、いかがでしょうか。

 映画館を出て、ブックファースト1によって新刊本を物色。
 特に面白そうな新刊がないので、スタジオボイスの今月号(「ポストモダン・リターンズ」)と堀江敏幸「郊外へ」、前から読みたかった武田百合子「富士日記(上)」、ウィリアム・T・ヴォルマン「蝶の物語たち」などを購入。一気にトートバックが重くなる。うーん。

 その後、渋谷から原宿まで歩く。途中、明治通り沿いにあるブリスターに寄ってアメリカのコミック系アーティストのオムニバス「9.11」を購入。Vol.2も売っていたけれど、とりあえずVol.1を読んでみよう。

 そのままさらに歩いて、相当歩いて図書館に行く。その図書館の二階に上がる階段の正面には、馬鹿でかい「熊野路」の絵が飾られていて、それを観るたびに那智の滝に呼ばれているような気がする。
 いくら呼ばれても、今年はぼくは東南アジアに行ってしまうのよ。ごめんね。
 図書館で、絶版になっている松山巌の「百年の棲家」などを借る。
 帰りにちょっと贅沢して高めの白桃を買う。
02年07月14日(日)
待ちに待ったみんなのトニオちゃんがとうとう単行本化されました。

 かわいらしいトニオちゃんやジャイ太やスネ郎が、毎週のようにぶっ殺されていくこの漫画、以前SPA!で連載していたときは毎週楽しみに読んでいたのですが、いきなり終わってしまって残念に思っていたので、単行本化はぼくにとってとても喜ばしいことなのです。
 この漫画は、よく哲学的であると言われますが、漫画の中で書かれている哲学的なことって、じつは誰もが思春期に考えたことがあるようなことで、それだけでこの漫画を読むと、ちょぴっと拍子抜けしてしまうかもしれません。
 けれども、それがどうしてこんなにも面白いのかというと、精神科医である斉藤環氏が解説で書いているように、「文体、すなわち語り口がある」からなのです。
菅原はその発想のみによって評価されるべきではない。発想だけなら中学生にもできる。
そうした問いへと読者を誘発する手つきの見事さこそが、彼の本領にほかならないのだ。
(解説より)
 この解説は「みんなのトニオちゃん」をとても的確に評価しているように思うのですが、どのような漫画でも、小説でも、映画でも、いわゆる作品と呼ばれるものにとって、もちろん発想の斬新さというものは大切ですし、重要な要素のひとつであることは間違いありませんが、発想だけの作品というものは、概してつまらない作品なってしまうものです。小説なんかでも、それが面白いかどうかは「文体」にかかっていますからね。
 たとえば、仲俣暁生は「ポスト・ムラカミの日本文学」の中で、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を、ドラッグ小説としてしか読むことが出来なかった中上健次に言及して、次のように書いています。
一読してわかるのは、言葉が即物的な記述のためだけに使われていることです。心理描写を排し、主人公である語り手のリュウに無人格なカメラの役割を果たさせながら、徹頭徹尾、映像的にものごとを記述する。そのことを意識的におこなったのがこの作品の新しさでした。「心理のない記述」を、中上健次は「ラリッてる」のだと誤解したのです。でも、この小説が衝撃的だったのは、ドラッグやセックスといった退廃的な若者風俗を描いたからではなく、映像的に清々しい文章にありました。いま読んでも十分に新鮮なのはそのせいです。
 
 それはともかく、トニオちゃんのぶっ殺されぶりをゆっくりと楽しませていただきます。
02年07月13日(土)
■芥川・直木賞:日本文学振興会が候補作を発表 選考委は17日 

 ある尊敬する知人に勧められて、今回の芥川賞の候補にもなっている吉田修一の「パレード」を読みました。

 この「パレード」という本は、何ヶ月か前に書店で川上弘美の「パレード」と並んで売っていたときに、ぱらぱらとめくって斜め読みはしていたのですが、良くあるタイプの小説かと思い購入はしませんでした。
 今回もほとんど期待しないで読み始めたのですが、これが読み始めてみると、とてつもなく面白い。電車の中で最初の第一章を読みはじめたのですが、本を閉じることが出来なくなってしまい、電車を降りてすぐに喫茶店に入って続きを読み、読んでいる途中で喫茶店が閉店になってしまい、仕方なく続きは次の日に用事先に向かう電車の中で読み、最期の一章まで読んだところで目的地についてしまったので、やむを得ず本を閉じ、次の日に一日の用事をすべて済ませてから夕方にカフェに行って最期の一章を読みました。

