
02年05月21日(火)
奥村君とダンディズムについて話していた折、なにかのきっかけで「二笑亭奇譚」という面白い本があるということを教えて頂きました。
この本は、以前にちくま文庫から出ていたらしいのですが、残念ながら今では絶版となっていて、古本屋で探さないと手に入れることができません。
しかしどうしても「二笑亭」について読みたかったので、Webで調べたところ、水木しげるが「二笑亭主人」という漫画で二笑亭について書いてることを知り、早速「奇ッ怪建築見聞」と「東西奇ッ怪紳士録」を購入しました。
二笑亭の主人の金蔵君です。これまた素敵なお顔。

水木しげるの書くところによると以下の通りです。
昭和の初め、渡辺金蔵によって建てられた「二笑亭」という建物が深川門前仲町にありました。
その建物は、後に精神病と認定される渡辺金蔵という人間の「修養」を体現するためだけの、決して人の住むことの出来ない建物でした。
渡辺金蔵は、精神病を発症する以前より、性格的に強情なところがあって、己の「修養」の信ずるところであれば、他人の意見に耳を貸さないところがありました。
関東大震災ののち、家族の反対を押し切って、突然長男と次男を連れて世界漫遊の旅に出てしまったこともその性格の頑固さと奔放さを物語っています。
旅行の途中、長男が精神に異常を来たしますが、旅行を中止することなく漫遊を続けます。
この漫遊旅行で一体何処へ行ったのか、何を見てきたのかはこの本には詳しくありません。
ともあれ、帰国した渡辺金蔵は、早速二笑亭の建築に取り掛かり、この後十余年にわたり、実際に住むことが出来ない家「二笑亭」の完成を夢見て、日々己の「修養」を如何に二笑亭に開放するか、そのことだけを考えながら風呂に入り続けます。
和洋合体風呂、ガラス入り節孔窓、ホール左側の浮き彫り、土蔵にある昇れない鉄梯子、遠くにある使えない便所、不思議な階段を上がると、主人直筆の掛け軸「ごくろうなれどもるすばんたのむよだるまさん」、祠入口の口を閉じている新型狛犬、入り口が小さく、入ると壁にナイアガラの写真が貼ってある茶室、などなど。
しかし、建築開始の十数年後に、金蔵が精神病として入院することにより、二笑亭の建築は永遠に中止されます。
そしてその二年後に、金蔵の「修養」の具現的存在である二笑亭は、取り壊しになってしまいましたとさ。
うーん。漫画を読んだら、余計に「二笑亭奇譚」を読みたくなってしまいました。
今度のお休みの日にでも、古本屋巡りをしてこようかな。
この本は、以前にちくま文庫から出ていたらしいのですが、残念ながら今では絶版となっていて、古本屋で探さないと手に入れることができません。
しかしどうしても「二笑亭」について読みたかったので、Webで調べたところ、水木しげるが「二笑亭主人」という漫画で二笑亭について書いてることを知り、早速「奇ッ怪建築見聞」と「東西奇ッ怪紳士録」を購入しました。
二笑亭の主人の金蔵君です。これまた素敵なお顔。

水木しげるの書くところによると以下の通りです。
昭和の初め、渡辺金蔵によって建てられた「二笑亭」という建物が深川門前仲町にありました。
その建物は、後に精神病と認定される渡辺金蔵という人間の「修養」を体現するためだけの、決して人の住むことの出来ない建物でした。
渡辺金蔵は、精神病を発症する以前より、性格的に強情なところがあって、己の「修養」の信ずるところであれば、他人の意見に耳を貸さないところがありました。
関東大震災ののち、家族の反対を押し切って、突然長男と次男を連れて世界漫遊の旅に出てしまったこともその性格の頑固さと奔放さを物語っています。
旅行の途中、長男が精神に異常を来たしますが、旅行を中止することなく漫遊を続けます。
この漫遊旅行で一体何処へ行ったのか、何を見てきたのかはこの本には詳しくありません。
ともあれ、帰国した渡辺金蔵は、早速二笑亭の建築に取り掛かり、この後十余年にわたり、実際に住むことが出来ない家「二笑亭」の完成を夢見て、日々己の「修養」を如何に二笑亭に開放するか、そのことだけを考えながら風呂に入り続けます。
和洋合体風呂、ガラス入り節孔窓、ホール左側の浮き彫り、土蔵にある昇れない鉄梯子、遠くにある使えない便所、不思議な階段を上がると、主人直筆の掛け軸「ごくろうなれどもるすばんたのむよだるまさん」、祠入口の口を閉じている新型狛犬、入り口が小さく、入ると壁にナイアガラの写真が貼ってある茶室、などなど。
しかし、建築開始の十数年後に、金蔵が精神病として入院することにより、二笑亭の建築は永遠に中止されます。
