05年03月24日(木)
のら猫日記
全身で警戒をしながらも、もしかしたらエサをくれるかもしれないという期待から逃げ出さないでじっとしているのら猫の顔は、本当に良いものです。
最近のぼくの猫ブームは、大佛さんの『猫のいる日々』を読んだことから火がついてしまったことは間違いないのですが、火の付き方が尋常でありません。ワンルームだというのに、一人暮しだというのに、留守がちだというのに、猫と一緒に住みたくて仕方がありません。生き物を世話するということは、そんなに甘いものではないのだよと自分に言い聞かせて、ぐっと堪えています。
もしぼくが本当に猫と一緒に暮らすとしたら、とりあえず引っ越して、生活が落ちついてからと考えています。ということは、早くても半年後か、一年後か。そうなると、ぼくが将来、一緒に暮らす猫は、まだこの世には生まれていない可能性が高いです。その子の親だって、生まれているかどうか怪しいものです。つまり、どんなに猫と暮らしたくても、それは不可能だということです。だって、まだ生まれていないのですから。この世に存在しない猫をいくら追い求めても、白馬の王子様を待っているブスと一緒で、無駄なことでしょう。その猫が生まれてくるその日まで、じっと我慢して耐えましょう。そしてその日まで、引っ越しができるようにお金を貯めましょう。
子猫で鈴をつけて、よく庭に遊びに来るのがあった。時間が来ると、いつの間にか帰ったと見えて姿を隠し、また明日、やって来る。かわいらしい。どこから遊びに来るのかと思って、ある日、
「君ハドコノネコデスカ」
と、荷札に書いて付けてやった。三日ほどたって、遊びに来ているのを見ると、まだ札をさげているから、かわいそうにと思って、取ってやると、思いきや、ちゃんと返事が書いてあった。
「カドノ湯屋ノタマデス、ドウゾ、ヨロシク」
君子の交わり、いや、この世に生きる人間の作法、かくありたい。私はインテリ家庭の人道主義を信用しない。猫を捨てるなら、こそこそしないで名前を名乗る勇気をお持ちなさい。大佛次郎「ここに人あり」より