02年05月07日(火)
カンデンスキー展を徘徊してきました。

ぼくはカンデンスキーの中期の微妙にフォービズム入ってる作品が大好きで、ノートの後ろに「ムルナウの教会(正式名称忘れた)」のポストカードをテープでぐるぐるに貼り付けて、いつでも見られるようにしているのですが、そこら辺の作品があまりなくて残念でした。
抽象画って、ぼく良く分からないのです。良いものは良いし、分かるものは分かるのですが、カンディンスキーのはちょっと分からないのです。
っていうかね、かわいくないのね。カンディンスキーの後期抽象画って。
やっぱりぼく、かわいいのが好きなのよ。

浅田彰さんが「批評空間」のwebの時評のページで、このカンディンスキー展の批評をしています。
■カンディンスキー展をきっかけに

この文章なんかを読むと、カンディンスキーの絵画の色彩の素晴らしさなどをもっともっと知りたい、とおもうのですが、「コンポジションVI」なんかを観ても、いまいちしっくりこない。
あと何年か生きて、もっと何度も観れば、その良さが分かるのかもしれません。焦らず、焦らず。

ところで、上記の記事、展覧会については障り程度にしか触れていないのですが、ティエリー・ド・デューヴの「マルセル・デュシャン」に触れたり、カンディンスキーと甥である哲学者コジェーヴの関係について書いてあったり、短い記事ではありますが、なかなか充実しております。

先日観た「ビューティフルマインド」というなんとも言いようのない映画の中で、ジョン・ナッシュの恋人がシャガールの「七本指の自画像」を観て、「神は画家よ。色彩を創りだしたのだから。」とかなんとかいうシーンがありました。
色彩というと、サイケデリックとかしか考えない人たちも世には多くおりますが、ぼくはサイケデリックというものがいまいち良く分からなくて、そこら辺が抽象絵画を理解できない原因のひとつなのではないか、などと考えながら、日々精進する所存でございます。
02年05月06日(月)
ぼくは、自分で言うのもなんですが、年齢の割に精神や感性が年寄臭くて、常日頃若者をぶん殴りたいとか思っているのですが、それでも年相応に若返ろうと努力はしています。
先日、友人とその友人の恋人と共に鍋の具材を買いにスーパーに行き、肉やらネギやらホタテやら、とにかく手当たり次第に食べたい物を購入したところ、代金が6001円でした。
すると、友人は「ロク、マル、マル、イチだな」と言って大笑い、それに反応して彼の恋人は「おっとっと」などと言ってずっこける仕草までする始末、ぼくには「ロク、マル、マル、イチ」の意味も、それに対する「おっとっと」というリアクションの意味もさっぱり分からず、大笑いしながら接吻している二人を尻目に、作り笑いなどを浮かべ、分かったような顏をして「お前、おもしれえじゃん」などと言っておりました。
同世代の若者の笑いですら、どんどんと分からなくなっております。
ロク、マル、マル、イチ。
02年05月05日(日)
折角のゴールデンウィークでなので、「真夜中のサバナ」をもってサバナに行こうかとも思ったのですが、それもままならないので、国木田独歩君の「武蔵野」を持って武蔵境を散歩しました。バイクで家から20分。

武蔵野です


武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と文政に出来た地図で読んだ独歩君は、「武蔵野の美今も昔に劣らず」と書いています。
文政から明治への時間間隔と、明治から平成への時間間隔では、年数だけでは計り切れないものがあるので、独歩君の逍遥した武蔵野の面影はもはや残っていないだろうななどと、ほとんど期待をしないで行ったのですが、なかなかどうして、武蔵野の詩趣今も昔に劣っていませんでした。

ただし、「武蔵野」では春の武蔵野の情景はほとんど描かれていません。
ですから、僕は「武蔵野」では読むことの出来ない武蔵野を経験してきました。

独歩君は、明治30年前後の初夏、後に周囲の反対を押し切ってまで結婚をすることになる女性と、桜橋から武蔵野を散歩します。

堤沿いでして

茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上の方へとのぼり始めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かに見えるだろう、しかしそれは未だ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。

今は春ですから、武蔵野の夏の日の光を感じることは出来ませんでしたが、それでも気持ちの良い日差しを浴びながらしばらくぶらぶらしていると、ある公園に出ました。

公園


「武蔵野」では、武蔵野の情景を視覚的と同時に聴覚的に、非常に効果的にその美しさが描かれています。
鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢の蔭、林の奥にすだく虫の音。空車荷車の林を廻り、坂を下り、野路を横ぎる響。蹄で落葉を蹶散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる銃音。自分が一度犬をつれ、近処の林を訪い、切株に腰をかけて書を読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに臥ていた犬が耳を立ててきっとそのほうを見つめた。それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗樹もずいぶん多いから。

武蔵野の音に耳を傾けながら、ぼくは独歩君と恋人の信子さんと一緒に桜橋の辺りをあてもなくさまよいます。

木々


独歩君が突然、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想するので、恥ずかしかったけど僕も真似をして四顧しました。犬がうんこしてました。

木々


独歩君はとても大好きな恋人が一緒で楽しそうです。でも、この信子さんは、あと数年したら独歩君のもとから逃げ出してしまいます。独歩君が、あまりにもお金がなくて、甲斐性がないから。
しかも独歩君は、このあと会社を創立して倒産させてしまったり、あまりにも我侭で友人が離れていったり、揚げ句には早死にしたりと、ろくなことがありません。
でも、大好きな恋人と一緒に武蔵野を歩くこの日の独歩君は、とても楽しそうです。

木々


旅行に行きたいな。海外に三ヶ月ぐらい。

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大根雄
栃木生まれ。
鉄割パソコン担当。
いたりいなかったりする。

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