
02年05月05日(日)
折角のゴールデンウィークでなので、「真夜中のサバナ」をもってサバナに行こうかとも思ったのですが、それもままならないので、国木田独歩君の「武蔵野」を持って武蔵境を散歩しました。バイクで家から20分。

「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と文政に出来た地図で読んだ独歩君は、「武蔵野の美今も昔に劣らず」と書いています。
文政から明治への時間間隔と、明治から平成への時間間隔では、年数だけでは計り切れないものがあるので、独歩君の逍遥した武蔵野の面影はもはや残っていないだろうななどと、ほとんど期待をしないで行ったのですが、なかなかどうして、武蔵野の詩趣今も昔に劣っていませんでした。
ただし、「武蔵野」では春の武蔵野の情景はほとんど描かれていません。
ですから、僕は「武蔵野」では読むことの出来ない武蔵野を経験してきました。
独歩君は、明治30年前後の初夏、後に周囲の反対を押し切ってまで結婚をすることになる女性と、桜橋から武蔵野を散歩します。

今は春ですから、武蔵野の夏の日の光を感じることは出来ませんでしたが、それでも気持ちの良い日差しを浴びながらしばらくぶらぶらしていると、ある公園に出ました。

「武蔵野」では、武蔵野の情景を視覚的と同時に聴覚的に、非常に効果的にその美しさが描かれています。
武蔵野の音に耳を傾けながら、ぼくは独歩君と恋人の信子さんと一緒に桜橋の辺りをあてもなくさまよいます。

独歩君が突然、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想するので、恥ずかしかったけど僕も真似をして四顧しました。犬がうんこしてました。

独歩君はとても大好きな恋人が一緒で楽しそうです。でも、この信子さんは、あと数年したら独歩君のもとから逃げ出してしまいます。独歩君が、あまりにもお金がなくて、甲斐性がないから。
しかも独歩君は、このあと会社を創立して倒産させてしまったり、あまりにも我侭で友人が離れていったり、揚げ句には早死にしたりと、ろくなことがありません。
でも、大好きな恋人と一緒に武蔵野を歩くこの日の独歩君は、とても楽しそうです。

旅行に行きたいな。海外に三ヶ月ぐらい。

「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と文政に出来た地図で読んだ独歩君は、「武蔵野の美今も昔に劣らず」と書いています。
文政から明治への時間間隔と、明治から平成への時間間隔では、年数だけでは計り切れないものがあるので、独歩君の逍遥した武蔵野の面影はもはや残っていないだろうななどと、ほとんど期待をしないで行ったのですが、なかなかどうして、武蔵野の詩趣今も昔に劣っていませんでした。
ただし、「武蔵野」では春の武蔵野の情景はほとんど描かれていません。
ですから、僕は「武蔵野」では読むことの出来ない武蔵野を経験してきました。
独歩君は、明治30年前後の初夏、後に周囲の反対を押し切ってまで結婚をすることになる女性と、桜橋から武蔵野を散歩します。

茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上の方へとのぼり始めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かに見えるだろう、しかしそれは未だ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。
今は春ですから、武蔵野の夏の日の光を感じることは出来ませんでしたが、それでも気持ちの良い日差しを浴びながらしばらくぶらぶらしていると、ある公園に出ました。

「武蔵野」では、武蔵野の情景を視覚的と同時に聴覚的に、非常に効果的にその美しさが描かれています。
鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢の蔭、林の奥にすだく虫の音。空車荷車の林を廻り、坂を下り、野路を横ぎる響。蹄で落葉を蹶散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる銃音。自分が一度犬をつれ、近処の林を訪い、切株に腰をかけて書を読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに臥ていた犬が耳を立ててきっとそのほうを見つめた。それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗樹もずいぶん多いから。
武蔵野の音に耳を傾けながら、ぼくは独歩君と恋人の信子さんと一緒に桜橋の辺りをあてもなくさまよいます。

独歩君が突然、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想するので、恥ずかしかったけど僕も真似をして四顧しました。犬がうんこしてました。

独歩君はとても大好きな恋人が一緒で楽しそうです。でも、この信子さんは、あと数年したら独歩君のもとから逃げ出してしまいます。独歩君が、あまりにもお金がなくて、甲斐性がないから。
しかも独歩君は、このあと会社を創立して倒産させてしまったり、あまりにも我侭で友人が離れていったり、揚げ句には早死にしたりと、ろくなことがありません。
でも、大好きな恋人と一緒に武蔵野を歩くこの日の独歩君は、とても楽しそうです。