そしてその二年後に、金蔵の「修養」の具現的存在である二笑亭は、取り壊しになってしまいましたとさ。
うーん。漫画を読んだら、余計に「二笑亭奇譚」を読みたくなってしまいました。
今度のお休みの日にでも、古本屋巡りをしてこようかな。
02年05月20日(月)
5月20日はフランスの文豪オノレ・ド・バルザックさんの誕生日でございます。
バルザックさんはずんぐりむっくり、もっそもっそと歩き、着ている服はしわしわで、口を開けばお下劣極まりない下ネタ話、あるいは誇大妄想的な法螺話、あるいは尽きることのない自慢話。
そんなバルザックさんでありますが、夜になり部屋に一人きりになると、途端言葉の波が頭に押し寄せ、信じられない集中力で一気に原稿用紙にペンを走らせます。
ことばがことばを生み、生まれたことばが物語を紡ぐ。
そしてお顔もなかなか良い顔をしている。

密かなヅラ疑惑がぼくの中に芽生えております。
バルザックさんの時代、小説家と小説を掲載する新聞社の間では、一行いくらという形で契約が行われていました。
書けば書くほどお金になるわけですから、バルザックさんは書いて書いて売って書いて書いて書きまくり、ケルアックもびっくりというぐらい書きまくり、寝る間を惜しんで書きまくり、書いては書いたで借金しまくり、中間搾取はいやだようと言っては自分で印刷会社を作り、書いて書いて書きまくり、完全なノベルライターマシーンと化して書きまくります。
書けば書くほどお金になるわけですから、情景描写がながーく、ながーくなり、舞台設定もくどーく、くどーくなってしまいます。
眠ってはいけないから、一日に五十杯のコーヒーを飲みまくります。
一杯のコーヒーが200mLとすると、10Lのコーヒーを毎日飲んでいたことになります。
そんな彼の書いたそんな作品に登場する人物は2300人を越え、今なお全世界の人々に読まれつづけているとさ。
ぼくはバルザックを読んだことがありましぇん。
バルザックさんはずんぐりむっくり、もっそもっそと歩き、着ている服はしわしわで、口を開けばお下劣極まりない下ネタ話、あるいは誇大妄想的な法螺話、あるいは尽きることのない自慢話。
そんなバルザックさんでありますが、夜になり部屋に一人きりになると、途端言葉の波が頭に押し寄せ、信じられない集中力で一気に原稿用紙にペンを走らせます。
ことばがことばを生み、生まれたことばが物語を紡ぐ。
そしてお顔もなかなか良い顔をしている。

密かなヅラ疑惑がぼくの中に芽生えております。
バルザックさんの時代、小説家と小説を掲載する新聞社の間では、一行いくらという形で契約が行われていました。
書けば書くほどお金になるわけですから、バルザックさんは書いて書いて売って書いて書いて書きまくり、ケルアックもびっくりというぐらい書きまくり、寝る間を惜しんで書きまくり、書いては書いたで借金しまくり、中間搾取はいやだようと言っては自分で印刷会社を作り、書いて書いて書きまくり、完全なノベルライターマシーンと化して書きまくります。
書けば書くほどお金になるわけですから、情景描写がながーく、ながーくなり、舞台設定もくどーく、くどーくなってしまいます。
眠ってはいけないから、一日に五十杯のコーヒーを飲みまくります。
一杯のコーヒーが200mLとすると、10Lのコーヒーを毎日飲んでいたことになります。
そんな彼の書いたそんな作品に登場する人物は2300人を越え、今なお全世界の人々に読まれつづけているとさ。
ぼくはバルザックを読んだことがありましぇん。
02年05月19日(日)
石川淳の「紫苑物語」を読む。
この方は、大宰や安吾と並び評された無頼派の一人でして、その思想を思えば、おそらく一番無頼派らしい無頼派だったように思います。
この種の古典的幻想文学(とか書くとすごくつまらなそうに聞こえますけど)では、アホみたいに難しい漢字を使ったり、やたら冗長なうんこみたいな表現を使ったり、わけのわからない叙情性を延々と描いたりと、そんな作品が多いのも事実なのですが、石川淳はそんな陳腐な真似は一切していなくて、読んでびっくりひらがなだらけ、漢字の選択も絶妙、表現も簡潔にして美しく、読んでいて気持ちのよい日本語というのはかくあるものなのでしょう。
本の裏表紙などを見ると
ここで石川淳が久保田万太郎について書いていることは、そのまま彼自身にも当てはまるのではないでしょうか。ちょっと長くなりますが引用させていただきます。
ぼくは、そんな良い按配の小説を読むと、ああ、きもちがよい、とつぶやいてしまいます。
