02年07月14日(日)
待ちに待ったみんなのトニオちゃんがとうとう単行本化されました。

 かわいらしいトニオちゃんやジャイ太やスネ郎が、毎週のようにぶっ殺されていくこの漫画、以前SPA!で連載していたときは毎週楽しみに読んでいたのですが、いきなり終わってしまって残念に思っていたので、単行本化はぼくにとってとても喜ばしいことなのです。
 この漫画は、よく哲学的であると言われますが、漫画の中で書かれている哲学的なことって、じつは誰もが思春期に考えたことがあるようなことで、それだけでこの漫画を読むと、ちょぴっと拍子抜けしてしまうかもしれません。
 けれども、それがどうしてこんなにも面白いのかというと、精神科医である斉藤環氏が解説で書いているように、「文体、すなわち語り口がある」からなのです。
菅原はその発想のみによって評価されるべきではない。発想だけなら中学生にもできる。
そうした問いへと読者を誘発する手つきの見事さこそが、彼の本領にほかならないのだ。
(解説より)
 この解説は「みんなのトニオちゃん」をとても的確に評価しているように思うのですが、どのような漫画でも、小説でも、映画でも、いわゆる作品と呼ばれるものにとって、もちろん発想の斬新さというものは大切ですし、重要な要素のひとつであることは間違いありませんが、発想だけの作品というものは、概してつまらない作品なってしまうものです。小説なんかでも、それが面白いかどうかは「文体」にかかっていますからね。
 たとえば、仲俣暁生は「ポスト・ムラカミの日本文学」の中で、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を、ドラッグ小説としてしか読むことが出来なかった中上健次に言及して、次のように書いています。
一読してわかるのは、言葉が即物的な記述のためだけに使われていることです。心理描写を排し、主人公である語り手のリュウに無人格なカメラの役割を果たさせながら、徹頭徹尾、映像的にものごとを記述する。そのことを意識的におこなったのがこの作品の新しさでした。「心理のない記述」を、中上健次は「ラリッてる」のだと誤解したのです。でも、この小説が衝撃的だったのは、ドラッグやセックスといった退廃的な若者風俗を描いたからではなく、映像的に清々しい文章にありました。いま読んでも十分に新鮮なのはそのせいです。
 
 それはともかく、トニオちゃんのぶっ殺されぶりをゆっくりと楽しませていただきます。

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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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主催の戌井昭人がこれまで発表してきた作品が単行本で出版されました。

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