旅行に行きたいな。海外に三ヶ月ぐらい。
02年05月04日(土)
そんで先日古本屋で、「猫百話」という、ラブレーから村上春樹まで、古今東西の猫に関する文章を集めた本を見つけました。柳瀬尚紀編。ジョイスの翻訳家として有名な方です。
この本、とてもおもしろいのが、作家や芸術家による猫に対する偏愛的な文章を集めているのではなくて、単に猫に言及している文章を集めているのです。
例えば、収録されている一編である河上徹太郎の「吉田健一」では、単に吉田健一と彼の初めての出会いを描いたものです。
見ると猫背で、手頸などにおんなのようなしなを作る青年が、静々とはいって来た。彼の第一印象は、寒がりだということであった。足許にガス・ストーブをかんかんつけたソファーの上で、猫のように頸筋と尾てい骨を同じ角度の抛物線を曲げて蹲り、短くなった煙草を指先を舐めるようにうまそうに吸い、そのままいつまでもうっとり坐って御満悦なのである。
関係ありませんが、なんだかこの部分だけ読むと、ポーの作品みたいですね。この青年が、あとで事件を起こすの。
話を戻します。
この本には、その他、イギリスの民話に登場する猫や、哲学書で例として挙げられている猫、小説でいつの間にか出ていつの間にか消えている猫、ラブレー「ガルガンチュア物語(!)」の、うんこをしたあとに猫でケツを拭いたら引っ掛かれた話、答えが「猫」のなぞなぞを集めたものなど、本当に多彩な猫話が網羅されています。
しかも、バーセルミの(当時は)未訳の作品まで入っている!
猫好きの、猫好きによる、猫好きのための猫偏愛記みたいなものは、正直なところ読んでいると疲れてしまいます。
そんなものを読むよりも、自分で猫をかわいがったほうが楽しいし。
それよりも、この「猫百話」のように、さりげない猫のお話の方が、読んでいて本当におもしろい。
文章に猫が出てくるのなんて当たり前に考えておりましたが、こうしてまとめて読むと、猫と人間の関係、思っていた以上になかなか興味深いものであります。
この本、とてもおもしろいのが、作家や芸術家による猫に対する偏愛的な文章を集めているのではなくて、単に猫に言及している文章を集めているのです。
例えば、収録されている一編である河上徹太郎の「吉田健一」では、単に吉田健一と彼の初めての出会いを描いたものです。
見ると猫背で、手頸などにおんなのようなしなを作る青年が、静々とはいって来た。彼の第一印象は、寒がりだということであった。足許にガス・ストーブをかんかんつけたソファーの上で、猫のように頸筋と尾てい骨を同じ角度の抛物線を曲げて蹲り、短くなった煙草を指先を舐めるようにうまそうに吸い、そのままいつまでもうっとり坐って御満悦なのである。
関係ありませんが、なんだかこの部分だけ読むと、ポーの作品みたいですね。この青年が、あとで事件を起こすの。
話を戻します。
この本には、その他、イギリスの民話に登場する猫や、哲学書で例として挙げられている猫、小説でいつの間にか出ていつの間にか消えている猫、ラブレー「ガルガンチュア物語(!)」の、うんこをしたあとに猫でケツを拭いたら引っ掛かれた話、答えが「猫」のなぞなぞを集めたものなど、本当に多彩な猫話が網羅されています。
しかも、バーセルミの(当時は)未訳の作品まで入っている!
猫好きの、猫好きによる、猫好きのための猫偏愛記みたいなものは、正直なところ読んでいると疲れてしまいます。
そんなものを読むよりも、自分で猫をかわいがったほうが楽しいし。
それよりも、この「猫百話」のように、さりげない猫のお話の方が、読んでいて本当におもしろい。
文章に猫が出てくるのなんて当たり前に考えておりましたが、こうしてまとめて読むと、猫と人間の関係、思っていた以上になかなか興味深いものであります。
02年05月03日(金)
猫ついでにもう一つ。
「鈴木大拙とは誰か」に以下のような写真と文章が出ています。

猫が眠る。大拙先生も眠る。猫の眠りが大拙を眠らしめ、大拙の眠りが猫を眠らしめる。
猫は大拙先生を眠り、大拙先生は猫を眠る。ソファーも眠り、机も眠る。共に眠りえるということ。猛虎と眠る寒山を描いた二睡の図が想われる。
猫を飼いたい。
鈴木大拙さんも猫がとても好きだったようで、生徒に輪廻転生について問われて、以下のように応えています。
(参考)
『先生は本当に輪廻転生を信じているか?』と学生から質問されると『わしゃ猫が好きでなあ、ことによったらわしの前世は猫だったかも知れないなあ』と実感で答える。学生はこれを聞いて納得する。理屈以前の世界からおっしゃっているので相手の疑問が消えてしまう。
猫。
「鈴木大拙とは誰か」に以下のような写真と文章が出ています。

猫が眠る。大拙先生も眠る。猫の眠りが大拙を眠らしめ、大拙の眠りが猫を眠らしめる。
猫は大拙先生を眠り、大拙先生は猫を眠る。ソファーも眠り、机も眠る。共に眠りえるということ。猛虎と眠る寒山を描いた二睡の図が想われる。
猫を飼いたい。
鈴木大拙さんも猫がとても好きだったようで、生徒に輪廻転生について問われて、以下のように応えています。
(参考)
『先生は本当に輪廻転生を信じているか?』と学生から質問されると『わしゃ猫が好きでなあ、ことによったらわしの前世は猫だったかも知れないなあ』と実感で答える。学生はこれを聞いて納得する。理屈以前の世界からおっしゃっているので相手の疑問が消えてしまう。
猫。