ついでですので、久保田万太郎への追悼文の始まるの書き出しも引用します。
久保田万太郎は、赤貝を喉に詰まらせてお亡くなりになりました。
とにかくいま石川淳は不当に低く評価されている。というよりも無視されている。
ちなみに、歌人の水原紫苑というお方は、この「紫苑物語」にちなんで名前を付けたそうです。
守もようやく弓矢の道を知るに至ったらしいな。矢はもっぱら生きものを殺すためのものじゃ。たかが鳥けものなんぞのたぐいではなくて、この世に生けるひとをこそ、生きものとはいう。殺すものと知ったうえは、すなわち殺さなくてはならぬ。さらに多くを、いやさらに多くを、殺しつづけなくてはならぬ。おのれの手がすることに飽きるな。おのれに倦むな。おぼえたか。石川淳という方は、作品が地味に受け取られるのか、作家としての派手なエピソードがないからか、最近すっかり忘れられているような気がしてならないのですが、このような素晴らしい人と作品が忘れられてはいけないのではないでしょうか。
この方は、大宰や安吾と並び評された無頼派の一人でして、その思想を思えば、おそらく一番無頼派らしい無頼派だったように思います。
この種の古典的幻想文学(とか書くとすごくつまらなそうに聞こえますけど)では、アホみたいに難しい漢字を使ったり、やたら冗長なうんこみたいな表現を使ったり、わけのわからない叙情性を延々と描いたりと、そんな作品が多いのも事実なのですが、石川淳はそんな陳腐な真似は一切していなくて、読んでびっくりひらがなだらけ、漢字の選択も絶妙、表現も簡潔にして美しく、読んでいて気持ちのよい日本語というのはかくあるものなのでしょう。
本の裏表紙などを見ると
優美かつ艶やかな文体と、爽やかで強靱きわまる精神。昭和30年代初頭の日本現代文学に鮮烈な光芒を放つ真の意味での現代文学の巨匠・石川淳の中期代表作——華麗な“精神の運動”と想像力の飛翔。などと書かれておりますが、石川淳が書いた久保田万太郎への追悼文の中に以下のような文章があります。
ここで石川淳が久保田万太郎について書いていることは、そのまま彼自身にも当てはまるのではないでしょうか。ちょっと長くなりますが引用させていただきます。
みがき拔かれたことばの反射は作者の身に於てますますカンを研ぎすますことになつたやうである。久保田さんのカン。ことば一般について、ことばを手だてとする文学作品一般について、カンはこのひとをすぐれた無言の鑑定家に仕立てた。ことばの目きき。ただこの目ききは考の筋をおひつめ押しすすめて行くことばだけはしらなかつたようにおもはれる。したがつて、他人のためではなく、御當人のために、問題を作りだしていくといふ術はこのひとの幻術の中の缺けた部分と見るほかない。いいあんばい・・さう、この作者としては、いいあんばいといふべきだろう。いいあんばい。「紫苑物語」は、まさに良い按配に書かれた物語であるように思います。
ぼくは、そんな良い按配の小説を読むと、ああ、きもちがよい、とつぶやいてしまいます。
ついでですので、久保田万太郎への追悼文の始まるの書き出しも引用します。
久保田万太郎は、赤貝を喉に詰まらせてお亡くなりになりました。
すききらひを押し通すにも、油断はいのちとりのやうである。好むものではないすしの、ふだん手を出さうともしないなんとか貝なんぞと、いかにその場の行がかりとはいへ、ウソにも付合はうといふ愛嬌を見せることはなかつた。いいえ、いただきません、きらひです。それで立派に通つたものを、うかうかと・・・このひとにして、魔がさしたとふのだろう。ぽつくり、じつにあつけなく、わたしにとってはただ一人の同郷浅草の先輩、久保田万太郎は地上から消えた。どうしたんです、久保田さん。久保勘さんのむすこの、ぶしつけながら、久保万さん。御当人のちかごろの句に、湯豆腐やいのちのはてのうすあかり。その豆腐に、これもお好みのトンカツ一丁。酒はけつかうそれでいける。もとより仕事はいける。ウニのコノワタのと小ざかしいやつの世話にはならない。元来そういふ気合のひとであつた。この気合すなはちエネルギーの使い方はハイカラというものである。保坂和志はヴァージニア・ウルフに関して「とにかくいまウルフは不当に低く評価されている、というよりも無視されている」と書いていますが、それと同じことは石川淳にも言えないでしょうか。
とにかくいま石川淳は不当に低く評価されている。というよりも無視されている。
ちなみに、歌人の水原紫苑というお方は、この「紫苑物語」にちなんで名前を付けたそうです。