 物語の骨子は良くあるタイプのものでして、友人同士でルーム・シェアリングをしている五人の若者の青春小説です。各章ごとにその五人の誰かが語り手となって、それぞれに思っていることや体験した出来事を一人称で語っていきます(ブギーポップは笑わないとか、そんな構成じゃありませんでしたっけ?)。
 ひとりひとりの登場人物がとても上手に描けているし、ユーモアのセンスもすごいあるので、最初は電車の中で読んでいて何度も笑ってしまいました。
 けれども、第一章から最終章にかけて、登場人物の心情や状況が少しずつ深刻になっていき、最終章に入ると読んでいるこちら側に語り手の内面が浸透してくるような、そのような緊張感を感じました。

 最終章をカフェで読み終えた瞬間、ネタバレになるので詳しくは書きませんが、頭がぼーっとしてしまい、しばらく動くことが出来ませんでした。吉田修一の語り口があまりにも上手で、今読んだものが現実なのか小説なのかわからなくなって、頭が混乱していたせいかもしれません。

 この本を貸してくれた方も言っていたことなのですが、この小説の帯には「素顔のままでは生きにくい。」とか書かれていて、このコピーを読むかぎり、よくありがちな感傷的青春小説というふうに受け取られてしまう可能性があると思います。現にぼくもそう思っていたぐらいですから。っていうか、物語の中盤までは、そう思っていたし。
 けれども、読んでみればわかります。そんなものは、ばっこーんと越えていますから。この本を貸してくれた人は、物語のラストに感動していて、中盤の進行にはあまり気をやっていなかったみたいだけど、ぼくは逆にラストに行くまでのすべての章に感動してしまいました。
 まあ、個人個人の好みがありますからね。

 それで、これはちょっと吉田君を見逃していました、急いで他のも読んでみましょう、ということで、早速本屋に行って吉田修一の本を捜したところ、「最期の息子」と「熱帯魚」を発見。「最期の息子」は文学界新人賞を受賞した作品を含む短編集で、「熱帯魚」は、平成十年ぐらいから「文学界」に掲載された短編を収めた短編集です。とりあえず、評判の良い「最期の息子」を購入。そのまま図書館に行って「文学界」のバックナンバーを捜して、「熱帯魚」にふくまれている短編「突風」「熱帯魚」や、「Flowers」コピー。さらに一番新しい短編で今回の芥川賞の候補にもなっている「パーク・ライフ」もコピー。ついでに、今月号の新潮に保坂和志の新作「カンバセーション・ピース」の連載第一回目が掲載されていたので、それもコピー。コピー、コピー、コピー。(ぼくはコピーが大好きで、なんでもかんでもコピーしてしまう癖があります。)

 そんでもって今、「最期の息子」を読み終えたところなのですが、正直なところ「パレード」の方が面白かったですけれど、それでもこの「最期の息子」もとても面白い。面白いというか、とても良かった。
 これは残りの短編も楽しみです。

 「パレード」の最期の章で、伊原直輝という登場人物が、ヘッドフォンで「アンドレア・シェニエ」の「なくなった母を」を聞きながらジョギングをするシーンがあるのですが、そのシーンがとても印象的で、やっぱり音楽はいいなあなどと思い、ついついMDウォークマンを買ってしまいました。
 今までもMDウォークマンは持ってはいたのですが、相当昔に買ったもので、バックに入れて持ち運ぶだけでバックの重量が変わってしまうようなものですので、まあ、よい機会だからなどと自分に言い聞かせながら。
 これからは夕方の石神井公園を、MDウォークマンで音楽を聴きながらジョギングするつもりです。

 ところで、普通に考えた場合、「パレード」の最終章を読んでジョギングをしたいと思う人間はそうそういないと思うので、「パレード」を読まれる方はそこらへんは御了承ください。

Sub Content

雑記書手紹介

大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

最近の日記

過去の日記

鉄割アルバトロスケットへの問い合わせはこちらのフォームからお願いします

Latest Update

  • 更新はありません

お知らせ

主催の戌井昭人がこれまで発表してきた作品が単行本で出版されました。

About The Site

このサイトは、Firefox3とIE7以上で確認しています。
このサイトと鉄割アルバトロスケットに関するお問い合わせは、お問い合わせフォームまでお願いします。
現在、リニューアル作業中のため、見苦しい点とか不具合等あると思います。大目にみてください。

User Login

Links